瀬尾つかさ「ウェイプスウィード」⑥ 海の底で孤独に生き続けるもの

7月5日(木)発売の瀬尾つかさ氏による海洋SF『ウェイプスウィード ヨルの惑星』。第1話の全文公開その6を公開します。(前回はこちら)


 まだウェイプスウィードなど生まれていなかった遠い過去、この地がまだ陸地だった時代。現在あの白い繭が存在する場所には、巨大なサーバーセンターが存在した。その後の気象変動で水没しても、頑丈につくられた基地は問題なく機能した。知識の館はそうした過去の遺産を利用していたのだろうが、しかしウェイプスウィードは、そのサーバーセンターを包み込むようにして成長したのである。
 そしてあるとき、ウェイプスウィードは、自分の体内にあってさかんに電波を発信する装置に気づいた。この巨大な知的構造体は、試行錯誤の末、サーバー内に干渉する能力を得た。
「ヨル、きみは知識の館で使う特別なプロトコルがある、といっていたな。ちょっと信じられないことだが、ウェイプスウィードはそのプロトコルを解析してしまったんじゃないのか」
 いったいどうしてそんなことができたのか。それらを理解するためには、おそらくあの白いドームの中を精査する必要があるだろう。
「きみのお母さんは生前にそれを知り、反抗しようとして『ばあちゃん』に殺された。きみはそれに気づいていたけれど、賢明にも想いを胸の内に秘めていた。そこにおれが現れたんだな」
 都合よく事故を起こしたシャトルから唯一生還した男はヨルたちに助けを求めた。
「いや、あれはそもそも、事故だったのか」
「事故じゃ、ない」
 ヨルは呟く。一瞬、ケンガセンは彼女がすべて仕組んだことなのか、といいかけて、その荒唐無稽さに言葉を呑み込んだ。
 はたしてヨルの答えは彼の想像を超えたものだった。
「犯人は、ウェイプスウィードに操られた男、あなたのシャトルの……パイロット」
 アダラクのことか。
「ばかな、だが彼は」
「三年前、ウェイプスウィードは、シャトルに採集されるサンプル、細工。ミセリウト?エルグレナ共生体の転移速度、数百倍。……人間の脳に寄生……乗っ取る。母さんはその工作に気づいて……殺された」
 ひとの脳に寄生し、乗っ取る菌糸類か。できの悪い映画のようだ。ケンガセンは呻いた。
「どうして知った。いや、いつだ」
 最初の密談のときからヨルがそこまでの情報をつかんでいたとは思えなかった。この数十分の間に、彼女はこの情報を得たのだ。ケンガセンがすぐ傍にいて、それに気づけないタイミングがあるとしたら……。
「シャトルからデータを読み取っているときか。手もとのタブレットを見せろ」
 ヨルは素直にタブレットを持ち上げた。いつの間にかタブレットから伸びたコードが、潜水艇の予備記録装置と繋がっていた。
「シャトルのデータを余計にダウンロードさせたのは、そいつで悪さをする時間を稼ぐためか」
「このタブレット、母さんが遺した。中に暗号化されたデータがあった。暗号を解くのにコロニー製の演算装置が必要だった」
「シャトルのコンピュータを使ったんだな。知識の館の誰にも見られない場所で、誰もログを参照できない演算装置。それがあのシャトルだった。だからきみは、この潜水艇に乗りたかった」
「騙していた。謝る」
「そのことに関して謝罪はいらん。きみはウェイプスウィードに支配された『ばあちゃん』たちをうまく出し抜いたんだ。……それにしたって、ちょっと信じられん話だが……」
 いや、ウェイプスウィードが知識の館を乗っ取り、そこに蓄えられた膨大な人類の英知を学習していたとすれば、不可能ではないか。ケンガセンは思いなおす。人の脳に寄生し身体を操る生物。これと同等の効果をもつ兵器はすでに存在する。脳の構造などとうに解析され尽くしているし、そもそもエルグレナをつくったのは人類なのだ。
 そうだとすれば、さまざまなことのつじつまが合うのだ。直接サンプルに触ったのは研究者の中でもアダラクだけである。彼はシャトルのパイロットでもあった。シャトルそのものに細工をせず事故を起こせる者があるとしたら、それは彼だけなのである。
「だが、なぜだ。なぜウェイプスウィードはそんな真似を……」
 つかの間、ヨルはうつろな目になった。
「自己防衛本能って……いってる」
「いま話しているのは、『ばあちゃん』か」
 ヨルはうなずいた。ここでの会話を聞いた『ばあちゃん』が事態を悟って、遅まきながら介入してきたのだろう。
「ウェイプスウィードは人間に殺されると思ったのか」
「十五年前、ウェイプスウィードを狙った攻撃があった」
 攻撃とはなんのことだ。ケンガセンは首をひねり、プロジェクトの開始時に行われた出来事の記録について読んだことを思い出した。
