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【『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ/冒険・スパイ小説の時代】冒険小説、この不滅のエクスペリエンス(霜月蒼)


冒険アクション大作『レッド・メタル作戦発動』(マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世、伏見威蕃訳)刊行を記念し、1970~80年代の冒険・スパイ小説ブームについて作家・書評家・翻訳家が語る連続エッセイ企画を行います。
第5回は書評家・霜月蒼さんです

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 1984年からの数年間、僕は十代だった。いろいろなところに旅をした。凍えるような風の吹きつける北海を行くオンボロの軍艦に乗った。ナチスの軍人たちとチャーチルと会うために落下傘降下した。イギリスの競馬場でレース中に落馬して、蹄鉄に左手をひどく切り裂かれたこともある。フランスの田舎を元レジスタンスのツテをたどってシトロエンで走ったし、ソ連に潜入して最先端の戦闘機で逃げ出しもした。ベルリンの壁の両側は何度行き来したことか。東ベルリンから西側へ無茶な運転の自動車で走り抜けたことさえある。
 もちろんすべて本のなかでの話である。でも確かにあのとき僕は、横浜のベッドタウンの六畳の部屋で、ロンドンやベルリンやモスクワやニューヨークにいた。北上次郎が名づけた「冒険小説の時代」のさなかのことだ。バブルの時代で、僕をとりまく世界は景気よく、みんなの眼は広く海外に向いていた。《ニューズウィーク》を小脇に抱えることがお洒落に見えたし、雑誌はカメラマンやライターを海外に派遣して美麗な記事をフィーチャーしつづけた。この頃に連載がはじまった吉田秋生のマンガ『BANANA FISH』は、カメラマンと助手の少年が雑誌の仕事でニューヨークに派遣されることで開幕するが、ああいうことがごくふつうの時代だったのだ(ついでだが、このマンガがNYを舞台としたクライム・スリラーだったのは、「冒険小説の時代」の空気と無縁ではないだろう)。
 多くの読者を熱狂させた「冒険小説の時代」は、やがて国産エンタメ小説のブレイクと進化にもつながり、当時は若者や少年だった「冒険小説の時代の子供たち」の中から、マンガ『ブラック・ラグーン』の広江礼威や、ゲーム『メタルギアソリッド』『デス・ストランディング』の小島秀夫ら、冒険小説の血を継ぐ物語作家が生まれもした。一方で冒険小説は90年代に入って作品数を減らしてゆく。そしてマーク・グリーニーと月村了衛の登場する2010年代まで、失われた20年を経験することになった。
 グリーニー=月村登場の少し前のこと。友人が僕にこんなことを言った、「『グランド・セフト・オート』があれば冒険小説って要らないんじゃないかな」と。僕は動揺した。十分に進化したゲームなら、冒険小説の上位互換となりうるエクスペリエンスが得られてしまうのではないかと思ったからだ。そこで僕は急いでプレイステーション3を買い、『グランド・セフト・オートⅣ』と『レッド・デッド・リデンプション』と『コール オブ デューティ ブラックオプス』を立て続けにプレイした。そして結論したのである――ゲームは面白い。でも、冒険小説とゲームのエクスペリエンスは似て非なるものであり、どちらがどちらに優越するというものではないと。
 日常では得られないどこかへの旅、という点では、ゲームは小説に優越するところもあるかもしれない。ニューヨークの街路、アメリカ西部の大瀑布、あるいはバイコヌール宇宙基地——ゲーム内での旅では、そうした異国の地を目で見ることができ、気ままに歩くこともできる。小説ではそうはいかない。ではゲームに有利な感じのするアクションはどうか。
 銃撃戦が描かれているとしよう。ゲームでは文字通りアクションの連続だ。僕たちは隠れ、走り、敵を探し、銃を構え、撃つ。体験は圧倒的にリアルだ。アドレナリンの分泌量も小説とは段違いだろう。だが、僕たちの脳内に展開するのは身体にアクションをうながす命令と反射の集積のみ。恐怖も動物的で脳内物質的な原初の恐怖にすぎない。それが銃撃戦の現実(リアル)だからだ。
 小説ではどうか。僕たちは活劇者たちの脳内におり、言葉に変換された彼らの思惟を見る。恐怖、怒り、使命感、あるいは復讐。それに駆られて引鉄を引いて撃鉄が落ち、銃弾が飛び出して敵に着弾する――現実とゲームでは1秒にもならないこの瞬間を、小説は無限に引き伸ばせる。銃撃の瞬間をスローにできるゲームもあるが、言葉のマジックが実現させる時間の引き伸ばし効果には太刀打ちできない。ゲームにおいては反射という点の集積だった脳内の動きは、冒険小説においては言葉が描く感情と心理という彩りをほどこされて、リニアな意味を持つドラマとして僕たちに体験される。
 冒険小説とは活劇者の身体と心理を言葉にすることを通じて、僕たちにスリルを体験させる物語なのである。ゲームと似て非なるエクスペリエンスだというのはそういうことだ。どちらが上か下かというものではない。むしろ相互に影響を与え合うものなのではないか。マーク・グリーニーのスピーディなアクションに、僕はしばしばゲームの匂いを嗅ぎとる。月村了衛はもっと正統的な冒険小説の心理小説性を引き継ぐ作家だが、〈機龍警察〉のケレンはアニメや映像からのインプットを暗示する。一方、ゲームの側にも前述の小島秀夫がいて、冒険小説の物語をゲームのかたちで表現している。
 英語に「Larger than life」という言い方がある。英語だと「等身大」は「life size」というので、ここでの「life」は「生身」みたいな意味合いだろう。つまり「Larger than life」は、「等身大の自分たちよりもデカい」という感じになる。中学生だった僕が80年代のなかばに冒険小説に触れて、「小説ってこんなに面白いものなのか!」と驚愕し、冒険小説という沼にはまりこんだのは、それがlarger than lifeなものを――僕が生きていた学校なり塾なり東京なり日本なりの外にある世界を――見せてくれたからだと今にして思う。
 時代が変わり、新たなメディアが生まれても、日常よりも遠く大きな物語と、その興奮は不滅なはずだ。そもそも「物語」の本来は非日常のスリルの体験だったはずである。冒険小説とはそういった物語の核心に直結する物語だと僕は考えている。だから不滅なのだ。
(霜月 蒼)

