フランスで120万部突破、日本でも続々重版!! 圧倒的共感を集める小説『三つ編み』(レティシア・コロンバニ)試し読み
『三つ編み』レティシア・コロンバニ/齋藤可津子訳/
早川書房/2019年4月18日発売
理不尽な人生と闘う3人の女性を描き、フランスで100万部突破、日本でも圧倒的共感を集めている小説『三つ編み』。その一部を無料公開中です。
◎『三つ編み』をめぐる座談会(和田彩花氏×新井見枝香氏×かん氏)
◎著者インタビューが大反響!
◎TV紹介
NHK「ひるまえほっと」内「中江有里のブックレビュー」(2019年6月12日放送)
◎受賞
第10回 新井賞受賞!
NHK NEWS WEB「書店業界などが注目 「新井賞」に仏小説「三つ編み」」
◎書評
WEB本の雑誌(2019年9月19日更新)書評(大竹真奈美氏・書店員)
webちくま(2019年8月30日更新)コラム(金田淳子氏・社会学研究者)
ふらんす(2019年7月号)書評(倉本さおり氏・書評家)
PEN(2019年7月1日号)書評(斎藤真理子氏・翻訳家)
フィガロ・ジャポン(2019年8月号)書評(山崎まどか氏・コラムニスト)
朝日新聞(2019年6月1日付)書評(斎藤美奈子氏・文芸評論家)
AERA(2019年6月3日号)書評(新井見枝香氏・HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE)
小説宝石(2019年6月号)書評( 三浦天紗子氏・ライター、ブックカウンセラー)
週刊新潮(2019年5月16日号)書評(鴻巣友季子氏・翻訳家)
他多数!
インド、イタリア、カナダ……3つの大陸、3人の女性、3通りの人生。唯一重なるのは、自分の意志を貫く勇気。この怒りと祈りが私たちをつなぐ。
***
プロローグ
物語のはじまりだ。
そのつど新しい物語。
物語が私の指先でうごきだす。
まずは枠がある。
すべてを支えるしっかりした土台が要る。
絹にするか木綿にするかは町やシーンによる。
木綿は耐久性があり、
絹は繊細で目立たない。
ハンマーと釘も要る。
何よりも、そっと進めていくのが肝心。
それから編みにかかる。
私の好きな工程。
目のまえの編み機には
ナイロンの糸が三本張られている。
繊維をたばから三本ずつ取りだし、
切らないように結びあわせる。
これを何度もくりかえす、
数え切れないほどくりかえす。
私が好きなこの孤独な時間、指だけが踊っている。
指がくりひろげる不思議なバレエ。
指が綴る編みと絡みの物語。
これは私の物語。
なのに、私のものではない。
スミタ
インド、ウッタル・プラデーシュ州、バドラプールの村
スミタは不思議な気持ちで目が覚める。甘やかな逸(はや)る気持ち、腹のなかに新奇な蝶がいる感覚。今日は生涯忘れられない1日になる。今日は娘が学校に入る。
スミタは学校に足を踏み入れたことがない。ここバドラプールの村で彼女のような人間は学校へ行かない。スミタはダリット。不可触民。ガンジーが神の子と呼んだ民。カーストの外、制度の外、あらゆるものの枠外にいる。ほかの者に混じるにはあまりに不浄で、毒麦が良い麦から選り分けられるように、忌避される穢(けが)れたごみ。村の外、社会の外、人間界の外側で生きるスミタのような者は何百万もいる。
朝はいつも同じ。傷ついたディスクがえんえんと地獄の交響曲をくりかえすように、スミタは、ジャート族の畑のそばのあばら家で目を覚ます。まえの晩、自分たちの井戸から汲んできた水で顔と足を洗う。別の井戸、上のカーストの井戸がもっと近くて使いやすくとも、触れてはいけない。それより些細なことで命を落とす者もいる。着替えて、ラリータの髪をとかし、ナガラジャンにキスをする。そして籐籠を持つ。まえは母が使っていたこの籠、見ただけで吐き気がする籠、鼻をつくしつこい悪臭を放つこの籠を、重く恥ずかしい罪でも背負うように、1日中、持ち運ぶ。この籠は彼女の苦難。呪い。罰。前世で犯したにちがいない何かを償い、贖(あがな)わなければならない。所詮、この一生は前世や来世より大事なわけではなく、何度でもくりかえされる生のひとつにすぎない、と母が言っていた。彼女の人生とは、そういうもの。
それが彼女のダルマ、義務、この世の居場所。代々母から娘へ受け継がれる生業(なりわい)。英語ではスカヴェンジャー、すなわち「廃品回収者」。現実はそんな生易しいものではない。スミタがしていることを表現する言葉はない。1日中、他人の糞便を素手で拾い集める。初めて母の仕事に連れて行かれたのは6歳、いまのラリータの年だった。よく見なさい、おまえもすることになるんだ。そのとき襲われたにおい、スズメバチの大群のごとく猛烈に襲ってきた、鼻の曲がるような非人間的なにおいは、いまでも忘れられない。道ばたで吐いた。じき慣れる、と母に言われた。嘘だった。慣れるものではない。スミタは息をとめること、無呼吸で生きることを覚えた。息を吸わなければいけない、そんなに咳をして、と村医者に言われた。食べなければいけない。食欲はとうのむかしに失った。空腹がどんなものか、もう憶えていない。ほとんど何も、最低限のものしか食べない。毎日、わずかばかりの薄い粥を仕方なく流し込む。