 そう、あれはウェイプスウィードを観察するため、無人シャトルを低空まで降ろして音波やレーザー、その他さまざまなビームを照射する実験だった。巨大な構造物全体に対して微微たる量ではあるが、その中には生物に被害を与えるような放射線もあった。
 無人シャトルは他にもさまざまな実験を繰り返し、その中には現地の生態系をひどく乱しかねないものも存在した。地球探査に無人シャトルを使用することが禁じられたのは、あの実験のレポートを市民団体が入手したからである。とはいえ……。
「あれはウェイプスウィードを観察しただけだ」
「ウェイプスウィードはそう考えなかった。『ばあちゃん』はいってる。その後もたびたび、人類による攻撃が行われたって。ウェイプスウィードは宇宙にいる敵を攻撃する方法を考えた」
 その結果が……これ、なのか。シャトルを墜落させ、ケンガセンを島に漂流させた。
 だが待て、とケンガセンは考えた。それではなぜ、彼は生きているのだ。どうして『ばあちゃん』はヨルを潜水艇に乗せた。矛盾している。ウェイプスウィードの行動に一貫性を感じない。
 だが彼の思考は、そこでいったん途切れた。ヨルの次の言葉が、それ以上の思索の余裕を奪った。
「目的は感染者アダラクをクローン再生させること。アダラクは前回のクローン体登録時に、エルグレナの増殖回路を設定していた」
「増殖……回路だと」
 木星圏生まれのケンガセンは、クローン体について詳しくない。それでも基本的な概念くらいは理解していた。現代の地球圏コロニーの技術でも、即座に人間のコピーをつくることはできない。できることは、せいぜい培養カプセルの中で各種筋肉に刺激を与えて成長させ、同時に細胞分裂の速度を十分の一から十倍まで変化させるくらいのものだ。
 人間の人格及び記憶を電子データとして保存することは、それに比べればたいした問題ではなかった。まるごと保存するだけならたいした容量もいらない。
 あとは法律的な問題だけだ。人格データをコピーされたクローン体を市民として認めるかどうか。現在の地球圏のコロニーには、「ひとりの市民に対して、活動していい身体はひとつだけ」という基準が存在する。クローン体の生成は厳重に管理され、該当市民の肉体の死が確認されて初めて、培養カプセルの開閉が許可される。培養カプセルの管理は完全に市の管理AIの職分だ。人間の介入する余地はないはずである。
 だがもし、培養カプセルのプログラムに手を加える方法が存在するなら、そしてカプセル内部で人体ではないなにかが培養されていたなら、その培養カプセルの開閉が許可されたとき、はたしてどんな事態が発生するのだろう。
「いまごろコロニーの人類は増殖したミセリウト-エルグレナ共生体に浸食されているはず」
「待て、じゃあ今朝、教授と連絡が取れなかったのは……」
 ヨルは厳しい顔でうなずいた。
 なんてこった。ケンガセンは髪をかきむしった。
「『ばあちゃん』がいってる。ケンガセンが生かされたのは、ケンガセンの死がウェイプスウィードにとって価値がないから。ケンガセンは木星圏生まれ。地球圏生まれで、誕生時からクローン体利用権がある同僚たちとは違う。死んでもなんの価値も生まれない。でもケンガセンが生きていれば、コロニーの注意をケンガセンに引きつけられる。騙して、時間を稼げる」
 いや、本当にそれだけか。ケンガセンは動きを止めた。違和感がある。確かにヨルの言葉の通りに解釈すれば、いちおうの筋は通るのだが……。
 あまりにも筋が通り過ぎる。
 これではウェイプスウィードの思考様式は人間そのものではないか。この巨大な構造体が持つに至った意識が、矮小な人間と同じであると考えていいのか?
 ケンガセンは考える。必死に頭を働かせる。資源も人口も厳しく管理された木星圏で生まれたケンガセンは、地球圏に来たとき、カルチャーショックを受けた。円熟したコロニー特有の、豊富な資源と無秩序な社会。そこに住む人々は、ひどく享楽的で、そして無責任に見えた。地球圏生まれの友人からすれば、生真面目なケンガセンは理解できないほど異質な存在に見えたらしい。「環境が違えば、考え方もなにもかも変わるのだ」と何度、思ったことか。
 ノーマルな人間同士でさえそうなのだ。月の環境適応人たちに至っては……。
 そしてウェイプスウィードの異形さは、彼/彼女の生まれ育った環境とその身体の構造の異質さは、環境適応人の比ではない。
 そう、ウェイプスウィードの持つ知性のかたちは、おそらく人類のそれとはひどく異なるもののはずなのだ。『ばあちゃん』たちの思考を解析し、その回路を利用することでかろうじて人類との対話らしきものが可能となってはいるが、その本質は限りなく異質なものに違いない。ウェイプスウィードは、そのなりたち、形態、ありようが人間とは著しく異なる。海の底に棲み、各々の個体が孤独に生きる、単独で完結した共生生物。彼/彼女は、どんな文化を持ち、どう思索するのか。
