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iPodとiPhoneを生んだ著者が明かす「破壊的イノベーションの真髄」とは? 『BUILD』楠木建氏解説全文(前篇)

アップル社でiPodと初期のiPhoneの開発チームを率いた伝説のエンジニアが明かすイノベーションの極意とは。 話題の新刊『BUILD 真に価値あるものをつくる型破りなガイドブック』(トニー・ファデル、土方奈美訳、早川書房)より、楠木建氏(一橋大学特任教授)による解説全文を特別公開します。「繰り返し読む価値がある傑作だ」と本書を絶賛する楠木氏。前篇ではプロダクトとマネジメントの両面から、著者の顧客志向の真髄を読み解きます。

『BUILD(ビルド) 真に価値あるものをつくる型破りなガイドブック』トニー・ファデル、土方奈美訳、早川書房
『BUILD』早川書房

解説【前篇】楠木建(一橋大学特任教授)

人々の生活を変える破壊的なプロダクトをつくるとはどういうことか──アップル社でiPodやiPhoneの開発チームを率いた著者がものづくりとマネジメントの極意を伝授する。タイトルはストレートに『BUILD』(つくる)。ありがちな武勇伝的自伝ではないというところに本書の魅力がある。少数の大成功の陰には、数多くの失敗がある。著者が言うように「一夜にして成功を収めるには20年かかる」。著者は長いキャリアの中で経験した失敗についても、本書の中であけすけに開陳している。実際に、成功よりも失敗の経験から引き出された教訓の方に本書の価値があると言ってもよい。

顧客の「なぜ」に答える

コンピュータ関連のいくつかのスタートアップを経て、著者は1991年にゼネラルマジック社に参画する。今ではこの会社の名前すら知らない読者が多いだろう。当時のゼネラルマジックはシリコンバレーの中でも最もミステリアスな技術者集団として注目されていた。革新的で先駆的なパーソナルコミュニケーション&エンターテインメントデバイス(後のiPhoneのようなもの)を開発するも、あえなく失敗。スタートアップに懲りた著者は、大企業のフィリップスに入社し、CTOのポストを得る。外出先で使える携帯PCを開発し市場化するが、これもさっぱり売れない。

失敗を重ねた著者は決定的に重要となる原理原則を獲得する。ゼネラルマジックのプロダクトはなぜ売れなかったのか。確かに素晴らしいテクノロジーを盛り込んではいた。しかし、現実を生きる人々の問題を解決しなかった。ゼネラルマジックは社内の天才をうならせるものは何かということばかり考えていた。プロダクトは顧客の「なぜ」に答えるものでなくてはならない。なぜ顧客がそれに注目する必要があるのか。なぜ買う必要があるのか。なぜ使う必要があるのか。なぜ使い続ける必要があるのか。なぜ後継品に買い替える必要があるのか──こうした問いに対して、それまで聞いたことがないような、しかし聞いた途端に「なるほど」と思うような回答を与えるものでなければならない。

1999年、音楽コンテンツに注目した著者は、当時この分野で勢いがあったリアルネットワークスに「デジタルジュークボックス」を提案する。単なる「MP3プレイヤー」ではない。1000枚のCDを自宅のホームシアターで楽しめるというアイデアで、「1000曲をポケットに」というコンセプトで登場した後(のち)のiPodに通じるものがあった。しかし、リアルネットワークスは事前の期待とはかけ離れた世界だった。わずか6週間で退社し、自分の会社(フューズ・システムズ)を立ち上げる。ところが、翌年にドットコムバブルが崩壊。資金調達は困難を極める。

ここでアップルから声がかかる。これがすべての始まりだった。当時のアップルは崩壊の瀬戸際にあった。主力事業のPC(マッキントッシュ)のシェアはわずか2パーセントと低迷していた。時価総額は40億ドル。王者マイクロソフトの時価総額は2500億ドルだった。初めはアップルに対するコンサルティングでフューズの従業員の給料稼ぎができればいいという程度の考えだった。ところが、「顧客にとってどうしても必要で、世界を変える力があるプロダクト以外は存在すべきではない」というスティーブ・ジョブズの理念に共鳴した著者は、2001年にアップルに入社する。初代iPodが発売されたのはその10か月後だった。

