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SF翻訳、その現在地と10年後の未来

SFマガジン8月号に掲載された、翻訳家の古沢嘉通さんによるSF翻訳業界の現在と未来をめぐるエッセイをウェブ公開いたします。

SFマガジン2022年8月号

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「この6年間に、若い新人SF翻訳者はほとんど登場してないのである。(中略)いちばん最近、大量の新人翻訳者がSF界に供給された例は、創元SF文庫のマリオン・ジマー・ブラッドリイ《ダーコーヴァ年代記》シリーズ。このときプロデビュー(SF翻訳デビュー)した訳者陣──古沢嘉通、内田昌之、中原尚哉、細美遙子(幹遙子)、嶋田洋一、浅井修、中村融、大森望、赤尾秀子など──は、だいたい1960年前後の生まれだから、訳書刊行時の年齢は、平均して27歳~28歳ぐらい(推定)。それから10年近くたち、ダーコーヴァ組が(と括るのもなんだか違う気がするが)ぼちぼち30代後半にさしかかってるというのに、SF翻訳ではいまだに、この世代がいちばんの若手」(『新編SF翻訳講座』大森望、河出文庫より)

 この大森望さんの文章は、本誌に連載されていた〈SF翻訳講座〉の1995年11月号に掲載されたものが元で、それから4半世紀以上経った2022年現在、若手SF翻訳家があまり出てこないという状況に変化はない。新人SF作家は次々と現れているというのに、SF翻訳家は30年以上、顔ぶれがほぼ変わらないままでいる。1995年当時40代手前だった、いわゆるダーコーヴァ組は、1964年生まれで最年少だった中原尚哉氏を除いて、いまや全員還暦超え。酒井昭伸、日暮雅通、大島豊、山岸真といった翻訳家諸氏もダーコーヴァ組とほぼ同年代であり、すなわち、英語圏SF翻訳の担い手は、現在、60代に集中している。

 若手が出てこないと嘆いているうちはまだいいが、このままでいくと既存訳者の高齢化によって、SF翻訳家が早晩払底しかねないという危惧を、10年ほどまえから筆者は抱いており、たびたびTwitterでその旨つぶやいてきた。翻訳家というのは、きょうなりたいと思ったら、あしたなれるというものではなく(まあ、そういう人もなかにはいるけど)、志望してから訳書を出せるまで、早くて5、6年、普通は8年から10年かかる。筆者の場合、15、6歳で英語の原書を買いはじめ、それと同時に翻訳のまねごとを試みるようになり、以来、苦節(?)10年余り、はじめて訳書(ダーコーヴァ年代記の一冊、『ハスターの後継者』)が出たのは、28歳の終わりごろだった。

 仮に現在の状況が変わらないとして、10年後を想像してみよう。ダーコーヴァ組や同年代のSF翻訳家は、70代になる。全員元気でバリバリ働き、翻訳の品質と生産量も変わらないならなにも心配する必要はないのだが、加齢による衰えというのは避けがたい自然の摂理だ。現に筆者も60代に入り、体力と気力の衰えが著しく、あと10年いまと変わらぬ仕事の質と量を維持するのはとうてい無理だと実感している。10年どころか、来年高齢者の仲間入りをする身としては、現役を続けられるかどうかの厳しい篩いに毎年かけられている気がしている。10年後、70代のSF翻訳家の生産量は、いまより減るのはまちがいない。現在年間60冊弱、海外SFは出版されており、その量が変わらなければ、10数人いる60代SF翻訳家の生産量が10年後、かりに半減したところで、それほどの影響力はないかもしれない。10数人で年に20冊ほど出しているのが10冊に減るくらいか。だが、その先、いまから20年後を考えると、現在60代のSF翻訳家で現役でいられるのは、限りなくゼロに近いだろう。この先、どこかの時点で、ある程度まとまった数のSF翻訳家の新規参入がなければ、翻訳家がいなくて本が出せない事態が出来しないともかぎらない。

 その危機感を本誌編集部も抱いており、早川書房史上初めて(?)、「SF翻訳家育成企画」を立てようとしているとうかがった。具体的にどんな形で企画を進めるのか不明だが、一海外SFファンとしておおいに期待したい。

 そもそも、東京創元社による新人SF訳者の大量登用というのは日本のSF史において、空前にして、いまのところ絶後の出来事だった。それまで、同社は実績のある翻訳家しか使わないのが原則だったのが、いかなる深謀遠慮があったのか、それぞれディープな海外SFファンだったにせよ、素人同然の連中に長篇を任せるという「暴挙」を企画し、版権を取得し、1986年から88年にかけ、本篇15冊、外伝2冊の訳書を送りだした。結果として、このとき起用されたダーコーヴァ組の大半が、いまもSF翻訳に携わりつづけているのだから、SF翻訳家供給という意味では大成功の企画だった。手前味噌になりかねないので、詳述しないが、ダーコーヴァ組の訳書を並べてみれば、30年以上にわたって海外SF好きの読者に相当な貢献を果たしてきたのがおわかりだろう。