 アダラクがいっていたことがある。「この菌糸たちは、ひどく即物的だね」と、残り少ないウェイプスウィードの断片のひとつを枯らしてしまったとき、盛大なため息と共に。
「知っての通り、エルグレナはとても多芸だ。ミドリムシから生まれた彼らは光合成し、高速で動いて情報を伝達し、さらには他の生物と共生するとき、さまざまな器官を代替する。とても器用な生き物だ」
 アダラクの言葉は、しかし、と続く。ウェイプスウィードを構成する菌糸ミセリウトとの共生においては、これの多芸さが仇となると。
「エルグレナはミセリウトに光合成のエネルギーを供給し、光信号と高速移動によって他のミセリウトとの情報伝達役もはたす。さらにはミセリウト同士の結合においても連結器官の役目をはたしている。……なのにね、エルグレナの機能の一部が失われただけで、ミセリウトはそのエルグレナを放逐してしまう。傲慢な王様がささいなミスに怒って有能な家来を打ち首にするみたいなものさ。まだまだ国にとって必要だったはずの家来を失って、ミセリウトの王国はちょっとしたきっかけで崩壊してしまう」
 そう、傲慢な王様であるウェイプスウィードにとって、かけひきなどという概念が存在するだろうか。そのウェイプスウィードが、なにかを隠すことはしても、騙す、という作戦を取るのであれば……。
 それはきっと、違う。勝手に人類が、ケンガセンが、そして『ばあちゃん』が勘違いしているだけだ。
 その本質は、ああ、もっとずっと素直に考えるべきなのである。
 とはいえ……。
「まずはおれたちが生き延びることを考えなくちゃな」
 壁がきしむ音がして、ケンガセンの意識は現実に引き戻された。潜水艇全体にかなりのダメージが広がっているようだ。このままでは蔓草状の菌糸によってケンガセンまで殺されてしまう。もうあまり猶予はない。
「ここで暴れる分には、あのドームを傷つけずに済むか」
 多少はウェイプスウィードを傷つけてしまうだろうが、最悪の事態は避けられる。教授たちには、緊急避難ということで納得してもらうしかないだろう。
「ヨル、逃げるぞ」
 ケンガセンは少女の手から操縦桿を奪い取り、一気にエンジンの出力をあげた。水流が激しくかきまわされ、まだ生きているカメラの周囲が泡立つ。
 しかし菌糸は頑丈に、しぶとく潜水艇を拘束していた。いっこうにちぎれる様子がない。
 それでもほんのわずか、潜水艇下部の圧力が弱まった感触があった。
 いまだ。ケンガセンはバラストタンクを開放した。タンク内部に詰め込まれたキマの葉の粉末が海中にばらまかれ、渦を巻き泡立つ海流によって周囲に拡散する。
 カメラに張りついていた菌糸が、一斉に、ぐにゃりと歪んだ。急に勢いを失い、白い糸たちは海底に沈んでいく。菌糸から分離した薄緑色の粒が光り輝き、蛍のように周囲の海水を照らし出す。
 菌糸であるミセリウトがミドリムシ変異体であるエルグレナを追い出し、その結果として菌糸は、複合構造体としての能力を失ったのであった。エルグレナはエネルギーの授受のほかに情報の伝達機能も持つ。葉緑体の大半を破壊され、光合成機能を失っただけで住み慣れた家を追い出されてしまったこの超藻たちが、少しだけ哀れだった。
 だがいまは、そんな傲慢な王様のおかげで、ケンガセンたちの命が救われるのだ。
 船体にかかる負荷が一気に弱くなった。
「脱出だ!」
 再度、力任せの加速をかける。潜水艇は弾かれたように拘束から飛び出した。白い繭とは反対方向に突き進む。
「あとは任せていいな」
 操縦桿をヨルに預けた。ヨルはつかの間、呆けたように彼を振り仰ぐ。
「いまから引き返しても、もうこの船に武器はない」
 ケンガセンは皮肉に笑った。
 ヨルはキマの葉をウェイプスウィードの中枢部に直接、叩き込むつもりだったのだろう。ケンガセンが考えるに、それでも中枢部が深刻な損害を受けるかどうかは怪しいものだったが……とにかくヨルが用いるはずだった武器は、中枢部からまだだいぶ離れたこの地点にばらまかれてしまった。ウェイプスウィードの末端の一部は傷ついただろうが、それだけだ。
「それともきみは、自殺が望みか」
 ヨルは首を振った。
「死ぬ気は、もう、ない」
 少女は細くちいさな手で操縦桿を握る。周囲から迫る菌糸を巧みな操作で避けて、潜水艇の船首を外縁部へ向けた。
 と、その潜水艇が激しく揺れた。ケンガセンの身体は壁に強く叩きつけられる。
「大旋回、始まった」
 ヨルが静かに告げた。

次回、最終回

『ウェイプスウィード ヨルの惑星』
瀬尾つかさ/ハヤカワ文庫JA
イラスト:植田亮

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