ウェイプスウィード文庫カバー_cmyk

瀬尾つかさ「ウェイプスウィード」⑦ 人類の研究者

7月5日(火)発売の瀬尾つかさ氏による海洋SF『ウェイプスウィード ヨルの惑星』。第1話の全文公開の最終回を公開します。(前回はこちら

 生き物がみな、生存と繁栄のための合理的な行動を取ると考えるのは素人がよく犯す間違いだ、とケンガセンは知っている。
 逆なのだ。たまたま合理的な行動を取った個体が偶然にも支えられて生き残ってきた、ただそれだけなのだ。
 自然とは淘汰の歴史だ。より合理性に優れたものが、より高い確率で生き残っていく。だがそれは結果である。統計である。過程において、個々の事象においてはもちろん、合理性に欠けながらも生き延びる、愚鈍だが幸運な者も存在するのである。
 それらはいずれ、淘汰されるかもしれない。
 だがごく一時期に限っていえば、そんな存在が大きな顔をして通りを闊歩していることだってあるのだ。
 そして誰が生き残るのかをたちどころに知ることができるほど、人類はまだ賢くはないのであった。

 知識の館の電脳体は勘違いした。
 ウェイプスウィードの特性について、いや知性について、おおきな考え違いをしていた。
「大旋回の前後で一番変化していたのは、水中の酸素濃度でした。ウェイプスウィード内のプランクトンは、大旋回の後にむしろ減っていたんです。つまり大旋回の一番の目的は、やっこさんの頭脳の働きを活性化させることだったんですよ」
 構造体の中心部に存在した白いドーム。
 あのドームの中の構造は未だわからない。せいぜい、あの内部かその周辺に知識の館のサーバーが存在すると推測できるくらいだ。いや、もうひとつ。あのドームの内部には、ウェイプスウィードの脳に相当する器官が存在するのだ。これはもはや、疑いの余地がない事実であった。
「ウェイプスウィードは、潜水艇が侵入するたびに大旋回を発生させました。この正体不明の侵入者についてよく調べようと、おおきく息を吸い込んで……。つまりね、観察されていたんですよ、おれたちは」
 ケンガセンは知識の館の通信端末の前で、蒼い顔をした教授に笑いかけてみせた。
 教授の話によれば、一時は大量増殖しコロニーを覆い尽くすかに見えたウェイプスウィードの菌糸は、ある時点でぴたりと成長を止め、たちまち枯れてしまったらしい。
 ただしその終末において、ウェイプスウィードによるコロニーから地球への短い通信があったとか。通信内容については現在解析中だという。
 ウェイプスウィードに操られていたアダラク以下数名は、通信室内部で気絶しているところを発見された。彼らは現在、精密検査を受けているが、彼らを操っていたなにものかの痕跡は見事なまでに消滅しているらしい。
「ウェイプスウィードは、ただ知りたかったんです。おれたちがウェイプスウィードにいろいろなものを照射して反応を調べたように、ウェイプスウィードもまたおれたちにちょっかいをかけて、反応を調べた。本気で人類全体を殺すつもりなんてなかったんだ。ちょっとばかりモルモットを消耗させてしまう可能性もあったけれど……まあそんなの、やつにとってはたいしたことないんでしょうね。だってやつは、ただ研究していただけなんですから」
 ケンガセンはかたわらのヨルを見た。
 ヨルはなんともいえない顔で、手足のついた本の中央ページに映る『母』と会話していた。ウェイプスウィードの中でヨルが聞いた声は、幻聴ではなかったのだ。ヨルの耳にとりつけられた受信機は、電脳体となった『母』の声をヨルに届けたのである。
 ポッドに入るとき、すでに脳に損傷を受けていた、と『母』はいう。その怪我を治すのに三年かかった、と。
 謀殺された後にポッドに入れられ、電脳体となった彼女は、長い時間をかけてデータの欠損を埋めていたのだ、とケンガセンは解釈した。とはいえヨルにはその意味が正確に伝わっているだろうか。十二歳の少女は未だ、ポッドの中に入る、という意味を完全には理解していない。
 映像の中の若い女性は、けろりとした顔で、ヨルにウェイプスウィードの考えとおぼしきことを披露していた。
 これは人類に対する警告なのだ、とヨルの『母』は主張していた。自分たちは神にして主たるウェイプスウィードの考えがよくわかっていると。だからこそこの島の皆は、その御心にそって動くべきなのだ。『ばあちゃん』は正しかった、とヨルの『母』はいう。だからヨルも黙って『ばあちゃん』に従うべきだ。若い女性はモニターの中でそう訴えていた。
