【特別掲載】櫛木理宇『氷の致死量』連載第3回【増量試し読み】
映画『死刑にいたる病』の大ヒットを記念して、原作者の櫛木理宇さんによる最新傑作『氷の致死量』の本noteでの試し読みを特別に増量し、10回に分けて掲載いたします。読みだしたら止まらないノンストップ・シリアルキラー・サスペンス。毎日更新していきますので、お付き合いいただければ嬉しいです!(編集部)
『氷の致死量』
櫛木理宇
第2回「第一章 1」の続き
※本稿には残酷な場面があります。苦手な方はご注意ください。(編集部)
第一章
2
八木沼武史(やぎぬま・たけし)は人殺しだ。
生まれついての人殺しなのだ、と彼自身は自負している。
むろん目覚めるきっかけはあった。その日を境に、彼は本来の自分になった。人生の目的に開眼したのだ。殺す、という目的に。
八木沼の持論では、すべての人間は目的を持って生まれてくる。
たとえば四十年間公務員として暮らした男は、役所で公僕として働くために生まれてきた。医者は病気を治すために生まれ、建築士は家を建てるために生まれ、子持ちの専業主婦は新たな命を産み育てるため、この世に生を受けたのだと。
だがすべての人間が生産するため、治すため、もしくは直すために──つまり・社会に貢献するため・に生まれたのではないと八木沼は思っている。
──壊す人間だって、必要だ。
なにものをも生みださない人間、破壊するだけの人間、命を奪うだけの人間だって存在する。存在する理由がある。
そこにはきっと、大いなる意思の働きがあるに違いない。そう八木沼は信じていた。
大いなる意思というのは、神だの創造主だの、そういったものだ。
彼はそこで思考停止する。神が自分になにを望んでいるのか、なにを思って彼を“人殺し”に作ったのか、そこまでは考えをめぐらせない。考える意義を感じない。
彼は、神を心から信奉していた。この世には人智の及ばぬ偉大な存在があると、固く確信していた。
その一方で、八木沼は宗教を嫌っている。
金もうけのことばかりだからだ。あれをしたら地獄に落ちる。これをすると来世で不幸になる。そんな脅し文句ばかり並べて、他人からすこしでも金をかすめとろうとする。なんとも卑しいし、馬鹿馬鹿しい。
信仰と宗教は違う。似て非なるものだ。神を金と結びつけるやつらは、どいつもこいつもいやらしい糞虫(くそむし)だ。
神は八木沼武史をこういうふうに作った。それだけで充分だった。自分の存在そのものが、この世に神がおわす証明だと彼は思う。
──神がおれをこう作り、こう生かした。
おれはおれのままでいい。おれは神のご意志で生まれた。だからおれは、そのご意志に従ってさえいればいいのだ。
生まれて二十八年間、八木沼は一度も働いたことがない。
正社員として働くのはもちろん、アルバイトすら経験がない。なぜって、彼は働くために生まれた存在ではないからだ。彼の使命は殺すことであり、壊すこと、奪うことなのだ。
さいわい彼は金に不自由しなかった。
父方の祖父母が遺した、アパートや駐車場での不労所得がある。おかげで贅沢(ぜいたく)はできないまでも、とくに支障のない暮らしができている。この事実もまた、彼の仮説を裏付ける一因となった。
おれは金を稼ぐためあくせくしなくていい。そういうふうに生まれついた。なぜなら神が、おれに稼ぐ以外の使命を与えたがゆえだ──と。
八木沼武史は、いままでに四人殺した。
全員が女で、デリヘル嬢だ。男はひとりもいない。
そして八木沼自身は、一度も逮捕されていない。二度、三度と殺しを重ねるうち、殺しが巧くなった。スムーズで危なげない手口に進化していったのだ。
彼は独り暮らしである。田舎の一軒家に住んでいる。庭は広大で、すぐ裏は山だった。埋める場所はいくらでもあった。栄養豊富な土壌からは、春になると筍(たけのこ)や山菜が生え、秋には木の実やきのこが採れた。庭には美しい花が群れ咲いた。
発覚しないよう、それなりに計画は練った。
だが緻密ではない。八木沼はけっして利口ではなかった。賢くない自覚もあった。彼は小中学校を通して、ずっと劣等生だった。成績は地を這(は)った。
高校へはエスカレータ式で進んだものの、行く気をなくして中退した。だから彼は、ごく少数の例外を除いて、自分より利口な女を嫌っている。
──殺したのは、好きな女ばかりだ。
どの女も、彼を馬鹿にできるほど利口ではなかった。彼の下手な嘘にだまされる程度に愚かで、彼の与えるわずかな金にしがみつくほど不幸だった。
