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【『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ/冒険・スパイ小説の時代】人生最良の1990年(塩澤快浩)

冒険アクション大作『レッド・メタル作戦発動』(マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世、伏見威蕃訳)刊行を記念し、1970~80年代の冒険・スパイ小説ブームについて作家・書評家・翻訳家が語る連続エッセイ企画を行います。第10回は早川書房SFマガジン編集長・塩澤快浩です。

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 大学受験のため初めて上京したとき、池袋の芳林堂書店で買ったのは『キャッツキルの鷲』だったし、最初に読みきった原書は“Taming a Sea Horse ”で、1987年に新宿紀伊國屋書店の前で悠然とタクシーから降り立った、その著者の白いスーツ姿も未だに目に焼き付いている(ハヤカワ国際フォーラム。入待ちか!)。そんな僕だから(というわりにパーカーばかりだけど)、以後の大学4年間で、当時の翻訳ハードボイルド・冒険小説の新刊はあらかた読み尽くしたという思い込みがあった。だから、今回のエッセイ企画に頼まれてもないのに立候補、その傑作たちのタイトルを並べるだけでも読み物になるだろうと、勇躍《ミステリマガジン》3月号の翻訳ミステリ総目録を、1986年からチェックし始めたわけだ。
 1986年——『シュガータウン』『消えた女』『少年の荒野』(ポケミスのネオ・ハードボイルド全盛)、『罠にかけられた男』『大きな枝が折れる時』『ラグナ・ヒート』。だが……あれ、あまり読んでない。1987年——『さらば、カタロニア戦線』『眠れる犬』『刑事の誇り』『ヴァチカンからの暗殺者』、そして『北壁の死闘』!  もちろん傑作や注目作は押さえてるけど。1988年——『スリーパーにシグナルを送れ』『デコイの男』、そして嗚呼『夢果つる街』(僕の髭は、ラポワント警部補の教え)、ありがとう、ヴァクス『フラッド』『赤毛のストレーガ』。せいぜい、月に1冊程度?
 1989年——『ビッグ・ゲーム』、ロス・トーマス再評価『八番目の小人』『モルディダ・マン』、『モンキーズ・レインコート』『誓約』、そして、僕史上もっとも夢中になった小説『真夜中のデッド・リミット』(大雨にもかかわらず、中野ブロードウェイの裏路地を歩きながら読み続けた鮮明な記憶)、『デイジー・ダックス』『ライブラリー・ファイル』『闇の奥へ』(僕はこっちが原典だと思っていたし、ある意味では原典だ、何の?)。だいぶ増えてきたけど、それでも定番中の定番ばかり。すべて読破したという僕のアイデンティティは、模造記憶だったのか?
 しかし、リストは1990年に入り、なぜか既読作品の数を急激に増やす。『ウィーラーからの電話』(超地味なハードボイルド)、『ツンドラの殺意』、そして『ブラック・ダリア』(最高傑作は『ビッグ・ノーウェア』だが)、『ウィンターホーク』! この年、僕は早川書房で翻訳ハードボイルドと冒険小説の編集をすることに決めた。早川でなければ出版社に入る意味はなく、あとは東販(現トーハン)と日販だけを受けた(すいません、いつもお世話になってます)。『パラダイス・マンと女たち』(北村治カバーのミステリアス・プレス文庫は、この世で最も美しい書物だ)、『まぶしい陽の下で』『殺意の海へ』『ビーノの反撃』『魔力』、そして『ロシア・ハウス』(筆記試験の和訳問題に出た。簡単だった)。
 二次面接では、頼まれもしないのに翻訳ミステリの詳細な読書録を持ち込んだ。なんだ、この読書量は就職対策だったのか? いや、それでもいい。『笑って騙せ』(ジョージ・V・ヒギンズ。通を気取ったことだけは覚えている)、『叛逆の赤い星』『ブルー・ベル』! 『ゆすり』『ダン・カーニー探偵事務所』『無限の猿』『メキシコの涙』、そして『大いなる沈黙』(ショーペン! 池上冬樹氏が当時の《週刊文春》で絶賛していた)。
 ついに最終面接、頼まれもしないのに『ハードボイルド・ハンドブック』の企画書を差し出し、完璧なプレゼンを敢行した。日本の出版界を震撼させること必至の恐るべき企画だった(が、この本が世に出ることは、ついになかった)。当然のように200倍の関門を突破し、僕は早川書房の内定を得た。まさに天職といえた。
大魚の一撃』『タンゴを踊る熊』『熱い稲妻』『秋のスロー・ダンス』『神が忘れた町』、そして『だれも知らない女』!(クレモンズ・シリーズ第1作)、さらに『暗闇の終わり』!(ジョン・ウェルズ第1作)、ついに『ネオン・レイン』!(デイヴ・ロビショー第1作)。それはまさに翻訳ハードボイルド・冒険小説の絶頂期であり、僕の人生の頂点だった。未来は、どこまでも拓けていた——。
 翌1991年4月、僕が配属されたのは、《SFマガジン》編集部だった……(それはまた別の話)。

