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【本屋大賞翻訳小説部門第1位受賞作、待望の文庫化】この少女を、生きてください──『ザリガニの鳴くところ』試し読み公開

2022年には映画化され、全世界での売り上げが2200万部を突破した、ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』。2021年には本屋大賞翻訳小説部門を受賞した本作が、2023年12月に待望の文庫化!
過酷な境遇を生き抜く少女の成長と村で起こる不審死事件を豊かな自然描写で包み込んだ傑作である本書の魅力をお伝えするため、冒頭部分試し読みを公開いたします。翻訳は友廣純さん、解説は山崎まどかさんです。

河出真美さん(梅田 蔦屋書店)によるレビュー
北上次郎さん(書評家)による「勝手に文庫解説」先行掲載
友廣純さん(翻訳家)によるあとがき

ザリガニの鳴くところ


プロローグ 1969年
 湿地は、沼地とは違う。湿地には光が溢れ、水が草を育み、水蒸気が空に立ち昇っていく。緩やかに流れる川は曲がりくねって進み、その水面に陽光の輝きを乗せて海へと至る。いっせいに鳴きだした無数のハクガンの声に驚いて、脚の長い鳥たちが──まるで飛ぶことは苦手だとでもいうように──ゆったりとした優雅な動きで舞い上がる。
 そして、その湿地のあちこちに、本当に沼地と呼べるものがある。じめじめした木立に覆い隠され、低地に流込んだ水が泥沼を作っている。泥だらけの口が日差しを丸呑みにするせいで、沼地の水は暗く淀んでいる。夜に活動する大ミミズでさえ、この隠れ家では昼のあいだも動きまわる。もちろん無音というわけではないが、沼地は湿地と比べて静かでもある。分解は細胞レベルの現象だからだ。生命が朽ち、悪臭を放ち、腐った土くれに還っていく。そこは再生へとつながる死に満ちた、酸鼻なる泥の世界なのだ。
 1969年10月30日の朝、その沼地に、チェイス・アンドルーズの死体が横たわっていた。沼地はひっそりと、だが着実に死体を引きずり込み、それを永遠に包み隠してしまうはずだった。沼は死というものをよく知っていて、それを悲劇と決めつけることも、むろんそこに罪を見出すこともない。しかし、この日の朝は村の少年が2人、自転車を走らせて古い火の見櫓にやって来た。そして3つめの踊り場まで階段を上ったところで、アンドルーズのデニムの上着に目を留めたのだった。


1 母さん 1952年
 8月の暑さに焼かれた朝、湿地が吐き出す湿り気を含んだ息で、オークやマツの木々には霧がかかっていた。パルメットヤシの木立はいつになく静まり返り、ただわずかに、潟湖を飛び立つサギのゆったりした低い羽音だけが漂っていた。と、そのとき、当時まだ6歳だったカイアの耳に、力まかせに玄関の網戸を閉める音が聞こえてきた。スツールに立って鍋にこびりついた粥をこすっていたカイアは、はたとその手を止め、盥に溜めた使い古しの石けん水にそっと鍋を下ろした。もう、自分の息遣いのほかは何も聞こえなかった。誰が小屋から出ていったのだろう? 母さんではないはずだ。母さんは、一度だってドアを乱暴に閉めたことはない。
 しかし、ポーチに駆け出たカイアが目にしたのは、茶色いロングスカートを穿いた母親の姿だった。足首にまとわりつくプリーツを蹴り上げるようにして、ハイヒールで砂の小道を進んでいく。それはつま先がずんぐりとした、ワニ革風の靴だった。母さんが1足しかもっていない、よそ行きの靴だ。大声で呼びたかったが、父さんを起こしてはいけないので、カイアは網戸を開けて煉瓦と板切れの階段に降り立った。そこからだと、母さんが青い旅行鞄を手にしているのも見て取れた。いつもなら、カイアも子犬のような無邪気さで、母親はそのうち戻ってくるはずだと信じることができた。油の滲んだ茶色い紙に包まれた肉やら、チキンやらを手に、うなだれた頭をゆらゆらさせて帰ってくるだろうと。でも、そんなときはワニの靴は履いていないし、旅行鞄ももっていなかった。
 母さんは、小屋から延びる小道が通りにぶつかるところで、決まってこちらを振り返った。片腕を高く上げて白い手をひらひらさせ、また歩きはじめる。通りは湿地の林やガマの生えた潟湖のあいだをくねって延び、たぶん──潮の具合さえよければ──そのうち村にたどり着く。けれど、今日の母さんは立ち止まらなかった。轍にふらつきながらどんどん歩いていった。ときおり、背の高いその姿が林の切れ目から見えていたが、ほどなくして白いスカーフが木の葉のすき間にちらりと覗くだけになった。カイアは大急ぎで通りが見通せる場所へと走った。母さんもそこでならきっと手を振ってくれるだろう。だが、駆けつけたカイアの目が捉えたのは、青い色の旅行鞄だけで──森とはぜんぜん合っていない色だった──それもすぐに消えてしまった。ずっしりとした、黒い粘
土のような重しが胸を押してくるのを感じながら、カイアは階段に戻って待つことにした。
 カイアは5人きょうだいの末っ子で、もう年齢もよく思い出せないが、兄や姉は自分よりずっと歳が上だった。5人は母さんや父さんと、飼育小舎のウサギみたいにぎゅう詰めになって暮らしていた。家は粗末な造りの掘っ建て小屋で、虫除け網で覆われた玄関ポーチが、まるでぎょろりと見開かれた目のようにオークの木の下から外をうかがっていた。
 いちばん年齢の近い兄であるジョディが、と言っても7つほど上だが、家から出てきてカイアのうしろに立った。カイアと同じ黒い目と黒い髪をもつジョディは、鳥の鳴き声や星の名前や、ススキを避けてボートを進める方法を教えてくれる兄だった。
「母さんは戻ってくるよ」ジョディが言った。
「どうかな。ワニの靴を履いてったよ」
「母親は子どもを置き去りにしたりしない。そういうものなんだ」
「赤ん坊を捨てたキツネの話をしてたじゃない」
「ああ、でもあの雌ギツネは脚にひどい怪我を負っていたんだよ。子ギツネのぶんまで獲物を獲ろうとしたら、自分も飢え死にしていただろう。置き去りにしたほうがましだったのさ。自分の傷を治して、ちゃんと育てられるようになってからもっと産むほうがよかったんだ。だけど、母さんは飢えてなんかいない。だから戻ってくるよ」本当はジョディにもまるで確信などなかったが、カイアのためにそう言ったのだった。
 喉がきゅっと締めつけられ、カイアは小さな声でささやいた。「でも、母さんはあの青い鞄をもってたの。どこか大きな町へ行くみたいに」