「母さんは、ばあちゃんに殺されたのに」
「島を守るためには必要だったのよ」
 ヨルの持つタブレットの中に遺された、ヨルの母が集めたデータは、知識の館の電脳体たちがウェイプスウィードを支配者として受け入れていることを示していた。ヨルの母は、三年前、この事実をコロニーに伝えるつもりだった。
 ただし、それはヨルが考えるような正義感から出た行動ではなかった。タブレットの情報をじっくりと読み込んだケンガセンは、いまや理解している。
 ヨルの母は『神』を信じていた。
 ウェイプスウィードこそが自分たちを支配するべき超越者だと、そう信仰していた。超越者はここにいるのだ、自分たちの傍にいるのだと、コロニーに対して高らかに宣言したかったのである。
 ヨルの母は計画を実行に移す前に殺された。説得する時間がなかったのだろう。ヨルの母はすぐにでもコロニーから降りてきたシャトルに接触しようとしていた。そして自らも電脳体『母』となった。いまの彼女がなんらかの存在に思考干渉を受けているのか、それはケンガセンにはわからない。
 ヨルにはやんわりと、この事実を伝えてあった。黙っていることも考えたが、賢い彼女のことだ、いつかタブレット内に遺された母の言葉の意味を理解してしまうだろう。ならばケンガセンの目が届いているうちに、心の整理をさせてやりたかった。
 はたしてヨルは、事実を受け入れた。ありのままに。
 自分のまわりの世界が、いともたやすく迷信とありもしない意思を受け入れている事実を理解した。
「母さんは、それで、幸せ?」
「ええ。いまのわたしは幸せよ。だからヨルも、そろそろ偉大なあの方の御心を理解なさい」
「理解しないと、わたしも、殺すの」
「コロニーは天罰を受けたわ。わたしたちが隠れ住む時間は終わった。これからは新しい時代が来るのよ。ヨルは賢いから、わかるわよね。よく反省し、主に仕えなさい。そうすればきっと、許してもらえる」
 少女は困った様子で顔をあげ、ケンガセンを見る。ケンガセンは黙って首を振った。『母』のいう主とは、ウェイプスウィードのことだ。電脳体となった彼女たちでも、ウェイプスウィードの意思を理解できていない。ウェイプスウィードは彼女たちを支配しているが、その意図について説明しない。いや、できないのかもしれない。
 そして電脳体は、誤解する。『神』の言葉を曲解し、行動する。
 迷信。それがなによりも嫌いなヨルにとって、『ばあちゃん』や『母』のこの姿はどれほど醜悪に映っているのだろう。
 ケンガセンは菌糸に囲まれた潜水艇が脱出したときの光景を思い出した。ほんの少し信頼を失っただけで、エルグレナはこれまで二人三脚の関係だったウェイプスウィードの構造体から放り出されてしまった。共生、相互依存といったところで、蜜月がいつまでも続くと考えるのは思い上がりもいいところだ。知識の館とウェイプスウィードの関係だって、はたしていつまで続くだろうか。
 前身となったミドリムシ同様、エルグレナは失った葉緑体を三日ほどで回復させ、他の共生先に受け入れられるだろう。しかし急所ともいえるサーバーを押さえられた知識の館の電脳体たちは、他の主人を探すことができるのだろうか。
「ではウェイプスウィードは、いったい我々人類との関係を、どのようにしたいのだと思うかね」
 一方、ケンガセンの前の画面では、苦々しい顔で教授が唸っていた。こうなっては彼にも多くの責任が発生することだろう。地位を追われることは確実だ。それはもちろんケンガセンもなのだが……。
「さあね。異質な存在の考えることなんて、理解できなくて当然ですよ」
 それでも、もしウェイプスウィードの思考様式を人間にあてはめるとしたら、と断ってつけ加える。
「やつは研究者なんですよ。それもとびきり優秀な。やつは今回の一件で、大量のデータを手に入れたはずです。だったらいまごろ、『しばらく放っておいてくれ』って思っているんじゃないですか」
「なぜそう思うのかね」
「だって教授、研究に没頭していると、すぐそういっておれたちを追っ払うじゃないですか」
 ケンガセンの言葉に、モニターの向こうの教授は、ますます顔をしかめた。

(了)

ヨルとケンガセンのその後を描く第2話「沼樹海のウィー・グー・マー」、第3話「ヨルの惑星」は書籍版でお楽しみください。

『ウェイプスウィード ヨルの惑星』
瀬尾つかさ/ハヤカワ文庫JA
イラスト:植田亮

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