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特集『コールド・コールド・グラウンド』⑤ 発見された奇妙な死体の謎とは?

大好評発売中の『コールド・コールド・グラウンド』より、前回の試し読みの続きを掲載いたします。

(承前)
「なるほど。場所は?」
「バーン・フィールド。テイラーズ・アベニューのそばだ。知っとるかね?」
「あい。警部は現場ですか?」
「今はフェアリーマウントのレディのお宅で電話を借りてる」
「レズのウケ(フェアリーレディ)、ですか?」
「いいからさっさと来い、馬鹿たれが」
「十分で行きます」
 電話を切った。こんなときはやはり、セルピコのひげがあればと思う。玄関の鏡に映る自分の姿を眺めながら、もっさりしたひげを撫で、思案に耽ることができる。
 仕方なしに、あごの無精ひげを撫でて考える。殺しにはうってつけのタイミングだ。ベルファストで暴動が起き、ハンストで死者が出て、哀れな老教皇が天国と地上のあいだをさまよっている今……そこから導き出される答えは……なんだ? 犯人の知性? 運?
 レインコートをつかみ、玄関のドアをあけた。キャンベル夫人はまだそこにいて、俺の反対側のお隣であるブライドウェル夫人と、俺の家を挟んでのおしゃべりに興じていた。
「またお出かけ?」とキャンベル夫人。「まったく、悪人っていうのは休むことを知らないのね」
「あい」俺はまじめな顔で言った。
 夫人はそのグリーンの瞳で俺を見つめると、左手に持っていた煙草の灰を指で叩いて落とした。股間のあたりで何かが疼いた。
「テイラーズ・アベニューで、ええと、殺人らしき事件がありまして。ちょっと見に行ってきます」
 キャンベル夫人もブライドウェル夫人もこれにはショックを受けたようだった。ということは、どうやら俺が警察に入ってから初めて、街の噂に先んじることができたらしい。
 ふたりと別れ、コロネーション・ロードを歩いた。雨はこぬか雨になり、夜は穏やかだった──音があまりによく響くので、遠くベルファスト中心部から、プラスティック弾の発射音が聞こえてくるほどだった。
 ずる賢い悪ガキどもが継ぎを当てたバレーボールでサッカーをしているのを横目に、南に向かった。かわいそうに、彼らの父親はみんな出稼ぎに行っているのだ。俺はやあと声をかけ、そのまま歩きつづけた。まったく同じ造りのテラスハウスがずらりと並んでいて、うち一軒は、歴代の持ち主が窓まわりを装飾し、増築し、サン・ルームを追加したせいで、おかしなことになっていた。
 バーン・ロードを右折し、ヴィクトリア小学校を突っ切った。
 駐輪場の壁に書かれたばかりの落書きは、教皇の暗殺未遂事件に対する喜びにあふれていた。〝トルコ1‐ヴァチカン市0〟。それから〝誰がヨハネ・パウロを撃ったのか?〟。どう見ても、アメリカのテレビドラマ『ダラス』のキャッチフレーズのパロディだ。
 奥のフェンスを越え、バーン・フィールドを横切った。
 正面にベルファスト湾の黒い岬が見えた。三機の軍用ヘリが海面すれすれの高さを飛び、バンガーからアードイン地区に兵士を運んでいる。
 空き地を突っ切り、呆けたような羊が一匹いるだけの原っぱを通った。スポットライトに電気を供給している発電機の音が聞こえてきて、ブレナンの姿が見えてきた。俺の知らない警官数人を率いている。鑑識官のマティ・マクブライドもいた。ジーンズにジャンパーという格好だ。鑑識官には新品の白いつなぎが支給され、着用を義務づけられているというのに。このものぐさに説教してやらなければならないが、ブレナンやほかの警官のいるまえではそうもいかない。
 俺が手を振ると、彼らは振り返した。
 トム・ブレナン警部は俺の上司であり、キャリックファーガス署を統括する責任者だ。もっと大きな署では警視が署長を務めるが、キャリックファーガス署は地域の本署でさえない。二カ月前に巡査部長に昇進したばかりの俺は、同階級のなかでは一番下っ端だが、署では上から四番目だった。キャリックファーガスは安全な管区であり、ここに転属になってから二週間というもの、署の大学のような雰囲気に感心することしきりだった。彼らのプロ意識については、必ずしもそうではなかったにしろ。
