【アメリカの経済的流動性は日本より低い】アメリカン・ドリームという幻想。マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』本文試し読み
「やればできる」という言葉に覆い隠された深刻な格差を明るみに出し、日本中で議論を生んだベストセラー、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル、鬼澤忍訳、早川書房)がついに文庫化。本文の一部を特別公開します。
「やればできる」の空々しさ
政治家が神聖な真理を飽き飽きするほど繰り返し語るとき、それはもはや真実ではないのではという疑いが生じるのはもっともなことだ。これは出世のレトリックについても言える。不平等が人のやる気を失わせるほど大きくなりつつあったときに、出世のレトリックがひどく鼻についたのは偶然ではない。最も裕福な1%の人びとが、人口の下位半分の合計を超える収入を得ているとき(注1)、所得の中央値が40年のあいだ停滞したままでいるとき(注2)、努力や勤勉によってずっと先まで行けるなどと言われても、空々しく聞こえるようになってくる。
こうした空々しさは二種類の不満を生む。一つは、社会システムがその能力主義的約束を実現できないとき、つまり、懸命に働き、ルールに従って行動している人びとが前進できないときに生じる失望。もう一つは、能力主義の約束はすでに果たされているのに、自分たちは大損したと人びとが思っているときに生じる落胆だ。後者のほうがより自信を失わせるのは、取り残された人びとにとって、彼らの失敗は彼らの責任ということになるからである。
アメリカ人はとりわけ、努力は成功をもたらす、自分の運命は自分の手中にあると固く信じている。世界規模の世論調査によると、大半のアメリカ人(77%)が、懸命に働けば成功できると信じているのに対し、ドイツ人でそう信じているのは全体の半分にすぎない。フランスと日本では、大半の人が懸命に働いても成功は保証されないと答えている(注3)。「人生で成功するために非常に重要」な要素は何かという質問には、アメリカ人の圧倒的多数(73%)が努力を第一に挙げている。古くから続くプロテスタントの労働倫理を反映してのことだ。ドイツでは、成功のためには努力が肝心と考える人はやっと半数であり、フランスでは4人に1人にすぎない(注4)。
こうした調査ではいずれも同じことだが、人びとが示す態度は質問の立て方に応じて変化する。裕福な人もいれば貧しい人もいる理由を説明するとなると、アメリカ人は、一般論として労働と成功についてたずねられた場合より、努力の役割について確信が持てなくなる。裕福な人が裕福なのは、ほかの人より懸命に努力するからなのか、それとも、人生における利点を持っていたからなのかとたずねられると、アメリカ人の意見は半々に分かれる。人びとが貧しい理由をたずねられると、本人に制御できない環境のせいと答える人が多数派であり、貧乏なのは努力が足りないせいだと言う人は10人中3人にすぎない(注5)。
労働と自助
労働は成功へ至る有効なルートだという信念は、さらに広範な信条を反映している。すなわち、われわれは自分の運命の主人であり、自分の運命は自分の手中にあるというものだ。大半の他国の市民とくらべ、アメリカ人は人間の支配力に対してより大きな信頼を表明する。アメリカ人の多く(57%)は、「人生の成功は自分の支配できない力によってほぼ決定される」という言説に同意しない。対照的に、大半のヨーロッパ諸国を含むほとんどの他国では、多くの人びとが、成功は主に自分の支配できない力によって決定されると考えている(注6)。
労働と自助をめぐるこうした見解は、連帯と市民の相互義務に大きな影響を与える。懸命に働くすべての人が成功を期待できるとすれば、成功できない人は自業自得だと考えるしかないし、他人の助けを頼むことも難しくなる。これが能力主義の過酷な側面だ。
社会の最上位に立つ人びとも、底辺に落ち込んでいる人びとも、自らの運命に対して全責任を負っているとすれば、社会的地位は人びとが値するものを反映していることになる。裕福な人びとが裕福なのは、彼らの行ないのおかげなのだ。だが、社会の最も幸福なメンバーの成功が何か──幸運、神の恩寵、コミュニティの支援など──のおかげだとすれば、お互いの運命を共有するための道徳的な根拠はより強力になる。ここでは誰もがともにあるのだと、主張しやすくなる。
われわれは自らの運命の主人なのだと頑なに信じているアメリカに、ヨーロッパの社会民主主義国ほど寛大な社会保障制度がない理由は、ここにあるのかもしれない。ヨーロッパ諸国の国民は、自分の生活環境は自分に支配できない力によって決まると考える傾向がある。努力と勤勉によって誰もが成功できるとすれば、政府はあらゆる人が仕事や機会を実際に手にできるようにするだけでいいことになる。アメリカの中道左派と中道右派の政治家は、機会の平等を実現するにはどんな政策が必要かという点では意見が一致しないかもしれない。だが、人生の出発点にかかわらず、あらゆる人に出世のチャンスを与えることが目標だという想定は共有している。言い換えれば、社会的流動性が不平等の解決策であり、出世する人びとは成功を自らの手で勝ち取るのだという点では意見が一致しているのだ。
アメリカの経済的流動性は日本より低い
しかし、努力とやる気によって出世する能力へのアメリカの信頼は、もはや現実にそぐわない。第二次大戦後の数十年間、アメリカ人は自分の子供が自分より経済的に豊かになることを期待できた。こんにち、これはもはや事実ではない。1940年代生まれの子供の場合、ほぼ全員(90%)が親より収入が多かった。1980年代に生まれた子供では、親の収入を超えたのは半数にすぎなかった(注7)。