国にトイレを、と政府は約束したのだが。残念なことに、トイレはここまで来ていない。バドラプールでもよそでも、人は野外で用を足す。どこもかしこも土壌は汚れ、川も畑も排泄物で汚染されている。病気は燎原の火のごとく、またたくまに蔓延する。政治家は知っている──国民がもとめるもの、それは改革、社会的平等、雇用よりも、まずはトイレだ。まっとうに排泄する権利。村の女たちは日が暮れるのを待ってから畑へ行き、さまざまな攻撃にさらされる。恵まれた者は自宅の片隅や庭に専用の場所をしつらえる。ひかえめに「水洗式でないトイレ」と呼ばれるただの穴、それを素手で毎日汲みだすのはダリットの女。スミタのような女だ。
巡回は七時に始まる。スミタは籠とほうきを持つ。毎日20軒の汲みとりがあるから、ぼやぼやしている暇はない。目を伏せ、スカーフで顔を隠し、車道のはしを歩く。村によっては、ダリットだとわかるようにカラスの羽根を身につけねばならない。そうでなくとも裸足で歩かねばならない──サンダルを履いていただけで、石で打ち殺された不可触民の話は、みんな知っている。スミタは専用の裏口から家々に入り、住人とすれちがってはいけないし、言葉を交わすなどもってのほか。不可触というだけでなく、不可視でなければならない。給料として残飯や、ときには古着がゆかに投げられ、あたえられる。触っても、見てもいけない。
たまに、何ももらえない。ジャート族のある一家は、何か月もまえから何もくれない。スミタはやめたい。あの家には行きたくない、自分たちで糞便の始末をしたらいいんだ、と、ある晩夫のナガラジャンに言った。だが、ナガラジャンは震えあがった──スミタが行かなくなったら、追い出される。自分たちの土地ではないのだ。ジャート族からこのあばら家に火をつけられるだろう。彼らがどんなことでもやりかねないのは、彼女だって知っている。ジャート族に「両足を切ってやる」と言われた同輩がいる。その男は近くの畑
でばらばらに切断され、酸で焼かれて見つかった。
そう、ジャート族が何をやりかねないか、スミタはわかっている。
だから次の日も、彼らの家へ行く。
だが今朝は、いつもと違う。スミタは決めたのだ。当然のこととして決断は下った──娘は学校へ行く。ナガラジャンを説得するのはひと苦労だった。それが何になる? と言われた。読み書きが出来たところで、誰も仕事をくれないだろう。トイレの汲みとりに生まれつき、汲みとりとして死ぬ。それは代々受け継がれるもの、抜けだせない円環。カルマだ。
スミタは譲らなかった。翌日も、翌々日も話をした。ラリータを巡回には連れて行かない──自分がトイレを汲みとる姿は見せないし、かつての自分のように、娘がどぶに吐く姿は見ない、いいや、そんなこと、スミタはしない。ラリータは学校へ行くのだ。妻の決意の固さに、結局ナガラジャンは折れた。妻のことはよく知っている。おそろしく意志がつよい。10年まえに娶った小柄で褐色の肌をしたダリットの女にはかなわないと承知している。だから結局は折れる。いいだろう。村の学校へ行って、バラモンに話をしてこよう。
スミタはこの勝利にひっそり微笑んだ。母が自分のために奮闘してくれたらどんなによかったか、学校の門をくぐり、ほかの子供と机を並べられたらどんなによかったか。読み書きと計算ができたら。だが、それはありえなかった。スミタの父はナガラジャンのような善人ではなく、怒りっぽく乱暴だった。母を殴った。ここではみんなそうするように。
よく言っていたものだ──妻は夫と対等ではない、夫の持ち物だ。夫の所有物、奴隷だ。夫の言うことに従わなければならない。父は間違いなく、母より先に牛を助けただろう。
スミタは運がいい──ナガラジャンに怒鳴られたことも、殴られたこともない。ラリータが生まれたときも、家におくことに賛成してくれた。このあたりでは、生まれた子が女だと殺される。ラジャスタンの村々では、生後まもない赤ん坊を生きたまま箱に入れ、砂に埋める。ちいさな娘たちは一晩かけて死んでいく。
だけど、うちはそうではない。スミタはラリータを見つめる。娘はあばら家の土間にしゃがんで、ひとつだけ持っている人形の髪をとかしている。美しい娘。品のいい顔立ちで、腰まである長い髪は、スミタが毎朝とかして編む。
わたしの娘は読み書きができるようになる、そう思うと嬉しくなる。
そう、今日は生涯忘れられない日になるだろう。
ジュリア
シチリア、パレルモ
ジュリア!
ジュリアは、やっとのことで目を開ける。母の声が下から響く。
ジュリア!
チェンディ!(おりといで!】
スビート!(早く!)
ジュリアは枕の下に頭をうずめたい。寝足りない──また読書で夜ふかししてしまった。起きなければいけないのはわかっている。呼ばれたらすぐ駆けつける──相手はシチリアの母なのだ。
ジュリア!
若い彼女はしぶしぶ起きあがりベッドを抜けだし、いそいで服を着て、マンマがじりじりしている台所へおりて行く。妹のアデラはもう起きていて、朝食のテーブルに足をのせ、ペディキュア塗りに余念がない。溶剤のにおいにジュリアは顔をしかめる。母がコーヒーを持ってきてくれる。
父さんはもう出かけたよ。
今朝はあんたが開けるのよ。
ジュリアは作業場の鍵を取って、そそくさと家を出る。
何も食べてないじゃないの。
何か持って行きなさい!
