スターダスト

【第3シーズン7/18刊行開始記念】《ローダンNEO》おさらいその1:第1巻『スターダスト』の前半分第9章までを連続掲載(第4章)

4


《スターダスト》が月の軌道に入る一時間前、夜明けが近づく頃合いに、レスリー・パウンダーは自分の執務室に足を踏みいれた。今回のミッションがはたして成功するのか否か、NASAの飛行司令官にはわからない。彼に確信できたのは、ローダンという最良の人材を送りこんだということ。そして、たとえ何が起ころうと、自分には当分──いや、もしかすると二度と、安息など望めないということだけだった。
 彼は明かりをつけないまま、部屋をぐるりと囲む大きな窓の前に立った。
 パウンダーの執務室は、ネバダ宇宙基地の管制タワーの最上階にある。それはロケットの形状を模した四〇階建てのタワーだった。二〇年近く前、タワーの建設をめぐってパウンダーの首はあやうく飛びそうになったものだ。
 当時のNASAは、海面上昇の影響でフロリダのケネディ宇宙センターからの移転を余儀なくされていた。その際にヒューストンのジョンソン宇宙センターに全機能を移すことに反対し、ネバダ宇宙基地の建設を強行したのがパウンダーだった。このことはのちに、先見の明に富んだすばらしい決断であったことが判明する。
 しかし、当時の人々はパウンダーの「浪費」を、とんだ誇大妄想だと非難した。彼はそうした声を歯牙にもかけなかった。ただでさえ足りない予算の一〇パーセントもの額を常識外れのプロジェクトに費やすのかという、激しい批判に対しても同様だった。
 レスリー・パウンダーの生涯の使命は、人類の宇宙進出を後押しすることである。だが自分自身が宇宙の星々を目指すには、彼はあまりに年老いていた。交互に襲いくる重力加速度と無重力との負荷に、その骨身は耐えられないだろう。
 その代わり、ほかの誰かを宇宙に送り届けるためならば、彼はあらゆる尽力を惜しむことはない。──そして、その尽力を来る日も来る日も狭苦しいネズミ穴のような司令室で行うなど、あってはならないのだ。
 パウンダーが、今もなおNASAの飛行司令官の座にとどまっているのは、この資金不足の宇宙開発機関を引き継ごうという者が一人もいなかったからである。
 東の空が明るくなっていく。ネバダ宇宙基地は、ネバダ州の北から南へと連なる無数の谷のひとつに位置している。谷底は平坦で乾燥した大地が広がり、まるで月面のようだった。わずかな違いはといえば、荒涼たる岩々の合間に頑固に根を張るジョシュアツリーくらいのものだろう。そこから山の斜面を登っていくと──実際、パウンダーはよくそうしている。宇宙にあこがれを抱いてはいても、彼は大地を愛する男なのだ──、節くれだった松の木がジョシュアツリーにとって代わる。そうして汗を流し息を切らして山頂にたどり着けば、澄みきった空気のもと、はるか遠くまで続く眺望を楽しめるのだ。
 天をふり仰げば、頭上には現実とは思えぬほど壮麗にきらめく宇宙が広がっている。あの空の上では、今この瞬間にも《スターダスト》が星々の間をぬって月軌道にアプローチしているはずだ。ローダンとその部下たちは今、何を思うのだろうか。
 パウンダーは考える。はたして彼らは何を──。
「いやあ、実にすばらしい眺めじゃないか」背後から声がした。「うらやましいねえ、パウンダー」
 レスリー・パウンダーは一呼吸おいてから、ゆっくりと振り返った。彼は驚愕などしてはいなかった。かつて、妻と子供たちの乗った車がフロリダで事故を起こしたあの日以来、彼が驚愕することはもはやない。車を呑みこんだ沼地は二年もの間、彼の家族を解放してくれなかった。あの日以来、パウンダーを驚愕させられるものは、この世に存在しない。
 一人の男がパウンダーのデスクの前に座り、回転椅子に身を預けて無造作にくつろいでいた。小柄な、まるで小びとのような男だ。年は若くない。少なくともパウンダーと同年代である。頭頂は禿げあがり輪のように白髪が残るのみだが、その顔には不可思議なほどに若々しい張りがあった。あくまでも自然で、美容整形を施したときによく見られる人工的なぎこちなさはまったく感じられなかった。
