見出し画像

【『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ/冒険・スパイ小説の時代】冒険小説ブームとわたし(香山二三郎)

冒険アクション大作『レッド・メタル作戦発動』(マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世、伏見威蕃訳)刊行を記念し、1970~80年代の冒険・スパイ小説ブームについて作家・書評家・翻訳家が語る連続エッセイ企画を行います。
第3回はコラムニスト・香山二三郎さんです

***

 ミステリファンには小学生の頃から読み始めている方々が少なくない。筆者はその点スロースターターで、系統だって読み始めたのは高校に入ってから。時代的には1970年代前半で、この頃記憶に残っているのは、植草甚一の評論集『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』の発見だ。ジャズファンの教師が学校の図書館に注文したとのことだったが、ミステリ素人の筆者は植草の名もろくに知らなかった。一読仰天、出てくる作家の大半が聞いたことない名前ばかり。ミステリの世界って広いんだと思った。
 これで興味が湧き、70年代半ばに早稲田に入りミステリクラブに所属することになるが、ここでも聞いたことのないような作家をたくさん読んでいる人が多くてびっくりした。そういう方々に、どんな作家が好きなのかと聞かれるのだが、本格ミステリはマニアックな読み手が多いみたいだし、うかつな返答をすると村八分にあいそうで怖かった。ちょうどその頃チャンドラーの『長いお別れ』を読んだばかりだったこともあって、ハードボイルドなんか好きですと応えることにした。
 ハードボイルドは冒険小説とひとくくりにして冒険ハードボイルドジャンルといわれることが多いが、実は大学に入った頃、冒険小説はほとんど読んでいなかった。名作だけでも読まなくちゃと思っているうちにしかし、何と向こうから近づいてきたのである。
 その頃何かと世話になっていた関口苑生先輩が仕事先のつながりでコメディアンの内藤陳氏と知り合ったが、この人が鬼のようなミステリ読みだったという。ミステリというか、冒険ハードボイルドですね。そしてちょうどその頃話題になったのが、ジャック・ヒギンズである。関口先輩は既刊の救出活劇『地獄島の要塞』が傑作だと教えてくれたが、ワタクシ的にはロマンス要素がちょっとウザかった。しかし間もなく刊行されたチャーチル首相誘拐劇の顛末を描いた第二次世界大戦もの『鷲は舞い降りた』にはやられた。シュタイナ中佐がかっこよかった。ヒギンズ作品はこれを契機に『死にゆく者への祈り』、『非情の日』、『脱出航路』といったアイルランド・テロリストものや第二次世界大戦ものが立て続けに翻訳され人気を呼ぶことになる。
 ヒギンズのみならず冒険小説ジャンルそれ自体が活気を帯びたのは、時期を同じくしてルシアン・ネイハムの奇抜なハイジャック活劇『シャドー81』を皮切りに文庫オリジナルの翻訳長篇が出始めたことにもよろう。先般物故したクライブ・カッスラーのブレイク作『タイタニックを引き揚げろ』が出たのもこの頃のこと。筆者は話題作を追いかけていくうちに、自ずと冒険小説に染まっていったのであった。
 もっとも、70年代になって冒険小説の巨匠——アリステア・マクリーンやイアン・フレミングの後継者として真っ先に登場したのは誰かと考えると、フレデリック・フォーサイスではなかったかと。ド・ゴール仏大統領の暗殺劇を描いたデビュー作『ジャッカルの日』は世界的なベストセラーを記録するとともに、国際社会の裏側をダイナミックにとらえた国際謀略活劇に新風を巻き起こした。
 このジャンルのもうひとりのビッグネーム、ロバート・ラドラムも忘れてはなるまい。71年刊のデビュー作『スカーラッチ家の遺産』以来、歴史謀略ものを軸に活躍、フォーサイス作品と同時期に翻訳も出始めており、筆者もディック・フランシスやギャビン・ライアル、デズモンド・バグリイ等の名作を掘り起こすのと並行してラドラム作品も読み進めていたのだが、人気に火がつくのはジェイソン・ボーン・シリーズの第一作『暗殺者』からだった。残念。しかし冒険小説のあらたなサブジャンルであるこの国際謀略ものは、80年代になってから、トム・クランシー『レッド・オクトーバーを追え』の出現により、さらに軍事ハイテクスリラーへと進化していく。マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世の新シリーズ第一作『レッド・メタル作戦発動』がその正統なる後継者であるのはいうまでもないだろう。
 さて、70年代から80年代にかけて人気が出たのは翻訳ものだけではなかった。70年代末から、大沢在昌や船戸与一を始めとする冒険ハードボイルドの大型新人が続々と登場する。そしてその勢いに乗って、内藤陳会長率いる日本冒険小説協会も発足。翻訳小説から始まった冒険ハードボイルドの新たな波はやがて読者へ、日本の作家たちへと確実に伝播していったのである。『レッド・メタル作戦発動』が日本の新たな読者や作家を生み出すきっかけになるよう祈りたい。
(香山二三郎)

***

2020年、早川書房では、セシル・スコット・フォレスター『駆逐艦キーリング〔新訳版〕』、夏に巨匠ジョン・ル・カレの最新作『Agent Running in the Field(原題)』、潜水艦の乗組員の闘いを描く人気作『ハンターキラー』の前日譚『Final Bearing(原題)』、冬には『暗殺者グレイマン』シリーズ新作など、優れた冒険小説・スパイ小説の刊行を予定しています。どうぞお楽しみに。

『レッド・メタル作戦発動(上下)』
マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世
伏見威蕃訳
ハヤカワ文庫NVより4月16日発売
本体価格各980円

***

『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ 一覧

【第1回】「あのころは愉しかった・80年代回顧」(北上次郎)

【第2回】「回顧と展望、そして我が情熱」(荒山徹)

【第3回】「冒険小説ブームとわたし」(香山二三郎)

【第4回】「冒険・スパイ小説とともに50年」(伏見威蕃)

【第5回】「冒険小説、この不滅のエクスペリエンス」(霜月蒼)

【第6回】「燃える男の時代」(月村了衛)

【第7回】「宴の後に来た男」(古山裕樹)

【第8回】「冒険小説は人生の指南書です」(福田和代)

【第9回】「蜜月の果て、次へ」(川出正樹)

【第10回】「人生最良の1990年」(塩澤快浩)

【第11回】「気品あふれるロマンティシズム」(池上冬樹)