 泥がちな原っぱを歩き、ブレナンと握手した。
 卵型の顔をした大柄な男で、明るい茶色──ほぼブロンド──の髪、知的な青灰色の瞳。アイルランド人のようにも、イギリス人のようにも見えない。遺伝子プールのどこかにヴァイキングの血が混じっているのだろう。
 ブレナンは弱々しい握手は自分の権威を傷つけると考えるタイプの人間だった。すなわち、握手はすべからく激痛をともなうものであるべし。
 俺は痛みに顔をしかめながら手を離し、あたりにすばやく眼をやった。ブレナンとふたりの巡査は、大きなブーツやら手袋をしていない手やらで、犯行現場を荒らしきっていた。胸のうちでため息をつく。
「来たな、ショーン」とブレナンは言った。
「こんなところでお会いするとは。警部が現場に出ているということは、ちょっとばかし人手が足りていないようですね」
「そのとおりだ。みんな検問業務で出払っとる。今この瞬間、誰が店番してると思う?」
「誰です?」
「キャロルだよ」
「キャロル? なんてこった。IRAが宣言どおりミサイル攻撃をするつもりなら、今が絶好のチャンスですね」
 ブレナンは片眉をあげた。「ジョークもいいがね。情報によれば、IRAは実際にリビアからミサイルを箱買いしとる」
「警部がそう言うなら」
「クインとデイヴィーに会ったことは?」とブレナン。
 俺はふたりの予備巡査と握手した。当然、この先一カ月は会うこともないだろうが。
「君、拳銃はどうしたんだね?」ブレナンがドスの利いた、一本調子な東アントリム訛りで尋ねた。
 その声には改まった響きがあった。
「すみません、家に置いてきました」
「じゃあ、さっきの電話が誰かに脅されてかけたもので、ここで敵に待ち伏せされていたら、どうするつもりだったんだね?」
「死んでいたでしょうね」俺は馬鹿みたいに答えた。
「あい。だろうな。これは譴責(けんせき)と思え」
「正式な処分ですか?」
「もちろんちがう。だとしても、私なら軽くは考えないがね。連中は君を殺したがっとる。心の底から」
「でしょうね」と俺は認めた。誰もが知るとおり、IRAはカソリックの警官を裏切り者とみなし、賞金を懸けている。
 ブレナンは手袋をはめた大きな手を伸ばし、肉切り包丁のような指で俺の頬をつまんだ。
「我々としては、そんな真似をさせるわけにはいかん。ちがうかね?」
「ちがいません」
 ブレナンは俺の頬を思いきりつねると──これはほんとうに痛かった──指を離した。
「ならいいんだ。さて、この現場をどう思うかね?」
 鑑識官のマティが燃え尽きた自動車の前部席にもたれた遺体の写真を撮っていた。車は廃棄物の山に囲まれ、〈アンブラー〉の古工場の巨大な壁が落とす影に隠れていた。車種はフォード・コーティナ。数年前、いや、ひょっとすると数十年前に強奪され、破壊されたものだろう。今では錆びた彫刻と化し、フロントガラスもドアもホイールも失われている。
 俺のいる場所から、中ぐらいの長さの乱れた金髪が見えた。
 そこに近寄った。
 警察映画や泥棒映画のお約束──ごみ溜めに捨てられたブロンドの死体。被害者は決まって若い女だ。今俺たちの眼のまえに転がっているような、AC/DCのデニム・ジャケットを着た小肥りの金髪男じゃない。
 男は運転席に座っていた。首は片側に傾(かし)げ、頭蓋骨後部がなくなり、顔の一部は陥没している。まだ若く、おそらく三十代。ジーンズ、AC/DCのジャケット、黒いTシャツ、ドクターマーチンのブーツ。ほつれた髪は汚れ、乾いた血がこびりついている。鼻のすぐ右側にあざがある。両眼は閉じられ、頬はタイプ用紙よりも白い。
 車両は小高くなったところにあり、低いところには伸びきった雑草と野生のブラックベリーの茂みが生えている。バーン・フィールドを横切る抜け道からほんの数メートルしか離れていない。この抜け道はたくさんの人が使っており、俺自身も何度か使ったことがある。
 死体の首の皮をつまんだ。
 肉は冷たく、皮はこわばっていた。