「まあ座りたまえ、パウンダー!」
 男はそう言って、気取った様子で来訪者用の椅子を指し示した。まるで、ここが彼自身の執務室であり、侵入者は自分ではなくパウンダーであるかのように。
「憲兵隊を呼んで、きみを窓から放り投げてやるべきかな、マーカント」パウンダーは言った。「それでも、まだ笑っていられるか、見ものではある」
「おもしろい実験だ」と、マーカント。「憲兵隊がきみの命令に従うと仮定すればだがね」
 彼はデスクの端に載った電話を指し示した。
「試してみるかね?」
 パウンダーは考える。アラン・マーカントは謎の存在だった。この男がネバダ宇宙基地に出没するようになったのは、数年前のことである。何者かと問いただされるたびに、あるいは問われもしないうちから、彼は相手の鼻先に身分証をつきつけた。国土安全保障省(ホームアンドセキユリテイ)。その肩書きは、相手に畏怖とは言わないまでも、畏敬の念を抱かせるには十分だった。
 それ以外にマーカントが何をするかと言えば……何もしていなかった。彼はただ、その辺にいるだけなのだ。ネバダ宇宙基地内部の、到底立ち入れないような場所に忽然と現れては、権力と時間をもてあました雑談好きの好々爺としてふるまうのが常だった。
 いったい、この男の目的は何なのか? パウンダーには推測することしかできない。スパイか? あるいは単なる陽動で、別の国土安全保障省のエージェントが人知れず任務を遂行できるよう、奇抜な行動でまわりの注意を引いているのか?
 実のところパウンダーは、一度ならず自分たちはペテン師にかつがれているのではないかと疑った。どこかの頭のおかしな輩が国土安全保障省の名をちらつかせ、完璧に偽造した身分証を使って人々をからかい、悦に入っているのではないか、と。
 しかし、その線はありえなかった。というのも、マーカントの素性を探ろうとしたパウンダーの試みはことごとく失敗に終わったからである。情報ネット上に関するかぎり、マーカントは存在すらしていない。それは、たったひとつの真実を指し示していた。すなわち、マーカントはたしかにアメリカ合衆国で最高峰の権力を擁する、かの諜報機関に所属しているということだ。
 その男が今、《スターダスト》が人類の命運を左右するミッションを担い月に到達しようというタイミングで、彼の執務室に現れて悠然とくつろいでいる。
 パウンダーは深く息を吸ってから、ドアに歩み寄り扉を閉めた。彼は誇り高い男だ。しかし、パウンダーという男のなかには、誇りよりもさらに強力な二つ目の本質が隠れていた。それは好奇心である。彼は来訪者用の椅子に腰かけた。
「何が望みだ、マーカント」
「きみと話したいと思ってね」
「なぜ?」
「今現在の状況を憂慮しているからだよ」
 パウンダーは思わず声をあげて笑い飛ばした。
「きみが心配するにはおよばんよ。宇宙にいるのは私の部下だ」
 マーカントはじっと黙ったまま、陽気な顔にそぐわない、常ならぬ真剣なまなざしでパウンダー見つめる。それから、言った。
「私のでもあるがね」
「うぬぼれるな」パウンダーは身を乗り出す。「国土安全保障省は法も正義も関係ないとでも……」
「私の部下は別に、国土安全保障省の人間として話しているんじゃない」
 マーカントは言葉をさえぎった。
「私は一人の人間としてここに来たのだよ。《スターダスト》は人類を未知へと運んでいる」
 パウンダーは一瞬たじろいだ。マーカントの声に真剣な響きがあったからだ。
「……とにかく心配はいらない。ローダンは私の部下のなかでも、もっとも有能な男だ。《スターダスト》のクルーたちは、およそ人力のおよぶかぎりにおいては確実に信頼できる」
「その点に関しては、そう早急に断じるのはどうかと思うがね」
 マーカントはまばたきをして言った。
「まあ、それについては後回しだ。私が心配しているのは、なにも《スターダスト》に乗る四人だけではない。人類全体を案じているんだよ」
 マーカントは、ここでぐっと身を乗り出した。
「パウンダー、我々は今、奈落の淵に立っている」
 パウンダーは相手をじっと見やった。この男は、いったい自分に何を求めているのだ?
