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ファンなら避けて通れない! 『三体X 観想之宙』大森望氏解説公開

Hayakawa Books & Magazines(β)

ついに『三体X 観想之宙』が発売となりました! もうすでにお手にとっていただいている方もいらっしゃるでしょうか? 早川書房公式Twitterでは、書店さんでの店頭展開をリツイートでご紹介しています。ぜひ覗いてみてくださいね!

本日は訳者のひとりである大森望さんによる訳者あとがきを再録します!

訳者あとがき

大森 望 

 お待たせしました。宝樹(バオシュー)『三体X 観想之宙(かんそうのそら)』の日本語版をお届けする。本書は、アジアSF最大最高のヒット作にして世界SFの歴史を変えた傑作、劉慈欣『三体』に始まる壮大な物語の(すくなくとも現時点で商業出版されている単行本としては)最後の一冊である。あの物語のつづきはもう読めないのかと《三体》ロスに陥っていたファンにとってはまさに干天の慈雨。渇きを癒やすと同時に、「あれはいったいどういうことだったんだろう」と頭の片隅に残るもやもやを(かなりの程度まで)解消し、三部作に隠されていた驚愕の〝真相〟を明かしてくれる衝撃の一冊でもある。

 とはいえ、本書の著者は劉慈欣ではなく、したがってもちろん〝《三体》シリーズの完結篇〟ではない。〝三部作の第四部〟でもなければ、後日譚(sequel)でも前日譚(prequel)でもない。英語版の翻訳者ケン・リュウは〝並行譚〟(paraquel)と呼んでいるが、つまりこれは、《三体》三部作の(ありえたかもしれない)パラレルユニバース版──いま風に言えばマルチバース版ということになる。ただし、無限の可能性が存在するマルチバースへの扉を開くのはドクター・ストレンジではなく──と、中身の話をする前に、まず本書の来歴を説明しておこう。『三体X』誕生までの経緯は、著者の宝樹が「序」に書いているとおり。本書はもともと、『三体Ⅲ 死神永生(ししんえいせい)』刊行の直後、当時はまだアマチュアの《三体》ファンにすぎなかった宝樹による二次創作(ファンフィクション)として、2010年12月、ネット上のあちこちに〝連載〟された。

『死神永生』刊行から『三体X』完結まで一カ月もかかっていないのは驚異的というしかないが、それがネット上で絶大な反響を呼んで、数多の《三体》二次創作の中でも特権的な地位を獲得し、さほど時をおかずに商業出版が決まる。そして、完結からわずか半年後の2011年6月、《三体》三部作と同じ重慶出版社より、『三体X 观想之宙』のタイトルで単行本化された。アメリカ版も、《三体》三部作と同じTor Books(イギリス版はHead of Zeus Books)から、『三体』および『三体Ⅲ 死神永生』の英訳者であるケン・リュウの翻訳により、2019年7月に出版されている(英語タイトルは The Redemption of Time 。〝時のつぐない〟〝時間の贖罪〟というような意味になる)。

ついでに言えば、この日本語版も、《三体》三部作と同じ早川書房から、『三体』および『死神永生』を担当した3人(光吉さくら、ワン・チャイ、大森望)の翻訳で刊行されている。出版形態から見れば《三体》三部作とほぼ同列の扱いなので、シリーズ第四部だとかシリーズ完結篇だとか思われるのも無理はないが、そういうつもりで書かれた作品でないことは重ね重ねご承知いただきたい。

 小説の中身は、主に、三部作(とくに『死神永生』)で描かれなかった空白部分の補完と謎解き。三部作を読み終えたあとに残るさまざまな疑問を、(ありえたかもしれない〝その後〟の物語というかたちで)時に鮮やかに、時に強引に解決し、《三体》ファンならだれもが見たいと願うようないくつかの場面を果敢に描いている。

 著者自身も語るとおり、ファン同士が交流するネット掲示板文化から生まれた作品なので、いい意味でも悪い意味でもネット民っぽい(日本で言えば〝vipper〟とか〝なんJ民〟みたいな、ネット掲示板の常連っぽい)ノリが随所にうかがえることは否めない。その結果、ところどころに現れる過剰なオタクっぽさが、好悪の分かれる一因かもしれない。

〝浅倉南〟ならぬ〝朝倉南〟が出てくる「だれもがチャールズを愛していた」(稲村文吾訳/SFマガジン2019年8月号)や、自分自身をモデルにした「我らの科幻世界」(阿井幸作訳/SFマガジン2020年12月号)、あるいは時間SF短篇集『時間の王』(早川書房)収録の「九百九十九本のばら」(稲村文吾訳)とも共通するセンスだが、《三体》三部作を神聖視する読者からすればとんでもない冒瀆に見えそうな〝書きすぎ〟もたしかにある。もっとも、劉慈欣自身、自分が主役のひとりをつとめるSFオタクっぽさ全開のドタバタ破滅SF「太原之恋」みたいな短篇を書いているので、『三体X』を面白がったとしても不思議はない。同世代SFファンとして勝手な推測を言えば、若い頃の自分を見るような気分だったのではないか。

