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人類にうがたれた穴を埋める、笑いと夢──作家いしいしんじが語る、中国文芸『一日三秋』の大いなる魅力

中国文学界でもっとも栄誉がある賞の一つ、茅盾文学賞を受賞した中国のベストセラー作家、劉震雲(リュウ・チェンユン/りゅう しんうん)さんの最新長篇小説『一日三秋』が水野衛子さんの翻訳で刊行です。中国のレビューサイト豆瓣では、「2021年度中国文学小説ランキング」で余華に次いで第2位を獲得し、10カ国で翻訳刊行されています。

そんな注目の本作は、劉さんの出身地である河南省延津を舞台に、そこで生きる人の「ユーモア」の由縁に焦点を当てた作品です。作家のいしいしんじさんは「想像を絶するおもしろさ」と絶賛! そんないしいさんに、『一日三秋』の大いなる魅力を語っていただきました。

「小説を書き終えて、この小説を書いた初心を記しておこう」と、冒頭で語り手はいう。「それは六叔父、六叔父の絵のためだ」と。

昔、劇団の胡弓弾きだった。引退してからは、妻にぶつくさいわれながら、日々、ふるさと延津の絵を描き、たまに訪ねてくる甥(語り手)に、なんの絵か教えた。

絵ではおおぜいが笑っている。延津のひとは笑い話が好きだ。厳粛な顔のものもいる。笑い話に圧し潰されて死んだのだ。テーブルの下にひとが寝そべり、皿の上では魚の頭が笑っている。魚の骨か、笑い話を喉に詰まらせて絶命した。

たった5ページのうちに、ぼくたちはもう、物語へ、夢のひだの奥へ連れ込まれている。ニラが原因で首を吊った女がいる。男の腹にとりついて、家族を訪ねる幽霊がいる。一日じゅう笑いも話もせず、ためこんだ鬱屈に圧死した男がいる。汽車と反対方向に線路を走りつづける少年がいる。

「はじめに」だけでもう腹いっぱい。延津名物豚足をたらふく詰めこまれた気分。が、ここまでは前菜にすぎない。

劇団で、人気の演目『白蛇伝』の主役をつとめた三人が、物語の中心をになう。二枚目の書生役だった、気弱だが実直な李延生。法力のある坊主役の、がさつだが侠気のある陳長傑。そして、男好きの白蛇子を演じた、妖艶な桜桃。

みな、生きること、生の時間を充足させることに懸命だ。手を抜かずに食べ、飲み、笑い、まぐわい、眠る。それなのに、これら充実しているはずの、みなの生に通底してたなびく、ことばにならない悲しみの帯はいったいなんなのか。

延津のひとびとはしばしば、夜みる夢のなかで、三千年を生きる「花二娘」に出会う。

花二娘は延津のひとでない。想いびとを追って延津を訪ね、渡し場でえんえんその相手を待っていた。そうして何千年も過ぎた後、ひとを待つことが笑い話になったと知るや、その夜、突然山になった。

夢で花二娘に笑い話をせがまれ、彼女を笑わせなかったものは、圧し潰されて死んでしまう(娘の姿にも山にも変幻自在)。楽しませることができると、花二娘は籠から柿をひとつ取りだして食べさせてくれる。

劇団の人気者だった三人も、花二娘のことは知っていて、ほかの延津人と同じように、夢のなかで花二娘に出くわすことをおそれている。いつかやってくるその夜のため、延津のひとは、ふだんから、花二娘のための笑い話をいくつか用意している。これが延津人のユーモアの由来だ。

ひとびとの懸命な生には、たいていの場合穴があいている。小さすぎて見えないこともあるし、ばかでかくて、穴のなかで生きているような場合もある。自覚されていたり、まったく意識されなかったり、穴から風が吹きこんだり、逆に、息が噴きだしてしぼんでしまったり。

犬はどうか。牛は、虫は、魚たちの生に穴はあいているか。松は、人参は、茸たちの時間にはじまりや果てはあるか。

人間の生自体、穴あきをはじめから運命づけられている。ひとがうまれる、ということ自体、生に穴をあけて世に出てくることだから。自意識をもち、ことばを用い、人類、となった時点で、人間という生きものは、埋めようのない穴を、その生にそなえつけてしまった。

途方もないその穴の中心に、花二娘のようななにかが、ひっそりと浮かぶ。詩が、演劇が、絵が、小説が、マンガが、ひとの生のすきまではためく。かたまった時間を揺らし、波うたせ、かすかに震わせる。めざめながらの夢、死とよりあわさったいのち。落語の高座がまばゆく映るのは、切実な生がそこにあるからだ。天才バカボンやマルクス兄弟が時をこえるのは、真昼の重力から解きはなたれているからだ。

複雑さとは無縁の、シンプルで清明なストーリー。時間は跳躍するものの、無軌道に弾むのでなく、物事と物事のあいだには、誰もが得心する筋道がある(すべてが語られるわけではないけれども)。

とはいえ、400ページに満たない小説に、人類の歴史、男女の謎、生と死の詩が、精妙な織物のように編みこまれている。一行ごとに驚き、胸を突かれ、かと思えば、そうなってくれてよかった、と、物語ごと抱きしめたい気持ちになる。離れ業のようで、すべてのエピソードが、自然と腑におちる。最後の一ページで、目が覚めるような笑いが襲い、気がつけば物語は終わっている。

いっさいの嘘がない。笑いの海と、ひとの歴史を見わたす、透きとおった空。花二娘だけではない、あらかじめ、山のような穴をうがたれたわれわれには、『一日三秋』のような、巨大な笑い話が必要なのだ。

いしいしんじ
1966年生まれ。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、2012年
『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞している。最新作は、絵本作家tupera tuperaとの共著『まあたらしい一日』。

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この記事は「ミステリマガジン2023年3月号」掲載記事の先行掲載です。
『一日三秋』は早川書房より好評発売中です。

●あらすじ

河南省延津には“花二娘”の言い伝えがある。
花二娘はかれこれ三千年以上生きていて、
寝ている延津人の夢に現れて笑い話をせがむが、
彼女を笑わせられない者は死んでしまうという。
いつ現れるかは誰にもわからないから、
人々はかならず笑い話を用意して眠る。

そんな延津で、ある苦難を経験した父子がいた。
喧嘩、離婚、裏切り、死──
すべてが笑い話になるわけではない人生で、
“笑い”が持つ力とは何か。

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