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自分の信じる「正しさ」を、どこまで説明できますか? 岡本裕一朗『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』冒頭公開

第1講 哲学とは何か、現代の視点から見定める


人生論でも、ハウツーの知識でもなく

岡本 哲学といえば、かつて日本では著名な哲学者の学説を学んだり、人生論を説教したりするウサン臭い学問のように見られてきました。しかし、そんな哲学のイメージは、いまではすっかり古くなっています。
 哲学はもともと、自らが生きる時代においていったい何が起こっているのか、絶えず問い直すアクチュアルな学問です。そのため、歴史の大きな転換期には、いつも哲学の活発な活動が展開されています。
 そして現代がまさに、そうした時点であると考えられます。
 哲学は、決して一部の哲学研究者や好事家のためのものではありません。むしろ、時代を切り開いていくアクティブで知的な人々にこそ、必須のアイテムといえるのではないでしょうか。この講座では、単なるハウツーの知識を身につけるのではなく、幅広い視野のもとで、決定的な自己飛躍を図っていただきたいと思います。
 それではさっそく、「こんなときどうするか」という視点で、具体的な問題をいくつか考えていきましょう。

〈問題1 生贄の儀式〉
 探検隊が未開の島を探検します。さまざまな困難を克服しながら、やっと島の中心部にたどりつくと、驚くべき光景が待っていました。
 子どもと女性が生贄の儀式に供されようとしていたのです。
 隊長は即座に、「銃と弾薬で彼らを助けよう、われわれにはそれができるんだ」と隊員に主張します。
 そのとき、「ちょっと待て」と、探検隊に同行していた人類学者が口を挟みました。
この土地には独自の文化や宗教があるので、部外者のわれわれが干渉したり介入したりするのは間違いだ
 われわれは西洋の文明人の基準や考えを持ちこんではならない、彼らは彼らなりの考えにもとづいて生贄の儀式を行なっているのだから、異文化は尊重すべきだ、というわけです。
 これを聞いた隊員はどうするべきでしょうか。
 隊長はさらにこういいます。
「では、生贄にされる人たちは死んでしまうぞ」。たぶん、そのとおりでしょう。
 人類学者はこう答えます。
「彼らは喜んでいるかもしれないじゃないか。生贄は名誉ある役割で、やめさせれば、彼らは悲しむかもしれない。果たしてわれわれにやめさせる資格があるのか」
 さて、あなたはどちらの考えに賛成しますか?

〈問題2 食人部族 〉
 ヘロドトスの『歴史』に出てくる、ペルシア王の話です。
 ペルシア王は、死者に対して異なった習慣を持っている二つの部族を呼び出しました。ギリシア人とカッラティアイ人です。カッラティアイ人はインドの部族で、死者の肉を食べる習慣を持ち、ギリシア人は死者を火葬します。
 ペルシア王は、彼らに通訳をまじえながら質問をしました。ギリシア人には、「どのような報酬があれば、お前たちは死んだ父親の肉を食べるか」と問いました。当然、ギリシア人は「いくら大きな報酬をもらっても、絶対にそんなことはしない」と答えます。
 一方、カッラティアイ人には、「どのような報酬があれば、死んだ父親を火葬にするか」と問います。するとカッラティアイ人は「そんな恐ろしいことはできない、二度とそんなことは口にしないでください」と答えました。
さて、どちらの習慣が正しいのでしょうか?
 ギリシア人の習慣が正しいと思う人は、「人の肉を食べるなんて、人間としてとてもできない」と考えるかもしれません。あるいは「不潔ではないか」と思う人もいるかもしれない。しかしこの判断の根拠は、ギリシア人の習慣が現在の私たちの習慣と同じだからということだけです。それだけでギリシア人の「死んだ父親の肉は食べられない」という考え方を正当化できるのでしょうか。
 カッラティアイ人になったつもりで考えてみます。火葬するとすべてが消滅して、その人は無に帰してしまう。こんなに悲しいことはない。死者の肉を食べることによって、その人が自分のなかで生き返るのではないか。だから火葬して完全に無になるよりは、死者の肉を食べることによって、その人が自分のなかで復活するほうがよい。こうした食人の論理を、どのように考えたらよいでしょうか。

