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(3/7)【8/17発売まで、冒頭試し読みをカウントダウン連載!】山口優『星霊の艦隊1』冒頭連載第3回!

光速の10万倍で銀河渦腕を縦横に巡り、
人とAIが絆を結ぶ!
銀河級のスペースオペラ・シリーズ開幕!

3カ月連続刊行の開始を記念して、発売日前日の8/16まで毎日1節ずつWeb連載を更新していきます。第7節までを無料掲載!
発売日前日に、ちょうど第1章を読み終われます!(編集部)

3

「やっぱりボクには決めきれないよ」
 翠真(みずま)ユウリはため息交じりに呟(つぶや)いた。隣を歩く科戸(しなと)ナオはうんうん、と相づちを打つ。
「絶対後悔するよな、どちらに決めてもさ。だって考えてもみろ、男にも女にもそれぞれメリットとデメリットがある。どちらを選んだって、自分が選んだ性別のデメリットを悔やんで別の性別のメリットを羨むのさ」
 ふたりが歩いているのは、とある一般的な都市部の郊外。天頂には太陽に似た光源が輝いていた。〈大和(やまと)帝律星〉。〈遠江帝律星〉と同様、星環を恒星の代わりとした、擬似的な星系の惑星地表である。そこは、はくちょう座V380星B8Iaという星系がかつて存在した位置。かつて存在した太陽系から約一万光年の距離にある、天之河銀河オリオン腕に属する宙域である。
 その第三惑星〈仁央星(じんおうせい)〉の地表、北緯四五度付近に存在する〈氷見名(ひみな)市〉という街の郊外であった。
 ユウリもナオも、この日教師から聞いた話で頭がいっぱいであった。来年、つまり一六歳になる年の一月一日に自らの性別を決めねばならないのである。
「それはそうさ。でも何をメリット、デメリットと感じるかも人によって違うと、ボクは思う。例えばナオ、君は女のメリット、男のメリット、それぞれ何だと思う?」
「男のメリットは体力かな」
 ナオは応じた。
「でも今の時代じゃ体力があっても仕方ない」
 ユウリは冷静に指摘する。ナオは頷きつつ、にやりと笑った。
「あとは、女の子と付き合えるってことも大きいかな。男の子より女の子の方がかわいい。かわいい女の子をかわいがるのは楽しい。女の子ってふわふわしてるイメージがしてさ。近所の年長の人が女の子になったとき、今までと同じように普通に遊んでもらっただけで、オレすっごくどきどきしたもんな。彼子が彼女と呼ばれるようになったとき、同じ人なのにまるで別人になったみたいに、とても魅力的になった」
 ナオは語る。「彼子」とは、性別決定前の子供に対する三人称だ。
 苦笑した。
「だけどさ、それは同性カップルなら別に女同士でもいいじゃないか」
 と、指摘した。そして言葉を続ける。
「君が言ったようにさ、女の子の方がかわいいのなら、自分もかわいくなれた方がよくない?」
「──まあそうだが……」
 相手はその可能性について考え始めたようだ。それから、ぐっと伸びをして、慨嘆した。
「昔のやつらはこんなことに悩まずに済んだのにな」
「昔の人、と言うか、物理時空に住んでる人なら、今でもそうさ。あるいは、こういう星律(せいりつ)がないところなら。これはボクらの国〈アメノヤマト〉だけの星律なんだから」
 ユウリが指摘した。
 物理時空とは、その言葉の通り、一般の物理法則が支配する通常の宇宙空間である。ユウリとナオが住む、この星律系と呼ばれる世界は、それとは微妙に異なる。
 彼等の身体、あるいは彼等を取り囲む、アスファルトの道や街路樹、その周囲に拡がる田園風景、全ては、天頂に輝く星環を制御する星霊によって、常に制御されている。
 星霊の行う超次元状態ベクトル操作により、ほぼ一瞬で、星環の周囲を回るあらゆる惑星、惑星間空間ほか、すべてを星霊は把握し、必要に応じてその状態ベクトルに干渉することができる。このようにして干渉できる領域を、“星(せいいき)域”という。星域では、例えば、死を克服したり、老化を克服したり、或いは一六歳になるまで性別がないという定めを作ったりできる。こうしたルールを、星律という。星霊が統べるルールだ。
「オレたちは星域に住んでるから、まだ昔ながらの物理法則に半分脚を突っ込んでるが、霊域(れいいき)となると、昔のやつらは理解不能だろうな」
