〈老人と宇宙〉著者最新作、『星間帝国の皇女 ―ラスト・エンペロー―』試し読み(その3)
〈老人と宇宙(そら)〉シリーズで現代アメリカ屈指の人気作家となったジョン・スコルジー。その新シリーズの第1作となる『星間帝国の皇女―ラスト・エンペロー―』から、プロローグと1章の途中までの試し読みを、3回にわけてお送りしております。ローカス賞を受賞、ヒューゴー賞の候補にもあがった話題作です。本記事(その3)で紹介する1章では、物語のヒロインのカーデニアが登場します。お楽しみください。
ジョン・スコルジー『星間帝国の皇女―ラスト・エンペロー―』(内田昌之 訳)は、ハヤカワ文庫SFより12月5日発売予定です。
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父が亡くなるまでの1週間、カーデニア・ウー゠パトリックはほとんどの時間をそのベッドのかたわらで過ごした。父のバトリンは、身体の状態が医学で対処できる限界に達したのであとは緩和ケアしかないと告知されたときに、自宅のお気に入りのベッドで最期を迎えることを決めていた。カーデニアはしばらくまえから父の死期が近いことを悟っていたので、当面のあいだスケジュールをあけて、すわり心地のいい椅子を父のベッドのそばに置いていた。
「ここですわっているよりほかにすることはないのか?」バトリンが娘であり唯一残ったこどもでもあるカーデニアに冗談めかして言った。彼女は腰をおろして父との朝の語らいを始めたところだった。
「いまはありません」
「どうだかな。おまえはこの部屋を出てバスルームへむかうたびに、なにかの件でおまえのサインを必要としている取り巻き連中に呼び止められているにちがいない」
「いいえ。いまは幹部委員会になにもかもまかせてあるんです。しばらくのあいだ全体が維持管理モードに入っているので」
「わしが死ぬまで」
「お父さまが死ぬまで」
バトリンの笑い声は弱々しかった。いまはなにをするにもそんな調子だった。「残念だがそれほど先のことではなさそうだ」
「そのことは考えないようにしましょう」
「おまえがそう言うのは簡単だろうがな」ふたりのあいだに穏やかで親しげな沈黙が流れた。バトリンはなにかの物音に無言で顔をしかめ、娘に目を向けた。「あれはなんだ?」
カーデニアはわずかに首をかしげた。「あの歌声のことですか?」
「歌声が聞こえているのか?」
「お父さまのお見舞いに来た人たちが外に集まっているんです」
バトリンはこれを聞いて笑みを浮かべた。「ほんとうにそんな連中なのか?」
カーデニアの父親、バトリン・ウーは、正式には、アタヴィオ6世、相互依存する国家および商業ギルドの神聖帝国の皇帝(エンペロー)、ハブと提携諸国の王、インターディペンデント教会の長、地球の継承者およびすべての父、そして公家ウーの第87代皇帝だ。ウー一族はみずからの血筋をさかのぼるとインターディペンデンシーの創設者であり人類の救い主でもある預言者皇帝レイケラ1世にたどり着くと主張している。
「まちがいありません」カーデニアはこたえた。
ふたりが滞在しているブライトンは、ハブの首都であるハブフォールにある皇居で、バトリンのお気に入りの住まいだった。正式な玉座が置かれているのは重力井戸を数千キロメートルのぼったシーアン。そちらはハブの地表の上空に浮かぶだらんと広がった宇宙ステーションで、ハブフォールからだと巨大な反射板が暗闇にほうり出してあるように見える──というか、もしもハブフォールの大半が惑星の地表付近にあったらそんなふうに見えるだろう。ハブフォールは、ハブにあるすべての都市がそうであるように、惑星の岩盤を初めは爆破し、次いで掘り抜いて築かれていて、地表にはところどころに保守管理用のドームや建造物が点在しているだけだ。それらのドームは永遠のたそがれの中で夜明けを待っているが、潮汐固定された惑星ではけっして夜明けが訪れることはないし、仮に訪れたとしたら、ハブの市民は絶叫とともにグリルの中のジャガイモのように焼かれてしまうだろう。