母の言葉を聞き流し、自転車にまたがると、ぐいぐいペダルをこいで遠ざかる。朝の爽やかな空気で、すこし目が覚める。大通りの風が顔と目に吹きつける。市場にさしかかると柑橘類やオリーヴの香りが鼻につんとくる。ジュリアは、捕れたてのイワシやウナギが盛大に並べられた魚屋の屋台のまえをとおる。加速して歩道にのり、早くも大きな売り声が響くバラーロ広場をあとにする。
ローマ通りから離れた袋小路に着く。そこが作業場。映画館だった建物を父が買い取ってここを開いたのは20年まえ──いまのジュリアの年だった。それまでの作業場が手狭になり、移転が必要になったのだ。ファサードにはいまも映画のポスターが貼られていた場所が見てとれる。アルベルト・ソルディ、ヴィットーリオ・ガスマン、ニーノ・マンフレッディ、ウーゴ・トニャッツィ、マルチェロ・マストロヤンニ……のコメディーを観にパレルモ市民が映画館につめかけた時代はむかしのこと。いまでは大半の映画館が閉館し、このちいさな映画館も作業場になった。映写室は事務室に改装され、大きなホールには窓がうがたれ、従業員たちが作業するのに必要な光が採り込まれた。工事はぜんぶパッパが自分でした。この場所は父に似てる、とジュリアは思う──乱雑で温かなところが父みたい。語り草になるほど短気な性格にもかかわらず、ピエトロ・ランフレッディは従業員から慕われ尊敬されている。頑固一徹だが子煩悩で、娘たちは厳しくしつけられたし、丹念な仕事にこだわるところは父親譲りだ。
ジュリアは鍵を握り、ドアを開ける。ふだんは父がいちばん先に着く。自分で従業員を迎えることにこだわっている──それでこそ、主(パドローネ)ってもんだ、が口癖だ。いつも誰かれとなくひと声かけ、気遣い、世話を焼く。だが今日は、パレルモと近郊の美容院へ外回りに出かけた。昼まで帰ってこない。午前中は、ジュリアがここの主だ。
この時間、作業場はひっそりしている。じきに、喧しいおしゃべりや歌声、ときおり起こる大声でざわめくこの空間は、静寂に支配され、ジュリアの足音だけが響く。従業員更衣室まで歩き、自分の名札のついたロッカーに荷物を入れる。仕事着を取りだし、いつものように、この第二の肌の下に体をすべり込ませる。髪をまとめ、きついシニョンにし、器用にピンを刺していく。そして三角巾で頭を覆う。ここでは不可欠の用心だ──自分の髪の毛を、作業場で加工される髪に混ぜてはいけない。こうして身支度をととのえると、もはや社長の娘ではない。従業員のひとり、ランフレッディ社の一員だ。そこにこだわっている。いつも特別あつかいは拒否してきた。
入口のドアが軋みながら開き、陽気な一団が空間を満たす。作業場は一瞬で活気づき、ジュリアが大好きな騒々しい場所に一変する。がやがやと会話がいりまじる喧騒のなか、従業員たちは更衣室へいそぎ、仕事着やエプロンをつけ、おしゃべりしながら持ち場につく。ジュリアもそこにくわわる。アニェーゼはやつれた顔をしている──下の子の歯が生えはじめて、夜むずかったんだ。フェデリカは泣きそうな顔、恋人にふられたのだ。また?! アルダが大声をあげる。明日もどってくるよ、とパオラが元気づける。ここの女たちがともにするのは仕事だけではない。せわしなく手を動かし加工用の毛髪をあつかいながら、男や人生、恋愛について日がな一日話している。ジーナの夫の酒癖が悪いことも、アルダの息子があの欲深な蛸(ピオッヴラ)とつきあっていることも、アレッシアがリーナの元夫とつかのま関係を持っていたことも、そのことでリーナが彼女を絶対に許していないことも、みんな知っている。
ジュリアはここの女たちと一緒にいるのが好きだ。なかには子供のころから知っている者もいる。彼女はここで生まれたも同然だ。母は作業場で毛髪を選り分けている最中、いきなり陣痛に襲われた話をよく語る──母はもう作業場で働いていない、目が悪くなり、もっと目の鋭い従業員に持ち場を譲らなければならなかった。ジュリアはここで、ときほぐすべき毛髪、洗浄すべき髪のたば、発送すべき注文品にかこまれて育った。バカンスや水曜日には従業員に混じって、その仕事を眺めてすごしたのを憶えている。うごめく蟻の
ように、せわしなく動く手を観察するのが好きだった。毛髪をほぐす四角い大櫛がついた梳毛機に、毛髪を投げいれるところ、そのあと架台に固定された洗浄槽──従業員が腰をいためるのを見るに忍びなかった父が発案した自作品──で洗うところを見ていた。ジュリアは窓辺に吊るし干しされる毛髪のたばを見ては面白がった──まるでインディアンの異様な戦利品、頭皮がひけらかされているみたい。
ときどき、ここでは時間がとまっていると感じる。外では時間が流れていても、作業場のなかでは守られていると感じる。それはやさしく安らかな感覚、物事は不変だという奇妙な確信だった。
一家が毛髪(カスカトゥーラ)を生業にして1世紀近くになる。抜け毛や切り髪を保存するのはシチリア古来の伝統で、それからヘアピースやかつらをつくる。1926年にジュリアの曾祖父が創業したランフレッディ工房は、パレルモではこの業種の最後の生き残りだ。10名いる従業員はみな女性で、毛髪のほぐし、洗浄、加工に熟練し、加工品はイタリア国内はもとよりヨーロッパ全域に発送される。16歳になった日、ジュリアは高校をやめて父の作業場を手伝うことを決めた。学業をつづけるよう勧めたイタリア語教師をはじめ、教師たちから優秀な生徒とみなされていた彼女には、そのまま大学に入ることもできただろう。だが進路を変えることは考えられなかった。伝統というだけでなく、毛髪はランフレッディ家に代々受け継がれてきた情熱だった。どういうわけか、ほかの姉妹はこの仕事に興味をしめさず、ジュリアだけが家業に打ち込んでいる。フランチェスカは若くして結婚し、仕事はしていない──いまでは4人の子持ちだ。末っ子のアデラはまだ高校生、ファッション業界かモデル業──とにかく家業とは別の道──をめざしている。
