【試し読み】オランダ文学界の新星が、10歳の子どもの視点から描く”歪み”──ブッカー国際賞受賞作『不快な夕闇』(マリーケ・ルカス・ライネフェルト/國森由美子訳)
その年の優れた翻訳(英訳)小説に贈られる英国の文学賞、ブッカー国際賞。その2020年の受賞作『不快な夕闇』(オランダ語題:De avond is ongemak/英題:The Discomfort of Evening)がついに日本でも刊行となりました。
『不快な夕闇』は、オランダで詩人としても活躍するマリーケ・ルカス・ライネフェルトの長篇小説デビュー作で、オランダでは28万部を突破するベストセラーに。ブッカー国際賞を史上最年少の29歳で受賞したことでも世界の注目が集まりました。
日本語版は、ライデン在住の翻訳家、國森由美子さんによるオランダ語からの翻訳です。巻末には翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子さんの解説も入った貴重な一冊となりました。
この試し読み記事では、オランダの酪農家で暮らす主人公の日常を描いた第一章の一部を公開。「探究心に満ち、日常の中にある驚くべきものを見出す力と、詩的な視点によって、新たな世界が描き出される」とブッカー賞選考委員が絶賛した筆力が伝わってくる冒頭部分です。
また、物語にはオランダ特有の食べ物などが登場するため、このnoteでは参考の画像を挟んでいます(写真提供Ⓒ國森由美子)。合わせてお楽しみください。
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『不快な夕闇』
マリーケ・ルカス・ライネフェルト
國森由美子訳
第一章
1.
わたしがジャケットを脱がなくなったのは、10歳の時だった。あの朝、お母さんは凍るような寒さだからとわたしたちひとりひとりにおっぱいクリームを塗ってくれた。それはボゲナ社の黄色い缶にはいっていて、ふだんは乳牛たちの乳首のひび割れやたこやカリフラワーみたいな瘤の手当てに使われるだけだった。缶のふたは脂まみれで、食器ふきのふきんをかぶせてまわさなければ開けられなかった。
軟膏は乳牛の乳房のシチューみたいなにおいがした。塩こしょうした厚切りの牛のおっぱいとブイヨンの一緒にはいった鍋がキッチンで火にかかってたことがあったけど、それはもう、わたしの肌に塗られたくさい軟膏と同じくらいぞっとするようなものだった。それでもお母さんは、チーズの外側をさわったり軽くたたいたりして熟成してるかどうか確かめる時みたいに、わたしたちの顔に太い指で軟膏をごしごしすりこんだ。わたしたちの青白い頬っぺたはハエの糞だらけのキッチンの裸電球のもとでてかてか光った。電球にはもう何年も、きれいな花柄のランプシェードをつけるつもりでいたのに、村でそういうのを見かけてもお母さんはもっとほかのも見たいからって、もう3年もそのまんまだ。クリスマスの2日前のその朝も、わたしはお母さんの脂でぬるぬるの親指を目の穴に感じていて、あんまり強く押したら眼球がビー玉みたいに頭の内側にコロコロころがるんじゃないかと、ついさっきも心配になったところだった。お母さんはきっとこう言う。「そうやっていつもふらふら落ち着かない目をしてるからさ。よきクリスチャンが、いつ何時天が開けるかと神さまを見あげるみたいにじっと見つめるってことをしないんだから」でも、ここでは天を裂くのは吹雪だけで、アホ顔して眺めるものなんかなにもない。
朝食のテーブルの真ん中に、クリスマスの天使の絵柄の紙ナプキンをしいた葦のパンかごが置いてあった。天使たちはおちんちんの前をガードするようにトランペットやヤドリギの枝を持っていた。紙ナプキンを裸電球の光に透かしてみても、そこがどうなってるのか見えなくて、きっと、くるくるロール状のサンドイッチ用ハムみたいになってるんじゃないかと想像した。紙ナプキンの上に、お母さんはパンをきちんと並べていた。白パン、ケシの実つきの全粒パン、小粒の干しぶどう入りのローフパン。お母さんはローフパンのカリッとした表面に茶こしでパウダーシュガーをていねいにふりかけていた。それはまるで、今朝、牛舎へ追い立てる前に牧草地にいた、ブリスターヘッド種の牛たちの背にうっすらと積もっていた初雪のようだった。お弁当のパンの袋をとめるクリップは、必ずラスクの缶の上に置いてあった。そうじゃないとわたしたちがなくしちゃうからだ。結んで閉じると、結び目のところが悲しんでる顔みたいだとお母さんは思っていた。
