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【試し読み】窮地に立たされた作家の苦悩をユーモアを交えながら描く長篇小説『レッド・アロー』(ウィリアム・ブルワー/上野元美訳)

「ぼくをだめにした本は、ぼくが書いた本だった」

初の詩集"I Know Your Kind"で高評価を受けデビューしたアメリカの作家ウィリアム・ブルワーが、自信喪失の作家の苦悩をユーモアを交えながら描き出したデビュー長篇小説『レッド・アロー』(原題:The Red Arrow)の邦訳を上野元美さんの翻訳で刊行します。

作家デビュー、次作契約、結婚…作家である主人公は成功をつかんだはずが、なぜか心が満たされない。うつ病に悩まされる彼はやがて、あるトリップに出ることに――。苦悩する作家の内に秘められた精神世界を見事に描き出し、全米図書賞を受賞したSF作家のチャールズ・ユウや、ネイサン・ヒルからも絶賛された本作の試し読みです。

装幀/森敬太(合同会社 飛ぶ教室)


『レッド・アロー』

ウィリアム・ブルワー/上野元美訳

最初に言っておきたい。いま、ぼくは幸せな気分でいる。ずっとこうだったわけではない。実をいうと、こんなことはほとんどなかった──満ち足りて楽しいと感じているときでも幸せでなかったのは、そうした気持ちはすぐにもやもやミストなるもので追い払われてしまうと知っていたからだ。幻想なのだと。いまのぼくが幸せなのは、あのジャーニーがうまくいったおかげ、治療が効いたおかげだ。治療の話はあとまわしにしよう。でないと、読む気が失せるだろうから。

とりあえず説明すると、肉体的には文句なく健康で(最新の善玉コレステロール値は基準より高く、悪玉は低く、脈拍は正常、薬物依存は一切ない)、出来損ないの作家で33歳のぼくは、ボローニャ経由でモデナへ行くため、ローマのテルミニ駅で出発を待つ高速列車フレッチャロッサに一人で乗っている。イタリアにいるのはハネムーンで来たから。結婚したのは9カ月前の9月だが、季節を選んで旅行を──妻と話し合って、この旅行はぼくが全部まかなうことに決めてある──延期した。妻のアニーはまだぐっすり眠っている。パスキーノ広場に面した17世紀のタウンハウスを改装してイタリアンデザインの殿堂となった超高級ホテル〈G‐ラフ〉の、名高い家具デザイナーであるグリエルモ・ウルリッケのデザインした家具ばかり置かれた彼の名のついた部屋の、独創的デザインの壮麗なキングサイズのベッドで。まるでそのデザイナーを知っているかのように話してはいるが実は知らない。

ある物理学者を見つけたくてモデナへ行くのだ。契約書にあるとおり、この企画が完了し、ぼくの功績を認めてもいいと彼が思うまで、公式非公式問わず、彼の名を挙げたり、彼の仕事をしていると明かしたりすることは禁じられている。だから物理学者と呼ばせてもらうが、モデナ出身の高名な理論物理学者なので調べればすぐにわかるだろう。

なぜ物理学者を見つけたいかというと、原稿をもらわなくてはならないからだ。具体的には彼の人生物語の原稿を。もっと具体的には、彼のいう"大いなる悟り"、つまり彼の"認識における飛躍"から現時点までの後半部分だ。覚醒した彼は物理学をきわめ、いまだに異論はあるが独創的な量子重力理論を発表した(その理論の名も挙げてはいけないことになっている)。誕生から覚醒の一年前までの原稿は受け取った。だが、重要なのはその"悟り"の部分なのだ。それこそが借金地獄を抜け出すチケットである。この国最大級の出版社に本を書くと約束して相当の前払金をもらったのに、その本を書くことができず、おまけに、たとえば高級ホテル、G‐ラフのジュニアスイート4泊などですべて使いはたしてしまったから金を返せない。マンハッタンの高層ビルにいるダークスーツの大勢の男女が、約束を果たさないぼくに法的な後方かかえ投げスープレックスのわざをかけようと手ぐすね引いて待っている。

救いは、治療を受けたあと、こんな状況に陥った自分を許せるようになったことだ。そのことをありがたく思っている。治療には人生を変えるほどの計り知れない影響があったとしても──確かにあった──借金は厳然たる事実で、解決しなければならない問題であることに変わりはなく、さらに、金銭的なもの以外の重みにつきまとわれていることを無視できないことはわかっている。借金は、イバラの茂みを歩んできた年月で足に刺さった最後のとげなのだ。棘は、その年月をよみがえらせ、そこにぼくをつなぎとめるだけでなく、ぼくが授かった新しい人生を汚染する力も秘めていた。だから、幸せな気分なうえ頭はすっきり冴えているのに、今日がどんな一日になるかと心配のあまり、G‐ラフの超豪華な朝食を一口も、カプチーノのほかは生ハム1枚やメロン一切れすら食べられなかった。いまは腹の中にいるカプチーノのおかげで、この列車が目を覚まし、ぼくを結末へと運んでくれることを強く望んでいる。