 気でも違ったのか? それとも、そのいわくありげな雰囲気に騙されていただけで、本当は最初から気がふれていたのだろうか? パウンダーは口を開いた。
「労力のむだ遣いではないかね、マーカント? 人類は、そもそも最初から奈落の淵で生きてきた。そしてきみが指摘したとおり、現在もそうして生きているのだ」
「たしかに。だが私はね、今この瞬間、ほんのひと押しで今度こそ奈落の底に転がり落ちるくらい、我々はぎりぎりの位置に立っているのではないかと危惧している」
 パウンダーは理解した。少なくとも、理解したと思った。
「《スターダスト》のミッションのことか? そのことならば心配ないと──」
 しかし、マーカントは首をふった。
「いや、《スターダスト》のことじゃない。私が言っているのはここ、地球のことさ」
 彼は指の関節でコンコンとデスクを叩いてみせた。
「パウンダー、きみが私を毛嫌いしているのは知っている。無理もない。諜報機関の人間を好む奴はいない。なにしろ、信用ならないからねえ。だが、ここはひとつ見かたを変えてみないか。たとえば、私はきみと同じくらいのベテランだ。もう何十年もこの世界で生きてきた。多くを経験し、多くを成し遂げてもきた。もっとうまくやれた仕事もある。だがそれ以上に、いつの日かこの所業のために地獄の業火に焼かれるだろうと思うような仕事も数多くこなしてきた。まあ、地獄があればの話だがね。とにかくだ、私は多くを経験し、多くの人間と知り合い、対話してきた。信頼を醸成し、ときには友情を深め、ときには共通の目的のために手を組む。そうするうちに、目には見えない、しかし確実に存在するネットワークが構築されていくわけだ。すると、どんな文書にも記されず、どんな記録媒体にも保存されていない情報が耳に入ってくるようになる」
「いったい何が言いたい?」
 パウンダーは問いただす。マーカントの言葉は彼を不快にさせていた。的を射ていると感じてしまうからこそ、なおさらにだ。認めたくはないが、彼とマーカントは自分が思っている以上に似た者同士なのだ。
「大ロシアと同盟を組んだイラン人民共和国が、イラクに対して新たに攻撃を加えようとしている」
 パウンダーは額にしわを寄せる。
「それがきみの話の本題か? イラクに攻撃だと? もう何度目だと思っている? 一五回目? 二〇回目か? いまさら誰が気にするというのかね?」
「二三回目だ」とマーカント。「だが、これが最後になるだろう。イランは戦術核兵器の投入を計画している。いっぽうで偶然耳にしたのだがね、イラクの参謀本部はその場合、報復攻撃を行う用意があるようだ。戦略核兵器でテヘランを焼き払うつもりなのだよ」
 パウンダーが絶句するなか、マーカントは続ける。
「これが何を意味するか、わかるかね? 世界はあと戻りできない一線を越えるのだ。代理戦争は大ロシア対アメリカの直接戦争に発展するだろう。数万もの核弾頭を保有する二国のね」
 マーカントの声には、無造作な感じを無理に装うような響きがあった。そのことがパウンダーに、この諜報部員が真実を語っているのだと確信させる。
 しかしなぜ、星を夢見る一介の民間人である自分にそんな話をするのか? しかも、よりにもよってこのタイミングで。
「それだけじゃあない」マーカントは続けた。
「中国の諜報機関内にいる情報提供者が、こんな報告をしてきた。もしアメリカと大ロシアが核戦争を開始したら、中国はその機に乗じて台湾を奪還するつもりだとね。アメリカは自国に手いっぱいで台湾を防衛できない。ただし、だ。この侵略は成功しないだろう。なぜなら、台湾はすでに秘密裏に核能力を保有している。中国が攻撃をしかければ、さらなる核戦争は避けられない」
「たしかに懸念すべき情報だ。真実であればの話だが」パウンダーは慎重に口を開いた。