「はじめにハムとかチーズのほう、甘いのはそのあとだからね」といつものようにお母さんは言った。それが決まりだった。そうすればわたしたちは大きく強く、そして、聖書のゴリアテみたいに大きく、サムソンみたいに強くなるというのだった。それと、大きなグラス1杯のミルクを必ず飲むことになっていた。それはたいてい、1、2時間前にタンクから出したなま温かいミルクで、たまにまだ黄色っぽいクリームの層があって、あんまりゆっくり飲んでるとそれが口の中の上あごにくっついたままになる。一番いいのは、目を閉じてグラス1杯ごくごくっと飲み干しちゃうことなんだけど、お母さんはそんなの失礼だって言う。ミルクを急いで飲むかゆっくり飲むか、牛の体を味わうかどうかなんて、聖書には書かれていないのに。わたしはパンかごから白いパンを1枚とって、上下をさかさまにお皿に置いた。そうすると、ちょうど小さい子の青白いお尻にそっくりで、そこにちょっとチョコレートペーストを塗ろうものならもうそのもの、兄さんたちもわたしもそれをいつもおもしろがった。兄さんたちは何度も「おまえ、また尻とか糞とかなめんのかよ」と言った。ただ、わたしはチョコレートぺーストの前に、まずハムとかチーズのほうを食べなくちゃいけなかったけど。
「金魚を暗い部屋に長いことずっと置いておくと、白くなるんだよ」わたしは一番上の兄、マティースに小声でささやきながら、パンの上にボイルソーセージのスライスを6枚、耳の内側にぴったりおさまるようにのせた。6匹のブタがいます。そのうち2匹は食べられてしまいました。さて、ブタは何匹残っているでしょうか? ひと口食べるごとに、頭の中で先生の声が聞こえた。あのくだらない計算問題って、リンゴとかケーキとかピザとかクッキーとか、なぜ食べ物と組になって出題されるのかよくわからないけど、とにかく先生はわたしがいつかは計算できるようになって、計算ドリルがいつか赤ペンまみれでなくなるのは無理だとあきらめていた。時刻の読み方を覚えるのも1年かかった。お父さんは何時間もわたしにつきあってキッチンのテーブルに学校の学習用の時計と一緒に座り、たまに絶望的になって時計を床に投げつけて、すると時計が壊れて中身がびよよんと飛びだしてベルが鳴りっぱなしになっちゃって……そして、いまでも時々、時計の針がミミズに見えたりする。魚釣りにいく時、牛舎の裏の土をピッチフォークで掘りかえして集めるあのミミズたち。あれって、親指と人差し指でつまむといろんな方向にくねくね蠢いて、何度か軽くたたくとようやく、ちょっとのあいだだけ静かになる。ちょうど、お菓子屋さんの〈ファン゠ラウク〉で売ってる、赤くて甘い、靴ひもをイチゴ味にしたみたいなグミそっくりだった。
「みんな一緒の時にないしょ話するなんて、いけないんだよ」と、キッチンのテーブルのわたしのむかい側のオブの隣りに座っている妹のハンナが言った。気に入らないことがあると、ハンナは唇を左から右へ動かす。
「ハンナのちっちゃい耳にはまだ大きすぎる言葉ってのがあって、その耳の穴にはいっていかないんだよ」口に食べ物をほおばったまま、わたしは言った。
下の兄のオブは退屈しのぎにグラスの中のミルクを指でかきまわして、ミルクの膜を引きあげるとそれをすぐにテーブルクロスになすりつけた。それは白っぽい鼻水みたいにこびりついた。汚ならしいったらない。そして、あしたはテーブルクロスのそっち側、干からびたミルクの膜がこびりついてるほうがわたしのところにくるかもしれないと思った。そうしたら、わたしは自分のお皿をテーブルの上に絶対置かないだろう。紙ナプキンは飾りのためで、朝食のあとにはお母さんがそれをきれいにのばしてキッチンの引き出しにもどすこと、汚れた指や口をふくためじゃないことをわたしたちはみんな知っていた。わたしはどこかで、紙ナプキンを蚊を握りつぶすみたいにクシャクシャにするのも、ナプキンにプリントされてる天使の翼が折れたり、天使の白い髪がイチゴジャムで汚れたりしてかわいそうだなとも思っていた。
