〈老人と宇宙〉著者最新作、『星間帝国の皇女 ―ラスト・エンペロー―』試し読み(その2)
〈老人と宇宙(そら)〉シリーズで現代アメリカ屈指の人気作家となったジョン・スコルジー。その新シリーズの第1作となる『星間帝国の皇女―ラスト・エンペロー―』から、プロローグと1章の途中までの試し読みを、3回にわけてお送りしております。ローカス賞を受賞、ヒューゴー賞の候補にもあがった話題作です。プロローグはそれ自体で短篇としても読める作品になっています。お楽しみください。
ジョン・スコルジー『星間帝国の皇女―ラスト・エンペロー―』(内田昌之 訳)は、ハヤカワ文庫SFより12月5日発売予定です。
プロローグ(承前)
ヒネオスとインヴァーは一瞬その場で立ちつくし、警報に呆然と聞き入っていた。それからふたりそろって持ち場に走って仕事にとりかかった。なぜなら〈テル・ミー・アナザー・ワン〉がフローから脱落するというのはまったく予想外のことで、もしも戻る方法が見つからなかったら、まちがいなく、全員が取り返しのつかないほど悲惨な目にあうことになるのだ。
では、ここで少しばかり背景説明を。
この宇宙には〝超光速〟の移動手段などというものはない。光の速度はただのいい思いつきではなく、法則だ。そこに到達することはできない。加速してそこに近づけば近づくほど、進み続けるために必要なエネルギーは増大するし、そもそもそんなに速く移動するのは恐ろしいことでもある。なにしろ宇宙はほとんど空っぽというだけであって、光速のそれなりのパーセンテージでなにかに衝突すれば、きみのもろい宇宙船など爆発する金属片の群れと化してしまう。それでもなお、宇宙船の残骸が当初の目的地を通過するまでには、何年、何十年、何世紀という時間がかかるのだ。
超光速の移動手段は存在しない。だがフローがある。
フローは、専門家ではない人びとには別の時空を流れる川と説明されており、これによって〝相互依存(インターディペンデント)する国家および商業ギルドの神聖帝国〟、略して〝インターディペンデンシー〟の全域で超光速の移動が実現している。フローは、恒星や惑星の重力がフローとうまい具合に作用し合って生み出される〝浅瀬(ショール)〟からアクセス可能で、宇宙船はそこへ滑り込んでよその恒星まで流れに乗っていくことができる。フローは、地球を失った人類の生存を確約した。フローがあるからこそ、インターディペンデンシーは交易によって繁栄し、人類のすべての居留地が生存のために必要な資源を確保できるのだ──自力では手に入れることのできない資源がほとんどであるにもかかわらず。
言うまでもなく、これはフローのとらえかたとしてはバカげている。フローは川になんか少しも似ていない──それは多次元の膜(ブレーン)に似たメタ宇宙論的構造体で、通常宇宙(ローカル)の時空とトポグラフィー的に複雑なかたちで交差しているが、重力の影響は部分的かつカオス的であってそれが主というわけではなく、そこにアクセスする宇宙船はふつうの意味で動いているのではなく、ローカル時空に対するベクトル的性質をうまく利用することで、スピード、速度、エネルギーに関するわれわれの宇宙の法則から解き放たれて、観察者の目には超光速で移動しているように見えるだけだ。
しかもそれでさえフローの説明としてはクソの役にも立たない。なぜなら人間の言語はツリーハウスの組み立てよりも複雑なものごとを説明するにはクソの役にも立たないからだ。フローを正確に説明しようとすると高次の数学がからんでくるので、インターディペンデンシー全域の数十億の人間の中でも、それを理解できるのはおそらく数百人くらいだし、まして意味がわかるように説明できるのははるかに少ない。きみはそのひとりではないだろう。それを言うなら、ヒネオス船長やインヴァー副長だってちがう。
だがヒネオスとインヴァーはこれだけは知っていた──船が唐突にフローから離れてしまうのは不可能に近いことであり、インターディペンデンシーでは何世紀ものあいだ話を聞くことすらほとんどなかった。フローでランダムな断裂が生じれば、人間の住む惑星や居留地から何光年も離れたところで船が立ち往生することはありえる。ギルドの船は数カ月どころか数年でも自活可能な設計になっているが──フローを使ってインターディペンデンシー内の各星系間を移動するのに要する時間には2週間から9カ月まで幅があるので、そうするしかない──5年とか、ギルドの最大級の船なら10年とか自活するのと、永遠に自活するのとはわけがちがう。