特注品の微妙な色味を実現するため、パッパには秘伝の技術があった──父から、そのまえは祖父から受け継いだもので、絶対に名が明かされない天然素材から調合される。父はその秘伝をジュリアに教えた。父が実験室(ラボラットリオ)と呼ぶ屋上に、ジュリアはよく連れて行かれた。そこからは海が見え、反対側にはペレグリーノ山が見える。化学教師みたいな白衣を着たピエトロは、微調整をほどこすため、大きなたらいの中身を沸騰させる──毛髪を脱色し、そのあと色が流れ落ちないように着色できる。ジュリアは父の作業を、どんな些細なしぐさも見落とさず何時間でも観察する。毛髪を注意深く見守る父は、パスタを見守るマンマのよう。木製のスプーンでかきまぜてはしばらくおき、それを飽きもせずくりかえす。父の毛髪のあつかいには忍耐と厳密さ、そして愛がある。この髪はいずれ誰かが身につけるんだ、敬意をもってあつかわなければ、と父が言ったことがある。ときどきジュリアはかつらをつけることになる女性を夢想する──ここの男たちは自信満々、ある種の男らしさにこだわっていて、かつらなどつけそうにない。
なぜか、ランフレッディ家秘伝の技術でも言うことをきかない毛髪がある。たらいに浸けられた毛髪は、乳白色になって引きあげられ、着色できるようになるが、ごくわずかの個体はもとの色を保っている。そんな跳ねっ返りは頭痛の種だ──美しく着色された髪に、頑なな黒や茶色が混入しているのに客が気づくなど、あってはならない。目がいいジュリアは、この厄介な作業をまかされている──毛髪のなかから、頑固者を一本いっぽん取りのぞく。毎日、たえず細心の注意で追いつめる、まさに魔女狩りだ。
パオラの声で夢想から引きもどされる。
ミーア・カーラ(あんた)、疲れた顔して。
また一晩中、読んでたね。
ジュリアは否定しない。パオラには隠し事ができない。作業場の女たちのなかでは最年長だ。ここでは、みんなからノンナ(おばあちゃん)と呼ばれている。ジュリアの父を子供のころから知っている──靴紐を結んであげていたそうだ。75歳はなんでもお見とおし。手はすりきれ、皺だらけの肌は羊皮紙のようだが、目はあいかわらず鋭い。25歳で寡婦になり、4人の子供は女手ひとつで育て、生涯、再婚話はしりぞけとおした。理由を尋ねられると、自由が惜しくて手放せないからだと答える。女は結婚すると、いろいろ言い訳しなくちゃならない。なんでも好きなことしたらいい、だけど、ミーア・カーラ(あんた)、結婚だけはするんじゃないよ、といつもジュリアに言う。父親が決めた男との婚約のことはよろこんで話す。将来の夫の家はレモン園を営んでいた。ノンナはレモンを収穫するため、結婚式当日も働かなければならなかった。田舎では休んでいる暇はなかった。夫の服や手に、いつも漂うレモンのにおいを憶えている。数年後、夫は肺炎で死に、4人の子供をかかえて残された彼女は、町へ出て仕事を探さなければならなかった。ジュリアの祖父に出会い、雇い入れられた。こうして50年間ここで働いている。
本のなかにお婿さんはいないわよ! アルダが大声で言う。
そんなことで、かまうんじゃないよ、とノンナがたしなめる。
お婿さんを、ジュリアは探していない。同じ年ごろの若者が熱心にかようカフェにも、夜の盛り場にも行かない。マンマは「うちの娘は人みしりで」とよく言う。ジュリアはディスコの喧騒より市立図書館(ビブリオテカ・コミュナーレ)の静寂が好きだ。毎日、昼休みに行く。飽くことを知らない読書家で、壁が本で覆われた大きな閲覧室の、ページをくる音だけが空気を乱す静けさが好きだ。どこか宗教的で、ほとんど神秘的な内省の雰囲気がしっくりくる。本を読むと時間がたつのも忘れる。子供のころ、作業場の女たちの足もとにすわって、エミリオ・サルガーリをむさぼり読んだ。その後、詩に出会った。ウンガレッティよりカプローニが好きで、モラヴィアの散文詩を好み、とりわけパヴェーゼは愛読書だ。本さえあれば一生、誰もいらないかもしれないと思う。食べるのを忘れることもある。昼休みからすきっ腹でもどることも珍しくない。そんなわけで、人がカンノーリ〔リコッタチーズや砂糖漬け果物の入った、シチリアの筒状菓子〕をむさぼるように、ジュリアは本をむさぼる。
その日の午後、作業場にもどると、いつもと違う沈黙が支配している。ジュリアが入っていくと、みんながいっせいに視線を向ける。
ミーア・カーラ(あんた)、ノンナが別人みたいな声で言う。お母さんから電話があったの。
パッパが大変なことになった。
サラ
カナダ、モントリオール
アラームが鳴って、カウントダウンが始まる。起床の瞬間から就寝まで、サラの生活は時間との戦いだ。目を開くや、頭脳は瞬時にコンピュータのプロセッサーのように機能を開始する。