 小屋の前にはパルメットヤシの木立があり、ヤシは砂地にも緑豊かな潟湖の周りにも、その先にも、湿地のありとあらゆる場所に生えていた。何キロにもわたって茂る剣のような草は、塩水でも育つ丈夫さを備え、それが途切れるのは風の形に歪んだ樹木が立っているところだけだった。小屋の裏手に広がるオークの林は、いちばん近くの潟湖をも鬱蒼と取り囲んでおり、湖面ではたくさんの生き物が波に揺られていた。そして、その林の向こうの海からは潮風とカモメの声が流れてきた。
 このあたりの土地所有の形態は、1500年代からほとんど変わっていなかった。湿地に散らばる所有地は法的に境界が定められているわけではなく、たんに自然の状態──ここは小川が境になっているとか、あそこには枯れたオークの木があるとか──に従って、無法者たちの手で線引きされていた。というのも、こうした泥だらけの土地にヤシの木の小屋をかけて暮らそうなどという人間は、誰かから逃げてきたとか、人生そのものがどん詰まりに至ってしまったような者ばかりだったからだ。
 湿地は入り江の多い複雑な海岸線に護られていて、初期の調査隊はこの海岸を〝大西洋岸の墓場〟と呼んだ。のちにノース・カロライナ州の海岸となるこの一帯では、潮衝や暴風、浅瀬などが原因で、船がまるで紙の帽子のようにあっけなく難破したからだった。ある船員は日誌にこう記している。〝海岸線に沿って探したが──接近できる場所は発見できなかった──。猛烈な嵐に巻き込まれ──我々と船の安全を考えると外海に逃れるしかなく、また、急激に潮に流されたため──。
 その土地は──湿地帯で沼が多く、我々は船に引き返した──。このような失望は、この地域に入植するならば今後も味わうことになるだろう〟
 まともな土地を求める調査活動はその後も続けられ、一方、評判の悪い湿地はというと、反逆した水夫や追放者や債務者のほか、意に染まない戦争や徴税、法律から逃げてきた者たちなど、種々雑多な人間をすくい上げる網になった。マラリアにかかったり沼に呑まれたりせずにどうにか生き延びた者たちは、やがて複数の人種や文化が混在する森の部族を形成した。彼らはちょっとした林なら手斧ひとつで伐り拓くことができたし、シカを背負って何キロも移動することができた。そしてそれぞれが川に棲むネズミのように縄張りをもっていた。と言っても、あくまで目立たぬように生きねばならなかったし、そうでなくとも、いつかは沼底に消えるしかない運命だったのだが。それから200年ほど経つと、そこに逃亡した奴隷が加わり、湿地に逃げ込んだ彼らは〝マルーン〟と呼ばれるようになった。解放後の奴隷もやはりこの水浸しの土地のあちこちに住みついたが、それは彼らが無一文で生活に行き詰まっており、選択肢がほとんどないからだった。
 たぶん、そこはみすぼらしい不毛の地に見えたのだろう。だが、本当は痩せた土地などただの一片もなかった。実のところ、陸地にも水中にも、多様な生き物──砂にうごめくカニ、泥のなかを歩きまわるザリガニ、水鳥、魚、エビ、カキ、肥ったシカ、丸々としたガン──が、幾重にも積み重なっていたのだから。自力で食糧をかき集めることをいとわなければ、この地で飢える者などひとりもいなかっただろう。
 そして1952年のいま、湿地の所有地のなかには、記録に残らない人々によって途切れ途切れに、4世紀もの年月を越えて受け継がれた土地があるのだった。また大半の所有地は、南北戦争以前まで起源を遡ることができた。それ以外はもっと最近になって人が住みついた土地で、とりわけ、人々が傷つき打ちひしがれて帰還した2つの大戦のあとに定着した例が多かった。湿地は彼らを閉じ込めるのではなく、境界線を与え、ほかの神聖な土地と同様に彼らの秘密を深いところに隠してくれた。彼らが勝手に住みついたことを気にする者もいなかった。なぜなら、その土地を欲しがる人間などほかにはいなかったからだ。結局のところ、そこは不毛の泥沼でしかなかったのである。
 湿地の住人は、彼らが造るウィスキーのように自分たちの法を密造した──石板に焼きつけられた戒律でも、文書に書き記された法典でもないが、それはもっと深く、彼らの遺伝子に刻み込まれていた。タカやハトの卵からかえったかのような、古(いにしえ)より伝わる自然の法則とも言うべきものだ。追い詰められ、窮地に陥り、あるいは孤立無援になったとき、人はただ生き延びることを目指して本能を呼び覚ます。素早く正確に。彼らにとって、その本能は常に切り札となる。安穏と生きてきた遺伝子に比べ、彼らはより頻繁に本能を次の世代へと受け渡してきたからだ。これは道徳レベルを問うような話ではなく、単純に頻度の問題だと言えるだろう。彼らが生きる世界では、ハトであってもタカと同じように戦わねばならないことが多いのだ。

