続篇刊行決定! 『パリ警視庁迷宮捜査班』訳者あとがき公開
5月2日の発売以来好評をいただいている、コミカル警察サスペンス、『パリ警視庁迷宮捜査班』。なんと! 続篇であるRester groupésの翻訳刊行が決定いたしました(時期未定)!! 作品の魅力をあますことなく紹介した、訳者によるあとがきを公開いたします。
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訳者あとがき 山本知子
アンヌ・カペスタン。37歳。パリ司法警察の警視正。「同世代の星」といわれるほどに有能な女性警察官のカペスタンは、ある日、犯人を近距離から射殺し、それが過剰防衛とみなされ停職処分に。免職はまぬがれたものの、結局、パリ警察のお荷物たちを寄せ集めた「特別班」を率いることになった。班にやってきたのは、通称"死神"、垂れ込み屋、脚本家、ギャンブル好き、スピード狂などなど、いずれ劣らぬ個性派ぞろいの警察官たち。
彼らに与えられた部屋は、シテ島のかの有名なパリ司法警察局のなかではなく、パリ一区のアパルトマン。真ん中に古ぼけた暖炉がでーんと据えられた室内には、傾いた机にガタガタの椅子、いまや骨董品屋でしかお目にかかれないような電話機……と、これまた警視庁の「不要品」が並べられていた。車にいたっては窓ガラスが落ちてしまわないように窓とドアの隙間にドライバーが刺さっている始末だ。
だが、廃品同然の備品に囲まれた落ちこぼれ警察官たちは、上層部の思惑をよそに、迷宮入りとなっていた二件の殺人事件の捜査に乗り出す……。
そんな筋立てのミステリが面白くないはずがない。実際、この作品(原題 Poulets grillés)は、フランスで2015年に刊行されるや話題となり、優れたミステリ小説に与えられる「アルセーヌ・ルパン賞」、テレビドラマ化に適した推理小説のための「ポラール・アン・セリー賞」など、いくつかの賞に輝いた。2016年には、続篇にあたるRester groupés、さらに今年3月には第3弾Art et decèsが刊行され、いまや人気のシリーズである。
現在、アマゾンフランスにはおよそ100件のレビューが並んでいるが、その半数以上が5つ星だ。「登場人物はどれも規格外だが愛すべき者たち。捜査の過程もよくできている」「ユーモアたっぷりであっという間に読み終えた」「物語全体が人間愛にあふれている」「凄惨な事件現場や恐怖心をあおるシーンなどなくても十分面白い。今日のミステリ界にさわやかな風を吹き入れてくれた」といった評価が多い。その後、海外で次々に翻訳版が刊行され、イギリスでも「陽気なメンバーと生き生きとしたストーリー。痛快な作品がお目見えした」(タイムズ紙)と絶賛されている。
たしかに、本書の魅力は軽妙な会話やテンポのいい文体によって一気に読めることにある。終わり方も明るく前向きだ。だが、人気の秘密はそこだけではないだろう。この班に流れついた警察官たちの「ワケあり」の過去や心理が丁寧に描かれていることで、読み手は、彼らひとりひとりが抱えている生きづらさに、ときには共感し、ときにはなんともせつない気持ちになる。警視庁のはみ出し者たちは、その持ち味を発揮して班の仲間と事件を解決することで、自分の弱さと正面から向き合い、少しずつ生きる自信を取り戻していくようにも見える。そう考えると、本書はたんなるユーモア推理小説ではなく、人生につまずいた者たちの「再生」の物語でもある。
著者のソフィー・エナフは、どういう人物なのだろうか。ジャーナリスト、翻訳家、作家という三つの肩書きをもつ彼女は、女性向け雑誌「コスモポリタン」フランス版の名物コラムニストとして活躍していて、この作品が、作家としての実質的なデビュー作である。雑誌の世界に入る前は、リヨンのカフェ・テアトル(フランスにあるカフェスタイルの劇場)の制作部で働いていたり、友人とボードゲームバーを共同経営していたこともあるそうだ。登場人物たちのセリフがキャラ立ちしているのは、カフェ・テアトル時代の舞台経験が生かされているのかもしれない。また、著者は「コスモポリタン」のインタビューのなかで、「負けず嫌いでときに行き過ぎてしまう主人公、カペスタンはどこか自分に似ている」と語っている。