「だが、どうしてそれを私に? 私は予算を削られ沈みゆく非軍事宇宙機関の長に過ぎない。それに、俗世のごたごたとは可能なかぎり距離をおいている」
「だからこそだよ。私だって上からの信用の薄い、ただの老いぼれ諜報部員だ。名も知らぬ小国に置かれたアメリカ大使館と同じくらい、どうでもいい仕事をあてがわれた窓際族さ。そんな我々に世界を動かす働きができるなどとは、誰も思うまい。だからこそ、我々は世界を変えられるのだ。互いに協力しあえばね」
「わからん。私に何をしろと──」
「《スターダスト》は、地球外生命体とコンタクトをとるために月に向かった。私の目を欺けると本気で思っていたのかい?」マーカントは微笑んだ。
「すでに把握ずみだ。私だけではなく、国土安全保障省もね。私については安心してくれていい。だが省のほうは話は別だ。あそこの連中は狭量でね。視野が狭いものだから、地球とその中で起きる争いにしか目が向かない。そして愚かにも、それが変えがたい人間の本質だと思いこんでいる。こうした手合いは未知なる存在を恐れる。脅威や侵略といったものさしでしか、物事を測れないのさ。目には目を、歯には歯を、民族と民族の争い、そういった考え方しかできない。彼らは恐怖にかられ、その恐怖心の命じるままに行動するだろう。そうなれば、いかなる手段も正当化される」
「たしかに、そういう人間もいる」
 パウンダーは認めた。彼自身、長いキャリアのなかで、そういった了見の狭い人間と向き合ってきたのだ。
「だが、結論を急ぎすぎではないかね? きみの主張が正しいとすれば、大統領はなぜ《スターダスト》の打ち上げ命令を出したのだ」
「私の主張が正しいからこそさ。目的は、地球外生命体との平和的なコンタクトではない。彼らのような人間からすれば、そんなことあってはならない。そう、《スターダスト》は爆弾を運んでいるのだよ。未知なる存在を跡形もなく消し去るための爆弾をね」
「何を……まさか、そんな……」
 パウンダーの言葉が力なく途切れる。彼はマーカントを見つめ、必死になってその表情を読もうとした。この諜報部員の言葉がでたらめで、すべては趣味の悪い冗談であるというサインを読みとろうと。しかし、そんなサインはどこにもなかった。
「《スターダスト》に積みこまれた陸上車両は細工されている」マーカントが言う。
「国土安全保障省が車両に核爆弾を仕掛けたのだ。爆弾は無線信号で起爆する。無線信号が途絶えたら、時限装置が作動して爆破する仕組みだ」
 パウンダーは反論しようと口を開いたが、言葉は出てこなかった。ここ数週間のことを思い返す。政府の態度が突然変わり、ワシントンに呼ばれたことを。政府は《スターダスト》の打ち上げのため、ほぼ無制限の予算を提供してくれた。長年自分を無視してきた長官や官僚たちが、彼のためにわざわざ時間をつくり、機嫌をとってきた……。
 マーカントの言葉は真実だ。爆弾はたしかに存在する。
「どうすればいい?」パウンダーは問う。
「クルーたちに警告しろ。ただし、まわりには気づかれない方法でだ。きみは古だぬきだ、できないとは言わせんよ。断言してもいいが、きみはローダンと機密の暗号をとり決めているはずだ。彼に警告したまえ!」
 パウンダーは時計に目をやる。まもなく《スターダスト》は月の軌道に入り、その軌道に乗って月の裏側へと到達するだろう。月の陰に入れば、通信はできなくなる。時間がない。パウンダーはドアに向かう。ドアノブに手をおいたところで、再びマーカントに振り返った。
「よかろう。私はローダンに警告を送るが、きみはどうするのだ? どんな手を打つ?」
「さて、特には」
 グリルパーティーでたわいない会話を終えるときのように軽い笑みを浮かべて、マーカントは言った。
「もう二、三人、古い友人とおしゃべりでもするとしようか……」

【第5章へ】(7/11以降公開)