歴史を書き、人生を創ることーー担当編集者が考える『エデュケーション』の魅力【近日刊行予定】
by ノンフィクション編集部 石川大我
「いや、君はそういうのが得意だと思う!」の一喝が編集部のフロアに轟き渡り、僕は今これを書くことになっています。お題は「担当編集者が考える『エデュケーション』の魅力」。なるほど。得意かどうかはともかくとして、『エデュケーション』は本当に良い本なので、その素晴らしさを伝えるためにも、書かねばならない、書かせていただきたい! という気持ちが燃え上がっているところです。これが残業中であることに目を瞑れば。
■■■■■
『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー、村井理子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は、アイダホ州の狂信的モルモン教徒・サバイバリストの両親のもとに生まれ、公教育を受けることを禁じられていた少女、タラ・ウェストーバーが、苦難と葛藤の末にケンブリッジ大学で博士号を取得するまでを描いた回顧録。
過酷な労働を強いられながら、まともな教育とはおよそ無縁の境遇に生まれ育っていたタラが大学への入学を果たした後、次々と新しいことを学び取り、自らの人生を創り直していく過程は、筆舌に屈しがたい感動を読者に与えてくれるものです。
しかしその過程は、常に順調というわけではありませんでした。両親の、家族の、土地の呪縛は、情け容赦なくタラを過去の世界へと引き摺り戻そうとします。彼女の未来をこじ開けるための合鍵である、歴史学の博士論文の提出日が間近に迫っていたとしても。
書きたいのに、書けない。
書かねばならないのに、書けない。
虐待同然の生活を送っていた幼少期よりも、自立のための能力を得たのにそれを十分に発揮することができなくなっているこの頃の方が、より大きな苦しみを味わっていたのではないかと僕は思うのです。あと少しで、もう少しで、自分が欲しい明日が待っているのに。
その一方で、そんな彼女が最後まで心を完璧に折られることなく、望んだ未来を勝ち獲ることができた理由の一つは、当時の彼女が求めていたのが「歴史を書く」ことそのものだったからではないかとも思っています。
歴史とは、書かれなければ何も残らない儚いものである反面、それを書いた人間には相応の重責を課し、人生の意味に対する永遠の再考を促し続けるものでもあります。おいおい、じゃあ書くだけつらいことが増えるだけ損じゃないか。そう思われる方もいるでしょう。ただ、歴史とは自分に連なる無数の人間の人生の集合体である、と考えてみると、少し見え方が変わってくるかもしれません。歴史を繙き、調べ、書く。その営みは、自分がどのように生まれ、どのように育ち、どのように生きていきたいのか、ということを多くの異なる視点から教えてくれるものです。また、それらは「つらいこと」と表裏の関係でもあるはずです。
博士論文を書き切ったこと、そして『エデュケーション』を上梓したことでタラが得たものは、名門ケンブリッジの博士号であるとか、全米400万部のベストセラーの著者という肩書であるとか、そういうものだけではないとも思うのです。
歴史を書くこと=人生を見つめ直し、創り直していくことの喜びと苦しみを、余すことなく伝えてくれる。それこそが、『エデュケーション』の一番の魅力だろうと僕は考えています。
■■■■■
最後にお知らせです。明後日の9/4(日)14:00から、『エデュケーション』文庫化記念 桜庭一樹×村井理子トークイベント 「あらかじめ壊されていたこの世界で」を開催します。翻訳と解説を担当していただいたお二方に、今回の記事ではあまり触れていなかった「家族」という切り口から、『エデュケーション』の更なる魅力を語り尽くしていただくオンライントークイベントとなっております。うおおおお! すごいぞ! 必見! 必聴!