 その日、母さんは帰ってこなかった。誰もそのことに触れようとはしなかった。とくに父さんは。魚とお酒の臭いをぷんぷんさせて、鍋の蓋を乱暴に開けた。「メシはどうした?」
 兄さんも姉さんも目を伏せて肩をすくめた。父さんはひとしきりわめき散らし、それからまた小屋を出て、足を引きずりながら林の向こうへ去っていった。喧嘩ならこれまでにもあったのだ。母さんが飛び出していったことも一度か二度はあった。けれど、そんなときでも母さんは必ず帰ってきて、誰かを抱え上げてきつく抱き締めたものだった。 
2人の姉が赤インゲン豆とコーンブレッドの夕食を作ったが、母さんがいるときのようにきちんとテーブルに着いて食べる者はひとりもいなかった。みんな自分で鍋から豆をすくい、その上にコーンブレッドを載せ、床のマットレスやすり切れたソファに散らばって食事をとった。
 カイアは食べる気になれなかった。ポーチの階段に坐って小道を見つめつづけた。カイアは6歳にしては背が高く、がりがりに痩せた体は褐色に焼けており、まっすぐな髪はカラスの羽のように黒くて豊かだった。
 いつしか夜の闇が視界を遮るようになった。足音を聞き取ろうにも、にぎやかなカエルの声がそれを呑み込んでしまう。それでも、ポーチにある自分の寝どこに横たわりながら、カイアは耳を澄ましていた。その日の朝、カイアは鉄のフライパンの上ではぜる背脂の音と、薪のオーブンでこんがり焼かれるビスケットの匂いで目を覚ましたのだった。オーバーオールを穿き、キッチンに駆け込んで皿やフォークを取り出した。トウモロコシ粉からゾウムシもつまみ出した。夜明けのひととき、母さんはたいていにっこり笑ってカイアを抱き締め、「おはよう、私の大切なお嬢ちゃん」と挨拶した。それから2人でくるくると、ダンスを踊るように朝の用事を済ませるのだ。母さんはときどきフォークソングや童謡を口ずさむ─〝この子ブタちゃん、市場へ出かけた〟。カイアの手を取ってジルバを踊ることもある。そんなときは、ラジオの電池がなくなり、流れる音楽が樽の底から漏れる鼻歌のようになるまで、2人で薄い床板を踏み鳴らす。母さんが大人の話をする朝もあった。内容はよくわからないが、きっと母さんはそれを口に出さなければならないのだと思い、カイアは調理ストーブに薪を足しながらその言葉が肌に染み込んでくるままにした。そして、理解しているかのように頷いてみせた。
 それから、いよいよみんなを起こして食事が始まる。ただしそこに父さんはいない。父さんには、2つの姿しかない。むっつりしているか怒鳴っているかのどちらかだ。だから、父さんが寝てばかりいても、まったく家に帰らなくても、ちっともかまわなかった。
 けれど、この日の朝、母さんは押し黙っていた。笑顔が消えて目も赤かった。海賊みたいに頭に白いスカーフを巻きつけ、おでこをすっぽり隠していたが、端から紫と黄色のあざが覗いていた。そして朝食が終わったとたん、まだ皿洗いも済ませないうちに、母さんは旅行鞄にわずかな身の回りのものを詰め、通りを歩き去ったのだった。