最高のアイデアはビタミン剤ではなく鎮痛剤でなくてはならない。ビタミン剤は不可欠ではない。ひっきりなしに続く日常的な不快な体験を除去する──ここにプロダクトの価値がある。人生はささやかな、それでいてとんでもない不便に満ち溢れている。しかし、世の中の人々はそれに慣れている。だから誰も問題の存在自体に気づいていない。

ジョブズは人が気に留めていないことに意識を向ける天才だった。素人であり続けろ。プロダクトを新たな目で見直せ──「1000曲をポケットに」を標榜するiPodの成功は、それまでウォークマンに親しみ、デジタルミュージックを体験したことがない「普通の人々」の日常的な問題を解決したことにあった。

プロダクトの正体

「見えないもの」を「見えるもの」にする。ここにプロダクトの正体がある。プロダクトはつくって売っておしまいではない。ユーザーがそれを手に入れる前に始まり、手に入れた後もずっと続くカスタマージャーニーのすべてをプロダクトに落とし込む。ブランドをはじめて知った時から返品するか捨てるか中身をリセットして友人に売るまでの一連のプロセスを丸ごと相手にする。プロダクト、マーケティング、サポートすべてをつなげ、一貫性と必然性のあるプロセスをスムーズに通過していく感覚を顧客に与える。ものづくりとは顧客の経験を総体として設計することにある──これまでも繰り返し言われてきたことだ。しかし、著者の実体験に基づく考察と洞察は、それが本当のところ何であって何ではないかを鮮明に教えてくれる

プロダクトは破壊的なものでなければならない。しかし一度にすべてを破壊しようとするのは禁物だ。なぜか。いかにプロダクトが破壊的で非連続なものであっても、顧客の経験は常に連続しているからだ。こちらの都合で顧客の頭と心をリセットすることはできない。急がば回れ。一発勝負ではなく、カスタマージャーニーに寄り添って、バージョン1、2、3……と重ねていく中で、じっくりと顧客に経験を蓄積してもらうことが肝要となる。

著者がアマゾン創業者のジェフ・ベゾスから「ファイアフォン」のアイデアを聞いたときの話が面白い。ベゾスいわく、ファイアフォンは恐ろしく破壊的なデバイスになる。すべての商品が3Dで見え、どんなメディアもスキャンできて商品をアマゾンで買うことができる──スマホでのネットショッピングを変えるのに何も新しいデバイスは必要ない。最高のアプリをつくればいいだけ、というのが著者の反応だった。ファイアフォンは確かに新機能満載だったが満足に動いたものはひとつもなかった。「グーグルグラス」もいちどきにあまりにも多くを変えようとしたがゆえに消費者が理解できなかったという例だ。

著者が大切にしている問いかけに「君が解決しようとしている問題を、これを使わずに解決するにはどうしたらいい?」がある。モノづくりに夢中になるとモノしか見えなくなる。世の中にもっとシンプルで簡単なソリューションがあることを見落としてしまう。

アップルは初代iPodとともにiTunesをオープンしなかった。ターゲットとしていた普通の顧客はCDをリッピングして聴いていたからだ。多くのことを拙速に変えると、ユーザーがカスタマージャーニーの入り口を見失ってしまう。まずはCDからMP3の音源にジャンプしてもらう必要がある。バランスよく着地できなければ次のジャンプはない。

本書の白眉は第三部にあるサーモスタットの事例だ。2010年にアップルを退社した著者はネスト社を創業する。きっかけは著者自身の体験にあった。どこに旅行に行っても部屋のサーモスタットの性能や使い勝手が悪い。いつも暑すぎるか寒すぎる。しかもエネルギーが無駄になっている。誰かが何とかすべきだ──この問題の発見がネストの最初のプロダクト「ラーニング・サーモスタット」として結実する。