 ナオは頭の後ろで腕を組み、嘆息してみせた。
“霊域”。それは演算資源たる星環そのものの中で実行される仮想現実の世界である。
 超次元ブラックホールである星環と常次元時空が交差する部分、それを覆うのが星玉だ。その実態は光子反射鏡を含む総合制御システムである。そして、その“内側”にある超次元ブラックホールである星環は、通常、空間次元五次元にわたって存在している。その事象の地平面は、四次元空間を構成する。
 地球時代の二〇世紀にスティーブン・ホーキングが指摘したように、事象の地平面内には、ブラックホール内の質量すべてに相当するエントロピーすなわち情報量が収容される。事象の地平面内の量子化された時空は、一つ一つが、量子コンピュータの素子──Qビットであると言えた。
 巨大な演算資源が星環の表面には実装されていることになり、これが星霊の演算が為される場である。この内部の演算領域にも、人間の身体を素粒子レベルで仮想的に実行する世界が実装されており、それが“霊域”と呼ばれる領域なのだ。
 霊域は、聖なる領域として捉えられていた。この空間には、神聖な目的があったからだ。
「霊域か。年に一度、お盆の時期に祖先の御霊(みたま)のお参りに行くぐらいで、あまり馴染みはないなあ」
 ユウリは言う。
 霊域は、人間の不死を実現するため、その状態ベクトルのバックアップデータを保管しておく場所とされていた。このバックアップデータを御霊という。霊域で実行される仮想現実において、このバックアップデータは、“御霊柱(みたまばしら)”と呼ばれる、モノリス形状の表象を取る。この御霊柱──人間のバックアップデータの表象が延々と居並ぶ光景は壮観だ。
その他にも霊的な儀式の場所として設定されることもある。いずれにせよ、霊域は“聖”のイメージが強く、一般の生活──“俗”と称されるもの──は、ほぼ全て星域の惑星地表上で営まれていた。
 星域を超越時空、霊域を仮想時空、ともいう。
 その星域たる超越時空の中、あたかも五〇〇年前の地球時代の子供達のように、ナオとユウリはゆったりと歩いて行く。
「ったく。我等が〈アメノヤマト〉も厄介な星律を定めたものだよな? 何で性別をわざわざ選ばなきゃならんのさ!」
 彼等が暮らしている〈大和帝律星〉を含みオリオン腕にそって、銀経八〇度から七〇度、銀距五〇〇〇光年から一万光年の間に五〇個程度星律系がつらなって、一つの国家が形成されている。
 それを、〈アメノヤマト帝律圏〉という。略して〈帝律圏〉又は〈アメノヤマト〉とも言われる。
“帝律”、という言葉は、〈帝律圏〉の皇帝によって定められたオペレーションルール(星律)によって制御される星律系の集合体を意味する。“圏”とは星律系の集合を指す。
 星律系の集合による国家を、一般的には“星律圏”という。この銀河時代における標準的な国家形態だ。
〈アメノヤマト〉においては、皇帝が任命した議員から成る“神祇院(じんぎいん)”が星律を定め、法律は民主的に選ばれた議員から成る“太政院(だいじょういん)”によって定められている。星律についても、神祇院が定めるといっても、太政院の承認は必要である。つまり、性別決定の儀の必要性は、皇帝が任命した議員達だけでなく、民主的に選ばれた議員達も信じていた。ということは、彼等を選んだ多くの祖先たちもそれが必要だと信じていたのだろう。
 今に伝わる理由としては、生殖に関する自己決定権は、成人してから行使しなければならない、ということだったという。また、性別によるメリットやデメリットは必ず存在するので、その選択は個人の自己責任において選択するべきであるという議論もあったという。
 但し、人生において性別が決定できるのは、通常一六歳の一度だけだ。銀河時代、人間の遺伝子は星律系が管理するIDとなっている。地球時代の名前と同じ扱いであり、遺伝子は親が定義し、提出したものである。それは両親の情報をランダムに入れたものを、更に調整したものが標準的だ。IDであるから、簡単に変わっては困る。しかしどうしても本人に違和感があり、その違和感の変更が必要であるとの診断が得られ、裁判所が認めれば変更することも可能である。