 翌朝、カイアはまた階段に腰を据え、列車を待つトンネルのような黒い瞳を小道に向けた。遠くの湿地には霧が低く垂れ込め、柔らかなベールのようなその裾が泥に触れていた。カイアは裸足のつま先をぱたぱたさせたり、草の茎でアリジゴクの巣をかきまわしたりしていたが、やはり6歳の子どもがいつまでもじっとしているのは難しかった。ほどなくして、カイアは足の裏にぴたぴたと泥の吸いつく音を立てながら干潟を散歩しはじめた。澄んだ水のへりにしゃがみ込むと、すばしこい小魚たちが日なたから日陰へと泳ぎまわっていた。
 ヤシの木立からジョディの呼ぶ声がした。カイアはそちらに目を凝らした。もしかしたら、知らせを届けにくるのかもしれない。しかし、尖った葉のあいだから現われたジョディがいつもと変わらぬ様子なのを目にし、カイアはすぐに悟った。母さんは家に戻っていないのだ。
「探検ごっこをしないか?」ジョディが訊いた。
「言ってたじゃない。おれはもうそんな遊びをする歳じゃないって」
「言ってみただけさ。まだまだそんな歳だよ。さあ、競争だ!」
 2人は干潟を突っ切り、林の先にある海岸へと向かった。カイアはジョディに追いつかれて悲鳴を上げ、笑い転げながらオークの大木まで駆けていった。大木は砂浜に巨大な枝を伸ばしていた。かつてジョディと上の兄のマーフが、その枝に何枚か板を渡して打ちつけ、見張台にもなる樹上の基地を作ったことがあった。もっとも、その基地もいまではほとんど崩れ落ち、錆びた釘からぶら下がっているだけになっていたが。
 そのころカイアが探検隊に加えてもらえるとすれば、たいていは奴隷の少女役としてだった。兄さんたちに、母さんの鍋から失敬した焼きたてのビスケットを届ける役だ。
 だが、今日のジョディはこう告げた。「おまえが隊長になっていいよ」
 カイアは指令を出すべく右手を掲げた。「スペイン人を追い払え!」2人は折り取った小枝の剣で藪を払いのけ、雄叫びを上げて敵を突き刺した。
 それから間もなくして──ごっこ遊びは始まるのも終わるのも早いのだ──カイアは苔むした丸太のところへ行って腰を下ろした。ジョディもそっと隣に坐った。妹に何か母親のことを忘れられるような話をしてやりたかったが、何も浮かばなかったので、2人でアメンボが描く波紋を見つめた。
 やがてカイアはポーチの階段に戻り、それから長いこと待ちつづけた。小道の先を見やっても泣きはしなかった。表情を変えず、口を一文字に結んでただ目だけを動かした。けれど、その日も母さんは帰ってこなかった。


2 ジョディ 1952年
 母さんが出ていって数週間が経ったころには、いちばん上の兄と2人の姉たちも、まるで先例にならうようにいつの間にか姿を消していた。みんなしばらくは顔を真っ赤にした父さんの怒りに耐えていたのだが、初めは怒鳴り声だけだった癇癪が、次第に拳を振るったり手の甲で殴ったりするまでになったので、ひとり、またひとりと立ち去ってしまったのだ。と言っても、3人ともすでに大人に近い年齢だったはずだ。のちにカイアは、きょうだいの歳を忘れてしまったのと同じように、彼らの本当の名前も思い出せなくなった。覚えているのはミッシー、マーフ、マンディと呼ばれていたことだけだった。姉さんたちは、ポーチにあるカイアのマットレスにわずかばかりの靴下を置いていった。
 残されたきょうだいがジョディだけになった日の朝、カイアは鍋ががちゃがちゃ鳴る音や、朝食の脂の匂いで目を覚ました。カイアはキッチンへと走った。母さんが帰ってきてトウモロコシのフリッターか薄焼きパンを作っていると思ったのだ。でも、そこにいたのは薪ストーブの前で粥をかき混ぜているジョディだった。カイアががっかりした気持ちを隠すように微笑むと、ジョディはカイアの頭に手を置き、静かにするよう優しく合図した。父さんを起こさなければ2人で食事をとれるからだ。ジョディはビスケットの作り方を知らなかったし、ベーコンもなかったので、トウモロコシ粥と、ラードで炒めたスクランブルエッグの朝食を用意していた。2人はテーブルに着き、無言で視線を交わしてにんまりした。
 食べ終えると手早く皿を洗い、ジョディが先に立って家から湿地へと駆けだした。だが、ちょうどそのとき叫び声が聞こえ、父さんが足を引きずりながら追いかけてきた。その体は不自然なほど傾いていて、ほんのわずかな重力にも引き倒されてしまいそうだった。奥歯は年老いた犬のように黄ばんでいる。
 カイアはジョディを見上げた。「走ろう。あの苔だらけの場所に隠れればいいよ」
「そうだな。うん、きっと何とかなる」ジョディはそう答えた。