貧困層を脱して富裕層へとよじ登ることも、社会的上昇への一般的な信念が示唆するほど容易ではない。貧しい生まれのアメリカ人のうち、頂点まで登り詰める人はほとんどいない。実のところ、ほとんどが中流階級にすら届かない。社会的上昇の研究では、所得レベルを五段階に分けるのが普通だ。最低の階層に生まれた人のうち、最高の階層にまで上昇するのは4〜7%ほどにすぎない。中間以上の階層に達する人もわずか3分の1程度だ。厳密な数字は調査ごとに異なるものの、アメリカン・ドリームにおいて称賛される「立身出世」の物語を実現する人は、きわめて限られている(注8)。
実のところ、アメリカの経済的流動性はほかの多くの国々よりも低い。ドイツ、スペイン、日本、オーストラリア、スウェーデン、カナダ、フィンランド、ノルウェイ、デンマークなどとくらべ、経済的な優劣が、ある世代から次の世代へと引き継がれる頻度が高いのだ。アメリカとイギリスでは、高収入の親の経済的優位性の半分近くが子供に受け継がれる。これは、カナダ、フィンランド、ノルウェイ、デンマーク(流動性が最も高い国)などで子供が受け継ぐ所得優位性の2倍を超えている(注9)。
デンマークとカナダの子供は、アメリカの子供とくらべ、貧困を脱して裕福になれる可能性がはるかに高いことがわかる(注10)。これらの基準からすると、アメリカン・ドリームが無事に生き残っているのはコペンハーゲンなのだ。
アメリカン・ドリームは北京でも健在だ。最近、ニューヨーク・タイムズ紙のある記事がこんなシナリオを提示した。
1980年以降の中国における前例のない経済成長を考えれば、こうした結論もそれほど驚くようなものではない。中国では富める者も貧しき者も所得の増加を実感していたのに対し、アメリカでは経済成長の果実が頂点に立つ人びとにほぼ渡ってしまっていた。一人当たりの豊かさでは、アメリカは依然として中国をはるかに上回っているものの、こんにちの中国の若者世代は親世代より裕福である(注12)。
さらに驚くべき事実は、世界銀行によれば、中国における所得格差のレベルはアメリカとほぼ同じだということだ。そのうえ、中国における世代間移動はいまやアメリカを上回っている。これは次のことを意味する。チャンスの国と言われるアメリカのほうが中国よりも、どれだけ成功するかがどこから人生を始めるかに強く結びついているのだ(注13)。
ハーバード大生たちの当惑
私の教え子たちはこうした知見に接すると落ち着かなくなる。ほとんどの学生はアメリカ例外論を本能的に信じている。つまり、アメリカは懸命に努力する人びとが出世できる場所だという考え方だ。立身出世へのこうした信念は、不平等に対するアメリカの伝統的回答である。なるほど、アメリカにはほかの民主主義諸国より大きな所得格差があるかもしれないと、彼らは論じる。だがこの国では、より硬直的で階級に縛られたヨーロッパ社会とは異なり、不平等はさほど問題にならない。というのも、自分の出身階級に閉じ込められている人はいないからだ。
しかし、アメリカはほかの多くの国々よりも不平等で流動性も低いことを知ると、学生たちは悩み、当惑する。自分自身が努力して成功した経験を持ち出して、流動性のデータが示すことを否定する者もいる。私の教え子でテキサス出身のある保守的な学生は、自分の経験では、本当に重要なのはどれほど懸命に努力するかだけだと答えた。「私の高校では誰もがそのルールを理解していました」と彼は言った。「学校で一生懸命勉強してよい成績を挙げれば、よい大学へ進み、よい仕事に就くことになります。さもなければ、油田で働くことです。それが世の成り行きというものです」。一方、高校時代の猛烈な努力を思い出しつつも、自分の成功を支えてくれた人や組織に感謝する学生もいる。
アメリカン・ドリームが事実と異なっているとしても、そのニュースを広めないことが大切だと主張する学生もいる。才能と努力の許すかぎり出世できると人びとが信じつづけるよう、その神話を守るほうがいいというのだ。これは、アメリカン・ドリームをプラトンの言う「高貴な嘘」に変えることを意味する。真実ではないにもかかわらず、ある程度の不平等を理にかなったものとして受け入れるよう人びとを説き伏せ、市民的調和を維持するための方便だ。プラトンの場合、それは次のような神話だった。神はそれぞれの魂に異なる金属を含む人間を創造し、一人の哲人王に率いられた守護者階級が都市を統治する体制を承認したというのだ(注14)。われわれの場合、それはこんな神話になることだろう。アメリカでは、富者と貧者のあいだにきわめて大きな格差があるものの、底辺にいる人びとでさえ、やればできるのだ、と。
出世の見込みについて誤解しているのは、私の教え子だけではない。研究者がアメリカとヨーロッパの一般の人たちに、それぞれの国で貧困層から富裕層へと上昇できる可能性はどのくらいかとたずねたところ、欧米の回答者はたいてい思い違いをしていた。ところが、興味深いことに、彼らはそれぞれ逆の意味で間違っていた。アメリカ人は出世のチャンスを過大評価し、ヨーロッパ人は過少評価していたのだ(注15)。
記事で紹介した本の詳細
書誌概要
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』
著者:マイケル・サンデル
訳者:鬼澤 忍
出版社:早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
発売日:2023年9月11日(月)
税込価格:1320円