 死後硬直が全速力で進んでいる。殺されたのはそうまえのことではない。今日の明け方ごろだろうか。昨日の深夜という線もありえる。
 犯人たちはガイ者をここまで連れてきてから射殺したか、あるいは先に射殺してから車でテイラーズ・アベニューに運び、ここまで引きずってきた。そういうことをするのにもってこいの場所だ。ここで殺したにしろ、ここに死体を遺棄しただけにしろ、遅い時間であれば誰にも見つからなかっただろう。しかし、陽が出れば、それなりに早い時間に誰かが見つけてくれる。ここから車で十分ほど行けば田園地帯に出るが、あちこちに軍の検問が張りめぐらされている今、犯人も用心するに越したことはなかったはずだ。
 今度は足跡を探した。数十の足跡が見つかった。マティとブレナンとふたりの予備巡査が、死体を検めるためにずかずかと足を踏み入れているからだ。みんな何もわかっていない。やれやれだ。まあいい。あと一、二週間もすれば、俺の実力も知れ渡っているだろうから、そのときに改めて〝犯罪現場の汚染〟についてセミナーをひらけばいい。
 車の周囲をまわりながらそこを離れ、工場の高い壁の上に登った。その壁とカシの木の太い枝が、一種の隔離された空間をつくっていた。以前はヤク中かティーンエイジャーのたまり場に使われていたようで、地面にマットレスが放置されている。ソファ。古いリクライニングチェア。ごみ。大量のフリーザーバッグ。皮下注射器。コンドーム。フリーザーバッグを拾い、やっとのことで開封してにおいを嗅いだ。シンナーだ。最近のものではない。どれも数カ月はまえのものだ。ティーンエイジャーたちは今では別のどこかに空き家を見つけ、そこでラリって次の世代を仕込んでいるのだろう。
 まわりからここが見えるかどうかを確かめた。
 車両は道路からも、バーン・フィールドのそばにあるバーレー・フィールドの抜け道からも見えた。
 彼らは──その〝彼ら〟が誰であれ──この死体を見つけてほしかったのだ。
 車両まで引き返し、もう一度死体を眺めた。
 白い頬、耳にピアスの穴。ピアスそのものはなくなっている。
 左手は死体の脇に垂れているが、右手は切り落とされ、足元のアクセルペダルの上に落ちている。ガイ者はまず胸を撃たれ、次に後頭部を撃たれた。切り落とされた手首の周囲に血痕はほとんどない。ということは、ガイ者の心臓が止まり、血液が送られなくなったあとに切られたのだろう。まだ生きているうちに切断されたのなら、ホシはふたり以上の可能性が高い。ひとりがこの男を押さえ、もうひとりが骨のこを振るう。が、まず射殺し、それから手を切り落としたのであれば、ひとりでも充分可能だ。
 お定まりのビニール袋を探した。六ペンス硬貨が三十枚、もしくは五十ペンス硬貨が三十枚入った袋を。けれど見つからなかった。タレコミ屋の処刑現場には銀貨三十枚が残されていることが多いが、必ずというわけではない。
 これが汚い金を受け取った手だ。そしてこれが、ユダが得た裏切りの対価だ。
 アクセルペダルの上に転がっていた右手首は心なしか小さく、もの悲しげに見えた。左手の拳は傷だらけだった。これまでに何度も殴り合いの喧嘩をしてきた手だ。
 右手のことで何かひっかかったが、それがなんなのかはこの時点ではわからなかった。
 息を吸い、ひとりうなずくと、立ちあがった。
「で?」とブレナンが訊いた。
「ただの交通事故ではないようです」
 ブレナンは笑い、首を横に振った。「犯罪捜査課の馬鹿たれどもは、そろいもそろって自分がコメディアンだと思っとるようだが、なぜだね?」
「重度の不安を隠したいからでしょう」
「そうか。で、何がわかった? 第一印象を聞かせてくれ」
「ガイ者は武装組織の末端の情報屋と思われます。警察だかイギリス人だかに情報を流していることがバレて、始末されたんでしょう。ホシたちは典型的なメロドラマ的手口でこの男をバラし、右手を切り落とし、その後、発見されやすい場所に死体を捨てた。メッセージがすぐに広まるようにです。死亡時刻は昨日の深夜といったところでしょう」
「どうして末端だとわかる?」