 そのあと、日も傾きはじめたころ、浜辺に坐って海を眺めるカイアのもとにジョディがやって来た。ジョディが隣に立ってもカイアは視線を上げず、大きくうねる波を見つめていた。目を向けなくても、ジョディの話し方で父さんに顔を殴られたことがわかった。
「おれも行かなくちゃならない、カイア。これ以上ここで暮らしてはいけないんだ」
 思わず振り向きそうになるのをぐっとこらえた。父さんと2人きりにしないでと頼みたかったが、言葉が詰まって出てこなかった。
「もう少し大きくなれば、おまえもわかってくれるだろう」ジョディが言った。カイアは叫びたかった。自分は幼いかもしれないが、馬鹿じゃない。みんなが去っていくのは父さんのせいだとわかっている。わからないのは、なぜ誰も、いっしょに行こうと言ってくれないのかということだった。カイアも出ていくことを考えなかったわけではない。でも、自分だけでは行く当てもないし、バス代さえなかった。
「カイア、これからは気をつけるんだぞ。もし誰かが来たら家に入っちゃいけない。捕まってしまうからな。湿地の奥まで逃げ込んで、茂みに隠れるんだ。足跡にも気づかれないようにしろ。方法は教えただろう。それで父さんからも隠れられるはずだ」カイアがそれでも黙っていると、ジョディはさよならを言い、まっすぐ林に向かって浜辺を進んでいった。その足音が林のなかに入る直前、カイアはようやく振り返り、去っていくジョディの姿を見送った。
「この子ブタちゃん、おうちに残った」カイアは波にささやいた。
 不意にこらえきれなくなり、小屋に向かって駆けだした。玄関から大声で呼びかけたが、ジョディの持ち物はもうどこにも見当たらず、ジョディが使っていた床のマットレスからもシーツが剥がされていた。
 そのマットレスに身を沈め、最後の日の光が壁を滑り落ちていくのを見つめた。太陽はいつもと変わらず沈んだあともしばらく明るさを残し、室内に光のプールを作った。そしてほんの短いあいだ、でこぼこのマットレスや、そこかしこに積まれた着古しの服に、外の木立よりも鮮やかな輪郭と色を与えた。
 驚いたのは、自分がひどい空腹を──そんな普段どおりの感覚を──覚えていることだった。カイアはキッチンへ行って戸口に立った。パンを焼き、ライ豆を茹で、魚のシチューを煮込んだこの部屋は、いつも自分の生活を暖めてくれた。その場所がいまはカビ臭い空気の底で暗く静まり返っていた。「いったい誰が料理をしてくれるの?」カイアは声に出して訊いてみた。本当は、〝誰がここで踊ってくれるの?〟と訊いてもよかったのだが。
 蝋燭に火をともし、まだ熱をもっている薪ストーブの灰をつついて焚きつけを放り込んだ。それからふいごで風を送り、火が大きくなったところでさらに薪を加えた。小屋のある一帯には電気が通っていないので、冷蔵庫は食器棚として使われていた。キッチンのドアはカビが生えるのを防ぐためにハエ叩きを挟んで開け放してあった。それでもカビの菌は、ありとあらゆるすき間に増えて緑と黒の線を走らせていた。
 残った食料を探し出すと、カイアは自分に言った。「ラードにトウモロコシ粉をどさっと入れて、火にかければいいだけよ」そのとおりに作ったものを鍋から食べるあいだ、窓に目をやって父さんの姿を捜した。父さんは現われなかった。
 そのうち半月(はんげつ)が小屋に光を投げかけるようになり、カイアはポーチのベッドに這い込んだ──ベッドと言っても床に置いただけのでこぼこのマットレスだが、シーツは母さんが不用品セールで買ってきた本物で、一面に青い小バラの模様が入っていた。ひとりきりで夜を過ごすのは、生まれて初めてのことだった。
 最初のうちは数分おきに体を起こし、虫除け網の向こうを覗いては、林のなかに足音を聞き取ろうとした。このあたりの木の形ならみんな頭に入っていたが、ちょっと目を離したすきに、なぜか木も月もあっちへこっちへと動いているように見えた。しばらくのあいだ、カイアは唾も飲み込めないほど身を硬くしていた。が、ちょうどそのとき、タイミングを見計らったようにアマガエルやキリギリスが耳慣れた鳴き声を夜空に響かせるようになった。それは、尻尾を切られた盲目ネズミの歌なんかより、ずっと安心できる子守唄だった。暗闇には甘い香りが漂っていた。きっと、むせ返るような暑さを今日も1日乗り切ったカエルやサンショウウオが、土の匂いのするため息をついているのだろう。湿地は低く垂れた霧にいっそう深く包まれて休んでおり、カイアもまた、眠りに落ちていった。

