小川楽喜『標本作家』第二章⑨ チャールズ・ジョン・ボズ・ディケンズ 十九世紀最大の小説家
(第15節はこちらの記事に掲載しています。)
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──そうして、時代は、十九世紀へと戻ってきます。
チャールズ・ジョン・ボズ・ディケンズ。十九世紀最大の小説家。イギリス国民からもっとも愛された作家。
〈終古の人籃〉で調べたかぎり、彼の作品は千年以上にわたって読み継がれていました。貧苦と孤独のなか、ロンドンの片隅にあった靴墨工場で働いていた少年が、ジャーナリストというキャリアを経て、英国を代表する大作家にまでなったのです。ほぼ同時代を生きたセルモス・ワイルドを「流行作家」とするなら、ディケンズは、一過性の流行などでは揺らぐことのない、確固たる地位を築いた「国民作家」だったといえるでしょう。
彼の諸作品は、常にその根底が、社会的弱者に焦点を合わせたものになっていました。ウェストミンスター寺院に建てられた彼の墓碑には、次のような一文が刻まれていたといいます。
「──その者は、貧しき人々、苦しむ人々、そして抑圧された人々への共感者だった。そして、その者の死により、英国でもっとも偉大な作家のひとりが、世界から失われた」
この一文に異論を唱える者は少ないに違いありません。私の生まれた時代、ヴィクトリア王朝期には、上流階級、中産階級、労働者階級という、人々を区分けするための明確な線引きがあり、それがそのまま人々の暮らしぶりや生き方を決定していましたが、ディケンズは、そのなかでも労働者階級、さらには労働者にもなれなかった最下層の人々への関心を絶やさず、彼らの生きざまを活写し、多くの人々が読めるような物語にして発表しつづけました。それが後世の作家たち──イギリスに限らず、世界じゅうの小説家たちに、どれだけの影響を与えたか、計り知れません。どんなに貧しくとも生きる希望を見失わぬ者、貧しいがゆえに人格や人生がゆがんでしまった者、過酷な労働環境、当時の社会風俗、社会悪、世の中の理不尽さ、犯罪、堕落、周囲の無理解、暴力、それでもなお生き抜こうとする下層民の生命力と、そうした生命すら根こそぎ奪おうとする抑圧のきびしさなど、あますことなく文章化し、物語化した彼の手腕は、英国最大の国民作家の名にふさわしいものでした。十九世紀の存命時にも、それ以降の時代、彼が亡くなってからも、一般大衆からの人気は絶大で、衰えることはありません。私にとっても、セルモスやクレアラとはまた違った意味で、愛読し、敬愛している作家でした。私に小説のおもしろさや奥深さを教えてくれたのはディケンズです。彼の小説との出逢いがなければ、私はいま、ここでこうしてはいなかったでしょう。
「言葉だけでは説き伏せられないだろうね」
窓の外の雑踏を眺めつつ、ディケンズが、そう答えました。「もはや、ほとんどの者が、ひとりで書くことに飽いてしまっているのだよ。〈異才混淆〉があるから、義務として、分担し、書いたつもりになっている──おおむね、そんなところではなかろうか」
五十代後半の、ゆたかな髭をたくわえた紳士が、私にそう語りかけてくれました。私たちはパブリック・バー、通称「パブ」と呼ばれる酒場の、窓際の席にいました。そこからみえる外の景色は、十九世紀のロンドンそのものです。たくさんの人々が行き交う路上には、ごく質素な服をまとった労働者や、職にも就けない、その日暮らしを余儀なくされている者らの姿が目立ちます。往来の脇にはいくつもの露店や屋台がたちならび、さまざまなものが販売されていました。安物の肉。安物の魚。混ぜ物の入った紅茶に、薄められたミルク。しおれかけの花。傷みかけた果物。煤けた装飾品。鮮度のあやしい牡蠣。その他もろもろ、やはり裕福ではないであろう商人たちが、いつまでも街頭に立ちつづけ、無秩序で猥雑な市場を形成しているのです。夕暮れ時。私とディケンズは、そうしたロンドンの情景を目にしながら、会話していました。話題は〈異才混淆〉についてで、それを終わらせるにはどうすればいいかを、私のほうから相談しているのでした。