「おれ、すげえ青白く見えるっていうんなら、家にいないで逆に外に行けって話だよな」とマティースはささやいた。そして笑って、〈デュオ・ペノッティ〉(ミルク・ホワイト2色が一緒に入っているチョコレートスプレッド)のミルクチョコの茶色いのが絶対つかないようにホワイトチョコのほうだけをめがけてナイフを突っこんだ。うちに〈デュオ・ペノッティ〉があるのは、学校の長いお休みの時だけだった。わたしたちはもう何日もお休みになるのを楽しみにしていて、こうして、クリスマス休みに突入したいま、ついに時が来たのだった。お母さんが紙の保護シートをはがして、ビンの縁にまだこびりついてるシールを取りのぞいてから、茶色と白のまだら模様をちょっとこっちに向けて見せてくれるのは、最高の瞬間だった。それは、世界にひとつしかない、生まれたての仔牛の模様みたいだった。ビンにはその週一番成績のよかった人が最初に手をつけていいことになっていて、わたしの番はいつも最後だった。
わたしは椅子の上で体をずらしながら前後に移動していた。つま先がすれすれのところでまだ床につかなかったから。みんなに家の中にいてほしくてしかたがなかった。パンにのせた6枚のボイルソーセージのスライスみたいに、家からはみ出さずにいるように。きのうの〈今週のまとめ〉で、クラスの担任の男の先生がしてくれた、南極のペンギンたちの中には魚をとりにいったままもどってこないのもいるっていう話、なにも意味もなく言ったんじゃないんだろうな。わたしたちは南極に住んでるわけじゃないけど、ここだって寒い。湖が凍っちゃって、牛たちの水飲み用のコンテナが氷だらけになるくらいに。
朝食のわたしたちのお皿の横に、水色のフリーザーバッグがそれぞれ2枚ずつ置いてあった。わたしはそれをつまみあげて問いかけるようにお母さんを見た。
「ソックスにかぶせて履くんだよ」お母さんがにっこりして頬っぺたにえくぼを作りながら言った。「そうしたらあったかいし、足も濡れないからね」そのあいだ、お母さんは、牛の出産の手助けをしているお父さんの朝食を用意していた。1枚パンにバターを塗り終えると、そのたびに親指と人差し指でナイフを先まですべらせて、指先についたバターをナイフの背でぬぐいとっていた。お父さんは、いまはきっと牛の横のミルクスツールに座って初乳を絞りとってるところだった。湯気のあがる牛の背の上に浮かぶ、いくつかの小さい雲。荒い息と煙草の煙。ふと、お父さんのお皿の横にフリーザーバッグがないのに気づいた。たぶん、お父さんの足は大きすぎるんだ。20歳くらいの時、刈り取り脱穀機の事故で変形した左足は特に。テーブルのお母さんの横には、朝作るチーズの味を調べる銀色のチーズの検査棒が置いてあった。お母さんは、チーズを切る前、表面のワックスの上から真ん中に検査棒を挿しこんでぐるぐる2回転させてから、ゆっくりと引きぬいた。そして、教会の聖餐式で白いパンを食べる時にじっと考えながら信心深くするみたいに、チーズをゆっくりと、中に入っているクミンのひと粒まで見つめて食べた。オブは一度、ふざけて言った。「イエスさまの体もチーズでできてて、だからおれたち、1日にチーズを2枚だけしかパンにはさんじゃいけないんだぜ。そうじゃないと、イエスさまの体があっという間になくなるんだ」
お母さんが朝のお祈りを唱えて「貧しき者にも富める者にも──あまたの者が悲しみのパンを食するあいだ、主はわれらにやさしく、よく糧を授け給うた」と神さまに感謝を捧げたあと、マティースは椅子を後ろに引いて、黒いスケート靴を首のまわりにひっかけ、お母さんが何人かの知り合いの家の郵便受けに入れるよう頼んだクリスマスカードをジャケットのポケットにつっこんだ。マティースは前にも湖に出かけたことがあった。そして友達の何人かと一緒にポルダースケート大会に参加していた。30キロのコースで、優勝者はマスタードつき乳房シチューのひと皿とパン、そしてその年の2000という数字の入った金メダルをもらった。わたしはフリーザーバッグもマティースの頭にかぶせてあげたかった。