「あなたもマティも、それから私も、この男を知らないからです。そのへんの団地に住んでいる、けちなちんぴらでしょう。ここは通りから少し外れていますから、ホシは土地勘のある人間、少なくともキャリックファーガスの人間だと思います。マカリスター巡査部長ならガイ者の身元がわかるかもしれません。しかるべき筋と連携して、殺しを命じた黒幕を突き止めてみせます。通報したのは誰ですか?」
「匿名だよ」
「ホシからでは?」
「いや、犬を散歩させていた老婦人だ。テロリストが老婦人を殺し屋として雇うようになったというのなら、話は別だが」
「通報のあった時間は?」
「今日の午後六時十五分」
 俺はうなずいた。「ホシが見込んでいたのよりちょっと遅い時間だったでしょうが、いずれにしろ死体は発見された。明日には指紋を照合できているでしょう。この男の記録が残っているはずです。なかったら驚きですよ」
 ブレナンは俺の背中を力強く叩いた。「つまり、この事件(ヤマ)は君が担当してくれるんだな?」
「アルスター銀行の詐欺事件はどうします?」
「今、我々は崖っぷちに立たされている。その崖っぷちから戻ってくるまで、ホワイトカラー犯罪には待ってもらわなきゃならん」
「言い得て妙ですね」
「物事というのは、解決に向かうまえにいったんは悪いほうに向かうもんだ、そうは思わんかね?」
 俺はうなずいた。「ええ、思います」
「これまでに殺人を担当したことは、ショーン?」
「三回あります」
「それは連続殺人かね、それとも別々の殺しかね?」
「三つ別々の事件です」
「その三件の捜査の結果がどうだったか、訊いてもかまわんかね?」
 俺は顔をしかめた。「まあ、三件ともホシは突き止めました」
「起訴まで持ち込んだのは?」
「ゼロです。二件についてはちゃんとした目撃者がいましたが、誰も法廷で証言したがらないものですから」
 ブレナンは一歩うしろにさがり、一秒ほど俺をまじまじと見た。それから俺のレインコートに手をかけると、前身頃(まえみごろ)をひらいた。「そいつはまさかチェ・ゲバラか?」
「そうです」
「君のその服装はどうにかならんのかね? 拳銃も持たずに犯罪現場にのこのこやってきたかと思ったら、スニーカーにチェ・ゲバラのTシャツだと? いったい世界はどこに向かっとるんだ?」
「きっと、不幸な結末に向かってるんでしょう」
 彼は口元をほころばせ、それから頭を振った。「わからんな、ダフィ。君のような自惚れ屋がどうして警官になった?」
「制服が洒落ていたから? それか、毎朝出勤中に殺されるかもしれないというスリルを求めていたのかもしれません」
 ブレナンは嘆息した。「まあいい、このヤマは君に任せるとしよう」そう言って、彼は腕時計をこつこつと叩いた。「私はあそこのゴルフクラブでスコッチ・ソーダでも引っかけるよ」
「そのまえにひとつ質問があります。捜査には誰を使えばいいですか?」
「犯罪捜査課の人員なら、誰でも好きに使ってかまわん」
「俺たち三人のうちの誰でも、という意味ですか?」と、いささかの皮肉を込めて訊いた。
「君たち三人のうちの誰でもだ」ブレナンはきっぱりと言った。俺の言い草が気に入らなかったらしい。
「巡査を何人か、こっちにまわしてもらうことは──」
「できん! うちは今、聖歌隊の少年のケツの穴よりきつきつなんだ。君には君のチームがあるだろう。それでなんとかしろ。気づいとらんかもしれんが、暴動がいつ内戦に発展してもおかしくないんだ。〝我らのあとに洪水がやってくる〟。私たちは堤防の穴に指を突っ込んでその洪水を食い止めようとしとるオランダの子供たちみたいなもんだ。私たちは……あれだ、ええと……」
「警察隊(シン・ブルー・ライン)?」
「シン・ブルー・ライン! そのとおりだ!」
 ブレナンはチェ・ゲバラの顔のまんなかを拳でつついた。「ハンストが終わるまで、ベルファストからの応援は期待できん。でも、君ならなんとかできるはずだ。そうだろ、ダフィ巡査部長」
「ええ、できます」
「あい。何よりだ。でなけりゃ、ほかのやつに担当してもらう」
 彼はあくびをした。ひとり相撲に疲れたのだろう。「では、有能な君にお願いするとしよう。このヤマが我々に名誉をもたらすことはないだろうが、それはそれとして、きっちり捜査しなきゃならん」
