忘れられた兵士たちの声がよみがえる、戦争文学の傑作『夜、すべての血は黒い』(ダヴィド・ディオップ、加藤かおり訳)訳者あとがき。7/18発売
早川書房は、フランスの作家、ダヴィド・ディオップ『夜、すべての血は黒い』(原題 Frère d'âme)を2024年7月18日に刊行します。
本書は、世界的に権威のある英国の文学賞、ブッカー賞の翻訳部門「ブッカー国際賞」を受賞した小説です。
本書の読みどころを、訳者の加藤かおりさんに語っていただきます。
訳者あとがき
加藤かおり
本書はセネガル系フランス人、ダヴィド・ディオップ著Frère d’âme(Seuil刊)の全訳である。第一次世界大戦の塹壕戦を舞台とするこの作品は大戦終結100周年にあたる2018年にフランスで刊行され、〈高校生が選ぶゴンクール賞〉に輝いたほか、ルノードー、フェミナ、メディシス、ゴンクールという同国の名だたる文学賞の最終候補作に軒並み選出された。さらに2021年、フランス人作家の作品として初めて、英国のブッカー国際賞を受賞(英語版タイトルはAt Night All Blood Is Black)。同賞審査員に、「恐ろしい作品だ。読んでいると催眠術にかかったような感覚に陥る。感情が揺さぶられ、心が新しい考えに開かれていく。並外れた物語で、非常に力強く、説得力がある。主人公は妖術使いとして告発されるが、審査員は皆、本書になんらかの形で魔法をかけられたと感じた。それほどまでに催眠的な力で魅了する」と評された。
その他、サハラ以南アフリカにルーツを持つ作家のフランス語作品を対象とするアマドゥ・クルマ賞(2019年)や、イタリア語に訳された欧州の優れた作品に与えられるストレーガ・エウロペオ賞(2019年)を獲得するなど国際的に高い評価を得ており、三十五カ国以上で翻訳刊行されている。
古くはレマルクの『西部戦線異状なし』(新潮社、秦豊吉訳)やセリーヌの『夜の果てへの旅』(中央公論新社、生田耕作訳)から近年ではピエール・ルメートルの『天国でまた会おう』(早川書房、平岡敦訳)まで、第一次世界大戦を描いた文学作品は多々あるが、そんななか本書が異彩を放つのは、これまで歴史の闇に埋もれてあまり光のあたることのなかった「セネガル歩兵」を主人公としている点だろう。
「セネガル」とはいうものの、兵士の出身地は同国に限定されるものではない。1895年にフランス領西アフリカとして制定された広大な地域であり、現在のマリ、コートジボワール、ニジェールなどが含まれる。第一次世界大戦中、人口でドイツに劣るフランスは、北アフリカ、西アフリカ、赤道アフリカ、インドシナなどの植民地の住民を兵士として積極的に動員。その総数はおよそ60万人と見積もられている。西アフリカからの動員数は約17万1千人で、実際にヨーロッパに送られた者は13万4千人。うち3万人以上が死亡したとされている。
物語はそんなセネガル歩兵のひとり、20歳のアルファが泥と血でぬかるむ大地で深い後悔に囚われているシーンから始まる。戦場で腹を切り裂かれて死に瀕している同郷の友、「兄弟以上の存在」だったマデンバに、苦しくてたまらないから殺してくれと3度懇願されたにもかかわらず耳を貸さなかったことを悔やみ、人間でいなければならなかったときに人間ではなかった自分を責めているのだ。この親友の死のあと、アルファは戦闘の際、「向こう側の敵」のひとりをつかまえて腹を裂くようになる。そして今度は人間らしく振る舞おうと、苦しむ相手に3度も懇願させないうちに喉を掻き切って殺してやり、手を切り落として自軍の塹壕に持ち帰る。仲間の兵士たちは最初、そんなアルファを英雄扱いしていたが、切り取った手が4本目を数えたときから妖術使いとして恐れるようになり、7本目(失くしたものを合わせれば8本目)になったとき、アルファは「文明化された戦争」を行うには野蛮の度が過ぎるとして銃後の療養施設に送られる……。
