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#読書の秋2022 早川書房の「今こそ読んでほしい、この本」『羊飼いの暮らし』——あなたとだれかの大事なもの

ノンフィクション編集部 石川大我

以前お知らせしました通り、ことし早川書房は「#読書の秋2022 今こそ読んでほしい、この本」という企画に参加いたします。
本企画は、ひとことで言ってしまえばオンライン・読書感想文・コンテスト。各出版社が設定した課題図書に対する感想をnoteの記事として投稿していただき、その中でも特に素敵な感想文を寄せていただいた方には、オリジナルのグッズや新刊などのプレゼントを贈呈させていただく、という企画になります。
早川書房からは『羊飼いの暮らし』、『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』、『パン焼き魔法のモーナ、街を救う』の三冊を課題図書とさせていただいております。

今回の記事では、課題図書のひとつ、『羊飼いの暮らし——イギリス湖水地方の四季』(ジェイムズ・リーバンクス:著、濱野大道:訳)をご紹介させていただきます。
絵本ピーターラビット™シリーズの舞台としても有名なイギリス・湖水地方で600年以上続く羊飼いの家系に生まれ、オックスフォード大学に学んだ著者が、一家の歴史をたどりながら、羊飼いとして暮らす中で感じた想いを綴る傑作ノンフィクション。2017年に単行本を、2018年には文庫版を弊社から刊行しています。

電子版もあります!

さて、本書の魅力を簡単にまとめると、イギリスの羊飼いの話であるはずなのに、どこか日本に生きる我々にも共感できる魅力がある、ということになるかと思います。

え? ちょっと待って? ねえねえ、似たようなことを『エデュケーション』の紹介記事でも言っていたよね? さすがに手抜きじゃないの?

いやいや、決してそういうわけではないんです。

「ノンフィクション」は、その名の通り現実の様々な面を描き、読み手の現実への理解を深めてくれるジャンルです。ゆえに、読了後に著者と自分の心情とが地続きになっているような感覚を想起させ、よりよく現実を捉え直すための自然なヒントをくれる『エデュケーション』、そして『羊飼いの暮らし』のような作品には、ノンフィクションの本質に最も近い魅力が詰まっているのではないかとも思いますし、だからこそ紹介させていただく時には、そういった部分を正直に推していきたいのです。

では、具体的にどんな部分に共感できるのだろう? というところが気になってくるわけですが、著者が自らの大事なものについて書いている場面は、いずれもそれに当てはまるところかと思います。

初夏、羊の出産という大仕事が終わると、ほっと一息つける静かな時間がやってくる。この時期になると、祖父母は牧羊犬を散歩に連れていった。フェル麓の小道を一キロ半ほど行く散歩のほんとうの目的は、緑豊かな夏の農場の景色を愉しむことだった。眼下では、雌羊と子羊がおいしそうに草を食んでいた。夕暮れ時のフェルは、赤、オレンジ、青に煌めいた。花を咲かせた草が頭を垂らす牧草地には、紫のまだら模様が広がっていた。あたりには干し草のような甘い芳香がただよい、空気を舞う花粉さえ感じられそうだった。谷には、子羊を呼ぶ雌羊の鳴き声がこだましつづけていた。

『羊飼いの暮らし』p.91

実のところ『羊飼いの暮らし』では、著者が感じた好意や幸福がストレートに書き記されることはあまりありません。上で引用した箇所でも、彼の気持ちについて述べられてはいません。それでも、その素朴かつ繊細な文体、清らかで美しい筆致は、彼が自らの生まれ育った農場、農場で育った羊、そして羊と農場を守り続けてきた家族を心から愛していることを確かに伝えてくれます。
ひるがえって、彼は自らの大事なものに不幸が及んだ時、その悲しみや怒りを敢えて隠そうとはしません。たとえば……

私たちの農場の羊が回収されたのは、出産時期の真っ最中だった。妊娠中の雌羊はもちろん、すでに産まれた何匹かの子羊も荷台に載せた。これほどまちがっていると感じられることをしたのははじめてだった。これまでの教えのすべてに反することだと感じずにはいられなかった。
補償のための査定を託された競売人が農場にやってきたとき、彼は涙ながらに言った。「こんな優秀な血統の羊を殺すなんて犯罪だ」。処分された羊の多くは、祖父が一九四〇年代に買いつけた優れた雌羊の子孫たちだった。六〇年間の積み重ねは、わずか二時間で吹き飛んでしまった。
【中略】
最後のトラックが出発すると、私はみんなから離れてひとり納屋に行き、暗闇に坐って両手のなかに頭を埋め、泣きじゃくった。

『羊飼いの暮らし』pp.247-249

これは2001年にイギリスで口蹄疫が発生し、著者のみならず多くのファーマーが先祖から受け継いできた羊たちを殺処分しなければならなくなった時の場面です。「大事なもの」の種類がなんであれ、それらの価値を汚されるのを何もできずに見ているしかない瞬間は、誰にとっても辛く苦しいものかと思います。著者にとっては羊と家族と農場ですが、たとえば僕にとっては本を読むこと・本を作ることになりますし、読者の方々にとってもそれぞれの宝物があるはずです。

『羊飼いの暮らし』は、価値観が多様化する現代にあって、これを読んでくださるかもしれないあなたの、そしてあなたではないだれかの「大事なもの」との関わり方についてのヒントをくれる、今こそ読むべき魅力を持っている本かな、と思います。

それから、僕は『羊飼いの暮らし』の担当編集者なので、今回の企画を通じてこの本のどういった部分が愛されているのか、ということも知りたいのですが、それ以上に読者の方の「大事なもの」について教えていただくことができれば、このお仕事をやっていてよかったなあ、という気持ちになるんじゃないかな……と、密かに楽しみにしています。

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以上、『羊飼いの暮らし』を紹介させていただきました。がんがん読んで、どしどし御感想をいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします!

そして! なんと! 来年3月に! 続編である『English Pastoral: An Inheritance』(邦題未定)を刊行する予定となっております! おたのしみに!