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【大好評発売中】ザリガニの鳴くところに思いを馳せて──『ザリガニの鳴くところ』(翻訳家・友廣純)【全米700万部突破】

原書の売り上げが700万部を突破し、2019年アメリカで1番売れた本となった、ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』。翻訳者の友廣純さんが魅力を余すところなく紹介した、訳者あとがきを公開いたします。

河出真美さん(梅田 蔦屋書店)によるレビュー
北上次郎さん(書評家)による「勝手に文庫解説」先行掲載
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ザリガニの鳴くところ

訳者あとがき
友廣 純(翻訳家)


本書はディーリア・オーエンズ著Where the Crawdads Sing(2018)の全訳である。

本作品は、出版の翌月には《ニューヨーク・タイムズ》紙のベストセラー・リストに登場し、一年半が経過したいまなお(2020年2月の第3週現在)、何と73週連続(2020年3月5日時点では77週連続)でランクインしている。それだけでも充分に仰天するが、この、文字どおりの大ベストセラーが著者の小説デビュー作だというのだから二重に驚かされる。

とはいえ、彼女はこれまでにノンフィクションの著作を3冊── Cry of the Calahari 、The Eye ofthe Elephant、Secrets of the Savanna ──共著で出版しており、そのうち1冊は『カラハリ──アフリカ最後の野生に暮らす』というタイトルで邦訳もされている(1988年、早川書房刊)。ディーリア・オーエンズはジョージア大学で動物学の学士号を、カリフォルニア大学デイヴィス校で動物行動学の博士号を取得した野生動物学者であり、23年間におよぶアフリカでの調査・研究活動をもとに書かれたのがこれらの既刊本なのだ。『カラハリ──』は、年に一度、もっとも優れたネイチャーライティングに贈られるという米国自然史博物館のジョン・バロウズ賞を受賞しており、彼女の研究論文も《ネイチャー》誌を含めて数多くの専門誌に掲載されている。

ジョージア州出身の著者は、本作の主人公であるカイアと同様、母親に勧められて幼いころからオークの森やそこに生きる動物とふれあい、夏にはノースカロライナ州の山中に滞在してその地域の自然に親しんだ。アフリカから帰国したのちも自然豊かな土地を探して居を構え、グリズリーやオオカミの保護、湿地の保全活動などに取り組んできた。しかし、著者は子どものころから小説家になる夢ももっていたという。そして、70歳にしてついにその夢を叶えたというわけである。

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作品の舞台、湿地

活き活きと紙面に再現される動物たちの姿や、繊細でありながら強度のある自然描写は、この作品の大きな魅力のひとつであるが、それを支えているのが著者の専門的なバックグラウンドだということは間違いないだろう。

物語は、1969年、ノースカロライナ州の湿地でチェイス・アンドルーズの死体が発見されるところから始まる。草藪と海に囲まれた小さな村での出来事である。大切に育てられ、高校ではアメフトのスター選手だった彼を殺そうとする人間など、この村にいるのだろうか? ほどなく疑惑の目は、村人から〝湿地の少女〟と呼ばれ、人語も解さぬ野蛮な者と噂されてきたカイアに向けられるようになる。

カイアは幼いころに家族に置き去りにされ、それからはたったひとりで、未開の湿地に生きていた。偏見や好奇の目にさらされるせいで学校にも通えず、語りかける相手はカモメしかいない。ただ、燃料店を営む黒人夫婦のジャンピンとメイベル、それに、村の物静かな少年テイトだけはカイアの境遇に胸を痛め、手を差し伸べようとする。テイトに読み書きを教わったことでカイアの世界はみるみる広がっていった。しかし、別れや拒絶は宿命のように彼女につきまとう。圧倒的な孤独のなか、カイアは、唯一近づいてきたチェイスに救いを見出すが、その先にはさらなる悲劇が待っていた。