なぜなら超光速の移動手段は存在しないから。あるのはフローだけ。
もしも恒星間のどこかでランダムにフローからほうり出されたら、死んだも同然だ。
「現在地の測定値をくれ」インヴァーが自分の持ち場から呼びかけた。
「やってます」リカ・ダンが応じた。
「アンテナを展開して」ヒネオスが言った。「ほうり出されたのなら、出口のショールがあるということ。入口のショールを見つけないと」
「すでに展開中です」バーナスが自分のコンソールからこたえた。
ヒネオスは機関室への通話回線をひらいた。「ハイバーン機関長。本船は断裂によりフローから離脱した。ただちにエンジンを始動。極度の高G操船に対応できるだけのプッシュフィールド用エネルギーを確保しなさい。全員がゼリーになるわけにはいかないから」
「えーそのー」というのが返事だった。
「クソっ」ヒネオスはそう言って、インヴァーへ目を向けた。「彼はあなたの手下でしょう、オリー。あなたが指示して」
インヴァーが自分のほうで通話回線をひらいた。「ハイバーン、こちらはインヴァー副長だ。船長の命令がよく理解できないのか?」
「われわれは反乱中ではなかったんですか?」ハイバーンがこたえた。彼はエンジニアリングの天才で、その能力によりギルドの階級をのぼってきた。だが、彼はとても、とても若かった。
「本船はフローから脱落したんだ、ハイバーン。すぐに戻る方法を見つけなかったら、全員おしまいだ。だからいまはヒネオス船長の指示に従うよう命ずる。わかったか?」
「わかりました」一瞬おいて返事が来た。「実行中。緊急用エンジン・プロトコルを開始しました。5分で全出力です。ただまあ、これでエンジンはかなりひどいことになると思いますよ、副長。それと船長」
「それでフローに戻れるならそのとき考えればいい」ヒネオスは言った。
「準備ができたら連絡して」通話回線を閉じる。「えらくまずいタイミングで反乱を起こしたものね」彼女はインヴァーに言った。
「現在地がわかりました」ダンが言った。「エンドからは約23光年、シラクからは約61光年です」
「どこかにローカルの重力井戸は?」
「ありません、船長。もっとも近い恒星はおよそ3光年先の赤色矮星です。付近にはほかに影響をおよぼすようなものはありません」
「重力井戸がないのにどうやって出てきたんだ?」インヴァーがたずねた。
「エヴァ・ファノーチならその質問にこたえてあげられたかもしれない」ヒネオスは言った。「あなたが彼女を殺していなければよかったのに」
「いまはそんな話をしている場合ではないだろう、船長」
「ありました!」バーナスが言った。「入口のショールです、本船からの距離は10万キロメートル! ただ……」
「ただどうしたの?」ヒネオスはたずねた。
「ショールは本船から遠ざかっています。しかも縮んでいます」
ヒネオスとインヴァーは顔を見合わせた。ふたりの知るかぎり、フローの入口のショールと出口のショールは大きさも位置も固定されていた。だからこそ日々の商業輸送で利用することができるのだ。ショールが動いて縮むというのは彼らにとって初体験のできごとだった。
あとで考えればいい、とヒネオスは思った。「そのショールは本船からどれだけの速度で離れていて、どれだけのペースで縮んでいるの?」
「本船からは時速約1万キロメートルで離れていて、1秒ごとに約10メートルずつ縮んでいるようです」バーナスがしばらくしてこたえた。「速度にしても縮小率にしても、一定しているのかどうかはわかりません。あくまでも現時点の数値です」
「そのショールのデータを送ってくれ」インヴァーがバーナスに言った。
「あなたのお仲間に外で待つよう言ってくれない?」ヒネオスは武装したクルーを身ぶりでしめしながらインヴァーに言った。「ボルトスロワーで頭を狙われてるとうまく集中できないんだけど」
インヴァーは武装したクルーをちらりと見あげてうなずいた。彼らは隔壁の穴からブリッジの外へむかった。「近くにいろ」インヴァーは出ていくクルーに呼びかけた。
「ショールまでの進路を設定できる?」ヒネオスはたずねた。「閉じるまえに」
「ちょっと待ってくれ」インヴァーが言った。彼が作業をしているあいだブリッジに沈黙がおりた。「いけるぞ。ハイバーンがこれから2分間エンジンをもたせてくれれば、余裕をもって到達できる」