毎朝、5時起床。それ以上は眠れない。1秒も無駄にできない。1日は分刻み、ミリ単位、数学の授業で使うため子供に買ってあげるミリ方眼紙のように、細かく正確に決められている。法律事務所以前、子育てまえ、責任あるポストのまえの気楽な時代は遠いむかしのこと。あのころは電話1本で1日の流れを変えられた。「ねえ今晩……しない?」「……へ行こうか?」。いまはすべてが、まえもって準備、計画されている。もう即興はなし、毎日、毎週、毎月、1年中、役どころを覚え込み、リハーサルして演じる。一家の母、上級管理職、ワーキングガール、イット・ガール、ワンダーウーマン……、自分のような女たちの背中に女性誌が貼りつけるレッテルは、肩にくいこむバッグほど重い。
サラは起きてシャワーを浴び、服を着る。しぐさは無駄がなく効率的で、軍楽隊のように統制されている。台所へおり、朝食のテーブルをいつもと同じ順序でととのえる──牛乳/ボウル/オレンジジュース/ココア/アンナとシモンのためにパンケーキ/エタンにはシリアル/自分の2杯分のコーヒー。それから子供たちのところへ行き、まずはアンナ、次に双子を起こす。服はまえの晩にロンが用意しておくから、子供たちは顔を洗ってそれを着ればいい。その間、アンナはお弁当を詰め、これらが展開する目まぐるしいスピードで、サラのセダンは町を疾走し、シモンとエタンを小学校、アンナを中学校で降ろす。
キスと「忘れ物ないわね」「それじゃ風邪引くでしょ」「数学のテストがんばってね」「後ろで騒がないの」「だめ、ジムには行きなさい」、そして最後の決まり文句「こんどの週末はそれぞれのパパの家に行くわよ」のあと、ようやくサラは法律事務所へ向かう。
8時20分きっかり、駐車場に入り、自分の名が記された「ジョンソン&ロックウッド法律事務所 サラ・コーエン」のプレートまえに車をとめる。毎朝、誇らしく眺めるこのプレートは専用の駐車スペースをしめすだけではない──彼女には地位が、役職が、世界に居場所がある。一生をかける、やりがいのある仕事。勝ちとった成功とテリトリー。
エントランスホールで、まずは守衛、次に受付係から、いつものようにあいさつされる。ここでは、みんなから一目おかれている。サラはエレベータに乗り、9階のボタンを押し、足ばやに廊下をぬけてオフィスへ向かう。閑散としている。彼女はしばしば、いちばん先に到着し、最後に帰る。キャリアを築くにはそれだけの対価を払うもの、町で評判の権威ある法律事務所ジョンソン&ロックウッドの、衡平法〔イギリスのコモン・ローの不備を道徳律に従って補正する法律〕専門アソシエイト弁護士、サラ・コーエンとなるにはそれだけの対価を払うのだ。なるほど過半数は女性でも、男性優位と噂されるこの法律事務所で、アソシエイト弁護士の地位にのぼりつめた女性は彼女が最初だ。ロースクールの女友達はガラスの天井にぶちあたった。長く厳しい学業にもかかわらず、あきらめて転職した者もいる。だが、彼女は違う。サラ・コーエンは違う。超過勤務と週末出勤、徹夜の口頭弁論リハーサルで武装し、天井など爆破、粉砕した。10年まえ、大理石のエントランスホールに初めて入ったときのことを憶えている。採用面接を受けに来た彼女のまえには男性面接官が8人、そのなかに、創設者にしてマネージング・パートナーのジョンソン御自らが、じきじきにオフィスから会議室に降臨していた。無言のまま厳しい目で見据えられ、履歴書をくまなく読みながら、なんのコメントもされなかった。サラは動揺していたが、そんなそぶりは微塵も見せなかった。仮面をつけるのはお手のもので、年季がはいっている。面接を終えた彼女は漠然と気落ちしていた。ジョンソンからは興味をしめされず、質問もされず、終始ポーカーの達人さながらの無表情で、やっと口を開けば厳しい口調の「さようなら」では、とても見込みがないと思われた。サラは所属弁護士の志願者が多いのを知っていた。ちいさな無名の法律事務所
から応募した彼女には、なんの保証もない。ほかの志願者はもっと経験があって積極的で、たぶん運もあるだろう。
あとになって知ったのは、候補者のなかから彼女を選び、推したのはジョンソンその人、これに反対したのがガリー・クルストだった──彼女が嫌いなのか、愛しすぎるのか、ひょっとして嫉妬か、でなければ欲情か、理由はどうあれ、何かにつけて、やみくもに敵意をむきだしにするガリー・クルストには慣れなければならなかった。女性に脅威をおぼえ、毛嫌いする野心家の男は、彼が初めてではなく、サラはそんな男たちと接して歯牙にもかけずにきた。彼らを路肩に寄らせて、自分の道をきりひらいてきたのだ。ジョンソン&ロックウッドに入ると、馬が疾駆する勢いで階級をかけのぼり、法廷でも名声を確固たるものにしていった。裁判所は闘争の場、縄張り、闘技場だった。そこに入ると女戦士、情け容赦のない女闘士となった。口頭弁論では、ふだんの声と微妙に異なる、低い厳かな声をつかった。表現は簡潔で鋭く、切れ味抜群のアッパーカットのようだった。敵の論点のわずかな隙や弱みをすかさず突いて、ノックアウトした。担当案件はすべて頭に入っていた。虚を突かれたり、恥をかかされたことはない。弁護士免許取得後に勤めたウィンストン通りのちいさな弁護士事務所にいたときも含めて、たいがいは勝訴してきた。称賛され、恐れられた。40歳まぢかにして、同世代の弁護士のサクセスモデルとなっていた。