チェイス・アンドルーズを殺したのは誰なのか? 物語は、捜査が行なわれる1969年と、カイアの成長を追う1952年以降の時代を行きつ戻りつしながら進み、やがて、思いがけない結末へと収束していく。

作品の舞台であるバークリー・コーヴは架空の村だが、カイアが生きる湿地は、ディズマル湿地をモデルにしていると思われる。ヴァージニア州とノースカロライナ州をまたいで海沿いに広がるこの湿地は、もともとは4000平方キロメートルほどの面積があったようである。だが、のちに初代大統領となるジョージ・ワシントンが1763年にこの地で宅地開発事業を始め、干拓や樹木の伐採が進められた。さらに1793年からは、伐った丸太などを運ぶためにディズマル湿地運河の建設が始まる。1970年代になると、ようやく湿地の重要性が広く認識されるようになり、74年には約450平方キロメートルのエリアが国立野生動物保護区に指定された。また、ノースカロライナ州も58平方キロメートルほどの土地を自然保護区にし、現在はディズマル湿地州立公園として一般に開放している。しかし、それまでの開発や自然火災で湿地は大幅に縮小、面積はもとの半分以下にまで減ってしまったとされており、本作品にも、湿地が無惨に破壊される場面が幾度か登場する。

ここで、簡単にではあるが、作中で使われる貧乏白人(ホワイト・トラッシュ)という言葉についても触れておきたい。この呼称は、単純に〝経済的に貧しい白人〟という意味で用いられるわけではない。南北戦争以前の南部の白人といえば、大勢の奴隷を使用して大農園を営む豊かな地主階級を想像しやすいが、当然ながら白人にも、小規模地主や自営農民といった様々な階層があった。そして、その最下層にいるのが貧乏白人と呼ばれる人々だった。彼らは、名誉と美徳を備えた地主階級とは対照的なイメジで捉えられ、自堕落、暴力的、不衛生等々、人格的にも劣る存在とみなされた。この呼称には、そうした負のイメージがその後も根深く残りつづけたのである。

この作品のジャンルを特定するのは難しい。フーダニットのミステリであると同時に、ひとりの少女の成長譚とも、差別や環境問題を扱う社会派小説とも、南部の自然や風土を描いた文学とも捉えることができる。それほどに奥行きのある作品だということなのだ。ただし、そこには全篇を貫くひとつの要素を読み取ることができる。それは〝美と醜、優しさと残酷さを併せもつ野生〟という要素である。このテーマは、湿地と沼地を象徴的に対比させるプロローグに始まって、秘密が明かされる最後の章に至るまで、繰り返し現われる。作中には、著者の専門である動物行動学に基づいた描写がたびたび出てくる。子を捨ててしまう母キツネ、傷を負った仲間にいっせいに襲いかかる七面鳥、偽りの愛のメッセージを送るホタル、交尾相手をむさぼり食うカマキリ……。ときにグロテスクとさえ思える野生の本能は、しかし、野生動物だけがもつものではない。著者はカイアにこう語らせる。「その本能はいまだに私たちの遺伝子に組み込まれていて、状況次第では表に出てくるはずよ。私たちにもかつての人類と同じ顔があって、いつでもその顔になれる。はるかむかし、生き残るために必要だった行動をいまでもとれるのよ」そして、こう書く。〝ここには善悪の判断など無用だということを、カイアは知っていた。そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ〟

本作に描き出される、むせかえるほどに濃密な緑、広大無辺の闇、そこに息づく無数の命。その脈動と自分の鼓動を重ねるようにして生きるカイアの姿は、それを読む私たちの心をも震わせる。

この作品を読み終えたかたは、ザリガニの鳴くところとはどこにあるのか、ふと、心の奥に耳を澄ませたくなる瞬間があったのではないだろうか。

著者は今後も小説の執筆を続けるつもりだという。次はどこへ読者を導いてくれるのか、非常に楽しみである。

2020年2月

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ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ
ディーリア・オーエンズ/友廣純訳
四六判並製 本体1900円+税 
早川書房より好評発売中

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