見出し画像

「レジリエンス」をめぐる語られざる物語――『逆境に生きる子たち』冒頭試し読み③

試し読み①はこちら

試し読み②はこちら

***

 二一世紀の現在、レジリエンスが偶然「発見」されてから五〇年ほどの歳月が流れた。スーパーキッズを追いかけ、ずば抜けた強さの秘密をあきらかにしようと始まった旅は、研究者も予想しなかったものになった。この旅は明快な答えを与えてはくれなかったものの、いくつかの重要な真理があきらかになった。私たちの多くは子どもの頃に逆境を経験する。そしてそれぞれが持つごく普通の力を駆使して逆境に立ち向かう。なかには勝利を収める者もいる。とはいえこうした勝利は、実のところ簡単に得られるものではなく、得られたとしても決定的ではない。最近では、レジリエントな若者をスーパーキッズ、不死身、無敵、スーパーノーマルなどと呼ぶことはほとんどない。しかし初期の研究者は、スーパーヒーローとの対比に思い当たるところがあったのだろう。忘れないでほしいが、スーパーヒーローというのは複雑な性格の持ち主なのだ。

 世界で最初のスーパーヒーローである「スーパーマン」は、アメリカ生まれで、アメリカン・ドリームを体現する象徴的な存在だ。赤ん坊のときに故郷のクリプトン星からカプセルで地球に送られたスーパーマンは、一九三八年、赤、黄、青のあの姿ではじめてコミックブックの表紙に登場した。「弾丸(たま)よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び!」。「鳥だ!」「飛行機だ!」「いや、スーパーマンだ!」の言葉どおり、もちろん空も飛べる。故郷クリプトン星の鉱石「クリプトナイト」だけが、彼を弱らせる。

 しかしやがてあきらかになるのだが、「マン・オブ・スティール」〔スーパーマンの実写映画作品のタイトル〕でいるのは容易ではない。孤児で孤独なスーパーマンは、善良なケント夫妻の養子として育てられる。それでも、自身の出自や自分でも理解できないほどの特別な力を持っていることで、周囲とは距離を感じている。おとなになると、その力を用いて人を助けたいと願うようになり、スモールヴィルから大都会メトロポリスへ移住すると、世界をより良くするための長い戦いを始める。これまでのところ、その戦いはまだ終わっていない。スーパーマンがクラーク・ケントとして平凡な人生を送りたいと願ったとしても、ロイス・レーンと恋に落ちたとしても、世界は彼を求めてやまない。安らげるのは、秘密基地「孤独の要塞」にいるときだけのようだ。

 レジリエントな人々は、スーパーマンではないとしても、スーパーノーマルではあるだろう。スーパーノーマルとは、「標準や平均以上の、並外れた」状態を意味する。社会学者アーヴィング・ゴフマンは古典的名作『スティグマの社会学 烙印を押されたアイデンティティ』(石黒毅訳、せりか書房、一九七〇年)において、「常人(the normals)」は、期待から逸脱していない者だと述べた。だとすれば「スーパーノーマル」は多くの面で期待を裏切る者だ。その日々の戦いは、私たちが「平均的で予測可能」だと考えるものを超えているし、その結果手に入れる成功も期待を上回る。彼らは逆境を乗り越え、あり得ないような人生を送る。何十年もの間、研究が続いているというのに、どのようにしてこれを成し遂げているのかは誰にもわかっていない。

 この本では、「レジリエント」な人々をあらわす場合に、主に「スーパーノーマル」という言葉を用いるつもりだ。形容詞としても、レジリエントな人たちを示す名詞としても用いる。この言葉を選んだのは、使い勝手がいいからというよりは私自身の思い入れによる。私は、「ノーマル(正常であること)」という概念を生かしたいと考え、レジリエンスに呼応する言葉、平均や予測可能な範疇を超えた人生を送ることを意味する言葉を選んでみた。私の経験では、ヘレンのような人たちの多くは、自分をレジリエントだと考えて当然だというのに、今のところはまだそう考えてはいない。これから紹介するが、彼らが自身と同一視することが多いのは、スーパーヒーローや他の勇敢な人物の物語である。