「ミステリが好きだったら、読み続けることだね」——当時はまだ灰皿のあった6Fのエレベーターホール、壁際にしゃがみこんだMさん(現・著名翻訳家)が、煙草を片手にくださった言葉は、今でも胸にしまいこまれています。
 あとは、入社1年目の社員旅行先の天野屋で社長と同部屋になり、ユージン・イジーの話をしたことくらいでしょうか(「彼は良い作家だね」by社長)。
 編集者として翻訳冒険小説にできた恩返しは、『シャドー81』を復刊したことくらい。いや、それさえも、北上次郎さんによれば……(本コラム第1回参照)。
 もちろん、冲方丁さんにジェイムズ・エルロイを勧め、『マルドゥック・ヴェロシティ』というノワールの傑作を書いていただけたこと、月村了衛さんに持ち込んでいただいた、『機龍警察』という冒険小説の刊行を即断できたこと、それらの仕事には自負もあります。それでも——。

 早川書房の編集者になって30年、入社時の保証人になってくれた探偵の伯父も昨年亡くなり、僕はSFだけでなく、翻訳ミステリもふくめた編集部全体の統括責任者となった。
 そして、時代はまた、大きく変わろうとしている。
 彼ら、彼女らの出番だ——。

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2020年、早川書房では、セシル・スコット・フォレスター『駆逐艦キーリング〔新訳版〕』、夏に巨匠ジョン・ル・カレの最新作『Agent Running in the Field(原題)』、潜水艦の乗組員の闘いを描く人気作『ハンターキラー』の前日譚『Final Bearing(原題)』、冬には『暗殺者グレイマン』シリーズ新作など、優れた冒険小説・スパイ小説の刊行を予定しています。どうぞお楽しみに。

レッド・メタル作戦発動(上下)』
マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世
伏見威蕃訳
ハヤカワ文庫NVより4月16日発売
本体価格各980円

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『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ 一覧

【第1回】「あのころは愉しかった・80年代回顧」(北上次郎)

【第2回】「回顧と展望、そして我が情熱」(荒山徹)

【第3回】「冒険小説ブームとわたし」(香山二三郎)

【第4回】「冒険・スパイ小説とともに50年」(伏見威蕃)

【第5回】「冒険小説、この不滅のエクスペリエンス」(霜月蒼)

【第6回】「燃える男の時代」(月村了衛)

【第7回】「宴の後に来た男」(古山裕樹)

【第8回】「冒険小説は人生の指南書です」(福田和代)

【第9回】「蜜月の果て、次へ」(川出正樹)

【第10回】「人生最良の1990年」(塩澤快浩)

【第11回】「気品あふれるロマンティシズム」(池上冬樹)

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