首のまわりにぎゅうぎゅう押しこんで長時間あったかくしていられるように。マティースはわたしの髪をぐしゃぐしゃっとかき乱した。わたしはすぐにまたもとどおりに直して、ついでにパジャマにちょっとついてたパンくずを払った。マティースはいつも髪を真ん中で分けて、前髪をジェルで固めていた。それは、お母さんがいつもクリスマスの頃にくるんとカールさせたバターが2つお皿にのってるのにそっくりだった。バターを容器からじかに取るのはお祝いらしくない、そんなのはふつうの日用だとお母さんは思っていた。イエスさまの生まれた日はふつうの日ではなかった。たとえ、それが毎年くり返し起こることじゃなくても。イエスさまがわたしたちの罪のために毎年死んでくださるんじゃないのと同じに。そんなの変なのとわたしは思っていた。そしてよく考えた──あの気の毒な男の人はもうとっくのむかしに死んでるのに、みんなそれを忘れちゃったにちがいない。だけど、そんなことは言わないようにしよう、じゃないとつぶつぶ飾りのついたクリスマスのリングクッキーもなくなっちゃうし、東方の三博士やベツレヘムの星のクリスマス物語を話してくれる人もいなくなる。
マティースは鏡の前で前髪のチェックをしようと玄関ホールへいった。そんなの凍るような寒さでカチカチになって、おでこにぺちゃんこになって張りつくに決まってるのに。
「一緒に行ってもいい?」とわたしはきいた。お父さんは屋根裏からわたしの木のスケート靴を持ってきて、茶色い革のバンドでわたしの靴にくくりつけた。数日前からわたしはもうスケートを履いて家じゅうを歩きまわっていた。両手を背中に当てて、床にあとをつけないようにと刃にプロテクターをつけて。そうしたらお母さんだって、スケート大会に出たいというわたしの願いを掃除機で吸い取って歩かなくてもすむし。わたしのふくらはぎは硬くなった。氷の上を折りたたみ椅子を押しながらでなくてもすべれるくらい練習した。
「いや、だめだ」マティースが言った。それから、わたしにだけ聞こえるように小声になった。「おれたち、むこう岸へ行くんだからさ」
「わたしだってむこう岸へ行きたい」わたしはささやいた。
「おっきくなったら、連れてってやるよ」毛糸の帽子をかぶると、マティースはにっこりした。歯の矯正ブリッジの青いゴムのジグザグ模様が見えた。
「日が暮れる前に帰るよ」マティースはお母さんにむかって声をあげた。そしてドアを開けるともう一度ふり返ってわたしに手をふった。この光景を、わたしはあとで何度も思い浮かべることになった。マティースの腕がもうあがらなくなるまで。そして、結局わたしたちはちゃんとバイバイって別れたんだったかなと疑問に思いはじめた時まで。
2.
うちのテレビには、ネーデルラント1と2と3の三つのオランダ国営放送しか映らなかった。お父さんによれば、そこには裸が出てこないからだという。お父さんは〈ヌード〉という言葉を、まるでさっきコバエが口の中に入っちゃってたみたいに、唾まじりに吐きだすようにして発音した。その言葉からわたしがまっさきに連想したのは、毎晩お母さんが水を張ったお鍋の中に皮をむいて裸にして放りこむジャガイモと、そのぽちゃんという水音だった。だけど、裸の人たちのことをあんまり長く考えてると、ちょうど〈エイヘンハイマー〉っていう種類のジャガイモみたいに、そのうち自分から芽が出て、ナイフのとがった先でそれを柔らかい身からほじくり出さなくちゃいけなくなるというのは想像できた。鹿の角みたいな緑の芽は、それが大好物のニワトリたちのエサにした。わたしは、テレビが収納してある楢のキャビネットの前で腹ばいになった。木のスケート靴の金具がひとつ、わたしが怒って居間の隅っこに靴をけっとばした時に棚の下にころがったのだ。わたしはむこう岸へ行くには小さすぎ、牛舎の裏の排水溝の上をすべるには大きすぎる。そもそも、そんなのはスケートとは呼ばないし、すり足で歩いてるのに近い。ガチョウたちがそこに降りてなにか食べるものはないかと探しているようなものだ。それに、氷の上のすべったあとからは牛糞のにおいが立ちのぼって、スケートの刃が薄茶色になる。村じゅうのだれもが行く大きな湖でのポルダースケート大会なんかじゃなく、すっかり着ぶくれしたわたしたちが排水溝の氷の上で草の生えてる両岸をよたよたと行き来している姿はおバカなガチョウたちみたいで、さぞみっともなかったにちがいない。
