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子どもは「小枝」ではないーー「レジリエンス」にまつわる通説を覆す注目の最新刊『逆境に生きる子たち』冒頭試し読み②

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 一九六二年、心理学者のヴィクトール・ゲーツェルは、妻のミルドレッドとともに、Cradles of Eminence: A Provocative Study of the Childhoods of Over 400 Famous Twentieth-Century Men and Women(卓越した才能のゆりかご──二〇世紀の著名人約四〇〇人の幼少期に関する挑発的研究)を出版した。対象となったのは、少なくとも二種類の伝記が書かれている社会に貢献した男女で、ルイ・アームストロング、フリーダ・カーロ、パブロ・ピカソ、エレノア・ルーズベルトなどが含まれる。「挑発的」とは言わないまでも驚かされるのは、対象者の四分の三が子どもの頃に貧困、家庭崩壊、両親による虐待、アルコール依存症、ハンディキャップ、病気などの重荷を背負っていたことだ。健全な家庭で育ったように見えるのはわずか五八人、一五パーセント以下だった。「〈ノーマルな人間〉は、偉人の候補にはなりにくい」とゲーツェルは結論づけた。

「強靭な精神は、多大な困難と戦うことで形成される。心を揺さぶられる場面によって精神が高揚し鼓舞されるとき、さもなければ眠ったままの資質が目覚め、ヒーローや政治家を誕生させる」。第2代アメリカ合衆国大統領ジョン・アダムズの夫人、アビゲイル・アダムズのこの言葉は正しかったのだろう。どこを見回しても、目を凝らして見れば、逆境はありふれたものであるのはたしかだ。逆境は、不運な少数者が気まぐれに背負わされる荷物ではなく、傑出した人々、ヒーロー、そしてあちこちにいる無数のレジリエントな個人の人生に見いだせる。

 社会科学者は、当初、レジリエントな個人にほとんど偶然のように出くわした。心理学の黎明期からほぼ一〇〇年間というもの、研究者は精神疾患、とくに子ども時代の問題が成人してからの問題にどのようにつながるかに主に関心を示してきた。ジークムント・フロイトは、この考え方を一九世紀後半に広めたことで最も知られているだろう。しかし実際には、この考え方はすでに確立されていた。「どこに行っても、詩人は私よりも前にそこにいた」とフロイトは語ったという。「小枝を曲げれば、そのように木は傾く」との有名な言葉は、一八世紀の詩人アレクサンダー・ポープのものだ。

 しかし一九七〇年代前後には、別の少数の研究者たちが、小枝を曲げても木が常にそのように傾くとは限らないと気づき始めた。ミネソタ大学では心理学者のノーマン・ガーメジーが子どもたちの研究を開始した。母親が精神疾患にかかっている子どもには、同じように精神疾患を発症するリスクがあると思われたが、実際には徴候はほとんど見られなかった。ロンドンの精神分析研究所では、マイケル・ラターが貧困や親の不在に影響を受けていないかに見える少年少女について研究した。カリフォルニア大学デイヴィス校の心理学者エミー・ワーナーは、「カウアイ時系列研究」において逆境にあった子どもを追跡調査し、幼少期の不遇や家族不和を乗り越えたかに見える者に着目した。メニンガー財団では、ロイス・マーフィーとアリス・モリアーティが、困難を乗り越えた子どもたちを特定する「コーピング・プロジェクト」を共同で行なっている。スイスの精神科医マンフレート・ブロイラーは、自身の患者の子どもたちのほとんどがかなりの成果を達成していることに驚きを示した。成長過程の初期に遭遇した困難が、それぞれの人生において抵抗力を高める「強化効果(steeling effect)」を発揮し、子どもたちを驚くほど強くしていたと述べている。ちなみにブロイラーは、「精神分裂病(schizophrenia)」という用語をはじめて用いた精神科医オイゲン・ブロイラーの息子である。

 イギリスの精神分析医ジェームズ・アンソニーは一九八七年、「絶望や屈辱、抑うつ、剥奪、欠乏を伴う状況を乗り越えた子どもたちの姿は、たちまち臨床家と研究者の注目を集めたと思われるかもしれない。しかし最近まで、サバイバーもスライバー(成長した人)もほとんど気づかれずにいた」と記した。ところが突然、サバイバーやスライバーに対する関心が高まった。ヘレンのような若者は、少なくとも表面的にはアメリカン・ドリームを体現しているかに見え、「夢の番人」と呼ばれた。試練を乗り越え、断固としてわが道を進み、より良い未来を望み、成功するための機会を等しく与えられているように見えるからだ。

 レジリエントな子どもたちは、専門家だけではなく一般の人たちの想像力をも虜にした。研究者やメディアが最初に描いた姿は、彼らに実に信じがたいほどのなにかがあることを示していた。新聞や雑誌、本の見出しや題名には、「スーパーキッズ」「不死身」「無敵」「はがねの子どもたち」「スーパーノーマル」といった言葉が並んだ。不死身で無敵の子どもたちは、超人的なほどの能力を発揮して適応し、成功していた。だが、その歩みはどのようなものだったのだろう。