アタヴィオ6世はシーアンが大嫌いで、どうしても必要なとき以外はそこに滞在することはなかった。もちろんそんなところで死ぬつもりもなかった。ブライトンこそが彼のであり、皇居の外側では、1000人以上の見舞いの人びとがゲートの近くに集まって、喝采を送り、ときには帝国国歌や〈あなたの言葉を〉という帝国フットボールチームの応援歌を合唱したりしていた。カーデニアは知っていた──あの見舞いの人びとは、ブライトンのゲートから1キロメートル以内の皇帝に声が届くところへたどり着くまでに、全員が厳しい検査を受けているのだ。中には報酬を受け取ってもいないのに姿を見せている者もいるらしい。
「報酬を支払う必要があったのは何人くらいだ?」バトリンがたずねた。
「ほとんどいませんよ」
「わしの母が死の床にあったときは喝采を送らせるために3000人全員に報酬を支払わなければならなかった。多額の報酬を」
「お父さまはおばあさまよりも人気があるんですよ」カーデニアは祖母の皇帝ゼティアン3世とじかに会ったことはなかったが、歴史に記された数々の逸話は気持ちのいいものではなかった。
「わしの母に比べたら岩のほうがまだ人気があるだろう。しかし、自分をごまかしてはいけないよ。インターディペンデンシーの皇帝で人気があった者などいない。それは職務明細書に載っていないのだ」
「少なくとも、お父さまはたいていの皇帝よりは人気がありました」
「だからおまえが報酬を支払う必要があったのは窓の外にいる連中の一部だけなのだな」
「お望みなら、その者たちは退去させてもかまいませんよ」
「いや。ちゃんと依頼に応じるかどうか見てみよう」
ほどなく、バトリンがふたたびまどろみ始めた。カーデニアは父が眠ったのをたしかめると、椅子から立ちあがって父の書斎へむかった。いまのところ一時的に使わせてもらっているだけだが、どのみちすぐに彼女のものとなるはずだ。父の寝室を出たとき、帝国医師キー・ドリニンに率いられた一団の医療専門家たちが、体を洗浄し、バイタルを確認し、快復の見込みがない苦痛の大きい不治の病と闘っている人にできるだけ快適に過ごしてもらうために、どやどやと押しかけていった。
書斎にはカーデニアが最近になって首席補佐官に任命したナファ・ドーグがいた。そのナファが見守るまえで、カーデニアは小さな冷蔵庫へ手を入れてソフトドリンクを取り出し、腰をおろして、缶をあけ、ふた口飲んでから、それを父のデスクに置いた。
「コースターを」ナファが上役に声をかけた。
「本気?」カーデニアは言った。
ナファは指差した。「そのデスクはもともとはチュリーヌ2世のものです。作られてから650年たっています。贈り主はのちの彼の妻となったジェネヴィーヴ・ンドンの父親で──」
カーデニアは片手をあげた。「わかった」彼女はデスクに手を伸ばして小さな革装の本をつかみ、自分のほうへ引き寄せて、その上にドリンクを置いた。だが、そこでナファの表情に気づいた。「今度はなに?」
「なんでもありません。ただ、あなたがいまコースターにしたのはチャオの『レイケラ教義に関する記録』の初版です。つまり1000年近くまえの本で、言語に絶するほど貴重ですから、その上にドリンクの缶を置くという行為は考えただけでも最高レベルの冒涜になるのではないかと」
「ああ、もうっ」カーデニアはドリンクをもうひと口飲んでから、それをデスクの脇のカーペットの上に置いた。「これでいいでしょ? まあ、カーペットがやっぱり言語に絶するほど貴重なものだったら話は別だけど」
「実を言えば──」
「この部屋にあるものは、わたしたちふたりをのぞけばたぶん何百年もたっているものばかりで、わたしの祖先のだれかが別のとてつもなく有名な歴史上の人物から贈られたものだから、値のつけようがないほど貴重か少なくともたいていの人間がその生涯で稼げる金額よりは高価だということを大前提にしない? この部屋の中にその条件に合致しないものはなにかあるの?」
ナファは冷蔵庫を指差した。「あれはただの冷蔵庫だと思います」
(続きは本篇でお楽しみください)
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『星間帝国の皇女―ラスト・エンペロー―』
ジョン・スコルジー 内田昌之 訳
ハヤカワ文庫SF 1160円(税別)
2018年12月5日発売 装画:Shinnichi Chiba
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