解決法は簡単だ。物理学者を見つけて原稿の残りをもらい、彼の回顧録を代作ゴーストライトするという雇われ仕事を完了すればいい。実は、人生を変える治療をどう見るかしだいで悲惨とも幸運とも受け取れる一連の経験を通して、物理学者の回顧録のゴーストライターを務めれば出版社からの借金を帳消しにできると気づいた。ゴーストライター稼業に乗り出せば、普通なら報酬として受け取る金額がマイナス残高から差し引かれる。彼の人生について書けば書くほど、自分の人生を取り戻せるのだ。

そんなときに彼は姿を消した。いなくなった。いつ電話しても留守電。Eメールを出してもなしのつぶて。しかも取次人は何も教えてくれない。この仕事には昔ながらのプロ同士の協調の精神が少しはあると思っていたのに、いまは彼の居場所にぽっかりと穴が開いている。穴のせいでプロジェクトは立ち消えになるだけでなく、ぼくの借金が息を吹き返す。ドルに換算するとぼくの価値はほぼゼロなので借金を返済できない、というのは誰もが認めるところだろう。ただし例外はカリフォルニア州で、州の"共有財産"法によると、ぼくは結婚しているので価値はほぼゼロではない。つまり、ぼくが訴えられたら、アニー──心がきれいで聡明でしっかり者のアニーの愛情だけはどうにかつなぎとめてきたし、治療後はとくに、毎日いっそう深く敬愛し慈しんでいる──は給料を差し押さえられ、個人資産を没収されてしまう。そう考えるだけでもう、ぼくの胃はメイタッグ洗濯機のようにきりきり回って熱くなる。

さらに悪いことに、Richardsリチャーズという男──本人はその名を"リシャード"と発音する。最後のsは黙音か?──はひっきりなしにこの事実を突きつけてくる。リシャードはこの回顧録の編集を担当する中年の男で、法務博士号JDを取ってモンタナからニューヨークに出てきて出版界に入ったのに、いまだにモンタナ州ボーズマンでこけら板を張っているような話し方をする。この業界に入ってしばらく経つらしいが、これまで聞いたところでは、ここ数年は辛酸をなめてきて──「おれはここ数年辛酸をなめてきた」と何度も聞かされた──危ない橋を渡ってまでりで勝ち取ったこの本、物理学者の回顧録が、職を守るための最後の大きな賭けなのだ。その重圧に加えて、最近刷新された出版社の経営陣から、彼の言葉を借りると「マークされている」。控えめに言っても、彼は最初からこの本の制作に対して鬱屈したものを抱えていた。そして、すべてが崩れた。物理学者が消えてすぐにリシャードに、お偉方に事情を説明するのが無駄と決まったわけじゃないよと言ったとき、電話口で彼はやや悲しげな声で笑い、「結び目に向かって吠えるようなもんだ」と言った。どういう意味かはわからない。

リシャードには心から同情するが、精神的に破綻しかけているんじゃないだろうか。それか、すでに破綻したか。最初のころの彼のメールはまだ意味が通じていた。なんとなく不安そうに、知らせは来たかとほぼ一日に一回尋ねてきた。そのたびに、物理学者と直接やりとりしたことはないからぼくにできることはないと書いた。でも、それは耳に入らなかったようだ。そのあとメールの回数と切羽つまった感じが増した。"おれはどうすればいい?"みたいなことを書き始め、それが"おれたちはどうする?"となり、"きっときみはやきもきしているだろうな"と少し踏み込んできて、"きみのような事情では──これがきみと奥さんにとって思わぬ不幸となりかねないことを法科大学院で学んだよ"というところまで進み、"おれたちは破滅だ"と"きみたちは破滅だ"、そして最後に"おれは破滅だ"。

そのあと1日に1度、ときには2度電話してくるようになって、そのたびに留守電に伝言を残すものの、聞き取れるのは言葉と言葉のあいだの妙に苦しそうな息の音だけ。スープをすすっているような音だ。

すると、ほんの数分前、タクシーで駅へ向かっていたぼくをフェイスタイムで呼び出すという全く新しいレベルに到達した。応答すべきでないのはわかっていたが、彼がフェイスタイムを使うことじたいがとても奇妙に思えたので、ひょっとしたら物理学者と連絡が取れて万事問題ない、残りのハネムーンを楽しんでこいと言うつもりかもしれないと考え直した。で、ビデオ通話に出ると、オンラインで見る写真と同じ顔が現われた。ボクサーのように赤らんで腫れぼったく、こういうのを矩形くけいというのだなといつも思って見ているが、短い角刈りにした白髪の頭頂部は真っ平らで、スマホの画面にぴったりはまっているものだから、画面を通してぼくに話しかけてくるのではなく、彼が画面そのものというか、ぼくの手の中の未来から来た、肉体と分離したデジタル人間みたいだった。