そんな彼が四人殺していまだ無事なのは、やはり神が味方したとしか解釈できまい。
皮肉なことに、時代もまた彼に味方した。
二〇〇五年の風俗営業適正化法の改正により、国内の性風俗産業は一気に無店舗化した。つまりデリバリーヘルスなどの「店舗はないが、スマホさえあれば買春できる」売り手がどっと増えたのだ。そこへ女性の貧困化、増える一方の学費、頻発した災害、インターネットの普及などが重なった。
結果、いまや性風俗の世界は一般女性であふれている。
田舎では真面目一辺倒だった女の子が「家賃が払えない」とファッションヘルスでバイトし、昼間はお堅い会社で勤める女性が「奨学金返済のため」と夜にソープで働く時代となったのだ。
とくに震災や豪雨などの大災害のあとは、「田舎じゃ食べていけない」と女性がやむにやまれず上京し、性風俗界に飛びこむのが常態となりつつある。
そんな時代に、八木沼の”殺し”はぴたりとはまった。
僥倖(ぎょうこう)すべてを彼は「神の意志であり加護だ」と信じた。殺せば殺すほど、彼の思いこみは強化され、自信はいや増した。
八木沼武史は幸福だった。満ち足りていた。
そしていまこの瞬間も、彼は幸福だった。
八木沼は自宅にいる。床とクイーンサイズのベッド一面にブルーシートを敷きつめ、その上で横向きに寝そべっている。
彼はまぶたを閉じ、己(おのれ)の親指をくわえて吸った。
あたたかだった。幸せだった。安らげた。
彼を包むそれはやわらかく、弾力があり、ねっとりとして、そして凄まじく臭かった。
すでに”四人目”はブルーシートに撒き散らかされていた。その上で彼は、全裸でまるまって転がっている。安らかな胎児のポーズである。
家具も家電も、あらかじめ大きなビニールで覆ってあった。”四人目”には「いつもの赤ちゃんプレイをしたいから」と説明した。排泄(はいせつ)をともなうプレイだ。もちろん割増料金は払う。この・四人目・とは、過去に六回楽しんできたプレイであった。
八木沼はさらに身を縮こまらせた。
残念ながら”四人目”は、急速に冷えつつあった。
つい二時間前まで生きていた・四人目・は、いまや人のかたちをしていない。腹を切り裂かれ、中身をそっくりブルーシートの上にぶちまけられている。腸は大便の悪臭を、胃は未消化物の悪臭をはなっていた。人間は死ぬと、あっという間に臭くなる。
──だが、まだあたたかい。
失われていく体温を惜しむように、八木沼はぬらぬらと体液にまみれたはらわたに頬ずりした。
いとおしかった。大便の悪臭も、髪をべとつかせる血も、空気の抜けたゴム風船に似た内臓の弾力も。すべてが美しくはかなく、猥雑(わいざつ)で、だからこそ尊かった。
「……ママ……」
八木沼は、うっとりと呻いた。
血にまみれた己の親指を吸う。いま一度、ちいさく呻く。
「……ママ、……ママ……。ああ、トガワせんせい」
──第4回へ続く
〈書誌情報〉
『氷の致死量』
櫛木理宇
早川書房 四六判並製単行本
定価:2090円(税込)
ページ数:416ページ
〈内容紹介〉
聖ヨアキム学院中等部に赴任した英語教師の鹿原十和子(かばら・とわこ)は、自分に似ていたという教師・戸川更紗(とがわ・さらさ)が14年前、学院で何者かに殺害された事件に興味をもつ。更紗は自分と同じアセクシュアル(無性愛者)かもしれないと。一方、街では殺人鬼・八木沼武史(やぎぬま・たけし)が、また一人犠牲者を解体していた。八木沼は亡くなった更紗にいまだ異常な執着を持っている。そして彼の5番目の獲物は、十和子が担任する生徒の母親だった……十和子と八木沼、二人の運命が交錯するとき、驚愕の真実が! 映画「死刑にいたる病」の原作者が放つ傑作シリアルキラー・サスペンス。
〈プロフィール〉
櫛木理宇(くしき・りう)
1972年新潟県生まれ。2012年『ホーンテッド・キャンパス』で第19回日本ホラー小説大賞・読者賞を受賞。同年、『赤と白』で第25回小説すばる新人賞を受賞する。著書に〈ホーンテッド・キャンパス〉シリーズ、『死刑にいたる病』(『チェインドッグ』改題)『死んでもいい』(以上2作ハヤカワ文庫刊)『鵜頭川村事件』『虜囚の犬』『老い蜂』『残酷依存症』などがある。2016年に『ホーンテッド・キャンパス』が映画化、2022年に『死刑にいたる病』が白石和彌監督映画化。『鵜頭川村事件』は入江悠監督でドラマ化が決まっている。