 父さんは3日経っても帰らず、そのあいだカイアは朝食にも昼食にも、夕食にも、母さんの菜園から摘んできたカブの葉を茹でて食べた。卵はないかとニワトリ小舎にも行ってみたが、なかは空っぽだった。ニワトリも卵もどこを捜しても見つからなかった。
「糞しかない! トリの糞ばっかりじゃない!」母さんが去ってから小舎のことはずっと気になっていたのだが、とくに何もせずにきてしまったのだ。どうやらニワトリたちはがやがやと足並みを揃えて脱走し、林の奥に消えてしまったようだった。トウモロコシ粉をまけばまた戻ってくるか、そのうち試してみなければならなかった。
 4日目の夜、父さんが酒瓶を手に戻ってきて、そのまま自分の寝どこで大の字になった。
 翌朝、キッチンに入ってきた父さんはこうわめいた。「みんなどこへ消えたんだ?」
「知らない」カイアは目を合わさずに答えた。
「おまえは野良犬みたいに何も知らねえな。雄ブタの乳なみに役立たずだ」
 カイアはそっとポーチのドアから滑り出たが、貝殻を探して海岸を歩いているうちに、ふと煙の臭いに気づいて顔を上げた。小屋の方角でひと筋の煙が昇っていた。慌てて走りだし、飛ぶように林を駆け抜けると、庭先で燃えている大きな炎が目に入った。父さんが、母さんの絵やドレスや、本を火に放り込んでいた。
「やめて!」カイアは叫び声を上げた。父さんは振り向きもせず、今度は古い電池式のラジオを投げ入れた。絵を摑み出そうと、カイアは顔や腕をあぶってくる炎に手を伸ばしたが、あまりの熱さに押し戻されてしまった。
 急いで小屋に戻り、もっと運び出そうとしている父さんの行く手をふさいだ。そして、その目をまっすぐ見据えた。父さんが腕を上げて手の甲をこちらに向けたが、それでも動かなかった。と、不意に父さんは顔を背け、足を引きずりながら自分のボートの方へ歩きだした。
 カイアは煉瓦と板切れの階段に坐り込み、湿地を描いた母さんの水彩画がチリチリと縮んで灰になっていくのを見つめた。いつしか夕闇が訪れ、ラジオのボタンがひとつ残らず熾火のような赤い光をこもらせるようになり、母さんとジルバを踊った思い出も火のなかに溶けて消えてしまうまで、ずっとそこに坐っていた。
 それから数日のあいだに、カイアはみんなの失敗からあることを学び取った。いや、小魚から学んだと言うべきかもしれない。それはどうやって父さんと暮らしていくかということだ。とにかく関わらないようにし、姿も見られないように気をつけて、日なたから日陰へと泳ぎまわるしかない。カイアは父親より先に起きて家を離れ、林や水辺で1日を過ごした。そして、夜になると忍び足で家に戻り、いちばん湿地の近くにいられるポーチのベッドで眠った。