 日本の某匿名掲示板の《三体》スレッドでも作中の記述をめぐっていまだに活発な議論が交わされているが、それと似たような議論を受けて本書の原型が書かれてネットの海に放流され、それがめぐりめぐって日本語に翻訳され、こうして出版されたわけだ。結果的に、本書に対する読者の評価は毀誉褒貶さまざま。中国語圏でも英語圏でも、「これこれ! これが読みたかったんだよ!」と快哉を叫ぶ人がいる一方、「こんな〝真相〟は知りたくなかった」とか「○○のモデルが××だったなんて許せない!」とか「こんなものを公式扱いするな!」とか怒り狂う人もいるわけだが、それはそれとして、《三体》ファンなら避けて通れない本であることはまちがいない。

 ぼく自身、本書を読みながら、あまりのもっともらしさに感動したり、破壊的なネタに大笑いしたり、意外な伏線の拾いかたに感服したり、堂々たる本格SFぶりに圧倒されたり、いくらなんでもやりすぎだろうと呆れたりしたものの、基本的にはおおいに楽しませていただいた。英訳を担当したケン・リュウも、訳者あとがきで、ファンタスティックな三体宇宙にさらに多くの驚異(ワンダー)をもたらしてくれたことに対し、著者の宝樹に感謝を述べている。また、劉慈欣とも親しい中国のSF/ファンタジー作家・潘海天(パン・ハイティエン)は、「『三体X』は《三体》三部作の脚注ではなく、恐ろしくも驚異に満ちた新たな旅であり、《三体》に隠された真実を探す冒険なのである」と書いている。

 SF的には、『死神永生』でほとんど言及されなかった〈歌い手〉の母世界について、壮大な背景が華々しくまことしやかに語られる第三部「天萼」が見せ場のひとつ。二次創作の域をはるかに越えて、壮大すぎるSF大伽藍が構築されている。一方、雲天明に着目すれば、劉慈欣も強い影響を受けたと語る小松左京の代表作『果しなき流れの果に』の系譜に連なるワイドスクリーン・バロックとも読める。時間を超え宇宙を超えた二つの巨大な力の壮大な戦いにおいて、雲天明は『果しなき流れの果に』の主人公・野々村のような役割を果たすことになる。

 その意味では、二次創作であること(《三体》から独立した作品として読まれないこと)がもったいないほどオリジナルな本格SF成分も相当程度含まれている。実際、宝樹がただの《三体》オタクでなかったことは、その後の活躍が証明するとおりだろう。

 と、このへんで、はじめて宝樹作品に触れる人のために簡単に経歴を紹介しておくと、宝樹(欧文表記はBaoshu。姓と名は分かれておらず、「宝樹」でひとつのペンネーム)は、1980年、中華人民共和国四川省広元市生まれ。北京大学卒業後、ベルギーのルーヴァン゠ラ゠ヌーヴにあるルーヴァン・カトリック大学で哲学の修士号を取得。このベルギー留学中に『死神永生』を読み、2010年12月、本書をネットに発表する。2011年、本書刊行と前後して精力的にSFを書きはじめ、〈新幻界〉、〈超好看〉、〈科幻世界〉などの小説誌に短篇を寄稿。そのうち七篇の時間SFをまとめた前述の短篇集『時間の王』は、本書に先立ち、すでに邦訳されている。

2013年に刊行された未訳の長篇『時の廃墟』は、異星文明の干渉によって、地球上の生命が同じ二十時間を果てしなくくり返すことになる(この〝虚空紀〟が千六百万年続く)という壮絶な時間ループSF。2014年の第五回世界華語科幻星雲賞最優秀長篇賞を受賞している。陳楸帆(チェン・チウファン、1981~)、夏笳(シアジア、1984~)、郝景芳(ハオ・ジンファン、1984~)などともに、中国SFを牽引する〝80后(バーリンホウ)〟(80年代生まれ)世代のひとり。

 もしかしたら、日本の宝樹ファンの中には、《三体》は読んでないけど宝樹のデビュー作なら読んでみたいと思う人がいるかもしれないが、本書の七割ぐらいは『死神永生』謎解き篇なので、《三体》を読まずに本書から先に読むことはおすすめできない。まあ、『三体』は本書にそれほど関係しないとしても、せめて『黒暗森林』から、最低でも『死神永生』だけは読んだうえで本書にトライしてほしい。三部作の中でもその『死神永生』がいちばん長いわけですが、長さに見合うだけの面白さがあることは保証する。

 逆に、一度でも三部作を読んだ人なら、その内容を細かく記憶していなくてもだいじょうぶ。ディテールを忘れているからといって『死神永生』を読み返す必要はない。とはいえ、『死神永生』邦訳刊行から一年以上経つので、読んだのに思い出せなくてもどかしい思いをする人もいるだろう。そういう読者の便宜を考えて、『死神永生』のあらすじをまとめたものを、このあとがきの前に収録した(上巻途中までの抜粋はこちらから。『三体』および『黒暗森林』については、『死神永生』上巻の冒頭に入っている「これまでのあらすじ」を参照してください)。あくまでも、すでに《三体》三部作を読んだ人が小説の細部を思い出すためのあらすじなので、『死神永生』を未読のかたはご注意ください。

