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【試し読み】主要SF3賞受賞『宇宙へ』シリーズ最新作『無情の月』、冒頭公開

ヒューゴー賞/ネビュラ賞/ローカス賞受賞宇宙そらへ』シリーズの最新作、メアリ・ロビネット・コワル『無情の月』(大谷真弓 訳)を2022年9月14日にハヤカワ文庫SFより発売いたしました! 「宇宙開発が順調に進んでいたら」という歴史改変世界を舞台にした宇宙開発SFです。
 前作『火星へ』では、〈レディ・アストロノート〉こと、エルマが、人類初の火星有人探査に参加する様子が描かれています。本書『無情の月』では、その火星探険隊が火星への旅の中間地点に到達したころの地球と月での騒動を、もうひとりの〈レディ・アストロノート〉、ニコールの視点で語ります。そのころ地球では宇宙開発反対派によりさまざまな騒動が起きていましたが、火星探険隊クルーにはすべての事実が伝えられてはいませんでした。そのとき、月では、地球では、なにが起きていたのか……?
 本書『無情の月』も、ヒューゴー賞とローカス賞の候補に挙がっていた話題作です。『無情の月』、前作『火星へ』とあわせて、ぜひお読みください! 冒頭の、1章の前半を試し読みとして公開します。

***


火星まで道なかば
 ──────
ジョン・シュウォーツ
ザ・ナショナル・タイムズ特電
[カンザスシティ発 一九六三年三月二十八日] 万事問題なく進めば──宇宙空間では、けっして断言できないが──本日中に十三名の勇敢な冒険者が前人未到の領域に到達する。地球と火星の中間地点に達するのだ。
 このミッションでは、勝利の喜びと恐怖、避けられた惨事と不幸にも起きてしまった惨事に見舞われながら、十三名の男女の宇宙飛行士が高速で宇宙空間を旅している。
 ミッションで試されるのは、科学技術のみならず、創造性、臨機応変な機転、そして人間の精神である。
「ユリウス・カエサルのように、われわれは最悪の事態に備えなくてはなりません」国際航空宇宙機構(IAC)本部長ノーマン・クレマンスはいう。「それが、われわれの訓練です。しかし最善の結果を出す努力もしており、このすばらしいチームは、およそ発生しうるあらゆる問題に対して訓練を積んできました」
 男女の宇宙飛行士たち──国籍は多様で、〈レディ・アストロノート〉として有名なエルマ・ヨークは〝宇宙の万国博覧会〟と呼ぶ──は何年も準備を重ね、この瞬間および今後の数カ月間に備えてきた。
 明日の節目を迎えたあと、宇宙飛行士たちは赤い惑星到達まで、残りちょうど二千七百万キロとなる。