「お任せください」
「頼んだぞ」
 ブレナンは手を振り、警察のランドローバーの背後に駐めてあった自分のフォード・グラナダに戻っていった。グラナダが視界から消えると、俺はマティを呼んだ。
「君はどう思う?」
 マティ・マクブライドは東ベルファストの出身で、二十三歳。親子二代で警官をしている。
茶色い巻き毛、鉛筆のように細い体つきに垂れさがった耳という、とぼけた外見。背は低く、おそらく百六十五センチ。小さくあどけない。ゴム手袋をはめ、鼻は赤く、それがどこか邪悪なピエロを思わせる。ハイスクール卒業と同時に警官になり、犯罪捜査課に入れるくらいには頭がよかったようだが、それでも俺は、細部に対するマティの集中力と注意力を大いに疑っていた。マティにはぼんやりしたところがある。神経質でもなければ、執念深くもない。それは鑑識官としては深刻なハンデになる。俺が放送大学(オープン・ユニバーシティ)で法科学の通信課程を取ったらどうかとやんわり提案したときも、マティは鼻で笑った。この若さにして、すでにカビが生えかけているのかもしれない。
「タレコミ屋の処刑か、プロテスタント系親英過激派(ロイヤリスト)の抗争か、そんなとこっすかね?」とマティ。
「あい。俺もそう思う。ここで射殺されたんだろうか?」
「そのようっすね」
「ガイ者をここまで連れてきて、助けを求めてなりふりかまわず叫ぶ男の手を切り落とした?」
 マティは肩をすくめた。「なら、別の場所で殺されたんでしょう」
「そうか。だとすると、どうしてわざわざ通りからここまで死体を運んできたんだろう?」
「わかりませんね」マティはげんなりした様子で言った。
「目立たせるためにだよ、マティ。ホシはこの男をすぐに見つけてもらいたかったんだ」
 マティはうなった。先生ぶられるのが気に食わないのだ。「毛髪サンプルや指紋の採取は?」
「まだっす。写真を撮ったらやるつもりでした」
「担当の病理医は誰だ?」
「キャスカート医師(せんせい)っす」
「優秀な男(やつ)か?」
「女ですよ。キャスカートは女っす」
 俺は眉をあげた。女の病理医なんて聞いたことがない。
「腕は悪くないっすよ」とマティはつけ足した。
 燃え尽きた車内をふたりで覗きながら、車の錆びた屋根にぽつぽつと落ちる雨音を聞いていた。
「仕事に戻りますね」とマティ。
「あい」
「ベルファストから応援は来てくれるんすよね?」追加の写真を何枚か撮りながら、マティが訊いた。
 俺はかぶりを振った。「いや、君と俺だけだ。そのほうがやりやすいだろ」
「まじか、じゃあこの仕事は俺ひとりでやれってことすか?」
「あそこにいる役立たずどもに手伝ってもらえ」
 マティは賛同しかねているようだった。「あいつらは一番冴えてるときでさえ、頭脳明晰ってわけじゃありませんからね。ひとつ質問です。警部からは撮影はほどほどにって指示されてますが、アップの写真はどうします? 必要なければ、撮りませんけど」
「撮影はほどほどに? なぜだ?」
「経費の問題っす。フィルム一本現像するのに二ポンドかかります。それにこいつは、たんなるタレコミ屋の処刑っすよね?」
 これにはむかっ腹が立った。王立アルスター警察隊は倉庫で腐らせておくだけの無意味な新装備には何百万ポンドと注ぎ込むくせに、殺人事件の捜査には数ペンスさえケチるというのか。
「フィルム何本分でもいいから好きなだけ撮れ。俺が払ってやる。人がひとり殺されてるんだぞ!」
「はいはい、わかりましたよ! そんなに怒鳴らないでください」
「雨に洗い流されちまうまえに証拠を集めとけ。あそこにいる無能な制服組にも手伝わせろ」
 俺はコートのボタンを留め、襟を立てた。雨はいよいよ本降りになり、冷え込んできていた。
「デカ長が残って手伝ってくれてもいいんすよ。ゴム手袋なら予備があります」
 俺は自分のこめかみをこんこんと指で叩いた。「そうしてやりたいのはやまやまだがね、俺の仕事はここを使うことなんだ。君の役には立てんだろう」
 マティは口をつぐみ、何も言わなかった。
