スターダスト

【第3シーズン7/18刊行開始記念】《ローダンNEO》おさらいその1:第1巻『スターダスト』の前半分第9章までを連続掲載(第5章)

5


 距離にして一秒。といっても、一光秒である。およそ三〇万キロ。それが三日間の飛行を経た今、《スターダスト》と地球とを隔てる距離だった。
 わずか脈拍一拍分に満たない通信の遅延が、《スターダスト》のクルーたちに自らと故郷との間に横たわる虚空を認識させる。
 ペリー・ローダン、レジナルド・ブル、エリック・マノリ、クラーク・フリッパー。今は全員が人工的なディープスリープから目覚め、月への接近を油断なく見守っていた。
 彼らの心に不安はない。ディープスリープによってもたらされた深い安息感と平静心のおかげだった。持続時間は二、三時間といったところだが、その間は、あたかも宇宙全体を敵にまわしても勝てる無限の力を手にした気分になれるのだ。四人の男たちにとってそれは装甲であり、ちっぽけな鉛の機体で宇宙を往く彼らにとって唯一の防御壁だった。
 実際の彼らは無敵どころか、かぎりなく脆い存在だ。ささいな不具合、見過ごされたプログラムミス、スペースデブリの小破片との衝突、あるいはたったひとつの判断ミスが命とりになりかねない。
 クルーのコンディションを常時監視し、グリーンの数値をひっきりなしに羅列するディスプレイから、ローダンは目を転じた。
 フリッパーは、持ち前の揺るぎない自信を多少は取り戻したようだった。目覚めた彼を、吉報が待っていた。ベスの登山隊からの救難信号が受信され、現在、発信位置を特定中なのだという。救助隊も派遣されるだろう。もしかしたら、ベスの救助は間に合うかもしれない。もしかしたら──。フリッパーはその希望にすがっていた。
 マノリはいつものように平静に、シートに身を横たえている。規則正しく呼吸し、身じろぎひとつしない。はたしてこの男が取り乱すことなどあるのだろうかと、ローダンは不思議に思った。そんな様子は想像さえできなかったが、考えるにつけ、そんな事態は避けたいものだとも思う。
 ブルは、ヘルメットのバイザーを下ろしている。ローダンは、内蔵ディスプレイにちらつく画像を目で追った。外側から見ているので左右が反転しているが、ブルは三つのニュースチャンネルを同時に追っているようだった。映像は戦車と、移動式発射台に威圧的に掲げられたミサイル、そして憤った様子で演説する男たちのように見える。
 だがディスプレイの大半を占めていたのは、シミュレーションゲームの画面だった。友人の築いた惑星帝国がまたたく間に銀河の大部分を制覇していくさまを、ローダンは眺めていた。中心にある惑星は、ブルが「テラ」と名付けた地球だった。むだに悩むことをよしとしない友は、うまく気分転換をしているようだ。
 では、ローダン自身はどうなのか? 自分の不安とどのように向き合うのか? 彼は心の内に耳をすます。すると、奇妙な確信がわいてくるのだ。自分は今、二度と戻れない奈落の淵に立っている。生きたければ、これまでの人生を脱ぎ捨てて、奈落に飛びこまなくてはならない。その先の人生をうかがい知ることもできず、そもそも、そんなものが存在するのかすらも不確かなままに──。
「着陸五九分前」
 管制センターから通信が入った。まるで機械のように冷静で感情のないアナウンスだが、機械ではなかった。その一瞬──いや、地球との一光秒の距離のために二瞬ほど遅れて、同じ声が今度は活気にみちた調子で告げる。
「そろそろ降参したらどうだ、レジー! どうあがいたって俺には勝てんさ。あんたが一個艦隊をつくってる間に、こっちは銀河の半分を制圧したぜ!」
 ブルがヘルメットのバイザーを上げた。笑っている。
「またやられたぜ、レイモンド。まったく、いつもぎりぎりで勝ちやがる」
 そうだ、レイモンドだ。この技術者の名前を、ローダンはすっかり忘れていた。ネバダ宇宙基地には、彼のような技術者が文字どおり何百人もいるのだ。少なくともローダンにとっては、その全員の名前を覚えるなど不可能だった。彼は、本当に重要なことしか記憶にとどめないのである。