「いまのところ、この話に応じてくださる方はいませんでした」
「そうだろうね。特に〈文人十傑〉の大半は、賛同しかねるだろう。ロバートくんや、エドくんにとっては、存在のありようにも関わってくる」
〈文人十傑〉──
ディケンズが口にしたそれは、私がこれまでに語った、十人の作家たちのことです。
恋愛小説家、バーバラ・バートン。
ファンタジー小説家、ラダガスト・サフィールド。
ゴシック小説家、ソフィー・ウルストン。
SF小説家、ウィラル・スティーブン。
ミステリー小説家、ロバート・ノーマン。
ホラー小説家、エド・ブラックウッド。
児童文学者、マーティン・バンダースナッチ。
分類不能な小説家、クレアラ・エミリー・ウッズ。
その八名に、いま目の前にいる国民的作家、チャールズ・ジョン・ボズ・ディケンズが加わって、これで九名。最後のひとりは、ディケンズ没後、しばらくしてから背徳的な小説〈痛苦の質量〉で流行作家となった、セルモス・ワイルド、その人でした。
英国の文学史において、特に重要だとされている作家たち……と述べてもよいのですが、彼らに限らず、英国にはまだまだ大勢の、綺羅星のごとき作家たちがいるので、土台、そうした基準のみでは、たった十名にしぼることには無理があるように思えます。〈文人十傑〉とは、最高峰の小説家への称号であると同時に、〈異才混淆〉を成り立たせている上位十名の作家を示すものでもあるのです。この十名の知性、感性、才能、物語の創作能力が主流となって、混ざりあい、核となる人物──すなわちセルモス・ワイルドへと集約されるのが〈異才混淆〉という現象なのでした。その人選に、私たち人間の意思は反映されません。そしておそらくは玲伎種の意思も。天の配剤とでもいうのでしょうか、現象それ自体によって、おのずと、彼ら十名が選出されたのです。
〈終古の人籃〉には多くの作家が収容されています。誰もが皆、〈異才混淆〉に協力し、おのれの精神的な特性をささげていますが、〈文人十傑〉に選ばれた者らは、特に重要な役割を担っていました。いわば、大河における本流のようなものです。彼ら十名の精神的なつながりが〈異才混淆〉の根幹をなし、河川のごとく、雄大なひとつの流れとなっています。そこへ、ほかの作家のさまざまな個性も流れ込んできて、さらにスケールの大きなものへと発展しているのです。あらゆる作家の、あらゆる内的世界を呑み込んだ河──。しかしそれも、〈文人十傑〉という本流があればこそです。そこが堰き止められれば、河そのものも生じず、個々の作家の世界観が合流することもありません。
つまり、〈異才混淆〉を失くすには、何よりもまず〈文人十傑〉の活動を終息させる必要があるのです。彼らと話しあい、その意思を〈異才混淆〉から引き離さなければなりません。私は、そのために館のなかを巡りました。ひとりひとりのもとを訪ね、時間をかけて説得をこころみ、言葉を尽くしましたが、いまも、成し遂げられずにいます。これまでにも語ってきたとおり、〈文人十傑〉に選ばれた者は、人の身には奇跡ともいえる「見返り」を玲伎種から授かっています。それを手放してまで現状を変えるつもりはないらしく、私の話に耳をかたむけはするものの、最終的には同意を示さず、いままでどおりのやり方を崩そうとはしないのでした。
例外はいます。クレアラ・エミリー・ウッズ。〈十傑〉のなかで唯一、玲伎種からの見返りを求めず、さらにはその権利を私にゆずろうとした女性。……私はずっと、その申し出を棚上げにしてきました。約束という形で残されてはいますが、いよいよ、それにすがるしかないという事態にまで陥りつつあり、複雑な心境です。彼女とはまだ会っていません。その前に、他の〈十傑〉との交渉を済ませておきたかったのです。その結果次第で彼女への用件は大きく変わるに違いないのですから。
クレアラをのぞけば、いま話しているディケンズで、〈十傑〉との会談は最後になります。その彼の声に、私は反応しました。
「しかし、セルモスくんもよく認めたものだ。彼のなかにも迷いがあったということか」
「どういうことでしょう」