「マティ・マクブライド巡査、今から君が現場責任者だ」俺は大きな、形式張った声で言った。
「はい」
「手は抜くな」低い声でそうつけ足し、踵(きびす)を返してテイラーズ・アベニューに戻った。そこに警察のランドローバーが駐まっていて、後部ドアがあけっぱなしになっていた。なかに運転手がいた。これまた俺の知らない予備巡査で、ケツをどっかりとおろして新聞を読んでいた。俺が窓をノックすると、巡査はぎょっとして顔をあげた。「おい、君。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を知らんのか! うしろのドアを閉めろ。すぐにだ。これじゃ待ち伏せの絶好のカモだぞ」
「わかりました、巡査部長」と巡査は言った。
 そのとき、ひとつひらめいた。「君、ヘッドライトで原っぱを照らしてくれないか?」
 ハイビームが照射され、マティのいるあたりが明るくなった。道路から死体までのあいだに血痕がないかどうか探してみると、案の定、ぽつぽつと血が垂れている場所があった。
「血痕があったぞ!」と、マティに向かって叫んだ。彼はうなずいてみせたが、俺が期待していたような興奮にはほど遠かった。俺は肩をすくめ、コートの最後のボタンを留めると、コロネーション・ロードを引き返した。すでに零時をまわっており、あたりは静まり返っていた。雨はみぞれになり、泥炭(ピート)の煙のにおいが頭に響いた。人っ子ひとりおらず、車もなければ、野良猫一匹とていない。プロディどものおそろいのベージュ色のカーテンはどこもぴったりと閉じられていた。
 つまり、俺がカソリックだってことは、この界隈のプロテスタントども全員に知れ渡っちまったのか? 気が滅入る。それはIRAが大枚をはたいて買いたがる類いの情報だ。もしここの連中に、その情報が売り物になると思いつくほどの想像力があるなら。
 庭の小径を歩き、家に入り、朱色のカーテンを引き、電気ヒーターを入れ、リビングで服を脱ぎ、古いバスローブを見つけた。ウォッカ・ライムをもう一パイントつくった。テレビ放送はもう終わっていて、三つのチャンネルすべてに試験用の静止画像が流れていた。《ダブル・ファンタジー》をレコード・プレーヤーにのせた。レバーを動かして連続再生モードにし、革張りのソファに腰をおろして眼を閉じた。
 西暦一九八一年の最も昏(くら)きアルスター。切妻屋根を打つ雨、湾沿いを飛ぶヘリコプター、たまさかの乱闘になりはてた暴動……
《ダブル・ファンタジー》の問題はその曲順にあった。ジョン・レノンの曲とオノ・ヨーコの曲が交互に挿入されているのだ。つまり、一度に四分以上はヨーコの曲から逃れられない。ボリュームを2に落とし、ソファ用の赤い毛布の下で丸くなり、ときどきウォッカ・ギムレットに手を伸ばしながら、C(チャーリー)中隊の男たちのように、その一線の縁(へり)にかろうじてぶらさがっている男たちしか眠りえない、深い眠りに落ちていった。

この時点では〝よくある〟抗争沙汰だとみなされていた事件は、ショーンが予想だにしない展開を辿ることに……。この続きは本篇でお楽しみください!

本noteでは『コールド・コールド・グラウンド』を特集中! 次回掲載は新進気鋭のライター、小野家由佳氏のレビューを掲載します!

【特集リンク】
特集① 大型警察小説 刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズ開幕!
特集② 物語は暴動の真っ只中から始まる——冒頭部公開!
特集③ ——何が起きてもおかしくない、極限状態の警察小説【評者:小財満】
特集④——音楽が聴こえてくるミステリだ【評者:糸田屯】
特集⑤ 発見された奇妙な死体の謎とは?

【書誌情報】
タイトル:『コールド・コールド・グラウンド』 
著者:エイドリアン・マッキンティ  訳者:武藤陽生
原題:THE COLD COLD GROUND  
価格 :1,000円+税  ISBN:978-4-15-183301-4


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