ヒネオスはうなずき、機関室への通話回線をひらいた。「ハイバーン、エンジンはどうなってる?」
「あと30秒です、船長」
「プッシュフィールドのほうは? 全速で突っ走る必要があるんだけど」
「各エンジンをどれだけ酷使するかによります。船を動かすことに全力を注ぐのなら、どこかからエネルギーを最後の一滴まで持ってくることになります。初めはほかのあらゆるところから持ってきますが、最後にはプッシュフィールドからになります」
「死ぬならゆっくりよりあっという間のほうがいいんじゃない、ハイバーン?」
「うーん」というのが返事だった。
「エンジン始動」インヴァーが言った。
「了解」ヒネオスは手元のスクリーンをつついた。「ナビゲーションはあなたにまかせるから」とインヴァーに告げる。「あたしたちをここから連れ出して、オリー」
「問題があります」バーナスが言った。
「そうでしょうね」ヒネオスは応じた。「今度はなに?」
「ショールが速度をあげていて縮むペースも速まっています」
「計算中」インヴァーが言った。
「まだたどり着ける?」ヒネオスはたずねた。
「おそらく。とにかく船の一部は」
「それはどういう意味?」
「ショールの大きさによっては、船の一部が取り残されるということだ。船には主軸とリングがある。主軸は長い針。リングは直径が1キロメートルある。主軸は通過できるかもしれない。リングはむりかもしれない」
「それでは船は破壊されます」ダンが言った。
ヒネオスは首を横に振った。「物理的な障害物にぶつかるわけじゃないから。ショールの円周の内側にないものはただ取り残されるだけ。カミソリで切断されるようなもの。リングの各スポークの隔壁を閉じれば生きのびられる」彼女はふたたびインヴァーに注意を戻した。「ただしバブルを形成できればの話だけど」
バブルというのは〈テル・ミー〉が生み出すエネルギーフィールドに囲まれたローカル時空の小さな包みで、フローに入るときは船に付き添うことになる。理論上、フローの内部に〝場所〟はない。時空のポケットをともなわずにフローへ入った船は、いかなる意味においても存在を停止する。
「バブルは形成できる」インヴァーが言った。
「まちがいない?」
「できなかったら、どのみち問題にはならない」
ヒネオスはこれを聞いてうめき、ダンに顔を向けた。「全船に警報を発令、すべてのクルーをリングから主軸へ脱出させて」ふたたびインヴァーに顔を戻す。「ショールに到達するまでの時間は?」
「9分」
「それよりもう少しかかります」とバーナス。「ショールはまだ速度をあげています」
「クルーには5分しかないと伝えて」ヒネオスはダンに言った。「そのあとリングを封鎖する。隔壁のまちがった側にいたら取り残されるかもしれないと」ダンはうなずき、船内へ告知を始めた。「あなたがそれぞれの船室に閉じ込めた人たちは解放してくれるんでしょうね」ヒネオスはインヴァーに言った。
「ピーターは溶接して閉じ込めた」インヴァーが言ったのは保安主任のことだ。彼は自分のモニタをにらんで〈テル・ミー〉の進路にこまかな調整を加えていた。「あれをなんとかする時間はないな」
「最高ね」
「ぎりぎりになるんだぞ、わかってるだろう」
「ショールの通過が?」
「ああ。それもリングを置き去りにしての話だ。船内にいるのは200人。食料や補給品はほとんどがリングにあるんだ。エンドまではまだ1カ月かかる。最高の状況でも全員が生きのびることはできない」
「ふん。あなたはあたしの体を最初に食べるつもりでいるんでしょうね」
「きみは尊い犠牲を払うことになるんだよ、船長」
「ジョークなのかどうかよくわからないんだけど、オリー」
「いまは自分でもよくわからないな」
「あなたのことが最初から気に入らなかったと伝えるならいまがよさそうね」
インヴァーはこれを聞いて笑みを浮かべたが、相変わらずモニタから注意はそらさなかった。「知っているよ、船長。それもわたしが反乱を承諾した理由のひとつだ」
「それと金と」
「ああ、それと金だ」インヴァーは認めた。「さあ仕事をさせてくれ」