「なに、深い意味はないがね。彼が率先して〈異才混淆〉の代表者になったのには、それなりの理由があるとは思っていた。表には出さない理由がね。それを、きみからの嘆願があったとはいえ、放りだすも同然の道に向かおうとしている。少なくとも、そうなりかねない道の存在を認めている。そこに迷いなり心変わりなりがあったのではないかと洞察したまでだ。元来、彼のようなタイプの作家は、誰かと共調して何かを書き上げるものではない」
ディケンズの話に、私は心のなかで同意していました。セルモスの迷いについても、彼がもともとそういったタイプではないことについても、私自身、理解のできるものでした。
セルモス・ワイルドは、おのれの世界観に何者かが介入するのを許しはしないタイプだったはずなのです。それがいま、〈異才混淆〉の主軸を務めているというのは──
「あなたからみて、セルモスや、他の〈十傑〉の皆さんは、どのように映っているのですか」
頭のなかでは先ほどまでの思考に囚われながら、私はやや話頭を転じました。
「難しいことを訊くのだね。……セルモスくんについては、私と生きた時代が近いこともあって、思うところは多々あるよ。彼のデカダンスは、まあ、あの時代の体制に対する、一種のポーズだな。『食事も満足にできない状況で生きる人々に、清貧を説くのは残酷であり、侮辱にほかならない』──たしか、そういったことをセルモスくんは口にしたことがあるそうだ。賛同するよ。あの時代のプロテスタントは……福音主義は、どうにも、始末に負えないところがあった。おぞましいほど増長した資本主義と結びついて、労働者階級を圧迫した。十九世紀も終わりごろになると、英国は斜陽の時期をむかえたと聞いている。そうしたときに、反発のひとつの形として、彼のような作家があらわれたのには意義があるのだろう」
そういって、ディケンズは窓の外へと目を向けました。そこには、さっきまでと同じような人々の喧騒がひろがっていましたが、十九世紀のそれではなくなっていました。路上を行き交う人々の風体やら雰囲気やらが変化し、交通の主要手段も馬車から自動車へときりかわっていました。人の波は途絶えていません。スクリーンに映し出される風景が、いつしか、差しかえられていたかのような……、いいえ、二重になって映し出されていた風景のうち、過去のものが消え去って、新しいものだけがその輪郭を強めていくような、そんな、重なりあう幻影の生き死にを目の当たりにしました。そして、死にゆく風景、生き残る風景、そのどちらにも、常に貧困層、労働者階級の人々の姿がありました。まるで、彼らの暮らしぶりこそが、それらの風景の主題なのだと訴えるように。ディケンズは風景のなかにいる彼らを、ただ、じっと見つめていました。私には解しきれない、深い憐憫と共感の表情、そしてそれよりも印象的な、創作をいとなむ人間に特有の──他者の人生のなかから、なにがしかの創作の種子になるようなものは見つけられないか、といった類いの──貪欲な眼差しをたたえて。
ありふれた天才なら、他者のことを創作の材料としか見なさなくなるのかもしれませんが、ディケンズは、そうした観察眼とともに、人間的な情愛と理性を保って、いつの世にも貧困にあえぐ人々に寄りそう、人道主義の姿勢をつらぬいてきたのでした。
「外は、二十世紀ごろになったようだね。このころの作家で〈十傑〉に選出された者といえば、ラダガスト氏と、ウィラル氏か。両氏の著した小説の舞台は、どちらも、現実から乖離されたところにある。にもかかわらず、ある程度、現実と同じような要素を取り入れているのは興味深い。おそらくはリアリティを出すためであろうし、人間という生き物が社会を構成すれば、それが架空であっても、ある程度は同じ場所へむかわざるをえない、方向性というものがあるのかもしれないな」
「中世までなら、何かへの信仰を基盤にした社会。近代以降なら、資本主義。もしくは社会主義」
「身も蓋もない云い方をしてしまえば、そうだ。まあ、そういったことのみを指して、云ったわけでもないのだけれど」
微苦笑しつつも、気分自体は害していない様子。ディケンズと私は、そのあとも〈文人十傑〉の誰かれについての話をしました。いずれも貴重で、含蓄のあるお話を彼からいただいたのですが、それも尽きると、ふいと、ディケンズのほうから新たな話題をふってきました。
