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なぜ彼らは精神に異常を来したのか『統合失調症の一族』翻訳者が語る、話題本の読みどころ

1970年代半ば、アメリカ・コロラド州。ベビーブームを背景に12人の子宝に恵まれたギャルヴィン家だったが、12人の子供のうち6人が統合失調症に――。厳格な父母に育てられた、容姿端麗で運動能力の高い子供たちは、なぜ次々と精神疾患に見舞われ、幻覚や妄想が現れるようになったのか?
国立研究所の調査により明らかになる衝撃の記録。未解明の謎が多い精神医療研究において画期をなした驚くべき一家を追うのが、ノンフィクション『統合失調症の一族 遺伝か、環境か』(ロバート・コルカー、早川書房)。発売以降大きな話題を呼んでいる本書の翻訳を手掛けた柴田裕之さん「訳者あとがき」を、特別試し読み公開します。

『統合失調症の一族』ロバート・コルカー、柴田裕之訳、早川書房
『統合失調症の一族』早川書房

※以下は、本書のあらすじ・少々のネタバレを含みます。本書未読の方はご注意ください。

『統合失調症の一族』訳者(柴田裕之)あとがき

想像してほしい。もしあなたが12人兄妹の末っ子だったら?
かなり好奇の目を向けられる覚悟がいるだろう。冷やかされたり、からかわれたりする可能性も十分ある。家庭のことは自ら進んで語る気になれないかもしれない。兄たちが互いに凄まじい暴力を振るい、10代のうちから薬物やアルコールを摂取し、放火や窃盗までやらかしていたら、なおさらだ。

そのうえ、彼らの6人が統合失調症を発症するなど、精神に異常を来し、警察や病院のお世話になり、あなたには手が回らない親にかまってもらえず、すぐ上のいちばん近しい姉は他人の家に預けられ、自分は取り残されれば、そして、幼いころから兄の何人かに性的虐待さえ受けていたら、家庭の事情はひた隠しにし、家族とは縁を切りたいと望んだところで、どうして責められるだろうか? それに加えて、その間ずっと、自分もいつか兄たちと同じ道をたどる羽目にならないかという不安に苛まれていたら、どれほど恐ろしいことだろう?

そんな子供時代は、生き延びるだけでも大変なのに、そのトラウマを乗り越え、立派に家庭を築き、精神を患った厄介者だったはずの兄たちを見直し、愛情をもって献身するまでになった人が現にいるのだから驚きだ。しかも、本書の中心人物であるその末娘は、自らの物語が他者の助けとなりうると信じて、自分たちの家族を世間に知ってもらうことを姉と共に選び、書き手を探し、存命中の家族全員の同意を得て、実名ですべてを明かし、本書の刊行を実現させたのだから、その勇気と行動力は、驚異的としか言いようがない。

一家の母親も並外れている。乳母にもベビーシッターにも頼らず、どの子も母乳で育て、家を切り盛りし、病気の息子たちの世話をし、夫が脳卒中で倒れるとその介護にも当たり、彼らをけっして見放さず、家族を束ね続けたのだから。それも、統合失調症についてほとんど何もわかっていなかった時代にであり、「統合失調症誘発性の母親」という考え方が広まっていたせいで、非難の矢面に立たされながらのことだったのだから。

統合失調症とはいったい何なのか、その原因は生まれか育ちかという論争は長らく続いており、本書に登場するギャルヴィン家の子供たちが生まれ育った1940~80年代も、その論争のただ中にあった。

そこでこの一家が重要な価値を持つことになる。この疾患の本質や、遺伝的要因の有無を突き止めるには、「同じおおもとの遺伝的成分をさまざまな組み合わせで持っている家族」を調べるのが有力な方法であり、ギャルヴィン家ほどの規模の精神疾患の多発家系は稀有だからだ。

サイコセラピーと抗精神病薬による薬物療法が主流だった当時も、遺伝的側面からの統合失調症の原因究明や治療・予防法の発見を目指す研究者がいた。本書では、そのうちの2人、リン・デリシとロバート・フリードマンが主に取り上げられる。ギャルヴィン家の人々は、血液検査などを通じてこの2人に協力し、そのおかげで2人はそれぞれ、統合失調症にかかわる遺伝子を1つずつ突き止める。

だが、2人の研究者が歩んできた道のりも平坦ではなかった。デリシは女性であるというだけで差別や偏見にさらされたし、両者共に、営利企業である製薬会社の限界に阻まれ、研究を打ち切られたり、研究成果の実用化を達成できなかったりしている。この手の研究や創薬には、巨額の費用がかかるので、それを回収して余りある利益が見込まれなければ、投資は難しいのだ。

2人のもののような研究を支えている人のなかに、サムとナンシーのゲイリー夫妻らの篤志家がいた。サムは石油業界の大富豪で、妻と共にフリードマンの研究を支援してきた。サム自身も挫折と無縁ではなく、「空井戸(ドライホール)サム」の異名のとおり、モンタナ州での試掘が35回空振りに終わっても屈せず、36度目に当時ミシシッピ川の西では最大の油田を掘り当てて財を成した。

夫妻は8人の子供のうち4人を難病で失くすことになる。それもあってだろうか、人助けに精を出し、科学研究や医療のためにも莫大な寄付を続けるのだった。そのサムがモンタナ州で掘削権を獲得するのを手伝ったのが、ほかならぬギャルヴィン家の父親のドン・ギャルヴィンだった。そんなわけで、ゲイリー夫妻はギャルヴィン家にも惜しみなく援助の手を差し伸べる。

やがて予防のための画期的な方法を見つけ出したフリードマンは2015年、「統合失調症研究における抜群の業績を称えるリーバー賞」を受ける。授賞式には、ギャルヴィン家の末娘を連れたナンシー・ゲイリーの姿もあった。そこでフリードマンは自分の支援者が、自分の研究に最大の貢献をした一家の支援者でもあったことを初めて知り、不思議な縁に感じ入る。

本書の中でギャルヴィン家にまつわる各章の冒頭には、家族の名前が並ぶ。最初は14あった名前が、途中から徐々に減っていくのを目にするのはなんとも切ない。だが、最終章では名前が増える。末娘の子供たちが加わるのだ。その1人であるケイトがフリードマンの研究室に招かれる場面で本書は幕を閉じる。彼女はメディカルスクール進学課程に在籍しており、フリードマンのような研究者となり、統合失調症に的を絞ることを志望していたのだった。

たとえどれほどゆっくりとした歩みであっても、それを続けようとする不屈の人々がいるかぎりこうして物事は進んで行くこと、世間の大半から見限られている人々の中にも人間性を再発見しうること、家族であるとは何を意味するかを理解し直せることを本書は教え、希望を持たせてくれる。そして、たとえどれほど長くかかろうと、今後も世の中がこの方向に進んで行ってほしいと願わせずにはおかない力が本書にはある。

事実は小説よりも奇なりとよく言われるが、そのとおりだ。これがフィクションだったら、感動的ではあっても、どこか出来過ぎで、現実離れした作り事のように思えていたかもしれない。だがこの作品は、すべて事実に基づいている。ノンフィクションならではの強さを否応なく思い知らされる1冊だろう。

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■訳者略歴:
柴田裕之(しばた・やすし)
翻訳家。早稲田大学・Earlham College卒。訳書にローゼンタール『それはあくまで偶然です』、ミシェル『マシュマロ・テスト』(以上早川書房刊)、エストライク『あなたが消された未来』、ハラリ『緊急提言 パンデミック』、コーク『身体はトラウマを記録する』、マックス『眠れない一族』ほか多数。

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