それから数分間のインヴァーは、副長としてどれだけ不適格であろうと、ヒネオスがかつて見た中でおそらく最高の航宙士だという事実を証明し続けた。入口のショールは〈テル・ミー〉から一直線に逃げているわけではなかった。ひらひらと身をかわしたり、あちこちへジャンプしたり。その見えないダンサーをつかまえるには、フローが時空に接触する場所から発せられるほんのかすかな高周波の雑音を追いかけるしかない。バーナスがショールの位置を追跡して最新データを伝え、インヴァーがそれに応じて調整を加えながら〈テル・ミー〉を断固としてショールへ近づけていく。それは、ひょっとしたら人類の歴史上においてもトップクラスの偉大な宇宙飛行の実演だった。なにはともあれ、ヒネオスはその場に立ち会えたことを光栄に感じた。
「え──と、問題があります」臨時機関長のハイバーンの声が通話回線から流れた。「そろそろ各エンジンがほかのシステムのエネルギーを使うしかなくなってきました」
「必要なのはプッシュフィールドよ」ヒネオスは言った。「それ以外はぜんぶどうにかなる」
「ナビゲーションもいるぞ」インヴァーがやはり顔をあげずに言った。
「必要なのはプッシュフィールドとナビゲーション」ヒネオスは訂正した。「それ以外はぜんぶどうにかなる」
「生命維持はどうするんです?」ハイバーンが言った。
「これからの30秒を乗り切れなかったら、息ができようができまいが関係なくなる」インヴァーがヒネオスに言った。
「ナビゲーションとプッシュフィールド以外はすべて切って」ヒネオスは言った。
「了解」ハイバーンがそう言ったとたん、〈テル・ミー〉の船内の空気が冷たくむっとした感じになってきた。
「ショールの直径は2キロメートル近くまで縮小」バーナスが言った。
「ぎりぎりだな」インヴァーが認めた。「ショールまで15秒」
「直径1.8キロメートル」
「大丈夫だ」
「直径1.5キロメートル」
「バーナス、頼むから口を閉じてくれ」
バーナスは口を閉じた。ヒネオスは立ちあがり、服をととのえて、副長のかたわらに近づいた。
インヴァーは最後の10秒からカウントダウンを始め、6秒のところで中断して時空バブルを形成中だと告げたあと、残り3秒でまた再開した。ゼロの瞬間、ヒネオスはすぐ斜めうしろにいたので彼が笑みを浮かべているのが見えた。
「入った。ぜんぶ入ったぞ。船全体で」インヴァーが言った。
「みごとなお手並みね、オリー」ヒネオスは言った。
「ああ。ほんとにそう思う。自慢するわけではないが」
「どんどん自慢して。クルーが生きているのはあなたのおかげよ」
「ありがとう、船長」
インヴァーは笑顔のまま振り返り、ヒネオスはブーツから出したばかりのダートプッシャーの銃身を彼の左の眼窩に押し込んで引き金をひいた。ダートがやわらかなポンという音をたてて目の中へ突き刺さった。インヴァーはもうひとつの目に激しい驚きをあらわし、ぐったりと床にへたり込むと、絶命した。
隔壁のむこう側で、インヴァーの手下たちが警告の叫びをあげ、めいめいのボルトスロワーをかまえた。ヒネオスが片手をあげると、驚いたことに、手下たちは動きを止めた。
「この男は死んだ」ヒネオスはそう言ってから、もういっぽうの手をインヴァーの持ち場のモニタに置いた。「あたしはたったいま、船内のすべてのエアロックをバブル内へ吹き飛ばすコマンドを設定した。あたしの手がモニタから離れた瞬間、あなたたちを含めた船内の全員が命を落とす。だから今日はだれが死ぬのかを決めなさい──オリー・インヴァーか、あるいは全員か? あたしを撃ったら、みんなが死ぬ。あなたたちが10秒以内に武器を捨てなかったら、みんなが死ぬ。決めなさい」
3人はそろってボルトスロワーを捨てた。ヒネオスが身ぶりで指示すると、ダンが3人に近づいて武器を集め、1挺をバーナスに手渡し、もう1挺を船長に差し出した。ヒネオスはモニタから手を放して受け取った。手下のひとりがそれを見て息をのんだ。
「やれやれ、ほんとうにだまされやすいのね」ヒネオスはそう言うと、ボルトスロワーの設定を〝非致死性〟に切り替え、速射で3人を撃った。男たちは気を失って倒れた。
ヒネオスはダンとバーナスに向き直った。「おめでとう、あなたたちは昇進した。さてと。始末しなければいけない反乱者たちが何人かいる。仕事にかかりましょう」
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『星間帝国の皇女―ラスト・エンペロー―』
ジョン・スコルジー 内田昌之 訳
ハヤカワ文庫SF 1160円(税別)
2018年12月5日発売 装画:Shinnichi Chiba
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