「ぼくにフェイスタイムしてくるとはね」


大きな溜め息がスピーカーをかきむしった。「苦戦したよ」誰に言っているのかわからないような話し方だった。


「消息がわかったとか?」


「顔を合わせて話すほうが互いのためになると思っただけだ」目はぼんやりして、ぎらついていた。

「そっちは朝の3時だろ──飲んでいるのか?」


「ちょっとできあがってるかもな。辛酸の数年だった。もっと悪くてもおかしくなかった」


少年のようなすなおな孤独感がリシャードから放たれた。それは明白だった。ビデオ通話でぼくにこれを感じさせたかったのだとしたら、その作戦は成功した。彼を気の毒に思った。ぼくが最近ようやくおさらばした感情空間からの叫びに思えた。回顧録にぼくが関わるのを忌み嫌っていた彼は、思いやりをもってぼくに接してくれたとはとうてい言えないし、もっと最近では、ときにはぼくを動揺させるために、下劣にも妻のことを持ち出すなど──すべては彼ひとりの不安を軽減するためだったかもしれないが──底意ある迷惑なしつこい存在になっていたとしても、この男を助けたかった。苦痛を和らげてやれ。ぼくの精神は、そのときタクシーの車内で手の中のリシャードを見ているぼくにそう訴えてきた──そんなことを思うとは2、3週間前には想像もできなかった。温かい気持ち。偽りのない気持ち。ぼくたちがありのままで一体となる瞬間に、根源的不安という場所からぼくに手を伸ばしてくる現実の傷つきやすいリシャードと分かち合おうとしている気持ち。ところが、ぼくが口を開こうとしたとき、彼の顔全体がこわばり、彼のデジタルの目は画面を見据えてぼくの目をまっすぐ見つめ、とげのあるそっけない声で「きみにとってもずっと悪くなる、それを忘れるな」と言ったのだ。

画面の熱を感じた。ぼくは目を逸らした。タクシーのフロントガラスの向こうに現われたテルミニ駅が、現実に徹した人間味のないものに見えたのは、リシャードに言われたことのせいかもしれないし、飾り気のない簡素なモダニズム建築のせいかもしれないが、ぼくの目には、苦しむリシャードが一緒にドアから入ってほしがっている牢獄に見えた。そう感じられて、ぼくはおびえた。でもいまは、不安に襲われると、その不安が見えるような気がする。視覚的にではなく感覚的に、ぼくの内部で電気を帯びた雲が発達してぎざぎざの波となって広がっていく。内部で起きているのに、でもぼくの一部ではなく、ただ別のこととして発生し、そしてそれが終わり、そのあと意識すらせずまたスマホに目を戻し、笑みを浮かべて「そうか、リシャード──しかたないね。じゃ、ぼくはこれで」と言って電話を切り、タクシー代を支払って人混みにまぎれた。あつらえのスーツやサマーリネンに身を包み、スーツケースとスマホを握りしめ、腕時計を確かめ、乗車券や煙草はあるかとポケットを叩きながら、ここではないどこかへ行く必要に迫られた個別の無数の事象が、乗り込んだフレッチャロッサ9318号からぼんやりとかすんで見えた。いまは8号車の19Dに座って、高速鉄道での日帰り旅行の始まりを待っている。ボローニャまで北上し、そこでローカル線に乗り換えて3つめのモデナ駅で下車する予定。昨日から、ぼくとぼくの過去をつなぐ最後の糸を断ち切ることのできる男がそこで見つかるような気がしている。

4人掛けのボックスシートには他にだれも来ない。治療前なら、ぼくはすべての人から嫌われているんじゃないかという根深い疑いの裏付けだと決めつけていただろう。嫌われる理由? たくさんある。どんな理由でもいい。とにかく、ぼくの存在そのものが嫌悪感を抱かせるのだと思い込んでいた。ぼくを目にすれば誤って腫れ物に触れてしまったも同然みたいに。自分はそういうものだと──うららかな現実の中にできた腫れ物だと思っていた。もちろん、腫れ物に見えはしないが、それが忌まわしいトリックのなせるわざだった。感じられるものの目には見えないマイナスのオーラがぼくにまとわりついていたのだ。薄暗い影程度の不快さの日もあれば、今日──結局できなくてすべてをめちゃくちゃにし、いまの状況に追いやった自分を直視する日──みたいに、殺虫灯の強烈な光のように猛威をふるう日もあった。だが、いまはそう思っていない。ぼんやりと窓に映る赤い顎ひげとそばかすのある顔を見て、完全に普通だとわかっている。