ネストのビジョンはスマートホームのプラットフォームを構築することにあった。このアイデアは新奇なものではなかった。ゼネラルマジックも90年代にスマートホーム構想を掲げていた。ネストの試みが画期的だったのは、包括的な家庭用機器を盛り込んだプラットフォームを売るのではなく、まずはサーモスタットに集中したことにあった。サーモスタットを突破口にして、その先にそれとつながるプロダクトを次々に展開することによって、結果的にスマートホームのプラットフォームとなるという戦略だ。

ネストのサーモスタットは節電という基本価値をユーザーに明確に理解させると同時に、シンプルで美しく使いやすいものでなければならなかった。しかも、普通の人はわざわざサーモスタットなど買いに行かない。ホームセンターで売ってはいたが、顧客が自分で設置できないようにあえて複雑に作られていた。自宅のサーモスタットが故障したら設置業者に電話をして付け替えてもらうのが普通だった。従来のサーモスタット・メーカーは顧客接点にあるエアコン設置業者を囲い込んでいた。ハネウェルのサーモスタットを売れば設置業者に報奨金が入る。これが参入障壁になっていた。

既存のエアコン設置業者に入り込むのは不可能だった。ネストのサーモスタットは顧客が自らの意思で購入し、自分で簡単に設置できるものでなければならなかった。サーモスタットを買う習慣がないエンドユーザーに買ってもらわなければならない。そもそもどの店にも「サーモスタットコーナー」などというものはない。そこで著者はベストバイのような小売店と交渉して「スマートホームコーナー」をつくり、そこにネストのサーモスタットを置くという手を打った。

まったく新しいコンセプトだっただけに、ネストはサーモスタットのパッケージング──カスタマージャーニーの起点──に集中した。製品名、キャッチフレーズ、機能、優先順位をすべて製品の入った箱に印字した。表面積には物理的制約がある。微調整を繰り返し、顧客に理解してもらいたいポイントを絞り込む必要がある。これがプロダクトのコンセプトにさらに磨きをかけた。パッケージはネストのマーケティング戦略の詰まった小宇宙になった。

プロトタイプは正常に作動した。しかし、モニターを使ってテストしてみると設置に一時間かかることが分かった。これでは長すぎる。249ドルするサーモスタットだ。箱を開け、説明書を読み、壁に設置し、最初に暖房のスイッチを入れるまでのすべてが自然で気持ちよく楽しい経験でなくてはならない。最初にネガティブな経験を与えてしまうと、カスタマージャーニーがそこで止まってしまう。

ここからが著者の真骨頂だ。なぜ時間がかかるのかを調べると、設置作業そのものではなく、顧客が工具を探すのに手間取っていることが分かった。ドライバーはマイナスかプラスか。どこにしまってあるのか。キッチンの棚を開けて次にガレージに行って工具箱を開けて……これに30分を要していた。工具さえそろえば20~30分で設置できる。

そこで著者はパッケージに小さなドライバーを1本追加することを決める。おしゃれでかわいいデザインで、交換可能なヘッドが4種類ついている。設置作業に役立つだけではない。ネストのサーモスタットのデザインは美しいものだったが、日常の生活の中でサーモスタットの存在を意識する人はあまりいない。ドライバーを気に入ってもらえれば、キッチンの引き出しを開けるたびに、ネストの小さなドライバーが顧客の目に入る。子供のミニカーの電池を変えるたびにドライバーを手に取る。

ドライバーは購買後の顧客との関係をつくるツールになる。ドライバーのコストは1.5ドル。原価はその分増える。しかし、それは製造原価ではない。カスタマージャーニーを創造するマーケティング投資だというのが著者の考えだった。1本のドライバーというテクノロジーも何もないありふれた付属物──そこに破壊的イノベーションの真髄を見る