「そういえば、日本の収容施設がそろそろ閉鎖されるらしい」
何気ない口調でした。
「…………本当ですか」
「ああ。きみは巡稿中、意図的にコンスタンスとの接触を避けているのだろう。彼女から聞いたよ。たしかな話だ。これで人類の標本が残されているのは、ここだけになる」
鉛の玉を飲みこんだような気持ちでした。
にわかには信じられませんでしたし、信じたとしても、その事実の重みに耐えられそうにありませんでした。日本の収容施設が閉鎖される。世界じゅう、どこを探しても、「人間」という標本が存在するのは、ここだけになる──
「それに伴って、まだ廃棄されることのない日本人の作家が、ひとりか、ふたり、こちらへと招聘されるらしい。なんでも、セルモスくんのほうから声をかけたらしい。きみも読んだことのある作品の作者だったと思うよ」
その説明を受け、私は、ますますわからなくなりました。これまでにも他国の小説家を〈終古の人籃〉に収容する事例はありました。が、そのすべては玲伎種の意向によるもので、一介の作家が、別の作家を呼び寄せる、などというケースは、これまでにありませんでした。
しかも、セルモスからの指名だといいます。私は、指名されたのが具体的に誰なのかをディケンズに問いました。返ってきた答えは、私もよく知っている、日本文学には欠かせない作家の名前でした。
「場合によっては、彼が新たな〈文人十傑〉に選ばれるかもしれないな。誰かとの入れ替わりで」
私は曖昧にうなずきました。この館では、誰か、新しい作家が収容されるごとに〈文人十傑〉は選出し直されます。といっても、実際に入れ替わったことなど一度もありません。そうなる可能性があるというだけの話で、創設期からずっと、何万年ものあいだ、そのメンバーは固定されていました。
しかし今回、招き寄せられた作家であれば、もしかしたら、とも思うのです。その者は、現在の〈文人十傑〉のなかに加わっても、遜色のない作家といえました。
「何にせよ、こちらへやって来たら話してみてはどうだね。私にはどうも、今回の一件が、セルモスくんの迷いと関係があるように思えてならない。さっきの洞察よりもさらに不確かな、直観的なものにすぎないから、筋道立てて説明することはできないが──」
そこまでいって、ディケンズはまた野外へと視線を飛ばしました。変転しつづける風景。七つの道路が交差していました。その中央には日時計があります。道路の数よりひとつ少ない、六つの日時計が、円柱のモニュメントに取りつけられ、日々、そこを通りがかる人々に時刻を告げていました。セブン・ダイヤルズ。この風景の名称です。ロンドンの一画にある小さな交差点で、十八世紀から十九世紀にかけては、治安の悪い、犯罪者のたむろするエリアでした。このあたりはスラム街だったといっていいでしょう。先ほどまで私たちが目撃してきた、あの労働者たちや、露店、屋台、売る者に買う者、めまぐるしく人の行き交う雑踏は、ありし日のセブン・ダイヤルズを投影したものです。困窮者の流れつく街角。犯罪と貧困の温床。しかしながら、ディケンズは、この交差点のことを愛しているのでした。時代を越えて変遷していくセブン・ダイヤルズの風景は、十八世紀、十九世紀、二十世紀、それ以降と、その時々でさまざまな顔を見せてくれます。一六九四年に建造された日時計のモニュメントは、治安の悪化を理由に一七七三年には取り壊され、ディケンズが生きていたころには存在していません。再建されたのは一九八九年。商業地区として再開発される交差点。二十一世紀には、ずいぶんと治安も回復し、きれいな店舗が建ちならぶようになりました。貧困は薄れゆき、犯罪も減少して、観光客が気安く通り抜けることのできる場所へと生まれ変わったのです。彼の人生には存在しなかった日時計のモニュメントに目をむけながら、ディケンズは物思いにふけっています。その横顔には、貧困の消失を祝うような、それでいて自身の知る「あのセブン・ダイヤルズ」とはちがうことを悲しむような、惜しむような、そんな郷愁と寂寥感が綯交ぜになった、屈折した表情が宿っていました。