通路の上の小さなテレビに、長靴形のイタリア半島に赤い線で示されたローマからボローニャまでのルートと、ゼロで静止している速度計と、出発までの時間をカウントダウンする時計が表示されている。減っていく数字を見ながら、背筋を伸ばして胸を開き、安定した自然な呼吸で空調の空気を吸い始める。一回、そしてもう一回と集中して続けながら、まず腹が、その次に意識がすっかり落ち着いて、その奥に身を隠して目を光らすことができるのを待つ。

スピーカーから流れてきた録音済みのアナウンスで一語だけ聞き取れたのは、昨夜までは単なる音でしかなかった"フレッチャロッサ"だった。ウルリッケのベッドでうとうとして──意識の半分はこの世界に、もう半分は夢も見ない深い眠りの世界に──いたときに「赤い矢」と言う声を聞いた。何の脈絡もなかったので、あの世から届いた呪文のようだった。というか、ぼくはそう思い、それを口にしたのが部屋にいるアニーだったことに気づかずに眠りの奥へ引き込まれていった。アニーは黒いジーンズに黒いブラウス、差し色に緑色のシルクのスカーフという夕食時の服装のまま、前世紀中期のデスクにつき、その日覚えたイタリア語の単語と、いつどのようにしてその語が耳に残ったかをノートに書き留めていた。それが一週間前にこの国に来てからの毎夜の習わしだった。勤めている会社で新しいAI活用言語習得プログラムの開発チームに入ったときに始めたイタリア語学習を続けるという意志の表われだ。「わたしの仕事は言語を習得するだけじゃないわ」やり始めるときに彼女は言った。「どのように、いつ学ぶかに注目することよ」

こうして彼女は単語を集めるのに夢中なあまり、頭の中で訳語が浮かぶと叫んだりする。昨夜の夕食のときにメニューを見ていたら、いきなり「司祭の絞殺魔」とえらい迫力で言ったので、ぼくは思わず顔を上げてあたりを見回した。「ストロッツァプレティ」彼女は声を潜めて続けた。「テレビで〈モンタルバーノ警部〉を観たときにストロッツァーレが出てきたわ。きっとそうよ」と言ってスマホで検索してから顔を上げてにっこりした。「やっぱりね。ストロッツァプレティ──"司祭の絞殺魔"──パスタにしてはすごい名前ね」そのときやっと、メニューのパスタのことを言っていたのだとわかった。

「赤い矢」ベッドにいたぼくは無気味な力強い声をまた聞いた。ぼくが流されていく暗闇の縁に見えた火のごとき声。そのとき突然、まだ目覚めていた意識の半分がそれをしっかりつかんでぼくの身体を起こし、部屋の向こうからぼくを見ているアニーに目を向けさせた。「赤い矢」3度めだ。「出発はいつ?」目覚めたのかどうか自信がなくて、ぼくは目をぱちぱちさせた。「フレッチャロッサ」彼女は一つ一つの音節を伸ばしてゆっくりと言った。「列車のことよ──朝は何時に駅へ行かなくちゃならないの? 目覚ましをセットしてね。明日の計画はもう決まってるけど、あなたと一緒に起きる予定はないから」フレッチャロッサと"赤い矢"は──まさにその瞬間、半分目覚め半分眠った状態の意識の中で個々の言葉で存在するのをやめ、ぼくの言語野で永遠に一体化した。なめらかに動く高価な腕時計の歯車が初めて動きだしたような、明確でよどみない身体感覚。とても心地よい。そのあと、闇がやさしくぼくを引きずり込んだ。

そしていま、スピーカーから流れてきたそれを聞いて、意識の前方のどこかで浮遊する言葉が見えた。最初に"フレッチャロッサ"、そのあと"赤い矢"、その次はただの"矢"。ひげ飾りのついた光る文字が小さく震えながら磁石のように新しい語を引き寄せ、物理学者が回顧録の冒頭に選んだ文章が作られてゆく。必ず入れてくれと彼が希望した一文──講演や対談でいわば謳い文句として彼が長年使ってきた文章であり、彼の思考を聴衆で満員の部屋へ開放するドアであり、そしていまは彼の人生録の始まりとなる文章だ。

"時間は起点と終点のある一本線ではない。さまざまな先端を持つ一本の矢なのだ"。


心の目でそれを繰り返し読むうちに、現在が変化して柔らかくなり、そののち花のように開いて、とても長い花びらの一枚一枚が、ぼくをここへ導いた一点へくるりと巻き戻るのを感じる。

***
続きは本書でお楽しみください。

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