 本書の翻訳については、光吉さくら、ワン・チャイ両氏が中国語から訳したテキストをもとに、中国語版原文(原著者から提供されたWordファイル)と英語版(ケン・リュウ訳)を対照しながら大森が改稿した。科学的な記述については例によって林哲矢氏のチェックを仰いだが、翻訳上の誤りが残っていた場合は、すべて最終稿をつくった大森の責任です。

 中国語で表記される登場人物名の読み仮名(ピンインのカタカナ表記)については、『死神永生』と同様、ブロックごとに初出時にルビを振った。とはいえ、チェン・シンとかユン・ティエンミンとかグァン・イーファンとか読んでほしいわけではなく、「てい・しん」「うん・てんめい」「かん・いっぱん」と読んでいただいても問題ない。関一帆なんか、訳しているときは頭の中で「せきくん」と読んでいたくらいなので、なんでも覚えやすい読みかたでどうぞ。今回、中国人名の登場人物はたいへん少ないので、あまり問題はないと思う。むしろ〝潜伏者〟だの〝捜索者〟だののほうが区別しづらいかもしれない。〝統治者(マスター)〟と訳したボスキャラのひとりは、原文では〝主宰〟。直訳すれば〝支配者〟だが、他の用語(潜伏者)との兼ね合いもあって、主にカタカナ表記(マスター)を採用することにした。

 あと、実体を備えているほうの〝智子〟について、〝日本人風に読みたい人は「ともこ」、原音主義の人は「ヂーヅー」、漢字音読み派の人は「ちし」と読んでください〟と『死神永生』の訳者あとがきに書いたが、本書では諸般の事情から、標準的な読みとして「ともこ」を採用している。こちらも、お好きな読みかたでどうぞ。

 本書の刊行にあたっては、《三体》三部作同様、早川書房編集部の清水直樹氏と梅田麻莉絵氏、そして校正担当の永尾郁代氏にお世話になった。カバーは《三体》三部作と同じく、富安健一郎氏にプラネット・ブルーを描いたすばらしい新作を描き下ろしていただいた。記して感謝する。

 あらためてふりかえってみると、『三体』第一作の日本語訳が早川書房から刊行されたのは2019年7月4日。それからちょうど三年が経過した。そのあいだにコロナ禍があり、ロシアのウクライナ侵攻があり、さまざまな場面で《三体》を思い出す機会が多かったのは、三体宇宙にどっぷり浸かって過ごしていたせいか。

 なにかにつけて《三体》を想起するのは、現実の出来事にかぎらない。『三体Ⅲ 死神永生』のあとがきでは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観たらクライマックスがもろに『死神永生』が重なる気がしたと書いたが、本書の翻訳作業中には奇しくも『シン・ウルトラマン』が公開され、外星人による地球侵略の背景に、今度は暗黒森林理論との共鳴を強く感じた。なんだか《三体》っぽいなと思ったのはぼくひとりではないらしく、『シン・ウルトラマン』感想ツイートには『三体』や『黒暗森林』への言及があふれている。中には、斎藤工が演じる神永の名は『死神永生』からとられたのではという説もあり(つまり神永は〝生〟と〝死〟のあいだにある)、さすがにそれは穿ちすぎだろうと思ったものの、話としてはたいへん面白い。もし仮に《三体》シリーズが『シン・ウルトラマン』になんらかの影響を与えているとすれば、三体宇宙とウルトラ宇宙(もしくは劉宇宙と庵野宇宙)をつなぐ扉もどこかにあるかもしれない。というか、もともと初代『ウルトラマン』の設定がハル・クレメント『20億の針』にインスパイアされたのでは──と言われていることを思えば、SFは国境を超えてつながっている。世界はひとつではないし、宇宙もひとつではない。本書が(そしてSFが)それらをつなぐドアを開く鍵になることをぼんやり願っている。

 なお、最初に述べたとおり、《三体》の物語は本書が(すくなくとも現時点では)ラストになるが、ほかに、シリーズの登場人物のひとりである(本書にも終わりのほうでちらっと名前が出てくる)物理学者・丁儀(ディン・イー)が重要な役割を果たす長篇がある。2005年に刊行された劉慈欣『球状閃電』がそれ。作中の出来事と年代設定からすれば、《三体》の前日譚と言えなくもない。こちらは、本書と同じ翻訳チームにより、近々、早川書房から日本語版が刊行予定なのでお楽しみに。

 また、2022年9月には、KADOKAWAから、二冊の劉慈欣短篇集『流浪地球』『老神介護』(ともに仮題)が邦訳刊行される予定。『円 劉慈欣短篇集』と同じく、収録作のそこここに《三体》へとつながる要素が見てとれる。すべての道は《三体》に通ず、というわけでもないが、《三体》を出発点に中国SFの──いや、世界SFの──豊かな世界を探訪してほしい。

 2022年6月某日


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