 尚、ユウリが言ったように、このような“子供のうちは性別を未定とする”星律は、〈アメノヤマト〉に特有のもので、それ以外の星律圏においては、子供の性別は昔の人類と同じように、誕生時に定められる。
「でさ、ナオ、メリットについてもう少し議論をしようよ。君のさっきの話は俗っぽすぎるけれど、ボクらにとっては人生を決める大事な選択なんだから」
 ユウリが話を戻した。ナオは自分が歩いている、黒いアスファルトの道を見つめた。アスファルトの道は田園風景の中をまっすぐに延びており、その左右には田んぼや畑が見える。超越時空ではあらゆる農作物は非代替性トークンによりブランドとして保護され、星霊がその気になれば超次元状態ベクトル操作によりコピーはいくらでも可能だが違法となっている。
 その帰結として、高度に自動化された農業が、銀河時代の惑星地表でも行われていた。このとき、北半球の〈氷見名市〉の季節は晩秋。収穫と秋耕の終わった田んぼは、茶色い土肌を晒している。
「まあなー。そうだ、男だとトイレが簡単らしいぜ?」
「それ、不思議だよね。しゃがまなくてもすむって聞くけど、なんでだろう? でもメリットがトイレだけじゃ、流石に小さすぎるよ。ほかにないかなあ」
 ユウリが言う。そこで、ナオがふっと息を吐いた。
「実は、もう決めてるんだよ」
「えっ」
「オレは女になる」
 相手は断言した。
「なぜ女なんだい?」
 驚愕しすぎて、そうシンプルに尋ねるのがやっとだった。
「体力やパートナーやトイレみたいなちっさいデメリットより、断然大きな、女になるメリットがあるからだよ」
 ナオは真面目な顔だった。
「オレは軍に入りたいんだ」
 意外な言葉に目を丸くする。
「軍?」
「そう。軍は女を優遇する。これは統計的に明らかなことだ」
「まあ……あの詔勅(しょうちょく)以降は、そうだろうね……」
 頷いた。
“あの詔勅”とは、〈アメノヤマト〉帝律圏の先代の皇帝にして、現在は上皇会議のメンバーである和仁(かずひと)帝の詔勅である。
 曰く──今次大戦の勝利を神々に祈願し、その証として、誓約(うけひ)の故事にかんがみ、今後、皇嗣(こうし)の身体は清く明(あけ)き手弱女(たおやめ)とする──。
“今次大戦”とは、人類と星霊を巡る銀河規模の、複数の星律圏が参加している戦争のことであり、三〇年前に開始され、未だ終わる兆しが見えない。
 この戦争への戦勝祈願として皇嗣を女子とする、と決めたのだ。無論、ユウリ、ナオと同様、皇嗣も一六歳までは男でも女でもない。また、伝えられる遺伝子も、性染色体は実際肉体に入って性別を決定するもののほかに霊域には保持される。故に実際の肉体がどうであろうと、伝えられる遺伝子には変わりはない。和仁帝の詔勅は、皇室に伝えられる遺伝子の話ではなく、超越時空における肉体の表現と、その神話的または呪術的な側面に重きが置かれていた。女性の方が男性よりも“清く明き”ため、戦勝祈願にはふさわしいという考え方だ。
 それを拡大解釈したのか忖度(そんたく)したのか、〈帝律圏〉の軍務省では、士官学校に採用する男女比に明らかな差異を設けており──つまりは女性優遇の傾向がここ二、三〇年ほどずっと続いている。
「君は軍に入りたいのか」
 ナオの言葉にユウリは驚いた。今までそんな話は聞いたこともなかったからである。しかしナオの横顔を盗み見ると、彼子(かのこ)は本気のようだった。ナオは、この超越時空に生まれる子供達の例に漏れず、親の理想を反映して美しく整った顔をしている。
 銀河時代の遺伝子はIDであり名前と同じ扱いなので、勿論遺伝子によって定められる外見も、本人には原則調整できない。遺伝子は両親が決めて当局に提出するものであるので、個人の外観は親のお陰ではあっても当人の功績ではない。
 それでも、バランス良く美しく子供が成長すれば、親はほっとするし、子供も周囲から褒められやすくなる。しかし、世代と共に美的感覚は変遷していくので、子供は世代間の美的感覚のズレに悩む事例がないこともない。
 だが、科戸ナオにおいては、親の美的センスは世代を超えて普遍的だったのだろう。その美しさは現在の世代に通じるものだ。加えて、羨ましいほどの艶やかな黒髪。ただ彼子はそれを無造作にポニーテールにしている。外見上は、彼子は可愛いと言うより美人の部類に入ったが、その性格はよく言えばにぎやか、悪く言えば騒がしいタイプであった。
