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怪物淑女たち最後の冒険! 『メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ』中野善夫氏解説

『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』から始まる、シオドラ・ゴスの〈アテナ・クラブ〉シリーズ最終巻『メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ』、2023年12月20日に発売です。
 本書には古典SFの名作や有名な探偵小説をモチーフに使っています(主人公メアリ・ジキルはスティーヴンスン『ジキル博士とハイド氏』のジキル博士の娘、などなど)。第一部『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』では、北原尚彦氏による解説で、主な登場人物の元ネタを紹介いただいています。第2部『メアリ・ジキルと怪物淑女たちの欧州旅行』も、さまざまな吸血鬼小説が登場していました(〈アテナ・クラブ〉シリーズのこれまでのあらすじはこちらの記事もご覧ください)。
 そして、最終巻となる本書『メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ』でも、いくつかのヴィクトリア朝小説を下敷きにつくられています。ネタ元の小説を知らなくても楽しめますが、知っていればより面白く読める! というわけで、本書巻末の解説でファンタジイ研究家の中野善夫氏に、登場人物のネタ元となる作品をご紹介いただきました!

解説

ファンタジイ研究家  中野善夫 

 メアリ・ジキルと〈アテナ・クラブ〉の面々の冒険もいよいよ完結篇となった。この本を手に取る日を今日か明日かと待っていた読者の方々も少なくないだろう。前巻の最後で厨房メイドのアリスが攫われたという連絡が入り、急遽ロンドンへ帰るメアリたちだったが、この巻ではアリスを連れ去った者どもと対決しその邪悪な企みを阻止してアリスを、そして前巻から行方不明になっていたシャーロック・ホームズを救出しなければならないのだ。メアリたちも冒険に慣れてきたのか、これまでよりさらに大胆に、さらに華々しく活躍する。
 この〈アテナ・クラブの驚くべき冒険〉では、主にヴィクトリア朝期に発表されたさまざまな作品の登場人物たちが姿を現し活躍するわけだが、本書でももちろん「こんなところにあの人が!」という楽しみに溢れている。そんな登場人物について紹介しておこう。本稿は解説なのだから、それが責務というものではないか。
 まず、前巻から引き続きの登場で、この巻では決定的な勝負にかかわるのがアッシャである。アッシャはH・R・ハガード(一八五六–一九二五)の『洞窟の女王』に登場する、二千年ものあいだ愛する男を待っていた古代アフリカの女王である。この作品は原題を She といい、一八八七年に出版された。アフリカの奥地に二千年も生きている白人の美しい女王がいるという噂の真相を確認するために探検に向かうのは、紀元前四世紀のギリシア人カリクラテスの生まれ変わりであるレオ・ヴィンシィである。二千年ぶりの再会のあと、幸せに暮らすという結末ではなく悲劇的な場面で終わっているのだが、一八年後に刊行される『女王の復活』では、アッシャはチベットで復活する。
 もう一人本書に登場するアフリカ出身の女王はテラである。テラはブラム・ストーカーの『七つ星の宝石』からやって来た。そう、『吸血鬼ドラキュラ』を書いたブラム・ストーカーの作品である。この The Jewel of Seven Stars は一九〇三年に刊行された。トレローニー父娘もこの作品の登場人物である。エジプト学者のトレローニーが何者かに襲われて昏睡状態になる。トレローニーがエジプトで発見した七本指のテラ女王のミイラと北斗七星が彫られた宝石が運び込まれていた館で。そのテラ女王が復活するときが近づいていた……という話。あと、エメラルドのスカラベが登場する。本書ではルビーだが。
 本書で重要な役割を演じる登場人物を送り込んでいるもう一つの作品は、アーサー・マッケンの「パンの大神」(一八九四)である。これは長篇小説ではなく、邦訳が文庫本で八〇ページほどにしかならない作品だが、それでも読後には長篇にも決して劣らない強烈な印象を残すのは間違いないだろう。私たちが見ている現実とは異なる、古代の神や精神の力の及ぶ世界を見ることができるようになる脳手術を、レイモンド博士がある少女に施すと、少女はおそらくその世界を垣間見た衝撃で正気を失なってしまう。その後しばらくして死んでしまうが、死ぬ前に女児を産み落とす。その娘ヘレン・ヴォーンは、美しく育つが周囲に恐ろしい事件を引き起こしていくことになる。発表当時は、穢らわしい、不道徳だといった厳しい批判にさらされたという。
 ドリアン・グレイとヘンリー・ウォットン卿は、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(一八九一)の登場人物である。ジュスティーヌがグレイと一緒に二週間アンティーブに行くと言っているのが心配でならない。ジュスティーヌはグレイの本性を知らないのだ。その本人の容姿に惑わされてはならない。肖像画を見て人間性を判断しなくてはならないと警告したくなってしまう。
 珍しく実在した人物が登場しているのはベルタ・ベンツ(一八四九–一九四四)である。カール・ベンツの妻で、実際に開発したばかりの自動車に乗って長距離旅行をしたという。さっぱり売れなかったベンツの自動車の宣伝のために夫に内緒で自動車旅行をして、それを記念したベルタ・ベンツ・メモリアルルートが、二〇〇八年にドイツ観光街道として選定された。残念ながらロンドンはコースに入っていない。