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2020年、早川書房では、セシル・スコット・フォレスター『駆逐艦キーリング〔新訳版〕』、夏に巨匠ジョン・ル・カレの最新作『Agent Running in the Field(原題)』、潜水艦の乗組員の闘いを描く人気作『ハンターキラー』の前日譚『Final Bearing(原題)』、冬には『暗殺者グレイマン』シリーズ新作など、優れた冒険小説・スパイ小説の刊行を予定しています。どうぞお楽しみに。

レッド・メタル作戦発動(上下)』
マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世
伏見威蕃訳
ハヤカワ文庫NVより4月16日発売
本体価格各980円

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『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ 一覧

【第1回】「あのころは愉しかった・80年代回顧」(北上次郎)

【第2回】「回顧と展望、そして我が情熱」(荒山徹)

【第3回】「冒険小説ブームとわたし」(香山二三郎)

【第4回】「冒険・スパイ小説とともに50年」(伏見威蕃)

【第5回】「冒険小説、この不滅のエクスペリエンス」(霜月蒼)

【第6回】「燃える男の時代」(月村了衛)

【第7回】「宴の後に来た男」(古山裕樹)

【第8回】「冒険小説は人生の指南書です」(福田和代)

【第9回】「蜜月の果て、次へ」(川出正樹)

【第10回】「人生最良の1990年」(塩澤快浩)

【第11回】「気品あふれるロマンティシズム」(池上冬樹)


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