 父さんは第二次世界大戦でドイツ軍と戦い、爆弾で左の太腿をやられて一生治らない怪我を負った。そのとき、最後のプライドも粉々にされてしまった。家族の収入源は父さんに週ごとに与えられる障害者手当だけだった。ジョディが去って1週間後、もう冷蔵庫には食べ物がなく、菜園からもカブの葉はほとんど消えていた。その月曜日の朝、カイアがキッチンに入っていくと、父さんがテーブルに転がったくしゃくしゃの1ドル札と数枚のコインを指差した。
「これで1週間ぶんの食べ物を買え。タダで恵んでやるわけじゃねえぞ」父さんが言った。「どんなものもタダじゃ手に入らねえ。おまえはこのカネのお返しに家のことをしろ。ストーブの薪を集めて、洗濯物も洗うんだ」
 カイアは初めてたったひとりで、バークリー・コーヴの村へ買い物に出かけた──〝この子ブタちゃん、市場へ出かけた〟の歌のとおりに。重い足取りで深い砂や黒い泥のなかを長いこと歩きつづけると、ようやく前方にきらきら輝く湾が現われ、岸辺に集落が見えた。
 その村は湿原に囲まれており、塩っぽい靄(もや)が海からやって来る靄と混じり合い、満潮時には嵩(かさ)を増した海水がメイン・ストリートのすぐそばまで流れ込んだ。村は湿地と海によって外界から隔絶されているようなもので、唯一、外との通路となっているのは、どうにか1車線ぶんだけ町なかまで敷かれた亀裂と穴だらけのコンクリート道路だった。
 村には大通りが2本あった。1本は海沿いを走るメイン・ストリートで、そこに商店が建ち並んでいた。端に建つのが〈ピグリー・ウィグリー食料品店〉で、反対の端には〈ウェスタン・オート〉があり、ちょうど中間に食堂があった。そのあいだを埋めているのは〈クレスのファイブ&ダイム〉、カタログ販売だけの〈ペニーズ〉、〈パーカーズ・ベーカリー〉、〈バスター・ブラウン靴店〉などだった。また、食料品店の隣には〈ドッグゴーン・ビアホール〉があって、そこでは直火焼きホットドッグやチリビーンズ、舟形に折った紙に盛られた小エビのフライなどが売られていた。その店には、不適切だという理由で女性や子どもは立ち入らないのが慣例だったが、壁に持ち帰り用の窓が設けられており、そこでなら通りからでもホットドッグやニーハイ・コーラを注文することができた。ただし、有色人種はドアからであれ窓からであれ、店を利用することは許されなかった。
 もう1本の通りは、傷んだコンクリート道路からまっすぐ海に向かって延び、最後にメイン・ストリートにぶつかるブロード・ストリートだった。つまり、村にある交差点はメイン・ストリートとブロード・ストリート、それに大西洋が交わるところのひとつだけというわけだった。村の店舗や会社は、一般的な町のように棟続きにはなっておらず、建物を隔てる小さな空き地にはワイルドオーツやパルメットヤシが、さながら一夜にして侵食してきた湿地という風情で茂みを作っていた。もう200年以上ものあいだ厳しい潮風に吹かれてきたこの村では、スギの屋根板を載せた建物もすっかり錆色に染まり、白や青に塗られた窓枠はペンキが剥がれてひび割れていた。概して言えば、村は厳しい自然に立ち向かうことに疲れ果て、いまやがっくりうなだれているだけといった印象だった。
 村にはほころびたロープと古ぼけたペリカンで飾られた埠頭があり、それが突き出している小さな湾は、波が穏やかなときにはエビ漁船の赤や黄色をその水面に映した。沿道にスギ材の小さな家が並ぶ砂利道は、林のなかを曲がりくねって進んだり、潟湖の周囲を巡ったり、海沿いを走って商店の方へと延びていた。要するに、バークリー・コーヴは文字どおりの片田舎であり、入り江や葦(あし)のあいだに、まるで風に飛ばされたシラサギの巣のような細々としたものが散らばっているだけの村だったのだ。
 裸足に丈が短すぎるオーバーオールという格好をしたカイアは、湿地のなかの小道が通りにぶつかるところで立ち止まった。唇を噛み、家に逃げ帰りたい衝動と闘った。相手に何を言えばいいのかも、食料品店でどれだけお金を渡せばいいのかもわからなかった。けれど、いまは何よりも空腹に耐えられず、やむなくメイン・ストリートに足を踏み入れた。そして〈ピグリー・ウィグリー〉を目指し、顔を下に向けたまま、伸び放題の草の陰に見え隠れする崩れかけの歩道を歩いていった。ようやく〈ファイブ&ダイム〉のそばまでやって来たとき、カイアは背後の騒ぎに気づいて脇に飛びのいた。その瞬間、彼女より少し年上の少年3人が、自転車で勢いよく目の前を走り抜けていった。先頭の少年が危うくぶつかりかけたカイアの方を振り返って笑い、今度はちょうど店から出て
きた女の人に衝突しそうになった。
「チェイス・アンドルーズ、戻ってきなさい! 3人ともよ」少年たちはさらに何メートルかペダルを漕いだが、やはりまずいと考え直して彼女のもとへ引き返した。その女性はミス・パンジー・プライスといって、布地や小間物を扱う店で働いていた。彼女の家はかつて湿地のはずれで大農園を営んでおり、農園自体はとうのむかしに手放さざるを得なかったものの、いまでも彼女は名家の地主としての務めを果たそうとしていた。そんな人物にとって、食堂の上階の狭いアパートメントで暮らしていくのは大変なことだった。ミス・パンジーはたいていいつもシルクのターバン型の帽子をかぶっていて、今朝はピンク色の帽子に合わせて赤い口紅と頬紅をさしていた。
 彼女が少年たちを叱りつけた。「この件をあなたたちのお母様に報告してもいいのよ。それともお父様に言うべきかしら。あんなにスピードを出して歩道を走って、私を轢(ひ)きかけたんですからね。何か言うことはあるかしら、チェイス?」
 彼はほかの誰よりも美しい自転車──サドルが赤く、高く上がったクロムめっきのハンドルがついている──に乗っていた。「すみません、ミス・パンジー。あの女の子が邪魔になってあなたが見えなかったんです」日焼けした黒髪の少年、チェイスが、避けたはずみでギンバイカの低木に突っ込んでしまったカイアを指差した。
「あの子のことはいいの。自分の罪を他人のせいにしてはいけません。たとえ相手が沼地の貧乏人でもよ。では、あなたたちには償いとしてよい行ないをしてもらいます。ほら、あそこに買い物を終えたミス・エリアルがいるでしょう。彼女の荷物をトラックまで運んであげなさい。それから、シャツの裾はちゃんとズボンのなかにしまうこと」
「わかりました」そう答えると、3人は彼らが2年生のときにクラス担任をしていたミス・エリアルに自転車を向けた。
 カイアは、黒髪の少年の親が〈ウェスタン・オート〉の経営者で、だからあんなに洒落た自転車に乗っているのだということを知っていた。カイアが見つめる前で、彼はトラックから様々な商品名の入った空の段ボール箱を降ろし、そこに荷物を詰め、ほどなくして手伝いを終えた。だが、そのあいだもカイアは彼やほかの少年たちとひと言も口をきかなかった。
 さらに何分か待ってから、カイアはまたうつむいて食料品店の方へ歩きだした。〈ピグリー・ウィグリー〉に入ると、並んだトウモロコシ粉に視線を巡らせ、袋のてっぺんに赤い札が下がっている1ポンド入りの粗挽き黄トウモロコシを手に取った。〝今週の特売品〟を選ぶのは、母さんから教わったことだった。カイアはどきどきしながら通路に立ち、レジのそばに客がひとりもいなくなってから、レジ係のミセス・シングルタリーの前に進み出た。彼女が訊いた。「ママはどこにいるの?」ミセス・シングルタリーの髪は短く切ってきつくカールさせてあり、日光に照らされたアヤメのような紫色をしていた。
「家のことをしてるんです」
「じゃあ、買い物代はちゃんともらってきたの?」
「はい」お金の数え方を知らなかったので、カイアは1ドル札のほうをカウンターに置いた。
 ミセス・シングルタリーも、この子どもにコインの違いがわかるのか疑問だったようで、釣り銭をゆっくりとカイアの手に載せながら金額を数えた。「25、50、60、70、80、85と、3ペニーよ。このトウモロコシ粉は12セントだから」
 カイアは胃のあたりが気持ち悪くなった。自分も何かを数えて答えなければいけないのだろうか? そう思いながら、手の上にあるコインのパズルをじっと見つめた。
 ミセス・シングルタリーの顔つきが柔らかくなったようだった。「はい、じゃあね。またどうぞ」
 大急ぎで店をあとにすると、カイアは湿地の小道を目指して精いっぱい速く歩いた。母さんからはいつも口を酸っぱくしてこう言われていた。「町なかでは絶対に走っちゃだめよ。何か盗んだと思われてしまうから」それでも、砂の小道に着いたとたんにカイアはたっぷり1キロ近くも走り、残りの帰り道も早歩きで進んだ。
 家に戻ったあと、トウモロコシ粥の作り方なら知っていると思ったカイアは、さっそく母さんを真似てぐらぐらと沸いた湯に粉を注ぎ入れた。けれど、なぜか粉は大きなひとつの固まりになり、底は焦げて真ん中は生煮えになってしまった。何口かは試したものの、それはまるでゴムのように硬く、結局はまた菜園に行ってみることにした。よく探すとアワダチソウの陰にまだ数枚、カブの葉が残っていたので、それをぜんぶ茹でて食べ、茹で汁もすっかり飲み干した。
 何日かすると、だんだん粥作りのコツが摑めてきた。もっとも、どんなに必死にかき混ぜてもまだいくらか団子状になってしまったが。次の週にはブタの背骨を買い──赤い札が下がっていたのだ──トウモロコシ粉といっしょに煮てアフリカキャベツも加え、とろとろの粥を作った。これは上出来だった。
 何度も母さんといっしょにしていたので、洗濯は庭の蛇口の下で洗い物にライ・ソープをこすりつけ、洗濯板でごしごしやればいいと知っていた。水を吸った父さんのオーバーオールはとても重く、カイアの小さな手ではしっかり絞ることができなかった。それに、物干しロープに干そうにも手が届かなかった。そこでカイアは、びしょ濡れのままのそれを林の隅に立つヤシの木の葉に広げて乾かすことにした。
 カイアと父親には、2とおりの暮らし方しかなかった。同じ小屋のなかでべつべつに生活するか、ときに何日も顔を合わさずに過ごすかだ。口をきくこともめったにない。カイアは幼いながらも大人の女のように、自分のものも、父親のものも片づけた。料理に関して言えば、父親の食事まで支度できるような腕はなかったものの──どのみち食事どきに顔を合わせることなどほとんどなかったが──たいていはきちんと父親のベッドを整え、拾い集め、掃き清め、皿を洗った。命じられたからではなく、そうしなければ戻ってくる母さんのために小屋をきれいにしておけないからだった。