法律事務所では、彼女が次期マネージング・パートナーと噂されていた。ジョンソンは高齢で後継者が必要だ。すべてのアソシエイト弁護士が羨望するポスト。すでに自分がその地位についたところを、みな想像していた。カリフの地位をねらうカリフたち。それは神格化されること、弁護士界の最高峰だった。サラには選ばれる理由がすべてそろっていた。模範的な経歴、強固な意志、仕事をこなす能力はほかの追随を許さない──病的な飢餓状態のようにつねに駆りたてられ、動かずにはいられないのだ。体育会系で、ひとつの山頂を制したら、次の山頂をめざす登山家だった。彼女にとって人生とはそういうもの、頂点に登りつめてどうするかはわからなくても、それは長い登攀のようなものだった。その日、楽観こそしていないものの、彼女は頂点をまえにしていた。
もちろん、キャリアのためには多くを犠牲にしてきた。徹夜はざらだったし、2回の結婚も破綻した。男は自分をたててくれる女が好きなのよ、とサラはよく言ったが、弁護士がふたりいたら、ひとりはよけいだと認めざるをえなかった。弁護士カップルが長つづきしないという統計を──めったに読まない──雑誌で読んだことがある。当時の夫に記事を見せて一緒に笑った──翌年、ふたりは別れた。
法律事務所の仕事に忙殺され、サラは子供たちとすごす機会の多くを断念せざるをえなかった。遠足、年度末のお楽しみ会、ダンスの発表会、誕生会、バカンスを見合わせるのは、自分でも認めたくないほど気が重かった。そんな機会はあとから取りもどせない、そう思うとよけい心が痛んだ。働く母親の罪悪感を身にしみて感じていた。アンナが生まれたときから、生後五日の赤ん坊をベビーシッターにあずけ、当時の勤務先事務所の緊急の用事を片づけに行ったあの散々な日以来、罪悪感にさいなまれている。彼女が生きる世界に、おろおろと涙にくれる母親の居場所がないことは、すぐ理解した。厚いファンデーションで涙を隠して出勤した。引き裂かれる思いがしても、誰にも打ち明けられなかった。同時に、夫の軽さを羨んだ。不思議なことに、こんな感情とは無縁に見える男たちのあの驚くべき身軽さはどうだろう。憎らしいほど気楽に家を出ていく。毎朝、彼らが書類だけ持って家を出るのにひきかえ、彼女にはどこへ行くにも罪悪感が亀の甲羅のようについてまわる。はじめはそんな感情にあらがい、拒絶し、否定しようとしたが、だめだった。結局、折り合いをつけて生活していくことにした。罪悪感は呼んでもいないのに、どこにでも顔を出す旧友だった。畑に立つ看板、顔の真ん中のいぼ、いくら不恰好で役立たずでも、そこにある。一緒にやっていくしかなかった。
ほかのアソシエイト弁護士や同僚に、サラはなんのそぶりも見せなかった。子供の話をすることは自分に禁じていた。話にも出さなければ、オフィスに子供の写真もおかない。小児科の受診や学校からの呼び出しで、どうしても席をはずさなければならないときは、「外でミーティングがある」と言った。早退するのにベビーシッターの問題をもちだすより、「一杯やりにいくから」と言ったほうが、とおりがいいのを知っていた。嘘、作り話、粉飾のほうが、子供がいると白状するよりまだましだ──子供とは別の言い方をすれば、縛り、しがらみ、制約。それは、仕事への歯止めであり、キャリアアップの妨げだった。まえの勤務先で、アソシエイト弁護士に昇進したのもつかのま、妊娠が発覚し、ヒラの弁護士に降格された女性のことを憶えている。ひっそりとした不可視の侵害、誰も非難しないありふれた侵害だった。サラはそこから教訓を得た。2回の妊娠は上司に知らせなかった。驚いたことに、長いこと腹はふくらまなかった──妊娠7か月まで、双子の妊娠ですら外見からわからず、まるで胎内の子供たちは出しゃばらないほうがいいと察したかのようだった。彼女と胎児が共有するちいさな秘密、暗黙の盟約だった。産休は最低限にとどめ、帝王切開から2週間後にはもとどおりの体型で、疲れた顔は念入りに化粧し、完璧な微笑を浮かべて職場に復帰した。毎朝、法律事務所の駐車場に入るまえに、近くのスーパーで車をとめ、後部座席からふたつのチャイルドシートをはずし、トランクに隠した。もちろん同僚は子持ちなのを知っていたが、けっして思い出させないように気をつけていた。おまるや歯が生えはじめた話は、秘書にはできても、アソシエイト弁護士には許されない。
こんなふうに、サラは仕事と家庭のあいだに機密性の高い壁を築き、ふたつの生活は、平行線がけっして交わらないように、別々に流れた。壁はもろく不安定で、ときにひびが入り、ひょっとしたら、いずれ倒壊するかもしれない。そんなことはかまわない。自分の生き方とこれまで築きあげたものを、子供たちは誇りに思ってくれるはず、と考えたがった。子供たちとすごす機会は、量より質でうめあわせようと努力した。子供たちと一緒のとき、サラはやさしく思いやり深い母親だった。それに、残りはすべてロン、子供たちの命名によれば「マジック・ロン」にまかせられる。本人はこのニックネームに笑ったが、それは肩書きとして定着した。
サラがロンを雇い入れたのは、双子が生まれて数か月後、それまでのベビーシッターとひと悶着あったからだ。ただでさえ遅刻魔でやる気のないリンダが重大なミスを犯し、即刻クビになった──サラが忘れた書類をとりに予告なしに帰宅すると、当時、生後9か月のエタンがベッドにいて、家はからっぽだった。リンダは1時間後、何食わぬ顔でシモンと帰ってきた。問いただすと、双子を一緒に散歩に連れ出すのは大変で、1日おきに交代で散歩させていたと自己弁護した。サラはその日のうちに解雇を言い渡した。法律事務所