 スーパーマンは、ほぼすべてのスーパーヒーローの原型となった。スーパーヒーローに共通する特徴は、多くのスーパーノーマルの人生にも見いだせる。スーパーノーマルもまた、銃弾をかいくぐり、高層ビルに飛び移る。周囲の大勢の人たちは、彼らほど障害に阻まれていない場合でさえ、そんなことはしない。スーパーノーマルは、目の前の危険にためらいもせず立ち向かっているように見える。しかしヘレンがはじめて私のもとに来た日に示唆したように、表に見えているものは物語の半分にすぎない。多くのスーパーノーマルが、いつまで今の状態を続けられるのかといぶかりながら、今にもつぶれそうになりながら、見事に飛び続けている。

*****

 スーパーマンやアメリカン・ドリームを生み出した文化に生きる私たちは、あらゆる上昇志向を理想化する一方で、その過程につきものの苦難である疲労や脆弱さ、孤独を忘れがちだ。レジリエントな人を見れば目を見張り、「どうやって成し遂げているのか」にばかり注目し、「どんなふうに感じているのか」と問いかけようとはしない。

 これから先の章では、研究や物語を用いてこの二つの問いに答えたい。

「どうやって成し遂げているのか」。レジリエンスは、間違いなく一つの現象である。きわめて個人的な経験であり、定式やアルゴリズムに還元することは決してできないだろう。しかし数十年に及ぶ研究によって、レジリエンスの仕組みはある程度あきらかだ。あちこちにいるスーパーノーマルにも、これを知る権利はある。スーパーノーマルは疎外感を抱いている。たとえばヘレンは、自分は「ノーマルじゃない気がする」と言った。これは、彼らが他者だけではなく、自分自身をももっと知りたいという気持ちを抱いているからでもある。彼らは、自分たちが何者なのか、どのように戦ってきたのか、なにを見てきたのかを語る言葉を持たない。この本では、子ども時代によくある逆境についてのあまり知られていない事実とともに、適応についての次のような最新の研究成果も紹介するつもりだ。

・恐れは脳にどのような影響を及ぼすのか。その結果、なぜ恐れは秘められ続けるのか。
・慢性ストレスは、どのようにして私たちの闘争・逃走反応(fight-or-flight mechanism)のスイッチを入れたままにするのか。そのことは、驚くべき警戒心や断固たる決意とともに日々を送ることにどのように役立つのか。
・スーパーノーマルは、自身の力を信じ、楽観的でいるために、どのように怒りを活用するのか。自制心はどのようにして強力な武器になるのか。その一方で、なぜ怒りと自制心は意図的に使いこなされなくてはならないのか。
・スーパーノーマルは、子ども時代に家庭や近隣地域で過ごしながらどのように危険から逃れるのか。おとなになったときには、永遠に脱出するためのチャンスをどのように活用するのか。
・成功を通して自身を強固にすることで、過去からの不快な攻撃をどうやってかわせるのか。
・スーパーノーマルは、さまざまな規模の秘密結社を作ることによって、自身の脳や健康状態、コミュニティをどのように変えるのか。
・なぜ世界のために活動することが、自分にとっても好ましいのか。そしてなぜ、愛は最強の、それでいて最もとらえどころのないスーパーパワーになりうるのか。

「どんなふうに感じているのか」。この本を書いている途中で、「題材になる人たちをどこで見つけるつもりなのか」と、何度も聞かれた。レジリエンス神話は、本当にレジリエントな人たちがアウトライアー〔通常の分布から大きく外れた存在〕である点にもある。彼らは探究される必要がある一方で、助けを必要としていない。スーパーノーマルはいたるところにいる。私は二〇年の間に、セラピーの場で、あるいは教室で、大勢のスーパーノーマルに出会う機会を得た。第二章以降では、彼らの物語を多少アレンジして紹介するつもりだ。それらを選んだのは、たいへんな困難を乗り越えた衝撃的な物語だからではない。むしろ、どの物語も、よくある逆境がどれほど強力で悪影響をもたらすかを示す驚くべき事例である。数え切れないほど大勢の子どもたちが、そういった逆境に見舞われながら朝を迎えている。