 母さんはいつも、カイアの誕生日には秋の満月がお祝いにやって来ると言っていた。だから、自分が生まれた日付は思い出せなくても、潟湖から真ん丸に膨らんだ金色の月が昇ったある晩、カイアはこうつぶやいた。「わたしは7歳になったはず」父さんはまったくそのことに触れなかった。もちろんケーキもなかった。学校に通うことについても、何かを口にする気配はなかった。学校のことはよく知らなかったが、カイアはその話題が出ることを恐れていた。
 母さんもカイアの誕生日にはきっと戻ってくるはずなので、収穫期のその月が出た翌朝、カイアはキャラコの生地のワンピースをまとい、家の小道に視線を定めた。心のなかでは懸命にこう願っていた。母さんが小屋に向かって歩いてきますように。ロングスカートにワニの靴を履いたあの姿が、また現われますように。やがて、誰もやって来ないと悟ったころ、カイアはトウモロコシ粉の入った鍋を手にして林の先の海岸へ行った。口に両手をあて、頭をのけぞらせて呼びかけた。「キーヨ、キーヨ、キーヨ」頭上高く、浜辺の空に、波の向こうに、銀色に輝く小さな点が現われた。
「ほら来た。あんなに高く、あんなにたくさん飛んでたんじゃとても数えられないけど」カイアはひとりつぶやいた。
 高く低く鳴き声を響かせ、カモメたちが輪を描くように降下してきた。そして、カイアの目の前を飛び交い、トウモロコシ粉を放ってやると浜に降り立った。それからしばらくすると、鳥たちは静かにその場で羽を繕うようになった。カイアも膝を横に崩して砂浜に坐った。傍らに大きなカモメが寄ってきて、そこに居場所を定めた。
「今日はわたしの誕生日なの」カイアは鳥にささやきかけた。


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ザリガニの鳴くところ

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ディーリア・オーエンズ/友廣純訳
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