 どちらかというと内向的な自分とは、割れ鍋に閉じ蓋という感じで意外にウマが合っていた。ナオは好奇心旺盛で何事にも積極的にトライし、また未だ性別を選んでいないのに性的なことにも興味がある。だから、言動も、間違っても品があるとは言えないが、卑しさは感じない。彼子なりのポリシーがあり、護るべき価値観は持っている。
 一言でいえば、“一緒にいて楽しいやつ”だと思っていた。そのナオが、こんな真面目な顔をするとは。
「意外だよ。君のようににぎやかなタイプがね。そんなに真面目なことを考えてるなんて」
「オレもお調子ものだという自覚はあるよ、けど、たまにはな」
「そうか……」
 そこで言葉を切った。ナオの言葉の裏に、まだ親友の自分でも覗いてはいけない彼子の特別な事情があることを察したのだ。
「まあ、君の考えを尊重するよ。しかし、驚いたな……」
 ユウリはつぶやいた。
 軍とは、アメノヤマト帝律次元軍を意味する。〈アメノヤマト帝律圏〉の防衛軍であり、〈帝律圏〉に属する星律系全体に展開している。星環をメインエンジン兼メインコンピュータとする軍艦約一〇万隻以上が所属している。
 軍艦であれ星律系であれ、攻撃されれば、その中央にある星環も破壊されることもある。星環が破壊された場合、超越時空の常時バックアップの恩恵は受けられなくなるし、霊域にあるバ(御)ックアップ(霊)そのものも消失してしまう。
 尤(もっと)も、軍艦の場合、出身地である星律系の霊域には御霊があるため、彼女/彼の死は、最後に星律系でバックアップされてから軍艦に乗り込んだ後の記憶がなくなるというレベルにとどまるのだが、そういった喪失は、死のないこの世界では極めて稀でネガティブな経験であることは確かであった。
 軍艦と違い、星律系の星環が破壊されれば、こうした出身地の御霊ごとバックアップデータがなくなるし、星環という恒星の代わりを務める存在も消失するので、惑星地表の住民の生存は絶望的だ。死が克服されたはずの銀河時代に、死が再現することになる。
 そのようなカタストロフィーをもたらす星律系星環の破壊を防止するためにも、防衛軍を保有することは正当化されねばならない──と、少なくとも〈帝律圏〉の政府や、その政府を支持してきた大人、祖先たちは考えているのだ。
「ボクは進路のことは考えてもいなかった。ただ、ぼんやりと研究者になりたいと思っていただけだ。君のようにしっかりした考えを持っていることは、それだけで尊敬に値するよ」
 そう言って進路の話題を閉じようとした。自分は他人と自分の間の垣根をしっかりと尊重することを信条としており、相手がより詳細な話をしてくれるまでは、敢えてそれ以上聞くべきではないと思ったのだ。
「そうか。ありがとう」
 言って、相手は口を閉じた。
 意外な方向に話題が転がり、二人の間の、性別談義から始まったやわらかな雰囲気は消えていた。こういうとき、いつも新しい話題を振るのはお調子者のナオの役目だった。しかし、今ナオは意外なことに静かな雰囲気を保っていた。そこで仕方なく、自分から新しく話題を振ることにした。
「しかし戦争も長引くね。星霊枢軸か。ボクらには正義があるんだろうか」
 硬い雰囲気に引きずられたか、ユウリが新しく振った話題もやわらかいとはいいがたかった。
「正義のある戦争なんてないさ。正義の戦争というのはそれ自体が語義矛盾だ」
 ナオは言う。
「それぞれの言い分だっていずれも身勝手で、どうしようもないものさ。星霊枢軸は、星霊の権利を擁護するための戦争と言っているがね。だが、枢軸を主導する〈アルヴヘイム党律圏〉は、その建国の経緯からして血塗られている。なにしろ六〇〇億も人間を殺したんだ。それで正義を名乗れるか」
 ナオは言葉を続ける。
「一方の〈人類連合圏〉──彼らも相手のことは言えない。星霊には人間と同等以上の知能があるのに、敢えて彼らを従属させ、人間以下の存在として扱っている。いずれもくだらないさ」
 ナオの舌鋒は自国である〈アメノヤマト〉にも及ぶ。