 たとえば、このシャトル・プロジェクトの技術主任だったバーンハードのことはよく覚えている。ドイツ系アメリカ人の技術主任はとにかく気性が荒く、彼にくらべればパウンダーですらつきあいやすい人物に思えるほどだった。バーンハードは悲劇的な事故で命を落とすまで、パウンダーすらかすませるほどの熱意をもって献身的に、この宇宙飛行計画に尽力した。その不屈の働きがなければ、自分が今こうして地球を飛び立つことはなかっただろう。ローダンは一瞬たりとも疑うことなく、そう信じていた。
 いっぽう、ブルは全員の名前を覚えていた。全員だ。技術者だけではない。臨時雇いの掃除スタッフ一人ひとりにいたるまで、全員である。しかも彼は、その各々とすんなり良好な関係を築いてのけるのだ。
「そっちこそ、レジー!」レイモンドが返す。「ま、ぎりぎりどころか、今はお互い一光秒も離れてるがな。おい、気をつけろ。今のあんたの体調データをパウンダーが知ったら、あのおっさん、シャトルを出してあんたを回収しようと追っかけてくるぜ!」
「望むところだ。そうなれば、この狭っ苦しい筒から抜け出せるってもんさ」
「たしかにな! それに……」
 レイモンドの声が途切れる。しばし沈黙が続いたのち、彼は事務的な声で告げた。
「逆噴射フェーズ開始まで、あと三〇秒。総員、配置についてください!」
 三〇万キロ離れてはいても、ネバダ宇宙基地で何が起こったのかは容易に想像がついた。パウンダーが管制センターに入ってきたのだろう。それで、机に足を乗せて業務にいそしんでいた何百人もの技術者たちが、しゃんと背筋を伸ばしてディスプレイに向かったというわけだ。あのご老体はユーモアを解さない。仕事は仕事であり、そこには一片の笑いも許されない。
「逆噴射フェーズまで、あと一〇秒……五、四、三、二、一、ゼロ!」
 容赦ない衝撃とともに《スターダスト》のエンジンが逆噴射される。体重の九倍ものGが宇宙飛行士たちをシートに押しつけた。ローダンは目を閉じ、網膜にちらつく色鮮やかなもやに意識を向けて苦痛をやりすごそうとするが、うまくはいかなかった。無重力下で過ごした三日間で、体が新しい環境に慣れきっていたためだ。
《スターダスト》が月に近づいていく光景を、ローダンは想像する。肉眼でもはっきりと見える、燃えさかる星のような機体がしだいに速度を落として、最終的には秒速三・五キロまで減速していく様子を。ここまで減速することで、月の重力場がちっぽけな宇宙船をとらえ、その周回軌道に引きこんでくれるのだ。
 周回軌道に乗った《スターダスト》は、そのまま月を一周する。これはクルーに過度の負荷をかけることなく減速するためであり、同時に偵察のためでもあった。
《スターダスト》は着陸に先だって月の地表を探査する。特に月の裏側は入念に偵察しなければならなかった。月の衛星がそろって不具合を起こして以来、月の裏側は人類の歴史上長らくそうだったように謎めいた場所に逆戻りしてしまったからだ。その後、順調に周回を終えれば《スターダスト》は着陸態勢に入り、月面のアームストロング基地に着陸することになっていた。
 逆噴射フェーズが終了すると、ローダンとクルー一同は安堵のため息とともに快適な無重力を味わった。一〇秒後、姿勢制御用ロケットが噴射され、機体を精密な動きで旋回させていく。コックピットの窓の向こうに月が姿を現した。手を伸ばせば届くほどに近い。
 実のところ、この旋回は貴重な燃料を浪費する動作だった。しかも二重にである。というのも《スターダスト》は着陸にあたって、もう一度方向転換しなければならなくなるからだ。しかし、ブルは頑としてこの旋回を主張した。
「俺たちの《スターダスト》をあんな……ええと、気まぐれな花形女優みたいなロケットに乗っけて月まで飛ばしておいて、こっちは月をひと目見ることも叶わないなんて、そりゃあないでしょう!」
 最初の飛行会議の際、ブルはそう言って憤慨した。それに対してパウンダーは──常であれば太陽が毎朝東からのぼるのと同じくらい確実に、攻撃には攻撃で返すはずの彼が、このときはブルをちらりと一瞥しただけだった。そのまなざしには一種の尊敬が混じっていたようにローダンには思われた。それっきり、パウンダーは何事もなかったかのように飛行計画の説明を続けた。しかし、後日配布された飛行計画書には、ブルの主張した旋回動作がしっかりと記載されていたのだった。