には重度の坐骨神経痛を口実に、つづく数日はベビーシッターの面接をし、数多くいた応募者のひとりがロンだった。この手の職に男性が応募してきたのは意外で、はじめは除外しようとした──新聞を読むといろいろ取り沙汰されているし……。それに、元夫たちはおむつ交換や授乳がうまかったとはお世辞にも言えず、男はこのような仕事に向いていないのではないかと疑っていた。同時に、ジョンソン&ロックウッドの採用試験を思い出し、この業界で地位をつかむため、女の自分がどれだけ犠牲を払ってきたかを思った。結局、考えなおした。ロンにだって、ほかの応募者と同じ資格があるはずだ。彼の履歴書は文句のつけようがなく、人物紹介状も確かだった。自身が2児の父だった。住まいが近かった。このポストにもとめられる条件はすべてそろっていた。サラが設けた2週間の試用期間で、ロンの完璧さが明らかになった──子供たちと何時間でも遊び、料理の腕は見事で、そうじ洗濯に買い物、と日常生活についてまわる雑用から彼女を解放してくれた。双子も当時
五歳のアンナも彼になついた。サラは双子の父親である2番目の夫と別れた直後で、自分たちのような母子家庭で、男性が重要な役割を演じるのは悪くないと考えた。無意識に、男を雇えば母親の地位を奪われずにすむという安心感があったのかもしれない。こうしてロンは、彼女の生活にも子供たちにも、なくてはならないマジック・ロンとなった。
鏡を見れば、すべてにおいて成功した40歳の女性がいた──3人のすこやかな子供、高級住宅地にある手入れの行きとどいた家、誰もが羨むキャリア。雑誌でよく見る、充実して微笑む女性そのものだ。彼女の傷は見えない、完璧な化粧と高級ブランドのスーツに隠されて、外からはほとんどわからない。
だが、それはあった。
国じゅうに何千もいる女性と同じく、サラ・コーエンはまっぷたつに引き裂かれていた。爆発寸前の爆弾だった。
スミタ
インド、ウッタル・プラデーシュ州、バドラプールの村
おいで。
顔を洗って。
ぐずぐずしないの。
今日だ。遅れてはいけない。
あばら家の裏庭で、スミタはラリータが顔を洗うのを手伝う。少女は柔順にされるがま ま、水が目に入っても文句を言わない。スミタは娘の髪のからまりをほどく。腰まである髪は切ったことがない。ここの伝統で、女たちは生まれてからずっと髪を切らず、なかに は一生切らない者もいる。髪を三つのたばに分け、器用な手つきで三つ編みにしていく。それから、幾晩もかけて娘のために縫ったサリーをさしだす。布は近所の女からもらった。 ここの小学生が着る制服を買う金はないが、そんなことはかまわない。学校に入るわたし の娘は美しい、と思う。
夜明けに起きだし、娘の弁当をつくった──給食はなく、子供たちは弁当を持参する。 米を炊き、大事な日のためにとっておいたカリーをすこしくわえた。学校の初日、ラリー タにはたくさん食べてほしい。読み書きを覚えるには力がいる。料理はありあわせの弁当 箱に詰めた──念入りに洗った鉄の箱で、飾りもつけた。ほかの子供のまえでラリータに 恥をかかせたくない。ほかの子供のように、娘は読めるようになる。ジャート族の子供のように。
粉をつけて。
祭壇のお世話をして。早く。
ひと間だけのあばら家は台所であり寝室であり、神殿でもあり、ちいさな祭壇をきれい にするのはラリータの仕事だ。ろうそくに火をともし、神々の絵姿のそばにおく。お祈り のあとに鈴を鳴らすのも彼女の役目だ。スミタは娘と一緒に、ヴィシュヌ神に祈りを唱え る。生と創造の神、全人類の守護神ヴィシュヌは世界の秩序が乱れると、それを鎮めに化 身となって地上に降臨する。魚、亀、猪、獅子男、そして人間にすら姿を変える。ラリー タは夕食後、ちいさな祭壇のそばにすわり、母が語るヴィシュヌの十化身の話を聴くのが 好きだ。初めて人間に姿を変えたとき、ヴィシュヌはバラモン階級を擁護するため、クシ ャトリヤ階級の血で五つの池を満たした。この話を聴くとラリータはいつも身震いした。 ちっぽけな生き物が、ひょっとしてヴィシュヌ神の化身だったら……、そう考えて、蟻一 匹、蜘蛛一匹踏まないように気をつけてひそかに遊ぶ。指先にのるほどちっぽけな神……。 そう考えるのは楽しくもあり、恐ろしくもある。ナガラジャンも晩に祭壇のそばでスミタ の話を聴くのが好きだ。妻は字が読めないのに、すばらしい語り部だ。
今朝はお話をしている暇はない。ナガラジャンはいつものように日の出とともに家を出 た。まえは父親がそうだったように、彼はネズミ捕りだ。ジャート族の畑で働いている。 それは、先祖代々受け継がれる伝統の技──素手でネズミを捕まえる技。ネズミは農作物 を食べ、穴を掘って土壌をもろくする。ナガラジャンは地面のごくちいさなネズミ穴を、特徴から見分けることを覚えた。大切なのは注意深さだ、と父に言われた。それと忍耐。怖がるな。最初は噛まれる。そうやって覚えていくんだ。八歳のとき、初めて穴に手をさ し入れて噛まれたのを憶えている。猛烈な痛みがはしって、親指と人差し指のあいだの、 皮膚が薄く柔らかい部分をネズミに噛まれていた。ナガラジャンは悲鳴をあげ、血まみれ の手を引きぬいた。父は笑った。やり方がまずい。もっとすばやく、不意を突くんだ。も ういちどやれ。ナガラジャンは怖くて涙をこらえた。もういちど! 六回やって六回噛ま れたあと、巨大なネズミを引きぬいた。父は尻尾をつかんで、石に頭を打ちつけて砕いて から、息子に手渡した。父は「そうだ」とだけ言った。ナガラジャンは死んだネズミを戦利品のようにたずさえて、家へ帰った。
母はまっ先に息子の手を気遣った。そのあとネズミを炙った。それは家族の夕食になった。