マネジメントの王道

アップルのiPodやiPhone、ネストのサーモスタットはいずれも破壊的なイノベーションをもたらし、人々の生活を変えた偉大なプロダクトだった。しかし、著者が自分自身でこれらのプロダクトをつくったわけではない。本書の中で強調しているように、著者の一義的な役割はプロダクトを開発する部門なりチームを統率するマネジメントにあった。

シリコンバレーでは再発明と破壊がすべてであるとされる。それは一面では正しいのだが、組織とマネジメントの本質は変わらない。結局のところ生身の人間の集団がやることだからだ。本書が伝授するマネジメントについてのアドバイスは、いずれも古典的なものだ。やろうとしていることは破壊的であっても、それを実行する組織とマネジメントはオーセンティック(正統的)──このコントラストが面白い。マネジメントには古今東西不変の原理原則があるということを再確認した

マネジャーとプレイヤーの仕事ははっきりと異なる。マネジャーになったら、それまでのプレイヤーとしての仕事の成果は関係ない。自分でやるのではなく、部下に仕事をさせ、部下を成長させるのがマネジャーの仕事だ。マネジメントは才能ではない、と著者は断言する。仕事の経験のなかで修行を重ねるしかない。個性は二の次。誠実さがものを言う。

目標設定、採用、評価、会議、進捗確認、もめごとの解決……ようするに「何か困っていることない?」と聞いてまわるのがマネジャーだ。一にも二にも部下とのコミュニケーションが大切になる。

このときもWHYを伝えることが肝心だ。WHATやHOWを指示する前に、なぜその仕事に意味があるのかを部下が理解していなければならない。

部下が活躍して自分の存在が霞んでしまうようになる。これこそがマネジャーとしての成功だ。決してプレイヤーの部下と競争してはならない。部下と張り合うマネジャーはマイクロマネジメントに走る。これが組織をダメにする。

よく知られているように、スティーブ・ジョブズはアップルの絶対権力者として君臨し、独裁者として振舞った。チームが開発しているプロダクトのクオリティにとことんこだわった。ジョブズが宝石商のごとくルーペを取り出し、ディスプレイ上の一つ一つのピクセルにまで目を光らせ、ユーザーインターフェイスのグラフィクスがきちんと描かれているか確認する姿を著者は目撃している。ハードウェアからパッケージに書かれた文言の一字一句に至るまで、同じレベルの注意力で目を光らせた。

それでも、プロダクトに直接手は出さなかった。部下が文句なしに最高のプロダクトをつくっているかに意識を集中し、成果を確実なものにする。プロセスではなく結果にコミットする。成果をどうやって生み出すかは部下の仕事だ。任せることができなければマネジャーではない。(※後篇に続く)


▶楠木建さんの解説後篇(グーグルとの衝突から読み解く「巨大企業の宿命的限界」とは?)はこちらで公開中!

▶記事で紹介した本の概要

『BUILD(ビルド)真に価値あるものをつくる型破りなガイドブック 』
著:トニー・ファデル
訳:土方 奈美
出版社:早川書房
発売日:2023年5月23日
税込価格:2,860円

著者略歴:トニー・ファデル(Tony Fadell)
1969年生まれ。スタートアップ企業ゼネラルマジックで30年にわたるシリコンバレーのキャリアをスタート。2001年iPodの開発責任者としてアップルに入社。2007年にiPod部門シニアバイスプレジデントに就任、また初代iPhoneのハードウェアと基本的ソフトウェアの開発チームを率いる。2010年アップル退社後ネスト社を立ち上げ、AI搭載の「学習する」サーモスタットを開発しスマートホームのエコシステム構築に乗り出す。2014年にグーグルが32億ドルで同社を買収。2016年にネスト退社後、現在は投資・アドバイザリー会社フューチャー・シェイプを率い、約200のスタートアップ企業にコンサルティングとサポートを行っている。本書は初の著書。

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