著者・石井光太×担当編集者(教育学を学んだ元東大生) 自宅に跳び箱、アイデンティティー・クライシス……『教育虐待』特別対談を試し読み公開
『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』(石井光太、ハヤカワ新書)は、ゆがんだ教育熱が子供に及ぼす影響や社会問題を炙りだす話題作。同時発売の【NFT電子書籍付】版のNFT電子書籍に特典として収録されている「対談 子供の成長に必要なもの」から、冒頭部分を試し読み公開します。
頻発する「教育虐待」は、なぜ見過ごされてしまうのでしょうか……?
対談 子供の成長に必要なもの
石井光太 × 担当編集者(教育学を学んだ元東大生)
見過ごされる教育虐待
石井 家庭で教育虐待を受けた人たちが学力の高い学校のなかにどれだけいるのか、一ノ瀬さん(注:本書担当編集者。東京大学教育学部卒)の実感としてはどうでしょうか。みんな表立って言わないでしょうけど、なんとなくわかる部分もあるじゃないですか。
たとえば私の家の近くにも某進学塾があって、駅前にお母さんたちがずらっと並んでいるわけです。夕方になると近くの喫茶店が全部埋まっていて、そこで子供たちがお母さんと一緒に予習をしているんです。子供たちが塾に行っているあいだは、お母さん同士で喫茶店に残って授業が終わるまで待っていて、あの子はどこのクラスだとか、何位だったらしいとか、そういう話しかしていない。この家つらいなと思いながら先日も見たり聞いたりしていたのですが、そういう子たちが実際にどこまでのレベルの大学に行くのか。
一ノ瀬 おそらく、私の身近にもいたんだろうなとは思いますね。先日、ある弁護士の方と話す機会があったのですが、その方は母親から教育虐待を受けていたと言っていました。おじいちゃんの代から弁護士で、法律事務所をやっているという家庭で育って、あなたも将来は弁護士になるのよと言って育てられて。小学生の頃、学校で跳び箱ができなかったときに、家に帰ると跳び箱が買って置いてあったそうです。
その人は弁護士になっていますし、大学在学中に当時最短と言われる20歳で司法試験に受かったということなので、教育虐待を乗り越えた人なのですが、そういう話も聞きました。だから、エリートと呼ばれる階層のなかにも教育虐待はあるし、感情として尾を引いているケースもあるのだろうと思うんです。
石井 もちろん勉強させられているわけだから学力は高くなるし、学力の高いところにも、いまおっしゃったように教育虐待を受けている人がある程度の割合でいるのだろうけれど、私が思うのは、逆につぶれてしまう人はどれぐらいいるのだろうということです。
たとえば本書で書いたように、フリースクールや少年院にスポットを当てたときに、そのなかで教育虐待を受けた人の率の方が、東大生のなかで教育虐待を受けた人の率と比べて明らかに高いと思うんです。成功事例だけを見て厳しい教育を良しとするのではなく、分母が多い失敗事例を見ていかないと、実態はわからないのではないかと思います。
一ノ瀬 そうですね。失敗事例についても、たとえば医学部9浪母親殺害事件のように重大事件になればそこではじめて明るみになるのだけど、親子という閉じた関係性のなかに隠れてしまって表に出てこないということもありますよね。
石井 はい、医学部9浪の事件や神奈川県金属バット両親殺害事件といったわかりやすい形で表出することもなく、つぶれてしまう人たちの方が圧倒的に多いはずです。
今回、受験うつも取材しましたし、あるいは、今回は書いていませんが、大人の精神疾患・メンタルヘルスを取材すると、やはり家族との関係性が一番の要因にある。身体的虐待や性的虐待であればトラウマ的な体験としてわかりやすいのですが、教育虐待は見過ごされがちで、虐待としてほとんど認識されていない実情があります。
少年院が典型的で、虐待を受けた子が統計的に男は三割、女は四~六割とされますが、少年院の教官に話を聞くと「そんなはずはない」と。「全部、問題のある家だ」と言うんですね。実際にインタビューして話を聞くと、残りの子たちのなかに教育虐待のケースがかなりあるのですが、少年院の調査の仕方では虐待のカテゴリに入ってこない。
一ノ瀬 教育虐待の典型は暴言などの心理的虐待だと思いますが、そういった認識もされていないということでしょうか。
石井 されていないです。家庭の調査があって、あなたの家はどういう家庭で、お父さんお母さんはどういう人ですかという質問をするんです。虐待にどういうものが入ってくるのかというと、お父さんとお母さんが毎日殴り合いのけんかをしていてそれを見ていましたというケースとか、一日に親が何十回も怒鳴り散らして、児童相談所に通報が行って何度か注意を受けていますというケースです。そういったものが心理的虐待として認識されていて、子供自身もある程度そのように認識しているのだけれど、親が「勉強しなさい」と厳しかったというのは、本人がそれを当たり前のことだと思って虐待だと認識していないので、「うるさかった」「面倒くさかった」で話が終わってしまう。そうすると、聞く側もそれ以上突っ込まないので、教育熱心な親だったんだなということで終わってしまう。そこを掘り起こしていくと、いわゆる教育虐待があるのだけど、カウントされていかないんですよね。
いま、体罰がようやく少しずつなくなってきたじゃないですか。それは体罰禁止という法律ができて、子供たちもそれを理解し始めたから、体罰を受けたときに「自分は虐待を受けた」となるわけです。でもひと昔前まではそれがなかった。本人たちも虐待だと思っていなかったし、社会もそう思っていなかった。
そういう意味でいうと、教育虐待を心理的虐待のなかに入れてもいいのだけど、そのなかでもカテゴリをつくらないと、なかなか解決には向かわないのかなと思いますね。
自己選択とアイデンティティー・クライシス
一ノ瀬 私自身を振り返ると、親から教育虐待は受けていないと思います。「勉強しなさい」と言われた記憶はなくて。地元の市立の小中学校、県立高校と進んで現役で東大へ行ったのですが、勉強に目覚めたのは中学生のときだったと思います。中学では定期テストの順位がずっと1位で、それが楽しくてやっていたんです。
石井 高校のときも1、2番とかのレベルだったのですか。
一ノ瀬 一桁台とか十数位とかそれぐらいでした。
石井 十数位のなかでバチバチに戦うわけなんですか。
一ノ瀬 そうですね。そのあたりの順位にいる人がいつもだいたい決まっているので、そのなかで勝った負けたという。ゲーム感覚なところがあったんですよね。
それで大学に入って、ある種のアイデンティティー・クライシスに陥ったんです。受験とうゴールを達成してしまったときに、自分が何をやりたいのかわからなくなり、入学してしばらく精神的にきつい時期がありました。当たり前ですが、大学は(高校もですが)義務教育ではないので、やりたいことがあって進学するというのがしかるべき形だと思うのですが、そこをあまり考えずに行ってしまった。
そういう意味では、本書に書かれている医学生のアイデンティティー・クライシスという話は、私の場合は教育虐待が原因ではないにしても、すごくわかるなと思いました。
石井 言い方は悪いですが、一ノ瀬さんはまだマシだと思うんです。……
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『教育虐待』冒頭試し読みも公開中!
著者紹介:石井光太(いしい・こうた)
1977年、東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動を行う。著書に『物乞う仏陀』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『近親殺人』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』など多数。2021年、『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。