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 レジリエントな子どもは、学校でも家でも成功を収めることを期待されている場合が多い。研究者は一時期、彼らが社会科学をも救うと考えているかのようだった。トラウマの専門家、ジュリアス・シーガルが一九七八年の著作で言及したように、「壊れることのない子どもたち」は、特別な強さを持っていなくてはならないように見えた。それがなんであるのか、レジリエンスの秘密をあきらかにさえできれば、成功の秘訣もあきらかにできるだろう。「不死身の子どもたちよ! 彼らは研究者にとって最高の希望になるだろう」と、シーガルは称えた。

 そう考えたのはシーガルだけではない。世界中の研究者がレジリエントな子どもの人生を熱心に探究した。レジリエンスをもたらすように見える個人的資質を少しでも列挙しようとする熱意は、結果的に長いリストを生み出した。挙げられた資質のすべてを持つ必要があるわけではない。そんな人がいれば、本物の超人だろう。レジリエントな子どもたちは、少なくとも平均的な知性を備え、快活で魅力的な性格で、自制心、独立心、自負心、問題解決やコミュニケーションの優れたスキル、ユーモア、断固とした信念、友情を育む能力、楽観主義、魅力、誠実さ、良心、他者の目を引く能力や趣味を持つ。

 こういった優れた資質を用いて、環境がもたらす試練と戦っていたと考えたくなるが、その多くが環境のプラス要因からも助けを得ていたことは、すぐにあきらかになった。幸運な子どもたちには、愛情を注ぎ、温かく見守り導いてくれる少なくとも一方の親かおとながいた。兄弟姉妹のおかげで生き延びた者もいる。教師やコーチ、メンター〔指導者、助言者〕、親戚、友人など家庭外の関係に支えられた者もいれば、コミュニティに支えられた者もいた。いい学校は、昼食を与えるだけではなく心にも栄養を与えていた。周囲の環境が安全であれば、コミュニティセンターがあれば、子どもたちはそこでは子どもでいられた。図書館や教会、体育館、音楽室は避難場所であるとともに、彼らを励ます役割を果たしていた。

 レジリエンス研究で知られるアン・マステンが的確に表現したように、ヘレンのような人たちは実際にはスーパーパワーを持つわけではない。むしろ「ごく普通の力」、心のなかや家族、コミュニティに存在するありふれた特性を使い、それによって無から有を、小さなものから多くのものを、帽子のなかからウサギを取り出すのだ。しかしマジックがそうであるように、物事は目に見えているとおりではない。

 レジリエントな子どもやおとなの人生を間近で観察し、長年追跡すればするほど、どのように見るか、いつ見るかによって、レジリエンスは見えたり見えなかったりすると、研究者は確信するようになった。ほとんどの場合、研究者は、優れた成果の「観察可能な記録」を追いかける。学校でも職場でも簡単に観察できるからだ。だが、簡単には観察できない部分についてはどうだろう。すぐにあきらかになったのは、家庭では試練に見舞われながらも教室で好成績を収めている多くの子どもたち、とくにレジリエントとみなされる子どもが、内面ではストレスや孤独を感じていることが見落とされがちだという点だった。同じように仕事で活躍する多くのおとなが、表向きはなんの問題もないように見えながら、対人関係や健康の問題を抱えてひそかに奮闘し続けていることもあきらかになった。結局のところ、何十年にも及ぶ研究があきらかにしたのは、子どもたちのレジリエンスの背後に隠された秘密──どんな子どもも、どんなおとなも、本当の意味では不死身ではないという事実──だっただろう。

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 二〇世紀半ばにハインツ・ハルトマンは、正常な発達は、「平均的で予測可能な」環境でもたらされると指摘した。小児科医で精神分析医でもあるドナルド・ウィニコットが、「ほどよい(goodenough)」生育環境、平均的で予測可能な環境として挙げたのは、ほどよい安全、食べ物、愛情、平和、規律、監督、役割モデル、注意、愛情、そして子どもたちの世話をほどよく行なう少なくとも一人の親かおとながいる家庭、学校、近隣地域である。こういった環境で育ったとしても、年齢に応じたある程度の試練は成長にとって好ましいのだから、問題がなければいい、というわけではない。それでもハルトマンやウィニコットによれば、子どもたちが経験する試練は予測可能であるべきであり、文化のなかで正常とみなされる範囲を超えるべきではない。