ナガラジャンのようなダリットには給料が支払われず、自分で捕まえたものだけがもらえた。それは恵まれたこと──畑の上にあるものも下にあるものもジャート族のものなら ば、ネズミだってジャート族のものなのだ。
炙ればまずくない。鶏肉に似ているとも言われる。貧乏人の鶏、ダリットの鶏だ。一家 が口にできる唯一の肉。父はネズミを丸ごと、皮も毛も、こなれの悪い尻尾をのぞいてぜ んぶ食べた、とナガラジャンは語る。父はネズミを棒に突き刺し、火にかざして炙ってかはらぺろりと平らげた。その話をするとラリータは笑った。スミタは皮を剥いだほうがいいと思う。一家は毎晩、その日捕れたネズミをありあわせの飯のおかずにする。ときには、 スミタがトイレの汲みとりをした家庭であたえられ、持ち帰って隣人と分けあう残飯もあ る。
おまえのビンディ。 忘れないで。
ラリータは身のまわり品のなかからマニキュアの小瓶を取りだす。道ばたで遊んでいた とき見つけた──通行人の女のバッグから落ちたところを拾った、とは母に言えなかった。 小瓶は転がって溝に落ち、少女が拾って宝物のように握りしめて隠した。その晩、拾い物 を家に持ち帰り、道ばたで見つけたと言いながら、よろこびと恥ずかしさで胸を一杯にし ていた。もし、ヴィシュヌ神が知っていたら……。
スミタは娘の手から小瓶を受け取り、その額に緋色の円を描く。きれいな円にするのは 難しく、経験が必要だ。指先でそっとたたいてから、粉で定着させる。ここでは「第三の目」とも呼ばれるビンディは、エネルギーをため集中力を高める。今日のラリータには必 要だ、と母は思う。少女の額のきれいな円を眺めて微笑む。ラリータは可愛らしい。繊細 な顔立ちで、瞳は黒く、唇は反りかえった花びらのふちのよう。緑色のサリーを着た少女 は美しい。これから登校する娘をまえに、スミタは誇らしい気持ちで胸が一杯になる。た とえネズミを食べてはいても、娘は読めるようになる、と自分に言いきかせながら、その 手を取って大通りへ向かう。道路を渡るまではついていてあげよう。ここは朝からトラックのラッシュで、すごいスピードだし、交通標識も横断歩道もない。
一緒に歩きながら、ラリータは不安げに母を見あげる──少女が怯えているのはトラッ クではなく、新しい世界、両親にとっても未知の世界、そこへひとりで足を踏み入れなけ ればならないこと。スミタは娘の哀願する視線を感じる──引き返し、籠を持って、娘を 一緒に連れて行くほうがどんなにたやすいか……。いいや、ラリータがどぶに吐くところは見ない。娘は学校へ行く。読み書きと計算ができるようになるのだ。
まじめにね。
言われたとおりにするんだよ。
先生の話をよくお聴き。
少女はふいに途方にくれた顔をし、それがあまりに頼りなげで、スミタはできるものな ら娘をいつまででも抱きしめていたい。そんな衝動を必死に抑える。ナガラジャンが話し に行ったとき、教師は「よろしい」と言った。スミタが一家の貯えすべて──このときの ために、何か月もまえから大事に貯めてきた小銭──をしのばせた箱を教師は見つめた。 それをつかんで「よろしい」と言った。すべてがこのように運ぶのを、スミタは知ってい る。ここでは金がものを言う。帰宅したナガラジャンは妻に朗報をつたえ、一緒によろこんだ。
母娘は道を渡る。渡りきったら、もうそこで娘の手を放し、送りだす。言いたいことは たくさんある──よろこぶのよ、おまえはわたしみたいな人生は送らない、健康に暮らせ る、わたしみたいな咳はしない、もっといい暮らしをして、もっと長生きする、尊敬もさ れるだろう。しつこくおぞましいこんな悪臭をさせないで、堂々と生きるんだ。誰からも、 犬みたいに残飯を投げあたえられない。もう目を伏せたり、頭を下げたりしなくていいん だ。このようなことすべてを娘につたえたい。だが、どんな言葉で言えばいいのか、願望、途方もない夢、腹のなかで羽ばたくこの蝶のことを、娘にどう言いあらわしてよいかわからない。
だから娘のほうにかがみ込み、ただこう言う。行きなさい。
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『三つ編み』は早川書房より好評発売中です。
◎本書の紹介
・「フランスで100万部、女性たちにエールを送る小説『三つ編み』(レティシア・コロンバニ、齋藤可津子訳)訳者あとがき」
・「抵抗する者たちの物語――『三つ編み』レビュー(河出真美〔梅田 蔦屋書店 洋書コンシェルジュ〕)」
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■著者紹介
写真:(C) Celine Nieszawer
レティシア・コロンバニ Laetitia Colombani
フランス・ボルドー生まれ。映画監督、脚本家、女優。監督作品に、オドレイ・トトゥ主演『愛してる、愛してない…』(日本公開2003年)などがある。初の小説である本書は、刊行前から16言語で翻訳権が売れて話題をあつめ、
2017年春の刊行後にはまたたく間にベストセラーとなり、フランスで85万部を突破、32言語で翻訳が決まった。著者自身の脚本・監督による映画化が進められている。
■訳者略歴
齋藤可津子(さいとう・かつこ)
翻訳家。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程中退。訳書に、ジャン=イヴ・ベルトー編『マドモアゼルSの恋文』、タハール・ベン=ジェルーン『アラブの春は終わらない』、サルワ・アル・ネイミ『蜜の証拠』がある。