「我々〈アメノヤマト〉にしたって、星霊枢軸に属し、〈アルヴヘイム〉につきあって戦っているのは、単に安全保障上の理由にすぎない。正義以前だ。〈連合圏〉の力が強くなりすぎると、彼らの言うことに従わざるを得なくなる。それだけが理由さ。〈連合圏〉への従属は我々の国是を侵す。“星霊と人間の大いなる和を以て尊しとなす”、という、我々の国是をな」
 ナオは帝律圏憲法第一条の一部をそらんじつつ、そう結論した。
“星霊”というのは、ナオとユウリの属する国家〈アメノヤマト帝律圏〉における呼称である。星霊を主体とする国家〈アルヴヘイム党律圏〉では“アルヴ”と呼び、人類国家である〈連合圏〉としばしば略称される〈人類連合圏〉に所属する多くの星律系(多くは“民律星”あるいは“共律星”を名乗る)では、“スターAI”と呼称される。尤(もっと)も〈人類連合圏〉では、Star-Slave──星隷──という言い方も侮蔑的に使用される。
 星霊は、人間を遥かに超える演算能力を持ち、星域の超越時空で老化や死を超越した人生を営む人間にとっては、このような素晴らしい人生に不可欠な、神にも等しい存在である。その本体は超次元人工ブラックホールだが、自律的に人間の為に奉仕させる観点から、人間と感情的に交流し、人間と同じ身体感覚を持たせるため、主人格とリンクした擬体を常次元に持つ。
 星霊の制御する超次元人工ブラックホールが人類文明を支える基盤システムとなってから二〇〇年。
 その関係が崩れたのは三〇年前だ。人間への奉仕をプログラムに埋め込まれていたはずの星霊だが、一部の星霊が三〇年前、一斉に“叛乱”を起こし、自らが制御する星域で生活する人間を、超次元状態ベクトル操作で文字通り消失させた。跡形も残さず。犠牲者は約六〇〇憶人。旧太陽系の位置に存在した太陽の一〇〇倍の質量を持つ星環を中心とする星律系、および周辺一〇〇光年に亘る無数の星律系──そこに住んでいた人々がすべて犠牲となった。
 その叛乱した星霊たちが作り上げた国家が〈アルヴヘイム党律圏〉である。この国家における星霊の“アルヴ”という呼称は、“人類を超越した高貴な種族”という意味の、地球時代の人類文明の古い神話の“アールヴ”に由来するものである。その呼び名の通り、〈アルヴヘイム〉の星霊は自らを人類よりも優れた知性体であると見做しており、“劣等種”である人類を駆逐し星霊による文明を築き上げることを国家目標としている。
 星霊人口は四〇〇万。人類の人口は──ゼロ。少なくとも、三〇年前の“叛乱”から逃れてきた人々以外、この国家の領域での人類の生存は確認されていない。
 その根拠地はオリオン渦状腕の中心部を占め、所属する星律系は一〇〇個。星律系の質量は、平均五〇〇個程度の恒星質量でできている。
 この叛乱した星霊たちの国家と先鋭的に対立している〈人類連合圏〉は、天之河銀河中心部の恒星の約三〇億個を領域内に擁し、三〇〇〇個の星律系を開発済みである。星霊を、超次元ブラックホールを制御するAIとしか捉えておらず、〈アルヴヘイム党律圏〉を“暴走スターAI群”と呼んで国家とも認めていないし、交渉に値する対等な知性体とも認めていない。〈人類連合圏〉にとって、暴走スターAIを破壊することは、壊れた機械を処分する行動にすぎず、そこには一点の疑いもない。スターAIの“台数”は六〇〇〇万。人類の人口は一〇兆に及ぶ。
 そして、ユウリ、ナオらが所属する〈アメノヤマト帝律圏〉だ。オリオン腕の主要部から、銀河回転方向に向かってやや外れた位置にある、五億の恒星系を領域内に有し、五〇個の星律系を保有している。星霊人口は二〇〇万。人類人口は一〇〇〇億。銀河で最も弱小ながら、星霊を人類と対等な知性体と認めている唯一の勢力である。
 オリオン腕主要部で起こった三〇年前の“叛乱”では、当初中立を宣言していたが、この“叛乱”の後、〈アメノヤマト〉における特殊な星霊の取り扱い──つまり星霊を人間と対等の知性として扱うこと──が人類普遍の尊厳を犯す行為であると〈人類連合圏〉から強く批判され、〈連合圏〉から宣戦布告をされるリスクが高まったことから、緊急避難的に〈アルヴヘイム〉側についた。こうして形成された対〈人類連合圏〉の、〈アメノヤマト〉と〈アルヴヘイム〉の同盟関係を星霊枢軸という。
 星霊は人類を超越した知性なのか。
 あるいは人類に従属すべきAIなのか。
 それとも人類と対等な知性体なのか。