著者のさまざまなインタビュー記事を読むと、第一次世界大戦に従軍したフランス人兵士の書簡集を読んだことが本書を執筆するきっかけとなったようだ。セネガル人の父、フランス人の母のもとに生まれた著者は双方のルーツを持つ者として、セネガル歩兵が書いた手紙も現存するのだろうかと疑問に思い調べてみたところ、事務的なものを除いてほとんど残っていないことが判明した。そこで、言葉もろくに通じない異国の地で戦闘の最前線に送り込まれたセネガル歩兵の心理を、文学を通じて追求しようと思い立ったらしい。そして採用したのが、主人公の思考や意識の流れをそのまま綴ったような一人称の語りだった。
それは読者を冒頭から主人公の脳内に突き落とすかのような、あるいは彼に胸ぐらをつかまれて至近距離で聞かされているかのような、なんとも強烈な語りだ。特定の言いまわしの繰り返し(「知っている、わかっている」、「神の真理にかけて」)、頻出する単純で直截な言葉(「内側」、「外側」)、舌足らずに思われるような表現(「戦争の空から降ってくる金属の粒」、「青い双子の眼」)などを盛り込みながら独特のリズムを刻むこの語りは、アルファが灰色の戦場にいる前半はどこか不器用で荒々しい息遣いを感じさせ、陰鬱な呪詛、不気味な連祷のような響きをまとっている。けれども後半、故郷を想い、景色が色彩を取りもどすパートでは口調も滑らかになり、詩情に満ちた切なくも心地よい調べを帯びるようになる。
著者によればこの特異な文体は、フランス語を話せない主人公がアフリカの母語(本書の場合はウォロフ語)で思考していることを読者に示唆するために編み出したとのこと。同様の効果を生むためには、ウォロフ語の単語、慣用句、間投詞や、現地ならではの特別なフランス語の言いまわしなどをテクスト内に積極的に取り入れるという方向性もあったと思われるのだが、著者の場合はあくまでも標準的なフランス語の枠内にとどまりながら先述したさまざまな工夫を凝らすことで、アフリカの豊かな口承文学の伝統を感じさせる、リズミカルかつシンプルで力強い文体を作り上げることに成功した。
特定の言いまわしや単語の繰り返しは、主人公が狂気に囚われていることを感じさせる効果もあげている。実際、本書のテーマのひとつが「戦争の狂気」であるのは明らかだ。著者は〈シュッド・ウエスト〉紙のインタビューでこう述べている。「この狂気に対して人間がどんな答えを与えうるのか探りたかった。個人の暴力は全体の暴力よりも悪なのか? 残虐行為を行う兵士と、陣地をただ単に50メートル獲得するために十万の若者を死に送り込む将軍と、どちらがより暴力的なのか? 人間性と非人間性のあいだにある極めて細い境界線について考えたかった」
アルファは友の死をきっかけにみずからの「非人間性」に気づき、人間でいるために敵に残虐行為を働くことで逆説的に人間性を取り戻そうとする。そして人間でいるために、先祖の掟や規範に従わずになんでも好きに考えようとし、自分の意思で必要なときだけ野蛮を演じるようになる。戦争という極限状態のなかで狂気に絡め取られていくのと同時に、自分の頭で考えるという精神の自由を獲得していくアルファの軌跡を描いた本書は、個人を縛る既存の教えや伝統からの脱却と解放、自由と服従といったテーマも内包している。
さらに、機関銃や大砲、飛行機など工業化がもたらした近代兵器を用いて展開され戮ているヨーロッパの殺戮の最前線にいきなり投げ込まれたアフリカの農村出身の青年という〝外側〟のまなざしを通じて、白人の「文明化された戦争」の暴虐や不正義と植民地主義を浮き彫りにしている点も見逃せない。
物語は後半、アルファのセネガル時代の記憶やエピソードを盛り込みながら進んでいくが、終盤、突如異なる声が語り出し、思わぬ方向へ舵を切る。そしてアフリカの神話的な小話が披露された直後に訪れる衝撃のラスト。この謎めいたラストについて、本国の読者のあいだでは著者がまったく意図しなかった解釈も生まれているらしい。これについては、読者の力で作品が新たな意味を獲得して豊かになっていくという、読書のひとつの可能性の表れだと論じている識者もいた。
ちなみに原題のFrère d’âmeを訳せば、「魂の兄弟」。そう、これはなによりも友情の物語であり、エピグラフにモンテーニュの言葉が引いてあるのは実に示唆的だ。興味のある方はモンテーニュが『エセー』のなかで友情についてどう論じているか、ぜひ調べてみてほしい。
