見出し画像

小島慶子さん推薦! 逆境をバネに生きる「スーパーノーマル」たちの実態とは? 『逆境に生きる子たち』冒頭試し読み①

 親の離婚、虐待、いじめ、家族の病気や障害――さまざまな困難のなかで育ちながら、人並み以上の社会的成功を収める「スーパーノーマル」と呼ばれる人びと。その知られざるトラウマ、苦闘の実態とは? TEDトークで世界的に知られ、ベストセラー『人生は20代で決まる』の著者である心理学者メグ・ジェイ博士が、彼らの実像に迫る最新作『逆境に生きる子たち――トラウマと回復の心理学』が8月21日に発売になりました。ジェイ博士の20年におよぶカウンセリング経験をもとに、発達心理学や脳科学の最新成果、マリリン・モンローからバラク・オバマまで著名人の事例を織り交ぜ、トラウマからの回復と真の「レジリエンス(適応力)」を語る決定版の1冊です。刊行に合わせて、冒頭の一部を公開します。

第一章 スーパーノーマル

誰にも言えないことを抱えているほどつらいことはない。
──マヤ・アンジェロウ

 ヘレンは、電話で話したときの印象そのままだった。初回のセラピーでは、約束の時間きっかりにやって来て、背筋を伸ばしてソファーに腰かけ、握った片手にもう一方の手を重ねていた。型どおりのあいさつを交わしながら、迷わずに来られたかと聞いてみると、少しぶっきらぼうに返事が返ってきた。職場の会議が長引いてしまい、あわてて車を走らせたのに、途中でタイヤがパンクした。ガソリンスタンドまでなんとか車を転がし、急いでキーを預け、一時間で戻るからと振り返って叫びながらちょうど走ってきたバスに飛び乗った。近くのバス停でバスを降り、そこから走って来た、と。

「まるでスーパーヒーローですね」

 頬を涙が伝う。ヘレンは顔をゆがめ、悲しげに私を見つめて言った。「本当の私をご存じないから」

 大学を卒業後、より良い世界を目指して活動するNGOに加わり、ここ数年は世界中を駆け回って過ごしてきたという。「何カ国ぐらい回ったのですか」と聞いてみると、少しして返事が返ってきた。

「一〇カ国、いえ、一一カ国ですね」。アフリカでは社会正義のために、東南アジアや中南米では気候問題に取り組むために、東欧やカリブ海地域では青少年犯罪を減らすために努力してきたという。ヘレンは必要とされればどこへでも行った。そんなある日のこと、母親から帰ってくるようにと連絡が届く。

 父親が自宅で自殺したためだった。サンフランシスコの中心部から二時間ほど離れた郊外にあるその家の庭で、子どもの頃よく走り回ったという。ヘレンと二人の弟にはそれぞれベッドルームがあった。だからなのだろう。何年も前のある日、下の弟が真夜中に抜け出して裏庭にあるプールに向かったのにも誰も気づかなかった。溺れているのに気づく者もいなかった。

 十代にもならない頃から、弟が死ぬ直前に目にしたのがどんな世界だったのかを知りたくて、ヘレンも夜になると家を抜け出すようになった。しかしその後も毎晩同じことを繰り返したのは、少なくともそのわずかな時間だけは現実から逃げていられる気がしたからだった。どこか別の場所でやり直そうと、父親が言い出すことはなかった。母親は涙を見せず、末息子の思い出や、身長が伸びるたびキッチンの入り口につけた印を残して出て行くことを拒んだ。ヘレンは昼間は学校に通い、何事もないかのようにいい成績を取った。両親にとって娘は「強い子」でなくてはならず、実際そうだった。その一方で、夜になるとひたすら家の周りを歩いた。街灯の黄色い光に照らされては消えるヘレンを気にかけ、救い出してくれる人はいなかった。

 母からの知らせを受けて世界を駆け巡る仕事から戻ると、ヘレンはかつて歩き回った道をレンタカーでドライブした。この界隈のなにがいやだったのかは自分でもわからなかった。並んでいる家がどれも似通っていたからなのか、自分の家がどの家とも違うように感じていたからなのか。それからヘレンは父親のオフィスを訪れ、残された荷物を整理して段ボール箱に入れた。そのなかには、机の一番下の引き出しにこっそりしまわれていた空のボトルもあった。フタを緩めて鼻を近づけると、アルコールの臭いがした。父親が座っていたイスに深く腰かけて左右に回転させながら、部屋のあちこちに置かれたイスに雑然と積まれたファイルを眺めていると、自分も酔っているような気になった。オフィスを出るときには、父親の同僚に丁寧にあいさつした。彼らは気まずそうに慰めの言葉を返すとともに、彼女の大活躍をほめてくれた。「お父さんは君のことを誇りに思っていたよ。いつも君の話をしていたよ」。ヘレンもそのことを知っていた。家族にとって娘は、どんなときも慰めとなる存在だった。