***

 うちと呼べる場所は、いくつある? わたしの場合、デトロイトの両親の家。あるいは夫のケネスと暮らす知事公邸。あるいは月面コロニーにある自分の寝台だ。けれど、人にうちはどこですかと訊くものではない。〈巨大隕石〉の落下以降は、かなり多くの人々にとって、もはや本当のうちなどないからだ。
 そこで、もっと無難な「どこを拠点にしてる?」という言い方に変えた。今夜の資金集めのイベントで、わたしはその質問をせわしなく投げかけている。エラ・フィッツジェラルド(米国の黒人ジャズシンガー。1917-1996)の歌声をバックに、すべての有力者にほほえみかける。州知事の夫が政策を支持してもらえるよう、愛想をふりまいておきたい男性たちだ。
 首のまわりできらめくダイヤと、ピーコックグリーンのタフタのイヴニングドレスに留めた宇宙飛行士記章の対比が鮮烈だ。輝かしいトロフィーワイフでいることは、五十を超える前のほうが楽だったけれど、三十代のころよりはすんなりこなせる。
 そうはいっても、ハイヒールで一歩踏みだすたびに足の関節炎が抗議する。わたしはそれを隠しながら、ケネスが寄木細工の床で何度目かに足を止めたとき、安堵のため息をもらした。「ミスター・ヴァンを覚えているね、ニコール?」
 覚えていない。ミスター・ヴァンもよくいる体のたるんだ中年男性で、輝かしい妻を従えていた。「まあ、お会いできて光栄ですわ!」わたしはまだ、スイスのフィニッシングスクールで身につけた魅力ある声が出せる。
 ありがたいことに、あのスクールでは華やかさで退屈を隠すすべを教えてくれた。
「こちらこそ光栄です、ミセス・ウォーギン」彼のアクセントは中西部のものだ。もうひと言聞いてみないと断言できないけれど、母音の発音が中西部っぽい。「妻のベサニーとは、まだお会いしてませんでしたな」
 オクラホマ州だ。中西部と南部の鼻にかかったなまりがちょうどあんなふうに混ざりあうのは、オクラホマしかない。ということは、彼らはおそらく〈巨大隕石〉で多くの家族を亡くさずにすんだのだろう。つまり、この十一年間で危機感は充分払拭できたに違いない。わたしはふたりにほほえみかけた。「本当にうれしいです。ぜひ、月までわたしを訪ねていらしてください」
「いや、いや……ベサニーにはここ地球にいてほしいものですな、安全なところに」ミスター・ヴァンは妻の腕をやさしくぽんとたたいた。ケネスをソファで一週間眠らせておけそうなたたき方だ。「しかし知事、この小柄なレディを月へ行かせてやるとは驚きですな」
 ケネスは声を上げて笑ったけれど、わたしの腰に当てた手で、このたぐいの会話は自分がさばくと合図した。わたしは彼にもたれかかり、その申し出を受けいれることを知らせる。これは公職についてからの数年間でわたしたちが編みだした無言の会話術だ。
 夫は男にほほえみかけた。「どうやら誤解されているようですね、わたしの妻が誰かになにかを〝させてもらう〟ような女性だとお思いですか」
「それに、月の生活は地球とそれほど違わないんですよ、本当のところ。月面コロニーは多くの点で、小さな町の暮らしとよく似ています。なんと、美術館まであるんですから」わたしが設けた小さな一角のことだけれど、存在しているのも、そこに美術作品があるのも事実だ。
「それに、エルマ・ヨークと働いてらっしゃるんでしょ?」男の妻の目がこちらに向くと、そこに浮かんでいるのは無気力ではなく、じつはわたしと同じくらい強く感じている退屈だとわかった。
「ええ、そうなんです。彼女が〈レディ・アストロノート〉として有名になるずっと前から!」エルマとは宇宙飛行士の訓練で同期だった。わたしも宇宙計画に選ばれた最初の女性のひとりだけれど、〈レディ・アストロノート〉といえば、いつもエルマのことだ。
 ミセス・ヴァンの顔がぱっと明るくなった。「おふたりの出会いは?」
「第二次大戦中、ふたりとも陸軍航空軍婦人操縦士隊WASPの隊員だったんです」これは真実だ。ただし、もっとくわしい真実をいえば、わたしはエルマと初めて会ったときのことを覚えていない。ええ、ふたりともWASPの隊員だったけれど、当時のエルマは有名人ではなかったのだ。隊員はたくさんいた。彼女に関する最初のはっきりした記憶は、パームスプリングスの空軍基地で開かれたダンスパーティーでのことだ。飲みすぎてゲーゲー吐いている憐れな若い女性パイロットの髪を、エルマが汚れないように持ってやっていた。
 とはいえ、かの有名な〈レディ・アストロノート〉との最初の思い出として、そんな話を聞きたい人などいない。
 ミセス・ヴァンはため息をついた。「わたしに資格があったら、すぐにも参加するところですわ」
 彼女がわたしのような生まれ育ちなら、専門分野は献立作り、資金集めのイベント開催、そして頭の上に本を載せて落とさないように歩くことだろう。わたしにWASPの隊員経験と、当時上院議員だった夫がいなかったら、宇宙飛行士になど絶対になれなかっただろう。
 エラ・フィッツジェラルドの歌が終わった。彼女の声のすばらしさをわかっていない人たちに、せめてわかっているふりくらいしてお行儀よく拍手しなさいよ、と怒鳴ってやりたくなる。
 エラが次の歌の前に休んでいるとき、大宴会場の向こうから叫び声がして、わたしはホテルの壁の一面にずらりとならぶ窓に目をやった。薄手の白いカーテンをかして、ロケットが発射時に吐く炎のような鮮やかなオレンジの光が見える。
 わたしはしゃきっと背筋を伸ばしてケネスのほうを向くと、ただの愛情表現のように彼に身を寄せた。「外でなにか燃えているのかしら?」
「うん?」彼がわたしの視線の先に目をやると、わたしの腰に当てた手に力がこもった。「ニコール……」
「なに──」
 窓が破裂し、炎とガラスのシャワーとなって降りそそいだ。わたしはケネスをつかんで、すばやくその場から遠ざけながら、ふたりとも低くしゃがんだ姿勢をとる。宇宙飛行士の訓練で教わったとおりに体が動く。なにかが爆発した? 低い姿勢で、盾になるものを探し、頭部や胸といった体の弱い部分を守れ。
 といっても、わたしのいまの格好は、肩を出したイヴニングドレスだ。
 後ろで何人もの悲鳴が上がった。今夜ずっとわたしを覆っていた退屈というもやがたちまち消え、太った中年白人男性と華やかなその妻たち、黒い肌に白い手袋をつけた給仕たちのいる室内のようすが、まるでT-38追跡機のコックピットにすわったかのようにはっきりと見えてくる。夫を安全な場所へ避難させる最善のルートは、ならんだバンケットテーブルの横をすりぬけ、通用口から厨房に入ることだ。
「ケネス」わたしは夫のタキシードの袖をつかんだ。「あっちへ避難──」
 黒いスーツに身を包んだ警護員の集団──全員いかついあごをして、頭は丸刈り──に取りかこまれた。「こちらへ」そのうちのひとりがわたしの腕をつかみ、別のひとりが夫の腕をつかむ。一瞬、他人に管理されることへの苛立ちがわき上がってきたものの、この状況ではどうしようもない。彼らは知事を──ひいてはその妻も──守るという自分たちの仕事をしているだけだ。
 わたし? わたしは安全なところまで引っぱっていかれた。まるで、ただのお飾りみたいに。実のところ、地球にいるときは、それがわたしの仕事なのだ。

(つづきは書籍でお楽しみください)

『無情の月』(上・下)
The Relentless Moon
メアリ・ロビネット・コワル  大谷真弓 訳
装画:加藤直之  装幀:岩郷重力
ハヤカワ文庫SF/電子書籍版
各1,606円(税込)
2022年9月14日発売

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