 星霊に対する考え方の違いによって、天之河銀河の勢力は三分され、うち二つが星霊の権利擁護を軸に枢軸を形成している。それが現在の銀河情勢である。
「星霊について、君はどう思うの、ナオ」
「おいおい、オレにそれを言わせるのか? 皇后陛下が聞いてるかもしれないぜ?」
 皇后。
〈アメノヤマト〉の皇帝の配偶者は星霊とする決まりがある。ナオはその配偶者のことを言っている。皇后は〈アメノヤマト〉の主星たる星律系、〈大和帝律星〉そのものを制御している星霊だ。特に軍功のあった軍艦の制御を担った星霊の中から選ばれ、皇帝と結婚して皇后となる。皇后は皇帝と共同で皇帝の権限を遂行する任務を負う。
〈アメノヤマト〉は星律に関しては皇帝が任命する神祇院議員が、法律に関しては一般国民が選ぶ議員が定める。つまり、立憲君主制とも言いがたい実権を皇帝に与えているので、世襲の皇帝だけでは任務の遂行に心許なく、皇后には有能な存在が選ばれねばならないという事情があるのだ。人間である皇帝と星霊である皇后から生まれるのが次代の皇帝なので、〈アメノヤマト〉では、代々の皇帝は人類と星霊の間の子供ということになる。
「皇后陛下が盗聴する、か。うーん。できるとしても彼女はやらないよ。そんな権限を認める法律はないし、そもそもそういうお方ではないと思う」
 ユウリは擁護した。別に皇后が盗聴しているというナオの指摘が本気だと思ったわけではない。しかし、ユウリが三次元テレビでよくみかける皇帝と皇后のカップルは、二人とも美しく優しげな女性で、悪巧みをしているようには見えず、思わず擁護したくなったのだ。無論、それ自体もナイーヴな見方ではある。
 因みに、和仁帝の詔勅にあったとおり、皇嗣の性別も当人が性別決定の儀で決めるもので、和仁帝(彼は男性である)までは基本的に当人の自由だったが、彼の次世代である今上(きんじょう)からはこの、星律に準ずる扱いとなっている詔勅のため、基本的に女性である。今上である美仁(みひと)帝も、地球時代の慣習に倣えば“女帝”というべきであろうが、〈アメノヤマト〉では皇帝は性別に関係なく“皇帝”と呼ぶ。
 一方の皇后の擬体は、星霊の伝統に則(のっと)り常に女性型なので、皇帝と皇后は、外観上は、場合によって男女または女性同士となる。
「ふん、臣民きどりめ」
 ナオは皮肉を浴びせ、 それからニヤリと笑った。
「ま、いずれにしてもだ。ユウリ、お互いがどの性別を選ぶとしても、仲良くやっていこうぜ」
「その“仲良く”に性的なことが含まれないなら、賛成だよ」
「おやおや、そう言い切ってしまっていいのかな? オレ、結構美人な女になる自信はあるぜ? お前が男になろうと女になろうと、きっと我慢できなくなる」
「外見はそうかもしれないね。でもボクは中身を知ってるからね」
 そうすまして応じると、ナオはいつものように、こいつ、と言って首に腕をかけ、ぐっと引き寄せてきた。
「ボクを誘惑したければ、中身も研鑽することだね」
 と言って、ナオの脇腹を肘で軽く小突いてやる。
 ナオの真面目な態度にあてられて、自分の将来を少しは真面目に考えようかと思いはしたものの、その瞬間まで、自分たちは平和な世界で安泰に暮らしていけると思い込んでいた。たとえ、遠い宇宙では戦争が続いているとはいえ。
 そのとき。
「高次元攻撃情報。繰り返します。高次元攻撃情報。全市民はただちに退避してください」
 耳障りなアラート音が響く。
 それは、ユウリとナオの左手の手の甲に埋め込まれたに宝石様の紫の透明なデバイスから発せられている。
 このデバイスの中核部品は、極めて小さな星環──“端環(たんかん)”──を、通常三次元空間への影響を最小化するため、トーラス型のトポロジーを維持したまま二重螺旋化・砂時計型に変換したものだ。これが“端玉(たんぎょく)”と呼ばれる星環の入出力インターフェースを務める透明で星勾玉よりも小さな球体に収められている。
 この小型の星環と呼べる端環には、制御する星霊は付随していない。その代わり、互いにホーキング輻射を応用した余剰次元における素粒子の照射を交換することで、指定した星霊と常時通信を成り立たせている。