 ヘレンは実家の近くですぐに新しい仕事を見つけた。大統領選の選挙運動のための資金調達で、今、この国で必要とされる仕事だと考えた。それに母親も娘を必要としていた。オフィスで支援者からの激励の電話を受けていると、母親からめそめそした声でよく電話がかかってきた。決して離れないと誓った家に抵当権が実行されようとしているらしい。ヘレンが私のオフィスにやって来て自身の物語を語ってくれたのは、そんなさなかの一日だった。

「いままで、誰にもこんな話をしたことはありません」。その頬を涙が伝う。「部分的に知っている人もいますが、全部を知っている人はいません。人は私のことを、成し遂げてきたことで評価します。そして、家族に起きたことを知るととても驚くのですが、本当のところ、誰も私のことをわかっていません。本当の私をわかってくれている人は誰もいないのです。それはさびしいことです」


 ヘレンはティッシュを畳んだり開いたりしながら、しばらく黙って座っていた。

「本当に疲れました。こんなことを言う自分に驚いています。ここに座って泣きながら、こんなことを言うなんて……。世界には私よりもっとたいへんな人たちがいるのはわかっています。この程度で疲れたとか悲しいとか言う権利はないのです。なにがいけなかったのか、わかりません。ときどき、自分にはどこにも居場所がないように感じます。自分が何者なのかもわからなくなるんです。ほかの人たちとは違っているような、そんな気がします」。そしてこう締めくくった。「私は、ノーマルじゃない気がするんです」

 自分のことを「レジリエント」だと思ったことはあるかと尋ねると、ヘレンは戸惑うというよりも不意を突かれたような顔をした。すぐに返ってきた答えにためらいはなかった。「いいえ、ありません」

「もしも私がレジリエントだとしたら」と、間違っているのは私だと言わんばかりに続ける。「私はここにはいないでしょう。こんなふうにセラピーに来る必要はないでしょうから」

 そして絶妙のタイミングで腕時計を見ると、「時間ですね。また来週お願いします」と言いながら頬の涙を拭うとドアを開け、急いで車を取りに向かった。

*****

 ヘレンは驚嘆すべき人物だ。子ども時代にしてもオフィスにはじめてやって来た日にしても、大小を問わず多くの困難を乗り越えてきた。弟の死、両親の悲しみ、父親の死、国際社会の不正、車のパンク……、なにが起きてもすぐに対処した。強く、断固としていて、愛情豊かで勇敢だ。家族のヒーローであり、家族以外の人にとってもヒーローだろう。疲れを知らないように見え、自分を必要とする人たちを救おうとし、世界中の見知らぬ人のために立ち上がっていた。直接知る人から見れば、ヘレンは驚異的だった。閉め切ったドアの奥で、疲れた、居場所がない、孤独だと訴えていようとは誰も思いもしなかっただろう。

 しかしヘレンは、自分で思っているほどほかの人たちと違っているわけではなかった。次に紹介するのは、子どもが経験することの多い逆境である。自分もその一人だったのかもしれないと思うなら、次の質問を読み、二〇歳までにこういった経験をしたかどうかを答えてほしい。

・親や兄弟姉妹を死亡や離婚によって失っているか。
・親兄弟にののしられ、悪口を言われ、屈辱を与えられ、恐れを感じるような振る舞いをされることが頻繁にあったか。
・親兄弟が、アルコール依存症や薬物依存症に悩まされていたか。
・学校や近所の子どもたちを恐れていたか、いじめられたことがあるか。
・親兄弟が、精神疾患などの深刻な病気にかかっていたか、特別な支援を必要としていたか。
・親兄弟からしばしば突き飛ばされたり、手荒くつかまれたり、ビンタを食らわされたり、ものを投げられたりして、打撲傷やアザが残るようなケガをしたことがあるか。
・洗濯をしてもらえなかったり、十分な食事ができなかったり、医者にかかれなかったりして、誰も自分を守ってくれないと感じたことがあるか。
・家族のなかに刑務所に送られた者がいたか。
・親や兄、姉、あるいは少なくとも五歳以上上の者から性的接触をされたり、そういったことをするように求められたりしたことがあるか。
・親兄弟からしばしば殴られたり、蹴られたり、たたかれたり、あるいは武器で脅されたりしたことがあるか。

「はい」という答えが複数あるとしても、あるいはこれら以外の逆境のなかで生きてきたとしても、あなたは一人ではない。個々の問いにあるような経験を持つ人はたしかに少数派だろう。しかし一つの問題は別の問題を生む。アメリカや各国での複数の研究からは、未成年の七五パーセントがこういった出来事の少なくとも一つを経験していること、言い換えれば「子ども時代の逆境」という範疇に該当する経験をしていることがあきらかである。それでもヘレンのような多くの若者は、幾多の苦難にもかかわらず、おそらくはその苦難ゆえに成長を遂げ、この世界で活躍している。社会科学者はこういった男女を「レジリエント」と表現する。