 月はみるみる大きくなっていく。その姿は、やがてコックピットの窓いっぱいに広がった。ブルが船室の照明を落とすと、ディスプレイも自動的に暗くなる。青白い月光が《スターダスト》の船内を満たした。
 軽い咳払いに続いて、パウンダーから通信が入った。
「諸君、そちらは順調かね?」
「イエス・サー」
 船長であるローダンが代表して答える。
「すべての飛行および診断データは許容値の範囲内だ」
 まるでローダンの返答を聞いていないかのように、パウンダーは続けた。
「それは幸いです」
「ところで、クラーク・フリッパーに報せがある。救助隊がアンナプルナ連峰から発信されたモールス信号をキャッチした。信号は不規則で、自動送信とは思えないとのことだ。きみの……」
 パウンダーは適切な表現を探して、しばし口ごもった。
「きみの友人の登山隊には、まだ生存者がいるのだ」
「ありがとうございます。それは朗報です」
 フリッパーは硬く答えたのみだったが、その目尻に涙がたまっているのをローダンは見逃さなかった。
「うむ、そうだろうな」
 パウンダーは言って、ふと黙る。少しの沈黙ののち、再び口を開いた。
「ところで、ローダン。きみには悪いニュースだが、賭けはそちらの負けだ。セント・ヘレンズ山は噴火をまぬがれた」
 そしてパウンダーはひとつ咳払いをした。
「さて諸君、《スターダスト》はこれより一四秒後に月の陰に入るようだ。陰を通過したのちに、また連絡する。以上、通信終わり」
 パウンダーの通信が終わるか終わらないかのうちに、ブルが勢いよく振り向いた。
「賭けって何です、ペリー? パウンダーが賭けだなんて……」
 ローダンは計器に目を向けたまま言った。
「その話はあとだ、いいな? 我々は今にも……」
 突然、《スターダスト》の船内が暗くなる。月の陰に入ったのだ。月は太陽光をさえぎり、船の発する電波も、地球から発信される電波も呑みこんでしまう。
 コックピットの画面下端に流れていた地上ステーションからの診断データがフリーズし、「接続が切断されました」という警告メッセージが現れた。
《スターダスト》のクルー一同は息を殺して、じっと待った。何かが起こるのを。耳をすまし、孤独など大したことではないと自分自身に言い聞かせる。自分たちと地球とをつなぐへその緒のような通信がもたらすのは、安心感という幻想に過ぎない。途絶えたところで、なんの問題もない──。
 数秒が過ぎた。
 何も起こらない。
 ブルが深く息を吸いこんだ。
「さあ、ペリー! 俺をごまかそうったって、そうはいきませんよ。あんたは賭けなんてしない。それに、あのくそ頭の固いパウンダーにいたっては、賭けって言葉すら知らないだろうさ。白状したらどうです、いったい──」
 ガクン、という衝撃がブルの肺から空気を押し出す。突如、《スターダスト》のエンジンが作動したのだ。船が旋回をはじめる。飛行計画にはない急なエンジン噴射に、ブルは叫び声をあげた。だが殺人的なGに肺を圧迫され、その叫び声は押し殺したうめきに変わる。シートに斜めに押しつけられた彼の左腕は、ありえない方向に固定されていた。
 ローダンはあえてそれを無視し、エンジンのデータを呼び出した。網膜の上におどる焼き付き越しに、なんとか数値を読みとった。《スターダスト》はエンジン全開で逆噴射していた。
 右手を必死に動かし、シート内側のセンサー部分に叩きつける。ピーピーという機械音が正しくヒットしたことを知らせてくれた。シートからジョイスティックがせり上がる。ローダンはやっとの思いで片手を持ち上げ、グローブに覆われた人差し指と親指をレバーにかけて、しっかりと握った。
「搭載コンピュータに異常発生」絞り出すように声を発する。「再初期化!」と叫び、人差し指と親指を同時に押しこんだ。ディスプレイが暗転すると同時に、《スターダスト》のエンジンが停止した。恵みの無重力が再び船内を包んだ。
 だが、それはまやかしの恵みだった。《スターダスト》は月に向かって落下している。スピードが落ちすぎて、周回軌道上の飛行を維持できなくなったのだ。
 ブルが痛みにうめいている。マノリがシートベルトをはずしてブルのもとに飛んでいくのを、ローダンは視界の端で確認した。
「肩を脱臼している」