私やディケンズが過ごしていたのは、十九世紀のロンドンです。あのころ、あんなにもいた労働者たちは、どこへ行ってしまったのでしょうか。窓の外。すでに二十一世紀にまで到達しているセブン・ダイヤルズの風景には、もはや、絵に描いたような貧者や労働者の姿はみられなくなっていました。完全に消えたわけではないのでしょう。この場からはいなくなったというだけのこと。ディケンズは、そうした人々の動き、世間の動向、社会背景のすべてを把握していました。ことロンドンに関しては、全能ではないにしろ、全知に近い立場にいるのです。そうでありながら、時おり、セブン・ダイヤルズで経営されている「ザ・クラウン」という名のパブに立ち寄って、お気に入りのエールを注文し、七つの道がまじわっている風景を眺めるのでした。
「ほんとうに、お好きなのですね」
そんな言葉が、思わず、口からこぼれ出ました。ディケンズは、ようやくこちらへと向きなおり、また、微苦笑してみせました。
「セブン・ダイヤルズのことが、かね? ──私は昔から、大勢の人々が行き交う場所が好きだった。そこにいるひとりひとりを観察して、その人生や、彼らの過去、未来について、想像をふくらませる。ロンドンは、そうしたことをするのに最高の街だった。思い入れのある場所はいくつもあるし、セブン・ダイヤルズも、そのひとつだ。子供のころからロンドンのあちこちを出歩き、各地にはびこる悪徳や貧困を目にしてきた。それらを怖れ、それらに反発し、一方で、それらに対する執着がめばえた。私のなかにある何かが揺り起こされ、それは、私に筆をとらせた。そうでなければ、私は生前、あれほどの小説たちを書けなかっただろう」
手元のグラスに目を落として、彼はそう語りました。黄金色の液体が減っていきます。一口、二口と、彼はグラスをかたむけて、エールを嚥下すると、私と目をあわせ、話をつづけました。
「〈終古の人籃〉に来てからも、私は、ものを書きつづけたが、生前のそれにはおよばなかったな。自分自身でわかるよ。私はロンドンに心を奪われた小説家だ。だから、自分が生まれてくる前のロンドンのことも知りたかったし、自分が死んだあとのロンドンのことも知りたかった。そうすることで、生前のころとはまたちがう趣きの作品が書けると思っていたのだが……」
彼はそこで、一拍おいて、宣言しました。
「──きみの話に応じることにしよう。これは、私に与えられた、いい機会なのだと思う。〈異才混淆〉からは手を引こう」
そう告げられ、私は打ち震えました。
これまで断られつづけた申し出に、はじめて賛意を示してくれたのです。いえ、実際のところは、すでに結論が出ていたのでしょう。私の申し出はきっかけにすぎず、彼自身が、長い時間をかけて──数十年か、数百年か、それよりもさらに……という年数で──決意したのは、疑いようがありません。果てしのない思惟から抜け出てきたような声でした。
「思えば、〈異才混淆〉は、われわれに何をもたらしてくれたのだろう。たしかに共著はしやすくなった。だが、それだけだ。ほかの誰かと精神を共有したところで、私自身の精神が練磨されるわけではない。むしろ、よどむのだ。生前、ロンドンを歩きまわり、各地で起こっていることを肌で感じて、それを文章にしていたころのような熱は帯びなかった。私にとってはロンドンを散策すること以上に、私を執筆に駆り立てるものはなかった。だからこそ、この箱庭を所有し、訪れるようになったのだ」
ディケンズが、〈異才混淆〉に協力する見返りとして求めたもの。それが、このロンドンの箱庭でした。
テーブルに置ける程度の大きさです。ごくごく小さな民家の細部にいたるまで再現されている、超精密な、都市の模型。それがディケンズの部屋に保管されており、私たちはいま、その内部へと身を投じているのでした。
私たちが目にしているセブン・ダイヤルズも、入店している「ザ・クラウン」も、すべては、箱庭のなかのものでした。ディケンズが望めば、私たちは小人のように小さくなって、その箱庭のなかへと入っていけるのです。場所も、時代も、思いのままに調整できます。今回は、自動的に時代が流れていくことにして、セブン・ダイヤルズの変遷をスライド・ショーのように鑑賞することができました。ディケンズにとっては見納めになるのかもしれません。〈異才混淆〉から手を引くということは、この箱庭も手放してしまうことに他ならないのですから。
