“モンスター”令嬢とホームズ、ヴィクトリア朝ロンドンで大冒険!『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』北原尚彦氏解説
シオドラ・ゴスの長篇デビュー作にしてローカス賞受賞作『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』が発売となりました! 舞台はヴィクトリア朝ロンドン、父に続き母を亡くしたうら若き令嬢メアリ・ジキルは、殺人容疑で追われている謎の男ハイドに母が毎月謎の送金をしていたことを知る。いったいなぜ? メアリはロンドンで話題の名探偵シャーロック・ホームズとワトスンの力を借りて探り始めるが、背後にはさらなる巨大な謎が……。メアリのもとに集うのは、ハイドの娘、ラパチーニの娘、モロー博士の娘、フランケンシュタインの娘といった一癖も二癖もある“モンスター娘”たち。彼女たちは力を合わせて謎を解くことができるのか!?
本作の解説は、作家・翻訳家・そしてシャーロッキアンとして名高い北原尚彦さん。これを読めば本書が2倍も3倍も面白い!
解説
作家・翻訳家 北原尚彦
舞台はヴィクトリア朝のロンドン。父はおらず、母を亡くして途方に暮れている21歳の若き女性……というと、なんだかお涙頂戴な古臭い物語のように聞こえる。だがその名前を知れば、風向きが変わってくる。彼女の名はメアリ・ジキル。あのジキル博士の娘なのだ。しかも、殺人犯ハイドに関する情報を得て探偵のところへ相談に行くのだが、その探偵というのがシャーロック・ホームズ。さらにメアリのもとへひとり、またひとりと集まってくるのがハイドの娘、モロー博士の娘、フランケンシュタインの娘、ラパチーニの娘。彼女らは危険に直面しつつも、力を合わせてにぎやかに冒険し、〈錬金術師協会〉の謎を追う──こんな話が、面白くならないはずがない。それが本書『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』なのである。
作中の設定上では、この作品を書いているのは後に小説家になったモロー博士の娘。だがところどころでその原稿を読んだ仲間たちから物言い(というかツッコミ)が入って、そこがまた実に楽しい。
背景となるヴィクトリア朝は、19世紀にヴィクトリア女王が英国を統治していた時代(1837~1901)。英国は前世紀に始まった産業革命もあって科学技術を発展させ、工業力や輸送力、経済力を得て、世界各地に植民地を持ち“日の沈まぬ国”とまで呼ばれた。だが貧富の差は激しく、また科学と迷信が入り混じった、両極と混沌の時代だった。女性たちの権利がまだまだ認められず、男性に比べるとはなはだしく不平等だった。財産権においても女性は圧倒的に不利で、メアリもまたそんな中で悪戦苦闘している。
本作は、かようなヴィクトリア朝に花開いた大衆文学の、様々なキャラクターが大集合。その点においては、キム・ニューマンの〈ドラキュラ紀元〉シリーズや『モリアーティ秘録』と同趣向である。集合してチームを作る、という点においてはアラン・ムーア原作のコミック『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』の方が近いだろう。そのメンバーが女性ばかりである、という点ではシャーロック・ホームズ物「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラーを中心にしたラヴィ・ティドハー原作のコミックIreneが更に近い。
キャラクターたちの元ネタは有名作ばかりだとはいえ、一応説明しておこう。
主人公メアリ・ジキルは、ジキル博士の娘。その原典はロバート・L・スティーヴンソン(1850~1894)作『ジキル博士とハイド氏』(1886)だ。ジキル博士は善良なことで知られる高名な医者だったが、なぜか邪悪なハイド氏と付き合いがあることが判明するのだ。
ダイアナ・ハイドは、そのハイド氏の娘。荒々しく凶悪なハイドの血を継いだためか、ダイアナも乱暴極まりない。このハイド氏が「果たしてどうなったか」は、本作のストーリーにも密接に関わってくる。
本作を執筆している(という体の)キャサリンは、モロー博士の娘。その原典はH・G・ウエルズ(1866~1946)作『モロー博士の島』(1896)である。これは南洋の孤島に難破した男がモロー博士と出会い、博士が行なっていた動物を人間化する生物学実験を目撃するという物語。
ジュスティーヌは、フランケンシュタイン博士の娘。メアリー・シェリー(1797~1851)作『フランケンシュタイン』(1818)が原典。人間の生命の神秘に取り憑かれた男が死体を繋ぎ合わせて作り出した人造人間の物語。念のため言っておくと、“フランケンシュタイン”は人造人間ではなく、その創造者の名前だ。この作品のみやや古く、ヴィクトリア朝以前に書かれたものである。現在では、SFの元祖として認識されている。
ベアトリーチェは、ナサニエル・ホーソーン(1804~1864)作の短篇「ラパチーニの娘」(1844)が原典。これはジョヴァンニという青年がラパチーニ教授の美しい娘に恋焦がれるが、彼女は父親の実験により身体に毒を帯びていた、という話。同作は、創元推理文庫の『怪奇小説傑作集3 英米編Ⅲ』で簡単に読むことができる。
また、途中からはレンフィールドやセワード医師といった人物たちが登場する。彼らはブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』のサブキャラクターなのである。ドラキュラそのものではなく、彼らを出すあたりがなかなかニクい。