・困難な経験は、どのようにして世界を「インサイダー」と「アウトサイダー」に分けるのか。その経験をする「前」と「あと」はどのように分かれるのか。
・スーパーノーマルは、秘密を抱えることによって、なぜ自分がノーマルではないと、ヒーローではなくアンチ・ヒーローだと思うようになるのか。
・誰にもわかってもらえない、自分自身でさえ自分のことがわからないと感じながらも、良き行ないや成果によって認められているというのは、どのような感じなのか。
・人間ではないかのごとく、不死身で無敵だと思われているのは、どのような感じなのか。
・本当の自分を秘め、相手に応じて自分をどれだけオープンにするかを考えるのは、どのような感じなのか。
・スーパーノーマルのなかには、パートナーや親になることに不安を感じる人たちがいるのはなぜか。せっかくのチャンスを逃してしまうことがあるのはなぜか。
・スーパーノーマルの最大の、そして最後の戦いが、外の世界での善悪ではなく、内面の善悪をめぐるものであるのはなぜか。
・スーパーノーマルが、並外れたことを当たり前のようにこなすのはなぜか。

 効果的な「聴き方」の研究でよく知られるラルフ・ニコルズは、「人間のあらゆるニーズのなかで最も基本であるのは、理解し、理解されることだ」と述べた。スーパーノーマルである読者がこの本を読み、自分自身やその人生への理解を深めてくれること、自分を理解してくれる人も大勢いると気づいてくれることが、私の願いだ。

*****

「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」。きわめて頻繁に引用されながら、おそらく正確に理解されていないのは、レフ・トルストイのこの言葉だろう。不幸な環境で育った者は、外から見るとそれぞれに違って見える一方で、その内面には共通点が多い。現在に至るまで、子ども時代の逆境についての研究や議論の多くは、閉ざされた領域で行なわれてきた。そのことが、スーパーノーマルを互いに分断し続けているのはたしかだ。アルコール依存症の親を持つ子どもは、自分たちのことをわかってくれるのは同じような親を持つ子どもだけだと感じる。性的虐待を受けて成長した子どもは、性的虐待を専門に扱う施設にしか頼れないと考える。精神的虐待に関する論文を読むのは、たいていその分野の研究者だけだ。私のクライアントの三分の一は、両親ではなく兄弟姉妹に悩まされている。彼らの苦悩は子ども時代の逆境をめぐる議論にはほとんど含まれていないどころか、そもそも逆境とみなされてもいない。この本にはさまざまな苦難に見舞われたさまざまな個人が登場する。それらを読むことで、スーパーノーマルに共通する物語が浮かび上がるだろう。それは、いわゆる平均的で予測可能な領域外で懸命に生き延びる、という経験を共有する多様な男女の語られざる物語である。ノーマルであること、平均的で予測可能であることの意味さえ、問いかけてくるだろう。

 この本は、逆境とレジリエンスをめぐる語られざる物語である。子ども時代の困難や苦悩ののちに、予期せぬ高みにまで昇りつめた人たちの物語でもある。スーパーノーマル自身と同じように、その過去との戦いも勇気あふれるものであり、複雑なものだ。「スーパーノーマル」と呼べるおとなはどこにでもいるスーパーヒーローだが、ときにはヒーローらしからぬこともある。彼らは身近な人たちでさえ持たない強さと秘密を持っている。マントをまとって他者を助け、疲労困憊しながらも自身の力を使って成長し、他者の役に立とうとするだろう。人は人によってしか救われないというのに、自分を助けるために仮面をかぶり、信じられないほどの疎外感を抱いて生きるだろう。この本では、人生は終わりのない戦いなのか、最後には善が勝つのか、その過程で愛情はどのような意味を持つのかといった問いにも正面から取り組むつもりだ。だが、まずは物語の最初にさかのぼり、すべてが始まる瞬間や状況をあきらかにするところから始めたい。

(以上、「第一章 スーパーノーマル」了。続きは本をご覧ください。)

著者 メグ・ジェイ Meg Jay
アメリカの臨床心理学者。専門は成人の発達心理。ヴァージニア大学准教授を務める傍ら、個人カウンセリングも行なっている。臨床心理学およびジェンダー研究により、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号取得。著書『人生は20代で決まる』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は20万部超のベストセラーとなり、12カ国語以上に翻訳されている。出演したTED Talk「30歳は昔の20歳ではありません」は960万回以上再生されている。公式サイト:megjay.com

(書影はAmazonにリンクしています)

メグ・ジェイ『逆境に生きる子たち――トラウマと回復の心理学』(北川知子訳、本体2,600円+税)、『人生は20代で決まる――仕事・恋愛・将来設計』(小西敦子訳、本体740円+税)は、ともに早川書房より好評発売中です。