 このダーコーヴァ企画について、もう少し詳しく書くと、創元の編集部だけでなく、髙橋良平さんと大森望さんが外部編集という形で関わっていた。企画が動きだし、当時ファンジンに翻訳を載せていた海外SFファンを狙って、一本釣りがおこなわれたのだが、筆者の場合、1986年8月に大阪で開催された第25回日本SF大会DAICON5に参加していたところ、旧知の大森望さんから、「こんな企画があるんだけど、やってみる?」と声をかけられたのがきっかけだった。訳者は訳稿をまず外部編集に提出し、そこで訳文のブラッシュアップがおこなわれたうえで、編集部にまわされるという形だった。つまり、素人の訳文を(当時からプロの編集者だった)髙橋さんや大森さんが、商品にするという工程が加味されていた。新人訳者ばかりの叢書ながら、訳文に対するクレームはほとんど出なかったと記憶しているが、それはそのひと手間がかけられていたからだろう。翻訳家は、訳書を出すと、それが名刺代わりになり、次の仕事に繋がりやすい。そういう意味で、駆けだしにとって、じつにありがたい企画だった。早川書房の企画も、SF翻訳家志望者にとってそういうものであってほしいものだ。

 新人SF翻訳家出現に期待する一方で、SFに限らず、出版翻訳家がおかれている経済的状況について触れておかねばなるまい。ぶっちゃけ、出版翻訳家は原理的には食えない。30年以上つづく不況の影響により、翻訳書の部数は下がる一方で、それに伴い翻訳家の収入はダダ下がりになっている。大半の訳書は初版止まりで、重版がかかるものは、滅多にない。3カ月かけて文庫1冊(約400枚)を訳して得られる収入(印税)は、いまや60万円そこそこ。30年まえの6割にまで減っている。年に4冊訳しても240万円ほど。これではほかに収入のアテがないかぎり食えない。だいたい、訳すのに手間がかかる現代SFを年に4冊訳せる訳者は、いまでも数人しかいないんじゃないだろうか。

 もっとも、ほとんど外れ玉だが、大当たり・中当たりの玉もそれなりに入っている福引きのガラガラのように、たまに当たりの玉が出ることがあるのが出版翻訳の厄介なところだ。『ジュラシック・パーク』や『アルジャーノンに花束を』のようなミリオンセラーは、千にひとつかもしれないが、最近でも《三体》3部作のように累計数10万部のビッグヒットや、10万部を超えるヒット作はたまに出ている。30年から40年の翻訳家人生のなかで、1回か2回は当たりを引くことがある訳者は少なくない。その当たりの大小と時期で人生設計が大きく変わってきかねない。儲かる商売ではないという認識のもと、心のどこかで当たりを期待しながら、黙々と横のものを縦にしつづけるのが翻訳家の人生だ。

 最後に、近年になって浮かび上がってきた懸念材料であり、うまくいけば希望の元になるかもしれない事柄について記してみる。それは、AI翻訳である。30数年まえ、たしかSFセミナーの合宿で、当時駆けだし翻訳家だった筆者は、参加者のひとりだった山形浩生氏から「このまま機械翻訳が発達した場合、出版翻訳家に将来性はあるのか」という質問を受けた。なぜ山形氏がほとんど面識もない筆者にその質問をされたのか不明だが、当時の機械翻訳の実態から「当分は大丈夫じゃないだろうか」と答えたのを覚えている。その当分がいままで続いているので、誤答ではなかったと思うが、数年前にDeepLという翻訳ツールが登場し、その精度と処理速度に仰天し、有料化が実現すると直ぐ申込み、以来、翻訳作業に便利なツールとしておおいに活用しており、その便利さを実感するなかで、先の質疑応答のことが頭に浮かんできた。この翻訳ツールは、いまでも、「AIが処理できないところは原文を残す」という機能が加わりさえすれば、使い勝手が各段に向上し、「下手な下訳レベルの訳文」になるところまで来ている(現状は、「処理できないところは原文を無いものとする」のが最大の欠点)。実際にこのツールを使っていると、棋士の能力を凌駕してしまった将棋AIのように、翻訳家の能力を凌駕する翻訳ツールの出現が少なくとも30年まえよりかなり可能性が高くなっているのではないか、と思えてならない。この先しばらくは、AI翻訳ツールの発展とともに、それをうまく利用して翻訳効率をアップさせ、文芸翻訳でも品質や生産性の向上につながり、経済的にも潤うようになるかもしれない。さらにその先、一瞬で文芸作品を「優秀な下訳レベルの訳文」にアウトプットできるようになったとき、従来のような翻訳家という職業がはたして存在できるのか、といういささか無責任な指摘をして、筆を擱くとしよう。
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