 皮肉なことに、ハルトマンが描いたような平均的で予測可能な環境は、実際には平均的でもなければ予測可能でもないのかもしれない。私たちが考える以上に多くのおとなが、ハルトマンが言うところの「環境による平均以上の重荷」を背負いながら成長する。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の二〇一〇年報告書によれば、調査対象となった成人の約二五パーセントは、子ども時代におとなから言葉による虐待を、一五パーセントは身体的虐待を、一〇パーセントは性的虐待を受けていた。約三〇パーセントは両親の離婚を経験していた。同じく約三〇パーセントは家族の誰かがアルコールまたは薬物依存症の家庭で育ち、一五パーセントは暴力を目撃していた。約五パーセントは両親のどちらかが服役中の家庭で育ち、二〇パーセントは家族に精神疾患患者がいる家庭で暮らしていた。

 これらは「他人事」のように、貧困ライン以下で生活する人々だけにかかわる問題のように聞こえるかもしれない。経済的苦難はたしかに家庭での問題に起因するし、逆に家庭に問題を引き起こすものでもある。しかし一九九〇年代後半に始まり、アメリカ疾病予防管理センターやカイザーパーマネンテの協賛を得て行なわれた、ヴィンセント・J・フィリティーとロバート・F・アンダによる「子ども時代の逆境的体験(Adverse Childhood Experiences, ACE)」についての研究によれば、約一万八〇〇〇の中流家庭のうち約三分の二が、前述の逆境の少なくとも一つを、ほぼ半数が二つ以上を経験したと答えた。

 つまり、子どもたちは次々に試練に見舞われている。ヘレンの子ども時代のように、不幸な出来事は別の不幸を引き起こし、困難な時期は「逆境のパッケージ」として束になって訪れるのだろう。二〇〇四年の研究では、苦難の相互関連性が調査された。なんらかの逆境に見舞われた子どもの八〇パーセントは、少なくとももう一つの逆境にも見舞われ、五〇パーセントは少なくとも三つ以上を経験していた。

 そのうえ幼少期によくある逆境は一度限りの出来事ではなく、子どもの人生に何度も何度も何度も影響を与える。精神分析医エルンスト・クリスの言葉を用いれば、最も厄介なのは「ショック・トラウマ」ではなく「数珠つなぎのトラウマ(strain traumas)」であり、おとなになってからもずっと影響を及ぼし続ける。精神分析医のマスード・カーンは、これを「蓄積的トラウマ(cumulative traumas)」と呼ぶ。その重荷がどれほどのものかはおとなになるまで気づかれない。「少しずつ蓄積され、振り返ってみないとわからない」とカーンは語る。

 子ども時代の逆境がこれほど危険であるのは、必ずしも逆境に見舞われる子どもの数が多いためだけではない。子どもたちの日常生活や、成長過程の身体や脳に損傷を与えるからだ。困難な経験は、現在ではよく知られているように「有害なストレス」や「慢性ストレス」として体内にもぐり込む。慢性ストレスは、たとえて言えば、頭を何度も殴られるようなものだ。アスリートが脳震盪を起こし、意識を失うほど深刻な状態に陥ったなら、試合の途中でも退場させられるだろう。しかし、ふらついた程度なら問題なしと判断され、試合に戻されるはずだ。ところが神経学者によれば、打撲は程度にかかわらず、蓄積されるという。

 二〇一一年、アメリカ小児科学会元会長ロバート・ブロックは、子どもと家族に関する上院小委員会で、子ども時代の逆境は、「アメリカではおとなになってからの健康に悪影響を及ぼす主な原因となる可能性がある」と証言した。慢性ストレスが、潰瘍からうつ病、癌、自己免疫疾患などありとあらゆる疾患の可能性を高めるからだ。おとなも子どもも、たとえレジリエントであっても、この種のストレスによって傷つかないはずはない。困難をうまく克服し、しっかりと人生を歩んでいるように見えるが、なんの傷も負っていないわけではない。困難を克服すること自体、ストレスなのだ。

 二〇一七年、《ニューヨーク・タイムズ》紙に「勝ち目のない戦いに勝つことが、なぜ病気を招くのか」という記事が掲載された。紹介されたレジリエント・ストライバー(子ども時代の逆境を乗り越えた人々)に関する研究によれば、「物事が期待どおりに進まないときには、いままで以上に努力する」「自分の人生を望みどおりにできると、常に感じてきた」といった言葉に同意すればするほど、健康が損なわれる可能性があったという。ある研究者は、健康に関して言えば、レジリエンスはうわべだけだと主張する。

(「試し読み③」に続く)

著者 メグ・ジェイ Meg Jay
アメリカの臨床心理学者。専門は成人の発達心理。ヴァージニア大学准教授を務める傍ら、個人カウンセリングも行なっている。臨床心理学およびジェンダー研究により、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号取得。著書『人生は20代で決まる』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は20万部超のベストセラーとなり、12カ国語以上に翻訳されている。出演したTED Talk「30歳は昔の20歳ではありません」は960万回以上再生されている。公式サイト:megjay.com

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