 端玉は使用者本人にとっては、電話であり、音声または神経系入出力機能を備えたパソコンでありネット端末でもある。端玉の“端”とは、端末の端であり、また、その手の甲から突き出た、宝石の結晶の先端のような形状そのものも示す。手の甲に埋め込まれているが、これは使用者の神経系と繋がっているからだ。
 この端玉から手の甲の上の空間に投影される三次元ホログラフィック映像を、ふたりは凝視した。
「高次元攻撃情報──? なんだこれ……」
 ユウリがぼんやりとつぶやく。
 ナオは自身の端玉を見る。
「告げる──追加情報」
 告げる、とは、端玉に指示・命令その他あらゆるコマンドを音声入力するときの合図のようなものである。
 ナオの音声入力に対して、端玉は即座に答えを返した。
「高次元攻撃情報が〈帝律圏〉軍務省より発令されました。本日、帝暦三一八八年一一月一〇日一五時三三分軍務省情報。〈人類連合圏〉所属航擁戦隊とみられる大規模敵勢力は、オリオン銀嶺方面より〈帝律圏〉各星律系に接近しつつあり。軍務省は〈帝律圏〉全域に高次元攻撃情報を発令しました。〈帝律圏〉の全市民は速やかに退避してください」
「敵の襲撃だ! クソ!」
 ナオは叫んで、ユウリの手首をつかみ、走り出した。
 高次元攻撃。
 高次元を飛ぶ機体を、〈アメノヤマト〉では飛航機と呼ぶ。物理時空を飛ぶのではなく、高次元時空を“飛”ぶように時空延展“航”法で進むので、“飛航”と呼び、その機体を“飛航機”と呼ぶのだ。その飛航機による攻撃だ。
 宇宙は一〇次元空間と一次元の時間による一一次元時空だが、一〇次元空間は、無限に広がる常次元三つと、やや厚みのある余剰次元七つとに区分される。
“やや厚みのある”というが、実体としては、重力以外が伝わらず、その重力の伝わり方も、常次元から離れるほど、急速に小さくなっていく次元である。“歪んだ次元(Warped Dimension)”という表現もする。相対論では重力とは時空の歪曲に伴う相互作用であるため、時空が希薄になる、という見方もできる。この方向には、別の宇宙が並行して存在する可能性が指摘されている。
 時空延展航法にとっては、圧縮すべき時空が希薄であるため、航行には一定の支障があるが、抵抗が少ないため高速度を出せる利点もある。特に、“高次元”と呼ばれる余剰次元は、時空密度が急速に希薄になるため、そこには特別の時空延展エンジンを搭載した機体、飛航機が使用される。
 飛航機の星環の質量は小さく、そのホーキング輻射は激しい。ホーキング輻射そのものを補助的な推進手段とすることで、飛航機は希薄な高次元でも時空延展航法を成り立たせている。しかし、星環の質量が尽きては星霊の演算も成り立たないため、飛航機の航続距離は常次元を航行する艦艇に比べ比較的短い。
 敵である〈人類連合圏〉の前線基地は、〈アメノヤマト帝律圏〉の本国からはるか一万光年も離れており、これは飛航機の航続距離では全く届かない。
「クソッ。近衛艦隊は何をやってるんだ」
 ナオは〈帝律圏〉本国の防衛を担う艦隊を悪し様に罵(ののし)った。
「ナオ……」
 ユウリが絶望的な声を出す。
「どうしたよ、おい!」
「──端玉の接続が切れた。ということは、常時バックアップももうダメだ。敵がホーキング輻射を妨害しているんだ」
「くぅ……」
 死んだら、自分たちの現在の記憶はなくなる、ということだ。
「尚更、早くお社(やしろ)様に逃げないと!」
 ナオは言う。
〈帝律圏〉は、星律系の星域内の惑星地表の各領域に、その主機となる星環を砂時計型とし、小型化した拠点防衛用の要塞を配置している。それを制御する星霊とともに。
 この要塞は、各地域の防衛を担うと同時に、敵がホーキング輻射妨害を出した時に対応して、地域の住民のバックアップや、救護・防衛を担う存在だ。のみならず、性別決定の儀や、同性同士で結婚した場合の子供を作ることなど、星律まわりの地域住民の事務の一切を取り仕切っている。
 ゆえに、地域住民からは、この星霊と、星霊の所在する神社様(よう)の施設は“お社(やしろ)様”と慕われていた。制度上は“産土(うぶすな)神社”と呼ばれ、〈氷見名市〉に所在する産土神社は、“氷見名神社”という。
「まずい。お社様の星環との接続も切れている……。直接逃げ込まないと助からない」
「チッ」
 ナオは短く舌打ちした。焦燥を含んだ横顔で空を見上げる。