「マティースを見には行けない」お父さんが言った。「仔牛が1頭、下痢してるからな」
「だけど、約束したじゃない」と、わたしは大声をあげた。もう足にフリーザーバッグだって履いたのに。
「例外だ」お父さんは言って、頭の黒いベレー帽をまゆ毛まで引きずり下ろした。わたしは何度かうなずいた。例外にはかなわないし、牛たちが最優先だと決まっていたし、どっちみち、だれもそれに逆らえなかった。たとえ気を引こうとしなくても、お腹いっぱいのずんぐりした図体で牛舎の中にごろんと寝そべっていても、例外を手に入れるのは牛たちだった。わたしはふくれっ面で腕組みをした。せっかくフリースラント地方伝統の木のスケート履いて練習したのに、なんの意味もなかった。わたしのふくらはぎは玄関ホールにあるお父さんと同じくらい大きな陶器のイエスさまのよりももっと硬かったのに。わたしはフリーザーバッグをわざとゴミ箱に投げ捨てた。そして、お母さんが紙ナプキンみたいにまた使おうと思っても使えないように、コーヒーかすやパンくずの奥のほうにぎゅうぎゅう押しこんだ。
キャビネットの下は、ほこりっぽかった。ヘアピン、干からびたレーズン、レゴブロックが見つかった。お母さんは親戚や教会の長老たちがやってくる時にはキャビネットの戸を閉めた。お客さんたちには、晩にわたしたちが神の道からはずれてテレビを見ているのを知られてはいけなかった。というのも月曜日にはお母さんは決まって言葉あてクイズ番組の〈Lingo〉を見ていて、わたしたちはみんな、お母さんがアイロン台のむこうから言葉を当てられるよう、物音も立てずにしんとしていなくちゃならなかったから。正解が出るたびに、アイロンのスチームの音が聞こえて、シュッと蒸気があがった。たいていは、聖書の中に出てくる言葉じゃなかったけど、お母さんは知っているみたいだった。お母さんはそういう言葉を赤くなる言葉と呼んでいて、なぜかというと頬が赤くなるからだけど、それでも知っているみたいだった。オブが一度、テレビの画面が真っ黒な時に話してくれたけど、テレビは神さまの目で、お母さんがキャビネットの戸を閉めたらそれは、神さまにわたしたちを見られたくないからだって。お母さんはそういう時、わたしたちのことを決まって恥ずかしく思っていた。なぜかというと、〈リンゴー〉がついてる時間じゃないのに赤くなるような言葉をわたしたちが大声で口にしたりしたから。そしてお母さんは、わたしたちのちゃんとした通学用の服から油汚れや泥を洗い落とすように、わたしたちのあごのあいだに固形のグリーンソープを挟みこみ、そんな言葉を口から洗い流そうとした。
わたしはスケート靴の金具を見つけようと床を手で探った。寝そべっているところからキッチンを見ていたら、突然お父さんの牛舎用のグリーンの長ぐつが冷蔵庫の前に現れるのが見えた。長ぐつの側面には藁の穂や牛糞がこびりついていた。きっと、野菜室のニンジンの葉っぱを取りにきたんだろう。お父さんはつなぎの作業服の胸のポケットにいつも入れているひづめナイフで葉っぱを切り取っている。そして、もう何日も冷蔵庫とウサギ小屋を行ったり来たりしていた。ハンナの七歳の誕生祝いの時のケーキの余りだったトムプース(オランダ独特のミルフィーユ風なケーキ)まで持っていっちゃった。わたしは冷蔵庫を開けるたびに、それを食べたくてたまらなかった。どうにもがまんできなかったから、ピンクのアイシングの隅っこをこっそり爪で削りとって口に入れたり、冷蔵庫に入ってるあいだに固まってきた中のクリームの層に指で穴をあけて、人差し指に黄色い帽子がのってるみたいにした。お父さんは気づかなかった。「なにか思いこんだらわき目もふらず突き進むんだから」親戚のうち、信心深いほうのおばあちゃんがお父さんのことをそう言った。それで、わたしは疑った。お父さんはわたしが隣りのリーンおばさんにもらったウサギをあと二晩寝たらやってくるクリスマスディナーのために太らせてるんじゃないかと。