 ながながと登場人物たちがどこからやって来たのかという話を続けてきたが、これらの元になる話を読んでいないと本書を楽しめないというわけではない。この解説を読んで得られる程度の知識でも十分ではないだろうか。もちろん、知っていれば楽しいだろうし、これをきっかけに一八八〇–九〇年代の作品群に親しんでもいいだろう。
 それにしてもシオドラ・ゴスという人はヴィクトリア朝小説に詳しいねと思うかもしれない。それもそのはず、ゴスはボストン大学で英文学の博士号を取得しており、学位論文のタイトルは The monster in the mirror: late Victorian Gothic and anthropology (鏡の中のモンスター──ヴィクトリア朝のゴシック小説と人類学)(2012) なのだ。そしてこの学位論文を誰でもボストン大学のサイトからダウンロードして読むことができる。何と便利というか恐ろしい時代になったのだろう(私の学位論文もオンラインで読めるのだが絶対に検索しないように。ちなみにボストン大学ではない)。この論文でゴスは、十九世紀末にゴシック小説のリヴァイヴァルがあったこと(J・シェリダン・レ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』〔一八七二〕、ロバート・ルイス・スティーヴンスン『ジキル博士とハイド氏』〔一八八六〕、オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』〔一八九一〕、H・G・ウェルズ『モロー博士の島』〔一八九六〕、ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』〔一八九七〕)に注目し、二十五年間にこれだけの作品が発表された背景には、先史時代の遺跡ウィンドミル・ヒルの発見(一八五八)やチャールズ・ダーウィンの『種の起源』の発表(一八五九)などによって、聖書に基づいた人類史理解から科学的な知識と理論に基づいた人類学が人々の意識を変えたことがあると指摘している。
 二〇一八年のインタビュー(Locus, June 2018)でゴスは、この〈アテナ・クラブの驚くべき冒険〉は、ヴィクトリア朝当時の科学を描いていると述べている。今の知識で私たちはその多くが間違っていると知っているけれども、当時の人々にとっての真実に基づいたヴィクトリア朝サイエンス・フィクションのようなものを書いたのだと。歴史SFであり、サイエンティフィック・ロマンスである。魔法ではない。科学に基づいた論理的な説明なのだという。
 そして、ゴスはそこに登場するさまざまな女性怪物たちに興味を抱き、彼女たちが沈黙していることに気がついたのだという。彼女たちは自分の物語を語る機会がなかった。フランケンシュタインは怪物女を作ろうとするが気が変わって解体して捨ててしまう。女は存在することも許されない。モロー博士はピューマから女を作り、女は自由を獲得して博士を殺してから自殺してしまう。決して自ら語ることなく。ラパチーニは娘に対して強くしてやったんだと力説するが、そのせいで誰とも人間関係を築けなくなってしまうようなことを本人の同意なしに施しているのが問題だと指摘する。それは前巻のジュスティーヌの「わたしたちは選んでいません。知識を与えられることも同意を求められることもなく造られたんです」という言葉に繋がることになる。
 本シリーズの楽しさは、この独特の語り口にもあるだろう。登場人物の一人であるキャサリンが書いていることになっているが、〈アテナ・クラブ〉の誰もが途中で口を突っ込んでくる。この文体についてゴスは「この女性たちに話をしてほしかった。彼女たち自身の物語を語ってほしかった。それがこの本がこんなふうに書かれている理由の一つ。この本は女たちの声に関するものだから。女性にはたくさんの声があるから、彼女たちが全員で語る必要がある」と語り、さらに「私は手に負えないような女性たちが大好き。元になった短篇は対話がたくさんあって、しかもメタフィクショナルでもあったから、これをどうやって長篇にしたらいいのかと考えた。長篇小説の書き方がわからなかったから。今でもわかっていない。でも、この小説の書き方はわかった」と言っている。「この本を読んでいるときっと五人の女性と一緒に同じ家に住んでいるような気分に少しはなるはず」とも。最初はごく普通の三人称の叙述にしたらまったくうまくいかなかったらしい。
 どうも話が長くなってしまったようだ。もっとシオドラ・ゴスのインタビューを読みたければ、オンラインで無料で抜粋版が公開されているので読んでみると楽しめるだろう(https://locusmag.com/2018/06/96362/)。そんなわけで、これから本書を読もうという方はそろそろ最初のページを開いて、モンスター娘たちの声に耳を傾けよう。ページを捲っているうちに、〈アテナ・クラブ〉の彼女たちと一緒に同じ家に住んでいるような気分に浸れるだろう。すでに一度読んでいる読者の方は、もう一度。


『 メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ』
The Sinister Mystery of the Mesmerizing Girl
シオドラ・ゴス
鈴木潤 訳
装画/シライシユウコ  装幀/川名潤
解説/中野善夫
新★ハヤカワ・SF・シリーズ/電子書籍版
3,080円(税込)
2023年12月20日発売

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