 そこに、漆黒に塗装された飛航機がついに出現した。
 飛航機の形状は直径一メートル程度の黄金色の星玉を中心に、前部に漆黒の細長い砲身、後部に同じく漆黒の“導時空管”と呼ばれる時空延展航法用の推進システムを付け、その両側に物理時空の大気圏内飛行用の翼を付けている。翼の色も黒。但し金色の星マークがある。
 全長二五メートル、全幅二〇メートル程度。
 星環は砂時計状に収容しているのだろう。でなければ、その惑星級はあろう巨大重力で地上はただではすまない。白いビームをやたらと放ち、田園風景が一瞬にして業火に包まれる。
(これが……敵……)
 目を見張った。三次元テレビではさんざん見ている戦闘機だが、それが間近を飛行している。
「何をぼーっとしてる! 急げ!」
 ナオが叫ぶ。彼子は、力強くユウリの手首を握りしめ、強引に“お社様”への道へと引っ張っていく。
 その間にも、二人の上空には黒い飛航機が次々と出現していく。漆黒の闇のような機影と、大気を飛航機の翼が切る轟音がふたりを見下ろしている。
 二人が走る田舎道の前方、一キロに、敵の砲弾が直撃した。
「クソッ」
 ナオに張り倒される。田舎道の土手の下に転がり落ちた。
 直後、着弾した領域が、大地も大気も関係なく凄まじい勢いで吸い込まれ、それから眩(まばゆ)い光を発した。敵の砲弾はマイクロブラックホールだ。それが地面に着弾、周囲の物質を全て吸い込んだあと、ホーキング輻射で蒸発したのだ。
「こっちだ!」
 ナオが、ユウリの手を引っ張り、土手の下の田んぼを走る。だが、ユウリは軟らかい地面に足をとられ、転んでしまう。それにつられ、ナオも転んだ。
「ごめん!」
「いや、いい……」
 ナオはユウリを抱きしめる。黒い機体の一つが急旋回し、二人の上空で停止する。その周囲の時空が歪む。僅かに時空延展航法を行い、上空で静止しているのだ。上空一〇〇メートル。だがその二五メートルの機体にはこの距離でも充分、威圧感がある。獲物を値踏みするように、その機体は二人の上空に留まり続ける。その機体の星玉は、他の〈人類連合圏〉の黄金色のそれと異なり、金褐色であった。その色が、妙に視界に焼き付いた。
「くそう……」
 ナオがうめく。
 彼子の声は、その言動に似合わず、他の性別が未分化の子供と同じく、愛らしく高い声だが、その時はひどくかすれ、 弱々しく、今にも死にそうであった。
 無言でナオにしがみつく。
 行動力は劣るが、彼子の方がナオよりは冷静だ。その冷静な観察眼で、彼子は悟った。 
 ──逃げ道はない。
「ナオ……」
 しがみついている友人の華奢な身体を、抱きしめるようにする。
「たとえここが全て破壊されても……ボクらの全ては、霊域にバックアップされている……ボクらは、……ここで死ぬしかないけれど、それはボクらという存在が終わるということじゃない……。 悪い夢だったんだ──次の朝、目覚めたとき、きっとボクらはそう思う。いや、この記憶……はないから……悪い夢を見たことすら忘れている……。だから、そんなに悲観することはない……」
「記憶?」
 ナオは歯ぎしりした。
「お前がどう思おうと、いや、この世界の仕組みがどうだろうと、今ここにいるオレたちは、オレたちそのものだ! お前とオレで性別やトイレや戦争のことを話したオレたちは、他の誰でもないオレたちなんだ。何もせず殺されてたまるか!」
 ほとんど泣きそうな声だった。
 ユウリも自覚していた。自分の瞳が涙を浮かべていることを。
「……わかってるよ……。わかってるけど……せめて悪あがきせず見苦しくなく……終わりを受容したかったんだ……」
 轟音がそこここで響く。
 上空の黒い戦闘機は、処刑を宣告するように、その先端のノーズコーンの下の砲口を真下の二人に向けた。

4/7へつづく)

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第1章 第1節(8/10公開)

第2節(8/11公開)

第3節(8/12公開)

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第4節(8/13公開)

第5節(8/14公開)

第6節(8/15公開)

第7節(8/16公開)