見出し画像

【『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ/冒険・スパイ小説の時代】あのころは愉しかった・80年代回顧(北上次郎)

冒険アクション大作『レッド・メタル作戦発動』(マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世、伏見威蕃訳)刊行を記念し、1970~80年代の冒険・スパイ小説ブームについて作家・書評家・翻訳家が語る連続エッセイ企画を行います。第1回は書評家・北上次郎さんです

***

 クレイグ・トーマス『狼殺し』の再読を、ずっと迷っている。
 私はいま《ミステリマガジン》で「勝手に文庫解説2」という連載をしているのだが、ここで『狼殺し』を取り上げる予定で、そのときの見出しまですでに考えている。
「トーマス『狼殺し』は最高である!」
 というのがそれだ。私は、日本に翻訳された冒険小説のベスト1が『狼殺し』だと確信しているのである。にもかかわらず、その再読をずっと迷っているのは、いま読んでも本当に面白いのか、もしかしたら色あせているのではないか、と不安が(ほんの少しだけ、ちらりと)あるからだ。それを確認するのは怖い。本当に色褪せているのなら、そんなことは知りたくない。
 なにしろ、『狼殺し』が我が国に翻訳されたのは、1979年なのだ。つまり、あれから40年がたっている。この40年間にはさまざまな本が書かれ、翻訳されてきた。エンターテインメントは日々進化している。そういう歳月の流れの中で、本当に『狼殺し』は風化していないだろうか。
 たとえば、ルシアン・ネイハム『シャドー81』という小説があった。日本で翻訳されたのは1977年だ。「週刊文春ミステリー・ベスト10」で1位となった小説で、当時は私もたっぷりと堪能した。ところがそれから約30年後の2008年に復刊されたとき、たまたま読んだら、なんなんだこれ、と驚いてしまった。初読のときの興奮、胸の弾み、がどこにもないのだ。30年前にこの小説を興奮して読んだのは本当なんだろうか、と疑ったくらいである。
 しかし、もちろん、『狼殺し』はいま読んでも大丈夫、という自信もある。それは、19世紀末に書かれたハガードの『ソロモン王の洞窟』がいまでも面白いからだ。アイディアだけの小説なら風化するだろうが、真の冒険小説なら古びない。真の冒険小説とは、死にかぎりなく接近し、そこから生還してくる男の物語である。その背景に、謀略や陰謀、政治的な思惑や争い、あるいは個人的な復讐や怨恨などの理由があったとしても、要は戦う男の肉体の躍動があるかどうか。それをきちんと書いているのなら、百年たっても小説は古びない。
《小説推理》でミステリ時評を書き始めたのは1978年の1月号からで、その年から「翻訳冒険・サスペンス/ベスト9」という個人的なランキングを年末に発表した。最初の頃はサスペンス小説を入れなければ打線が組めないほど冒険小説が少なかった。ちなみに『狼殺し』は1979年の四番バッターである。日本において冒険小説の花が開いたのはその直後、1980年代に入ってからで、毎年数多くの傑作が翻訳されて読めたので、本当に愉しかった。記憶に残っている作品を並べておく。

1981年 ロバート・B・パーカー『銃撃の森
1982年 A・J・クィネル『燃える男
1983年 クレイグ・トーマス『レパードを取り戻せ
1984年 ロバート・ラドラム『暗殺者
1985年 A・J・クィネル『血の絆
1986年 J・C・ポロック『樹海戦線
1987年 スティーヴン・ハンター『さらば、カタロニア戦線
1988年 ボブ・ラングレー『北壁の死闘
1989年 クレイグ・トーマス『闇の奥へ
1990年 ウィルバー・スミス『虎の眼

 80年代以前にも冒険小説はたくさん翻訳されていたけれど(たとえばジャック・ヒギンズの『鷲は舞い降りた』だ。そうか、もっと前ならアリステア・マクリーンだ)、この80年代をピークに冒険小説の翻訳は少なくなっていく。だから、いまから振り返ると、この80年代が懐かしい。正確に言うならば、70年代の末からだが、この時期がいちばん愉しかったという思いが強い。
 2012年の『暗殺者グレイマン』でマーク・グリーニーが出てきて、びっくりしたのは久々に興奮したからだ。冒険小説にとっては、90年代、ゼロ年代と続く20年間は不毛の時代であったので(まったくなかったわけではないが、数が少ない)、もう興奮する冒険小説は読めないのかと諦めていた。そういうときに、グリーニーが突然現れたのである。「21世紀に冒険小説の神が降臨した」とまで書いてしまったのは、その驚きの現れにほかならない。そのグリーニーの新作が4月に出る『レッド・メタル作戦発動』で、これについては長くなるので別のところで書く。残された課題はひとつ。『狼殺し』を再読して80年代の冒険小説ムーブメントを総括するということだ。それが今年の宿題になるだろう。
(北上次郎)

***

2020年、早川書房では、セシル・スコット・フォレスター『駆逐艦キーリング〔新訳版〕』、夏に巨匠ジョン・ル・カレの最新作『Agent Running in the Field(原題)』、潜水艦の乗組員の闘いを描く人気作『ハンターキラー』の前日譚『Final Bearing(原題)』、冬には『暗殺者グレイマン』シリーズ新作など、優れた冒険小説・スパイ小説の刊行を予定しています。どうぞお楽しみに。

レッド・メタル作戦発動(上下)』
マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世
伏見威蕃訳
ハヤカワ文庫NVより4月16日発売
本体価格各980円

***

『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ 一覧

【第1回】「あのころは愉しかった・80年代回顧」(北上次郎)

【第2回】「回顧と展望、そして我が情熱」(荒山徹)

【第3回】「冒険小説ブームとわたし」(香山二三郎)

【第4回】「冒険・スパイ小説とともに50年」(伏見威蕃)

【第5回】「冒険小説、この不滅のエクスペリエンス」(霜月蒼)

【第6回】「燃える男の時代」(月村了衛)

【第7回】「宴の後に来た男」(古山裕樹)

【第8回】「冒険小説は人生の指南書です」(福田和代)

【第9回】「蜜月の果て、次へ」(川出正樹)

【第10回】「人生最良の1990年」(塩澤快浩)

【第11回】「気品あふれるロマンティシズム」(池上冬樹)