そんなカペスタン以下、この班のメンバーはとにかくよく食べる。ニシンとジャガイモのオイル和え、タルティーヌ、カモのコンフィとジャガイモのトリュフ風味焼き……。フランスっぽい料理はもとより、捜査中にはメキシコのトルティーヤをぱくつき、ベトナムの麺をすする。オフィスではパスタを作ったり、みんなで宅配のピザをとったり、新人が全員分のハンバーガーを買いにいったり(でも、ファストフードを好まないメンバーは途中でやめて、いかにもフランス人らしくバタービスケットをかじりだすのだが……)。そこには、パリの人たちのリアルな食生活がかいまみられる。
また、セーヌ河のほとりをはじめ、パリの通りや景色が丹念に描かれ、さらにメンバーたちが捜査に赴くフランスの地方(クルーズ県やレ・サーブル=ドロンヌなど)についての詳細な描写は、読みながらまるでフランスを旅している気分になる。食と旅。まさしく女性誌のライター兼編集者である著者ならではの読者サービスといえよう。
ここで、この作品のおもな舞台ともいえる、迷宮捜査班のオフィスとパリ司法警察のある場所について少し説明しておきたい。
カペスタンのオフィスはパリ一区のイノサン通り三番地に建つアパルトマンの最上階だが、目の前には《イノサンの泉》を囲む広場があり、その周辺は十八世紀末まで墓地だったという。この広場に面したオフィスの大きな窓からは、西側にサン゠トゥスタッシュ教会が見渡せ、東側にはセックス・ショップが立ち並ぶサン=ドニ通りの光景が広がっている。まさに聖と俗の両方を眺めることができるわけだ。このエリアはレ・アール地区と呼ばれ、かつての中央市場の跡地に建てられた巨大ショッピングセンター《フォーラム・デ・アール》がよく知られている。なかでもオフィスのある界隈は活気にあふれ、窓を開けると広場にたむろする若者たちのはしゃぎ声やジャンベの演奏が聞こえ、ファストフードの店が立ち並んでいるというのもうなずける。
一方、ビュロンが局長として鎮座しているパリ司法警察は、セーヌ河の中洲に位置するシテ島のオルフェーヴル河岸36番地にある。フランスの警察関係者のあいだでは、「オルフェーヴル河岸」あるいは「36(トラント・シス)」と呼ばれている(ちなみに本作品の原書でも何度か「36」という書き方をしているが、日本の読者にはわかりにくいので「司法警察」とした)。日本では「パリ警視庁」と混同されることも多いが、司法警察はパリ警視庁の内部部局のひとつで、警視庁のほうは、ノートルダム大聖堂の向かい側にそびえている。ちなみに、2017年9月、パリ司法警察はオルフェーヴル河岸から16区の「バスティオン通り36番地」に移転した。またも36番地なのは、司法警察の通称「36」を守るための市の粋な計らいだろう。
あなたがいつの日かパリを訪れることがあれば、ぜひシテ島やイノサンの泉に足を運んでほしい。眼鏡をとっかえひっかえするビュロンや、カペスタンと陽気な仲間たちを思い出していただけるのではないだろうか。万一、街中で道路清掃車を見かけたら(残念ながら犬の糞清掃車はもう存在しないが)あの大捕物劇が頭をよぎり、ニヤッとされるかもしれない。そうなれば、訳者として大変うれしい。
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訳者あとがきにもあるように、作中に出てくる食べ物がとにかくおいしそうなのもこの作品の大きな魅力。次回の記事では、どんなお料理が出てくるか、ご紹介する予定です。
ソフィー・エナフ/山本知子・川口明百美『パリ警視庁迷宮捜査班』
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