 アメリカ心理学会によれば、「レジリエンス」とは、逆境やトラウマ体験、悲惨な出来事、進行中の大きなストレスなどにうまく適応することだ。かなりの危険にさらされながらも発揮される予期せぬ能力だと研究者はいう。それは、厳しい難題に直面しながらも、成功を成し遂げる力だ。どのように表現するにせよ、レジリエンスは人が予想する以上のことを成し遂げる。悪いことばかりのときにも、良いことをもたらす。たしかに結局のところ、ヘレンは困難をくぐり抜け、成果を収めている。うまく適応してきたし、多くの人が予測した以上の能力を発揮し、成功を成し遂げてきた。だとしたら、ヘレンはなぜ自分が「レジリエント」だと思わなかったのか。

 問題は、私たちが「レジリエンス」を紛らわしいほど単純な言葉で語るところにある。「レジリエント」な人は「立ち直りが早い」と言われる。彼らは「回復する」。辞書を見れば、「レジリエンス」は病気や不幸、衝撃に見舞われたあとで、急速に、簡単に、もとの状態に戻れる能力、いわば弾力性として定義されている。風邪から回復するときや失業から立ち直るときなど、弾力性を強調する定義が意味を持つあらゆる状況がある。しかし、よく使われる表現のどれも、ヘレンの内面をあらわすには適さない。ヘレンのような人たちは急速に回復したり、もとの状態に戻ったりすることはなく、幼少期の経験によって永遠に変化したままだ。子ども時代の逆境の克服に関しては、レジリエンスは万能薬ではない。

 事実、社会科学者は、誰かが持つ(持たない)弾力的特性の一種としてではなく、認識しながらも完全には理解していない現象として、レジリエンスをとらえるべきだと考えている。私たちが現象としてのレジリエンスを見いだせるのはヘレンのような人たちの物語のなかであり、この本でこれから紹介する著名な男女の生き方のなかにおいてである。たとえば次のような人たちは、ヘレンたちが実は本人が感じているほど孤独ではないということ、むしろ仲間であることを示してくれる。

アンドレ・アガシ テニスプレイヤー
マヤ・アンジェロウ 詩人
アリソン・ベクダル 漫画家
ジョニー・カーソン コメディアン
ジョニー・キャッシュ カントリーシンガー
スティーヴン・コルベア コメディアン
ミスティ・コープランド バレエダンサー
アラン・カミング 俳優
ヴァイオラ・デイヴィス 俳優
ヴィクトール・フランクル 精神科医、ホロコースト生還者
レブロン・ジェームズ バスケットボール選手
バラク・オバマ 第44代アメリカ合衆国大統領
ポール・ライアン 第54代下院議長
オリヴァー・サックス 脳神経科医
ハワード・シュルツ スターバックス会長
アクヒル・シャーマ 作家
エリザベス・スマート 性犯罪撲滅運動活動家
ソニア・ソトマイヨール アメリカ合衆国最高裁判所陪席判事
アンディ・ウォーホル 画家
エリザベス・ウォーレン 上院議員
オプラ・ウィンフリー テレビ番組司会者、慈善活動家
ジェイ・Z ラッパー、実業家

 言うまでもなく、レジリエントな人のほとんどは有名人ではない。医者や芸術家、起業家、弁護士、活動家、親や隣人、教師や生徒、そして読者として、ありふれた風景のなかに存在するごく普通の男女である。彼らには、ボールやゴムバンドの跳ね返る力よりももっとふさわしい比喩がある。それは「スーパーノーマル」だ。レジリエントな存在であることの価値を認める高次の概念である。

 第二章以降で紹介する、著名人を含むさまざまな人たちの物語が示すのは、レジリエントな若者は困難に直面してもすぐに立ち直るという通説ではない。その行動は、実際にはもっと大胆で複雑だ。彼らは自身の人生の主役であり、他者には気づかれずにたゆまず激闘を繰り広げていることが多い。これから紹介するように、彼らは勇敢で、生涯続く危険な道のりを力強く歩む。何十年にもわたって関心を向けられ、調査研究の対象とされたのちでさえ、いまだに研究者を驚かせ、当惑させる存在なのである。  

 (冒頭「試し読み②」に続く)

***

著者 メグ・ジェイ Meg Jay
アメリカの臨床心理学者。専門は成人の発達心理。ヴァージニア大学准教授を務める傍ら、個人カウンセリングも行なっている。臨床心理学およびジェンダー研究により、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号取得。著書人生は20代で決まる(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は20万部超のベストセラーとなり、12カ国語以上に翻訳されている。出演したTED Talk「30歳は昔の20歳ではありません」は960万回以上再生されている。公式サイト:megjay.com

         (書影はAmazonにリンクしています)

メグ・ジェイ『逆境に生きる子たち――トラウマと回復の心理学』(北川知子訳、本体2,600円+税)は早川書房より好評発売中です。