見出し画像

”SF翻訳家”への道(大森望の新SF観光局)

SFマガジン10月号に掲載された、翻訳家・SF書評家の大森望さんによる連載コラム「大森望の新SF観光局」より、第86回「 ”SF翻訳家”への道」をウェブ公開いたします。

前号の古沢嘉通さんのエッセイを受けての内容となっておりますので、まずはこちら👇をご覧ください。

SFマガジン2022年10月号

—――

 前回の当欄で書いたとおり、日本SFの書き手は(とくに短篇に関しては)新人の数が飛躍的に増えている。一方、英語圏SFの翻訳者はどうかというと、新人はあまり見当たらない。SFマガジンが隔月刊化して以降、そもそも翻訳される英米SF短篇の数が減っているという事情もあるが、本誌先月号に掲載されたエッセイ「SF翻訳、その現在地と十年後の未来」で古沢嘉通氏が指摘しているように、海外SFを日本語に翻訳することをもっぱらとする〝SF翻訳家〟の顔ぶれは、三十年前からほとんど変わっていない。中国SFや韓国SFの翻訳出版が急増したおかげで、新たにSF翻訳を手がけるようになった翻訳者の数は増えているものの、そういう人材の中にいわゆる〝SF翻訳家〟になる人がいるかどうかはよくわからない。

 もちろん、そもそもSF専門の翻訳者が必要なのかどうかという問題もあるわけですが、すくなくともSF読者の立場からすると、SF翻訳には一定の専門性があるような気がする。SF専業である必要はないにしても、内外問わず大量のSFを読んできた蓄積と経験があることが望ましい。SFに不慣れな翻訳者が訳したSFは、すくなくともSF読者にとってはどこかしっくりこないというか、とんちんかんなものになりがちな傾向がある。

 確かに、SFを専門としない作家が現代SFの最先端に位置するすばらしい傑作を書くことがあるのと同様、SFを翻訳した経験がなくてもすばらしいSFの訳書を出すことは可能だろう。しかしその場合も、よほどの天才でないかぎり、最低限のSFリテラシーが求められる。これはSFに限ったことではなく、本格ミステリやハイファンタジーの翻訳でも同じことが言える。そのジャンルに関するリテラシーがないと記述がアンフェアになったり、勘どころを外した表現になったりするわけだ。

 しかも、理想を言えば、日本の〝SF翻訳家〟には、与えられた原文を期日までに一定の水準で日本語化するという以上の役割が期待されている。すなわち、海外のSFの動向に目を配り、新しい作家をいち早くキャッチして日本の読者に伝える、紹介者・研究者としての役割である。

 翻訳という仕事自体は70代になっても80代になっても続けられるかもしれないが、SFの最新流行や時代の波に対していつまでもずっと敏感でいることはむずかしい(わたしの場合はとうの昔にリタイアしてます)。翻訳SF出版をリードするような新世代のSF翻訳者/紹介者が切実に求められている。

 翻訳者としては、一定の枚数の訳文を期日内に(1年に400字×1000枚ぐらいが目安になる)一定のレベルで仕上げられる力。紹介者としては、雑誌の編集部に知恵を求められたら特集案の二つや三つはすぐに提出できるくらいの企画力。さらに、自分が面白いと思った作品を読んでもらうために、編集者や読者に対してプレゼンする能力も必要になる。

 なにもかもひとりでぜんぶやる必要はなくて、編集者と紹介者と翻訳者がそれぞれ仕事を分担すればいいじゃないかと言えばそのとおりですが、ひとりで何役も兼ねる人材が発掘できればそれに越したことはないだろう。令和の浅倉久志や伊藤典夫になりうるようなSF翻訳家の卵がどこかに隠れているかもしれない。

 そういう才能を見出すようなコンテストあるいはオーディションは可能だろうか。通常の翻訳コンテストは、課題文を一定期間内にうまく訳すことを求めるものが多いが、その方式では、SF翻訳家の潜在力のみならず、プロの翻訳者としての適性も、かならずしもうまく判断できない。職業翻訳者として身を立てるのに必要なのは、半年とか1年とかの長い時間で500枚とか1000枚とかの長い原稿を商品になるレベルで仕上げ、それを何年も継続する忍耐力。1カ月かけて10枚の訳文を美しく磨きあげることと、年に1冊か2冊の翻訳書をコンスタントに出せることとはまったく別種の能力なのである。そういう職業翻訳者適性をコンテストで見極めるのはむずかしいが、SF翻訳家になるための適性を判定するオーディションは可能かもしれない。

 たとえば、まだ訳書が出たことのない作家の未訳短篇を自分で見つけてきて、その一部または全部を翻訳し、リード的なキャッチコピーと800字程度の紹介文をつけてその面白さをアピールする。読んでみようという気にさせる解説が書ければ、たとえ翻訳技術が商業レベルに達してなくても、情報源として、紹介者として、重宝される可能性はじゅうぶんある。翻訳技術は枚数をこなしていくうちに次第に向上していくものだし、翻訳にかかる時間や手間も効率化によってだんだん低減していく。

 長篇の翻訳に関しては、現状、出版を検討している原書を版元が翻訳者に提供し、レジュメ(4000字程度のあらすじ+評価)を書かせることが多いが、この手続きもオーディション化できる。翻訳したい側が未訳のSFを探してレジュメを書き、原書といっしょに提出する。日常的に行われている翻訳企画の持ち込みを新人翻訳者オーディションとして利用するわけだ。期限や賞金を定めて、SF翻訳企画コンテストにしてもいい。あるいは、新人に限定せずに企画を公募することも考えられる。

 ともあれ、SF翻訳家志望者にとって必要なのは、第一にジャンルに対する愛と情熱、第二に知識と鑑識眼だろう。もちろん、期日を守ってきちんと原稿を仕上げられる翻訳能力も重要だが、それだけだとSFにこだわる必然性が乏しいので、いずれジャンルを離れていく可能性が高い。もっぱらSFを翻訳して生活している人間の数のすくなさがそれを証明している。

 古沢さんも書いているように、SF翻訳は儲かる商売ではまったくないし、専業で食っていく可能性さえ今はどんどん小さくなっている。趣味を兼ねた副業と割り切るほうが正解かもしれない。それでも、自分で選んで訳したSFが読者に歓迎されることを無上の喜びとする人間にとっては、この世で最高の仕事のひとつなのだが。

—――