著者のダヴィド・ディオップは1966年パリ生まれ。子ども時代の大半をセネガルで過ごしたあと、ソルボンヌ大学で文学を学び、博士号を取得した。フランス南西部にあるポー大学でおもに18世紀のフランス文学を教える傍ら、1889年開催のパリ万国博覧会に赴いたセネガル代表団の試練を描いた1889, l’Attraction universelleで2012年に作家デビューを果たす。二作目となる本書のあと、2021年には18世紀のセネガルを舞台にしたLa porte du voyage sans retourを刊行。実在したフランス人博物学者ミシェル・アダンソンを主人公に、謎めいた美しい逃亡奴隷の女性に対する主人公の思慕と葛藤を描き、こちらも高い評価を受けている。さらに2024年3月には、兵士に両親を殺され祖母とスラムで暮らす少女を主人公にしたYA小説、Le pays de Rêveを発表した。
なお、著者の苗字は主人公の親友マデンバと同じだが、これはアルファとマデンバが「冗談の親戚」の関係になるよう採用したもので、著者のセネガル人の親族で第一次世界大戦に従軍した人はおらず、またマデンバが著者の分身というわけではないとのこと。
名前についてもうひとつ。セネガルの公用語はフランス語だが、人名や地名などの表記の読みはフランスと現地で異なる部分がある。本書では著者の意向を確認し、フランスでの慣例的な読みにもとづいて表記した。
また本書の翻訳にあたっては、アマドゥ・クルマ著、真島一郎訳『アラーの神にもいわれはない ある西アフリカ少年兵の物語』(人文書院、2003年)を参考にし、「魂喰い」、「妖術」、「屋敷」の各語については真島氏の訳語を使わせていただいた。この場をお借りして同氏に心よりお礼を申し上げます。
「訳すこと、それは端々で裏切ることだ」(本文178頁)──これはイタリアの格言、「翻訳者(トラドゥトーレ)は裏切り者(トラディトーレ)だ」のもじりである。毎度のことではあるけれど、本書の翻訳もまた、隅々まで等価で訳すことの困難性、不可能性を痛感させられる作業だった。裏切りを二重にも三重にも働いていないことを祈りつつ、数々の貴重なご助言をくださった早川書房の窪木竜也さん、校正者の上池利文さん、フリーランスの編集者の月永理絵さん、株式会社リベルの山本知子さんをはじめお世話になった方々に深い感謝を捧げます。
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◉著者紹介
ダヴィド・ディオップ David Diop
1966年パリにて、セネガル人の父、フランス人の母のもと生まれる。幼少期をセネガルで過ごした後、ソルボンヌ大学で博士号を取得。フランス南西部にあるポー大学にて18世紀のフランス文学を教える。2012年、1889, l'Attraction universelleで作家デビュー。その後、第一次世界大戦終結100周年にあたる2018年、当時の塹壕戦を描く本書『夜、すべての血は黒い』を刊行。高校生が選ぶゴンクール賞を受賞し、フランス国内で25万部を超えるベストセラーとなった。また2019年には、サハラ以南アフリカにルーツをもつ作家のフランス語作品を対象とするアマドゥ・クルマ賞と、イタリア語に訳された欧州の優れた作品に与えられるストレーガ・エウロペオ賞、2021年には英語版がフランス人作家の作品として初めてブッカー国際賞を受けるなど、国際的に高い評価を得ており、35️カ国以上で翻訳が決まっている。
◉訳者略歴
加藤かおり
フランス語翻訳家。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。
訳書に『異常【アノマリー】』エルヴェ・ル・テリエ、『念入りに殺された男』エルザ・マルポ、『ちいさな国で』ガエル・ファイユ、『ささやかな手記』サンドリーヌ・コレット(以上早川書房刊)、『星の王子さま』サン゠テグジュペリなどがある。
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『夜、すべての血は黒い』(ダヴィド・ディオップ、加藤かおり訳)は、早川書房より、2024年7月18日に紙・電子書籍同時発売します。