メアリたちを手助けするのは、ロンドンの名探偵──シャーロック・ホームズ! アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)の小説の主人公である。1887年に『緋色の研究』で初登場。1927年の「ショスコム荘」まで長篇・短篇あわせて60篇が発表された。帽子、インヴァネス・ケープ、パイプなどのイメージとともに、もはや“探偵”のアイコンとすら化している。他作家による二次創作(パロディ、パスティーシュ)は数え切れないほどだ。
シャーロック・ホームズをメインにせず、脇のキャラクターとして配する場合は、そのさじ加減が難しい。ほんのチョイ役だったり、原作とは違う人物造形になっていたりすることもある。だが本作では添え物ではなくてしっかり活躍するし、それでいて主役たちを食ってはいないし、人物像も原典からかけ離れてはいない。非常にバランスがよく、結果としてシャーロッキアンにも強くお勧めできる作品になっている。ホームズの相棒ワトスンも活躍するし、レストレード警部やハドスン夫人も登場。
ホームズは二次創作の中で、実在・創作上を問わず様々なキャラクターと共演・対決している。ローレン・D・エスルマンには『シャーロック・ホームズ対ドラキュラ あるいは血まみれ伯爵の冒険』という長篇があり、その続篇 Dr. Jekyll and Mr. Holmes (残念なことに未訳)ではジキル博士と対決している。
ジャン゠ピエール・ノーグレット『ハイド氏の奇妙な犯罪』もホームズ×ハイドなクロスオーバー・パスティーシュ。近年の作品だとガイ・アダムス『シャーロック・ホームズ 恐怖!獣人モロー軍団』では、ホームズがモロー博士の獣人と対決している。
モロー博士といえば。実はわたしもヴィクトリアンな怪奇幻想譚を幾つか発表しているのだけれど、『死美人辻馬車』収録の「蜜月旅行」が、『モロー博士の島』の後日譚として書いたもの。その中でネコ科の動物を獣人化した女性キャラクターを出しており、期せずして本作と附合していたことに驚かされた。
本書を読むに当たっては、原典となる作品を読んでいないと楽しめない、ということはない。必要な部分は、作中で語ってくれる(改変されている場合もある)。ただ、それら原典をまっさらな状態で読む楽しみを削がれたくない、という方は、先に読んでおいた方がいいだろう。
本作はジャンル的には、主にヴィクトリア朝をベースとした世界観に架空のテクノロジーや歴史改変などが導入された“スチームパンク”に分類されるだろう。とはいえ蒸気機関の過度の発達により我々の歴史以上に技術が進展しているとか、全く異なるエネルギー源が存在するということはないようだ。本作で空想の翼が広げられているのは、錬金術というか人体改造に関する医学的部分であり、これがメインテーマともなっている。
作者について。シオドラ・ゴス(1968~)は、ハンガリーのブダペストに生まれ、子供時代にアメリカへ移住。ヴァージニア大学で文学士号、ハーバード・ロー・スクールで法務博士号、ボストン大学で英文学修士号及び博士号を取得した才媛である。現在はボストンに在住し、ボストン大学で文学を教えている。英国の古典文学に造詣が深く、幻想的な作風を得意とする小説にもそれが現われている。2002年に短篇“The Rose in Twelve Petals”でデビュー。2008年には短篇「アボラ山の歌」で世界幻想文学大賞を受賞。2018年には本書『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』でローカス賞(第一長篇部門)を受賞したほか、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞でも候補になった。
小説家であるのみならず詩人でもあり、2004年と2017年には優れたSF、ファンタジイ、またはホラーの詩に与えられるライスリング賞を受賞している。
これまでに発表している長篇は以下の通り。
The Strange Case of the Alchemist’s Daughter (2017)(本書)
European Travel for the Monstrous Gentlewoman (2018)
The Sinister Mystery of the Mesmerizing Girl (2019)
これらはいずれも〈アテナ・クラブの驚くべき冒険〉シリーズで、三部作として完結した。他には短篇集や詩集が数冊あり、アンソロジーも編集している。
その作品は十以上の言語に翻訳されている。単行本の邦訳は本書が初だが、短篇はこれまでに幾つか邦訳されてきた。
「アボラ山の歌」(市田泉訳/〈SFマガジン〉2009年12月号)は、コールリッジの詩にまつわる物語。
「マッド・サイエンティストの娘たち」(鈴木潤訳/〈SFマガジン〉2012年7月号)は、本書の元になった短篇。こちらではもうひとり「ヘレン」という女性が登場するが、アーサー・マッケン「パンの大神」(創元推理文庫『怪奇小説傑作集1 英米編Ⅰ』所収)のキャラクターである。
「クリストファー・レイヴン」(鈴木潤訳/〈SFマガジン〉2013年2月号)は、ヴィクトリア朝の女子寄宿学校で起こった怪異奇譚。
「ビューティフル・ボーイズ」(鈴木潤訳/〈SFマガジン〉2015年12月号)は、アメリカの魅力的な若い男性はエイリアンであるという作品。「エイリアンが繁殖のために美女に化けて地球に潜入している」というパターンの裏返し。
〈アテナ・クラブの驚くべき冒険〉にはシリーズ第二作と第三作もある。是非とも日本語で読みたいので、読者諸氏にも応援をお願いしたい。