 船医はそう診断する。そしてシートの背にしっかりとつかまると、そのままなんの説明もなく脚をあげ、ブルの肩に強烈な一撃を加えた。ブルから激痛の叫び声があがる。
「今はもう、もとどおりだがね」
 マノリは平然と告げ、ポケットから使い捨て注射器を取り出した。
「痛み止めだ、レジナルド。少なくとも多少は効くだろう」
 マノリが痛み止めを注射すると、ブルのうめき声はしだいに消えていく。船医は最後にもう一度ブルに向かってうなずくと、すばやくシートに戻ってベルトを締めた。
 コックピットのディスプレイはダウンしたままである。
「初期化失敗。バックアップ・コンピュータ1、初期化開始」
 ローダンは言う。ディスプレイは黒画面のままだ。
「初期化失敗。バックアップ・コンピュータ2、初期化開始」
 反応なし。
「初期化失敗。バックアップ・コンピュータ3、初期化開始」
 反応なし。
「初期化失敗。バックアップ・コンピュータ4、初期化開始」
 やはり反応なし。
「初期化失敗。手動操縦に移行する」
「不可能だ!」マノリが叫んだ。「飛行データもない状態で……」
「高度三六〇キロ、降下速度秒速一・八キロ」
 はっきりと告げる声があった。痛みをおし殺すような響きの声の主はブルだった。
「その数値……どうしてわかる?」
「こいつさ」
 ブルが左手を上げる。その手首には、古めかしい機械仕掛けの腕時計がはまっていた。
「エンジンが急発進したときの時刻を覚えておいた」
「時刻を覚えておいた、だって?」船医は唖然とした。「あの加圧下で、肩を脱臼しながらか?」
「ああ。たまたま時計に目がいってね」
 そう言うブルの口調には、ローダンにさえ一瞬本気かと思わせる響きがあった。
「偶然……」マノリはブルを呆然と見やる。「だが、どうやってそこから降下速度と高度を?」
「いやなに、高度も確認しておいたのさ。あのとき船の高度は月面上空六一〇キロだった。あとは経過時間と元々の高度、それに俺の知るエンジン推進力から数値を計算した。ここを使ってな」
 ブルはヘルメットを指でコツコツと叩いてみせた。マノリは言葉もなく黙りこんだ。
 月はいまや間近に迫り、地表全体を視界に収めるのも難しいほどだ。クレーター、山脈、そして青白いむき出しの岩肌が彼らを待ち受けていた。
「逆噴射、開始!」
 ローダンは宣告ののち、エンジンを点火する。Gが発生するが、その威力は弱い。地球の重力の二倍程度のゆるやかなものだ。
 コックピットにしばしの静寂が訪れた。クルーたちはそれぞれ思考にひたる。すると、フリッパーが叫んだ。
「ペリー、だめです!」
「どうした、クラーク」
「レジナルドの提示したデータに基づいて、燃料消費量を概算したんですが……」
「着陸には足りないか?」
「いいえ、着陸は可能です。ただ、地球に戻るだけの燃料が残りません!」
 ローダンはゆっくりとうなずいた。フリッパーは搭載物管理技術者だ。彼は《スターダスト》のあらゆる構成部材と積載物の重量をグラム単位で暗唱できる。
「どうすべきだと思う?」
「逆噴射せず自然落下し、衝突直前でエンジンを全開にすべきです。これなら効率よくエンジンを使用でき、着陸後も帰還用の燃料を確保できます」
「レジナルド、おまえの意見は?」
「クラークからの信頼は光栄だが……」ブルがうなる。
「俺の概算はそこまで正確なものじゃない。数値に〇・一パーセントでも誤差があれば、俺たちは地面に激突して、ひかれたハリネズミみたいにぺちゃんこになりますぜ」
 ローダンはコックピットの窓から外を見やった。月はもう眼前に迫っている。粉塵の立つ大地から突き出た岩山のひとつひとつが識別できるほどだ。
「このまま慎重に接近を続ける」彼は決断した。「あとのことは、無事着陸してから悩むとしよう」
 それから、わずか二分足らず。《スターダスト》は後部エンジンを吹かしながら、やわらかに月面に着陸した。パウンダーでさえ称賛せざるを得ないであろう、なめらかな着地だった。
 もっとも、パウンダーが再び《スターダスト》と対面をはたす可能性は、いまや限りなくゼロに近かったが。

【第6章へ】(7/12以降公開)

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