〈問題3 強制結婚〉
 イスラーム圏には、九歳前後で結婚させられる少女たちがいます。古典イスラーム法の一般的な解釈では、九歳になると一人前だと考えられているからです。
 多くのイスラーム教国では結婚最低年齢を一五〜一八歳としていますが、サウジアラビアやイラクはイスラーム法を厳格に守り、九歳で成人となることを法制化しています。また、結婚最低年齢を定める法律そのものがないイエメンなど、九歳未満で結婚する女児が多い国もあります。その結果、性行為による内臓損傷などで亡くなる女児もいるといいます。
 このような状況について、どう考えますか? 
 こうした児童婚はイスラーム法の考え方のもとで行なわれている慣習の一つですから、西洋的な基準によって「おかしい」というのは僭越ではないでしょうか。
「人権に反している、だから子どもを結婚させるというのは非人道的だ」と、国連はいうでしょう。でも、人権という概念は当然、西洋近代の基準です。これをイスラーム社会に当てはめるのは、まったく違う習慣を相手に強要するようなものであるとはいえないでしょうか。

 というわけで、三つの問題を出しました。
 一つめは、探検隊の話です。隊長が正しいのか、人類学者が正しいのか。このときに、あなたが隊長でもなく人類学者でもなく、隊員だったら、どういう意見を述べますか。
 二つめに、死者を火葬するギリシア人と死者の肉を食べるカッラティアイ人、どちらの習慣が正しいのか。
 最後に、イスラーム圏の児童婚に対して、「少女の人権を侵害しているからやめるべきだ」と主張するのは正しいのか。
 以上三つの問題について、グループに分かれてディスカッションしてください。ある程度ご意見がまとまったら発表していただこうと思います。

(5人程度のグループに分かれて10分間のディスカッション)

岡本 では、発表をお願いします。
男性A 不可逆かどうかと、意図に反するかどうかという二つの観点から議論しました。
 特に一問めの、隊長と人類学者の対立では、今日儀式をやめさせないと、生贄になる人たちの命は絶対に不可逆ですよね。それに対して、儀式は明日の夜でもいいのか、それとも二〇年に一度の今日じゃないと絶対にダメなのか、その不可逆さがポイントではないでしょうか。
 それと、本人の意図に反するのかどうか。強制されているのかどうかということです。三問めの、イスラーム圏の結婚制度であれば、女性の早期の出産が人体に不可逆的な悪影響を及ぼすことと、女性側に選択権がないことが問題になる。
岡本 不可逆かどうか、そして意図によるかどうかという観点から考えなくてはいけないだろうということですね。
 この観点から話し合われた方は? 
 結構いますね。
 ただ、「本人が望んでいるかを考慮すべきで、本人が望んでいたらよいだろう」という考えそのものが、近代的な西洋の発想ではないでしょうか。人類学者ならば、「西洋的な考えを異文化に当てはめているだけじゃないか」と批判しそうです。
 それから、不可逆かどうかは、少なくとも彼らとコミュニケーションをとらないとわかりませんよね。コミュニケーションをとる以前には考慮しづらい観点かもしれません。
 他のグループの方はどうでしょうか。
男性B 判断の基準をどこに置くのかという議論になりました。自分が西洋の立場にいるといわれればそのとおりなのですが、どちらにしても個人の基準で決めるしかありません。批判を全部飲みこんだうえで「私だったら助けたい」「助けるしかない」という意見が出た一方で、相手の考えはわからないのにそれはどうなのか、という意見もありました。
岡本 最終的には自分自身が置かれている価値観で判断するしかない、と。逆にいえば、どれが正しいという根拠づけはできやしないのではないかと。そうするとやはり、国際社会での国連の立場をどう考えるべきかが問題になりますね。
男性C 一問めの生贄の儀式の問題は、隊長の意見に従うほうが得ではないかと話しました。隊員は隊長の下でずっと行動するわけですから。これがもし隊員同士の争いで、隊長が判断するシチュエーションなら難しいけれど、そこに設問の穴があって、簡単だったなと(笑)。
岡本 正しいか正しくないかでは判断しないわけですね。隊長についていったほうが指揮系統としてはうまくいく、そういう点で判断すると。正しいか正しくないかに関する問いは発しないに限る、ということにもなりそうです。

相対主義がどこまで通用するか

岡本 一言でいえば、これらは文化相対主義の問題です。文化相対主義というのは、次のような考え方です。「各文化には、それぞれ独自の考え方や見方がある。異なる文化間では共通の基準がなく、優劣を決めることはできない」。
 次の図を見てください。