「本物のロンドンは滅び去ってしまったが、それを模したものならば、まだここにある。私は不死となり、永遠にロンドンをさまよい歩けるようになった。ここにはあの街で生まれた、すべての情景が詰め込まれている。切り裂きジャックの暗躍するホワイトチャペル。二十世紀末に建てられたロンドン・アイ。安酒だったがゆえに多くの人々を破滅に追いやった、ジン禍。一六六六年のロンドン大火。くりかえし開催されたオリンピック。歴代の王の戴冠式。事故で亡くなったダイアナ女史の葬儀。……私が望めばあらゆる時代の、あらゆるところを訪ねることができた。きみにも、しばしば同行してもらったね。そして、私にはなしえない、さまざまな体験をしてもらった。知りたかったのだ。上流階級の御令嬢が、下層社会の仕事や生活に触れたとき、どのような感想をいだくのか。それを聞かせてもらうのが何よりも楽しかったし、きみの話を参考にして、小説を書きもした。だが、結局、あのころのようにはいかなかった」
あのころ、というのは、自分が生きていたころ、というのを意味しているのでしょう。
ディケンズの視線につられ、外の景色をあらためて見ました。
「かつてのスラム街、セブン・ダイヤルズは、かくも美しい交差点へと生まれ変わった。ここだけではない。あのころ、スラムや貧民窟と呼ばれたところは、軒並み、ゆたかになっていった。カムデン・タウン。ショーディッチ。ブリック・レーン。ソーホー。いずれも私が魅了された場所だ。その地その地の行く末を知って、私の筆は、鈍ってしまった。貧困からの脱却はよろこぶべきことなのに、私にとっては、どのような形であれ各地の原風景が崩れてしまうことは、創作の妨げになったらしい。また、知りえぬことや、未知の部分があるからこそ、人は、執筆に駆り立てられる。私を魅了した地の行く末を知ったいま、私の心に宿る熱は、ひどく弱々しいものになってしまった」
「……原風景が崩れてしまったことで、作家としてのあなたは衰えた、ということなのでしょうか。創作のためにと願ったことが、裏目に出てしまった、と──」
「そうだな。この箱庭では、ロンドンの時間を好きなように動かせる。だが、時の流れのすべてを受けとめるには、私という器は小さかったのだろう。だからこそ決別することにしたのだ。〈異才混淆〉とも、この箱庭とも。その上で、窓の外にある美しい交差点の成立を、心からよろこべるようになりたいのだ」
そこまで云って、ディケンズは残りのエールを飲み干し、口を閉ざしました。
私は知っています。さらに時代がすすめば、セブン・ダイヤルズにはふたたび貧困と犯罪がおとずれ、スラム街へと逆戻りすることを。
ディケンズも知っているはずです。知っていながら、そのことには触れず、彼は話をしめくくったのでした。私も追及しませんでした。
夕闇がせまっていました。一時間とかからずに十七世紀から二十一世紀へと移り変わった交差点の光景は、どこかしら物悲しいものがありました。私は席を立ち、彼に別れを告げることにしました。箱庭から出て、巡稿を再開しなければなりません。
このあとは、クレアラのところへ向かうつもりです。いろいろと考えなければいけないことがあります。それにくわえて、先ほどの会話で知らされた、日本からの作家についても。気がかりでした。
私はディケンズの賛同に感謝しつつ「ザ・クラウン」から立ち去りました。去り際、いま一度セブン・ダイヤルズを確認するため、ふりかえると、そこにはもう日時計のモニュメントはありませんでした。道路が交差するだけの空虚な世界。七つの道がまじりあうそのさまは、〈異才混淆〉のありようを視覚化しているようにしか見えませんでした。……
(以下、本書143pに続く)
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『標本作家』特別公開はここまでとなります。第三章「痛苦の質量」以降につきましては、本書をご購入のうえお楽しみいただけますと幸いです。