そうじゃなければ、お父さんがウサギの世話に忙しいなんてことは一度もなかったし、小型の家畜はお皿に盛る料理むきだとお父さんは考えていて、目の前ぜんぶがそれだけになるほど大きな動物だけがお父さんは好きだったから。わたしのウサギはその半分もない。お父さんは一度「体の中で一番折れやすい部分は首の骨だ」と言った──その時、お母さんがひとつかみのヴァーミセリ(スープなどに入れると短時間で火の通る極細のパスタ)をお鍋の上で手で細かく砕くような、ポキンという首の骨が折れる音が頭の中に聞こえた──そして、屋根裏の柱にはついこのあいだから輪っかの結び目のあるロープがかかっていた。「ブランコ用のだ」とお父さんは言ったけど、いまだにブランコはなかった。なぜ、そのロープがふつうにドライバーやお父さんのボルトコレクションのある物置きにじゃなくて屋根裏にかかっているのか、わたしにはわからなかった。そして思った。たぶん、お父さんはわたしたちに見せようとしているんだ。たぶん、わたしたちが罪深かったらそうなるんだ。一瞬、首の折れたわたしのウサギが屋根裏のマティースのベッドの裏側で、ロープにだらりと吊りさがっているところが思い浮かんだ。そうするとお父さんがウサギの皮を剥ぎやすいのだ。きっと、朝お母さんがジャガイモの皮むき用のナイフでボイルソーセージの皮をはがし取るみたいにするんだろう。わたしのウサギのディウヴェルチェは、ただ、バターを薄くしいた大きなシチュー鍋に入れられて、キッチンのガスの火にかけられるんだろう。そうして、家じゅうにウサギの焼けるにおいがするんだろう。わたしたちミュルダー家はみんなして、遠くからにおいをかいで、クリスマスディナーのしたくができて、あとは取り分けるだけだ、腹ぺこにしておかなきゃってわかるんだろう。わたしは、いつもならエサを節約しなくちゃいけないのに、ディウヴェルチェにはいまや、ニンジンの葉っぱをあげてからさらに計量容器にまるまる1杯すくってあげていいことになっていたことに気づいた。オスだったけど、テレビ番組〈シンタクラース子どもジャーナル〉(聖ニコラース祭の期間〔11月上旬から12月6日〕に毎年放映される子ども向けの番組)の司会のくるくるヘアーの女の人の名をつけたのは、その人がとてもきれいだと思ったからだった。プレゼントのウィッシュリストには、真っ先に〈ディウヴェルチェ〉と書きたくてしかたがなかったけど、もうしばらく待つことにした。それに、おもちゃ屋さんのプレゼント候補カタログにもディウヴェルチェが載ってるのをまだ見たことなかったし。
わたしのディウヴェルチェには、ただ単に、ウサギを食べなくたっていいという以上の気持ちがあった。それははっきりしてた。だからわたしは、朝ごはんの前にお父さんと一緒に外にいた牛たちを冬のあいだの世話のために牛舎の中へ誘導しにいった時、ほかの動物のことを提案した。わたしは牛追い棒を持っていた。一番いいのはわき腹を棒でぴしっとたたくことで、そうすると牛たちは歩き続ける。
「クラスの子たちは、カモとかキジとか七面鳥とか、そのお尻のところからジャガイモやニンニクや、ネギとかビーツとかをいっぱいに、もうはちきれそうになるまで詰めたのを食べるんだよ」
わたしは横からお父さんを見た。お父さんはうなずいていた。村には、いろんなうなずきかたがあった。それだけでもだれかわかった。わたしはもうみんなのを見て知っていた。お父さんのは、家畜商の人にもするやつで、安すぎる値をオファーされたけど、それはかわいそうな牛に欠点があるからで、これを逃すともうずっとそのままになっちゃうから受け入れなくちゃいけない時のうなずきかただった。
「キジだらけだよ、ヤナギ畑のところが」とわたしは言って、家の左側の木が生い茂ったあたりを見た。木のあいだや地面の上にキジたちがいるのをわたしは時々見ていた。キジたちはわたしを見るとまるで石がぽとんと落ちるみたいに突然木から落っこちて地面の上で死んだみたいに動かないままになって、わたしが近くに見えなくなるとようやくまた頭をもたげた。
お父さんはまたうなずいて、牛追い棒を地面に当てると「シィィィィッ、ほらいくんだ」と牛たちを追いたてた。こんなことを話したあと、わたしは冷凍庫の中を見た。でも、合いびき肉とスープ用野菜のパックのほかには、カモもキジも七面鳥もなかった。