 A文化圏の人はアヒルだというでしょう。アヒルに見えました? 一方、B文化圏の人はウサギだといいます。どちらの見え方が正しいのかという問いは、意味のある問いだと思いますか?
 二〇世紀の後半、文化相対主義は世界を席巻しました。この考え方をしない人がほとんどいなくなってしまったといっていいほどです。「現在の一番の流行の思想はなんですか?」といったら、それはおそらく文化相対主義でしょう。この講座では古代ギリシアの哲学者の思想も取り上げつつ、考えていくのは基本的に現在の問題ですので、そうした意味で文化相対主義を考えることは非常に重要なミッションになります。
 先ほど出した三つの問題について大学で学生に尋ねると、ほとんどが文化相対主義を唱えます。今日のディスカッションでも文化相対主義的な意見が出ました。
 けれど、文化相対主義の考え方ですべてがうまくいくかといえば、そうもいきません。
 文化相対主義をとるかどうかで、国連が揺れています。国連は第二次世界大戦後に設立されましたから、植民地主義に対する批判や民族自決の考えが、もともとは非常に強かった。レヴィ=ストロースの『人種と歴史』という本が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)から出版されています。「西洋の文明社会の基準で未開社会を判断・評価することはできない」というのが、この本の基本的な主張です。
 レヴィ=ストロースの考え方では、未開社会は決して劣っておらず、むしろ彼らは高度な数学を使って社会を営んでいる。西洋社会に負けるものではないから、未開社会の考え方をバカにしてはいけないし、西洋社会とは異なる尺度や原理で動いている。一九五〇年代の国連の立場はこういうものでした。
 ところが、その後、微妙な問題が生じてきました。たとえば、国連はサティー(寡婦殉死)を禁止しています。サティーとは、夫を亡くした女性が夫の亡骸とともに焼身自殺をするという、インドで何百年も前から続いている慣行です。一九四七年のインド独立後、消滅したとされていたのですが、二一世紀のいまもときどき起きています。ここでは、世界的にニュースになった一九八七年のサティー事件を取り上げておきます。
 この事件では、結婚して八カ月にも満たない一八歳の女性が、病死した夫の遺体とともに生きながら焼かれたのです。当初は妻の意志だといわれていましたが、実は大量の麻薬を飲まされていたことが、警察の捜査でわかりました。四〇〇〇人以上の群衆が見守るなか、彼女が逃げ出そうとすると、一部の観衆が竹竿でそれを阻み、叫び声はドラムの音でかき消されたそうです。
 こうした習慣に対し、国連が反対する立場をとるのは、いったいなぜか。女性の人権保護を彼らは主張するでしょうが、そうした形で非難するのはやはり西洋近代の原理があるからです。西洋近代の考えを持ちこまないという五〇年代の国連の発想は、どこへ行ってしまったのでしょうか。
 他にも国連は、世界人権宣言で奴隷制を禁止しています(第四条「何人も、奴隷にされ、又は苦役に屈することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する」)。
 もちろん、奴隷制を肯定する人は、現代では誰もいません。世界の常識です。しかしながら、古代ギリシア時代には奴隷制は正しいとされていました。プラトンもアリストテレスも奴隷制については当然視しています。もし未来社会において奴隷制が復活したとすると、二一世紀の人間はなんてバカだったんだ、プラトンやアリストテレスの考えが正しかったんだ、といい始めるかもしれません。いやいや、そんなことは絶対ありえない……そう思いますか?
 ナチス・ドイツの政策についてはどうでしょうか。「それが間違いだった」と考えるのは、現代の基準をナチスに適用しているにすぎないといえるでしょうか。その場合、次の言い方が正しいと思いますか?
ナチスの政策は当時のドイツにとっては正しかった。しかし敗戦したので、戦勝国側の立場からすればナチスの政策は間違っていた」。この表現が正しいと思われる方はいますか? そうではなく、ナチスの政策は絶対的に間違っていたんだという方は? どちらにも、なかなか手が挙げにくいですね。
 奴隷制もナチスの政策も、「正しかった」「どこが間違っていたのですか」と公に述べることは当然できません。しかし、別の社会、別の地域、別の時代において、それが絶対的に間違っていたといえる根拠はあるでしょうか。
 いま、当たり前だとされていることも、文化相対主義の流行をふまえて考えると、違う見方ができます。自分の信じる「正しさ」を、どこまで明確な形で説明できるか。これは非常に大きな問題です。…

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岡本裕一朗『答えのない世界に立ち向かう哲学講座――AI・バイオサイエンス・資本主義の未来』(本体1,600 円+税、四六判並製)は早川書房より11月6日に発売予定です。電子版も同日配信。

●著者紹介
岡本裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
1954年生まれ。玉川大学文学部教授。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。九州大学文学部助手を経て現職。西洋の近現代思想を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。2016年に発表した『いま世界の哲学者が考えていること』は、マルクス・ガブリエルやダニエル・デネットなど現代の哲学者の思考を明快にまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『ポストモダンの思想的根拠』『フランス現代思想史』『人工知能に哲学を教えたら』など多数。

©KAORI NISHIDA(禁転載)

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