お父さんの長ぐつがまた見えなくなった。キッチンの床には、藁の穂が何本か残ってるだけだった。わたしはズボンのポケットに金具を入れると、靴を脱いでソックスで階段を上って、裏の敷地を見渡せるわたしのベッドルームへ行った。ベッドの縁のところにうずくまりながら、さっき、牛たちを牛舎に入れてモグラ罠を点検するために牧草地へもどった時、お父さんがわたしの頭の上に置いた手のことを考えた。もし獲物がかかっていなければ、お父さんの手はズボンのポケットの中にキュッと差しこまれたままで、それはごほうびをねだるなという意味で、そうでない時、つまり獲物がかかって、お父さんと一緒に錆びたドライバーでこじあけて、ねじれて血だらけの体を引き出す時とはちがうのだった。わたしは、小さな命がなにも知らずに罠にかかったのを目にして涙が頬っぺたを流れるのをお父さんに見られないようにと、前かがみになってその作業をした。お父さんがその手で、チャイルドロックつきの窒素のビンのふたをねじって開けるのと同じようにわたしのウサギの首をひねるところが目に浮かんだ。そうするのが、たったひとつのやり方なんだろうと思う。そしてお母さんが、死んだディウヴェルチェを銀のお皿にのせるところも。ふだんは日曜日に教会に行ったあと、ヒュザーレンサラダっていう、具のたくさん入ったポテトサラダを盛りつけるお皿の上に。お母さんは、マーシュの葉っぱをしいた上にウサギをのせて、キュウリのピクルスやトマトの切ったのやスライサーでラペにしたニンジン、タイム少々で飾りつけるだろう。わたしは自分の両手を、そのぐにゃぐにゃした輪郭をじっと見た。その手は、ものをしっかり持つ以外のことに使うには、まだ小さすぎた。わたしの手はお父さんやお母さんの手の中にまだおさまるけど、お父さんやお母さんの手はわたしの手の中にはおさまらない。それが2人とわたしのちがいだった。2人はウサギの首のまわりや、塩水の水槽の中でひっくり返したばかりのチーズに手をかけることができる。2人の手はなにかを探していた。だけどもし、人や動物を愛情のこもった手でつかむことができなくなったら、放してあげたほうがいいし、もっと別のことに使うほうがいい。
わたしはベッドの縁におでこをどんどん強く押しつけた。そして肌に冷たい木が押しつけられるのを感じながら目を閉じた。お祈りって、たぶん、暗闇で光るわたしのグロウ・イン・ザ・ダークのかけぶとんみたいなものだとはいっても、暗いところでしなきゃいけないなんて変だと時々思った。ただ、それなりに暗ければ星や惑星は光るんだし、夜から守ってくれる。神さまに祈るのも同じにちがいない。わたしは指を組み合わせた自分の手を膝の上に置いた。そして怒りながらマティースのことを考えた。いまごろマティースは氷の上に出ている屋台の一軒で、ホットチョコレートを飲んでいるんだろう、頬っぺたを赤くして大会に参加しているんだろう、そして、あしたには氷が解けはじめるだろう、と。あのくるくるヘアーの司会の女の人は、屋根がつるつるすべって霧が出るから、シンタクラース(聖ニコラースのこと。米国のサンタクロースのもととなったとも言われているが、基本的にクリスマスと直接の関わりはない)のお供のピートたちの足もとが危ないし道に迷うかもしれませんと、注意を呼びかけてた。マティースだって、自分のせいだとしてもそうなるかもしれない。わたしは、グリースを塗って箱に入れてまた屋根裏にしまうだけになっている目の前のスケート靴をしばらく見ていた。そして、自分がいまのところはまだ小さすぎること、でも、いつになったらちゃんと大きくなるのか、それがいったいドアの柱の何センチのところなのかだれも教えてくれなかったことを考えた。そして、神さまに祈った。「どうか、わたしのウサギではなく、兄のマティースを連れていってくださいませんでしょうか、アーメン」
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続きは本書でお楽しみください。
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