見出し画像

逆境を生き抜く「スーパーノーマル」たちのリアルを描く必読書――『逆境に生きる子たち』香山リカさんの巻末解説を公開

解説 逆境を生き抜く「スーパーノーマル」と彼らを支える人びとの必読書
                                                                                     (精神科医 香山リカ)

 父親からの暴力。不仲な両親からの無視。母親からの支配。叔父からの性的いやがらせ。

 どれも、子どもにとっては耐えがたいものだ。心に大きな傷を抱えたまま、なんとか逆境を生き抜いておとなにならなければならない。

 彼らはどんなおとなになるのか。よく「暴力の連鎖」という言葉を聞く。虐待を受けて育った子どもが、自分も子どもを持ったときに気がつくと親と同じことをしている、といった意味で使われる。何らかの犯罪に手を染め法廷で裁かれる人の中にも、崩壊した家庭で育ったという経歴が弁護士によって語られ、ときには裁判官が「情状酌量の余地がある」として判決に影響を及ぼすこともある。

 では、十分な愛情をかけられないどころか、生まれたことを否定されるような環境、いわゆる機能不全家庭で育った子どもたちは、おとなになってからみな暴力や犯罪に近づいたり、そこまでは行かなくとも〝まともな社会人〟にはなれなかったり、と苦難の人生を歩まなければならないのだろうか。

 実は、そうとは限らない。

 本書には、子ども時代、劣悪な環境ですごし、心にトラウマを抱えながら育ったにもかかわらず、逆に模範的な優等生、優秀なビジネスパーソン、個性的なアーティスト、みなからあこがれられるリーダー、社会貢献に身を捧げるアクティビストなど、栄光の人生を歩む人たちが多数、登場する。

 臨床心理学者で、これまで医療機関や教育機関で大勢のクライアントに向き合ってきた臨床家でもある著者のメグ・ジェイは、その〝成功したサバイバー〟たちに「スーパーノーマル」という名を授ける。「逆境に負けないで」というまわりから、ときには自分の中から響いてくる声に過剰にこたえようとし、いくらかの才能や理性に恵まれた子どもは、必要以上に努力を重ね、常に強い意思の力で課題に取り組みながら、ついには社会的な評価や地位、報酬、まわりからの尊敬を獲得するに至る。それが「スーパーノーマル」な生き方だ。

 昨今、心理学では、家庭崩壊、親からの暴力などひどい環境で育ちながらも、それをはねのけるかのように明るく、たくましく成長していく子どもの能力を「レジリエンス(打たれ強さ、抵抗力)」と名づけ、その研究が進められている。著者のメグ・ジェイも冒頭でそれを紹介しているが、彼女が言う「スーパーノーマル」は、単に困難に直面しても心折れずに立ち直っただけではなく、そこからさらに飛躍して「自身の人生の主役」にまでなった人だ。つまり、マイナスをゼロに戻す能力がレジリエンスだとしたら、スーパーノーマルはマイナスを大幅なプラスにまで持っていける人だと言ってもよいだろう。

 たとえば、精神疾患を患う母親から愛されずに育った少女マーラは、その現実に適応するためにラジオやぬいぐるみと頭の中の想像力を使って「隠れ家」と呼ぶファンタジーの世界を作ってそこに逃げ込んだ。それだけならただの現実逃避だが、学校に入るとマーラは「これからの生活のための武装手段」としてファンタジーを活用し、図書館で一生懸命に勉強したり本を読んだりして、自分の良い未来を具体的に思い描くようになった。著者が「多くのスーパーノーマルにとって、最も開かれた逃げ場所は未来」と言う通り、マーラはついにアメリカの最難関校が集まるアイビーリーグの大学に進学することになるのである。

 本書がユニークなのは、このマーラのような具体的なケースが詳細に記述されているのと同時に、「彼らに何が起きているか」について古典的な精神分析学から最新の脳科学までを駆使して、理論的な読み解きが行われていることである。たとえば最近のトラウマ研究では、子ども時代のトラウマが脳の中の扁桃体と呼ばれる部分を変化させ、そこからの信号がフラッシュバックと呼ばれるトラウマの強制的な想起を引き起こすことがわかってきた。もちろんそれはネガティブな現象なのであるが、著者はこの「繊細な扁桃体」が「危険だけではなくチャンスにも注意を払えるよう私たちを促す」という可能性に注目する。多くの虐待経験者を苦しめ続ける脳の器質的な変化が、もしかするとその子どもたちが自分を救ってくれる他者、学校、仕事などとの出会いを敏感にキャッチし、チャンスをつかむきっかけを与えてくれるかもしれない、というのだ。実際に本書で紹介されるジェシーは、つらい子ども時代をすごしたあと、努力してビジネスコンサルタントになった。彼女は、予測不能性や危機などを巧みにコントロールできる能力により、大きな成功をおさめることになる。これなども「繊細な扁桃体」の持ち主であればこそ、と考えられるかもしれない。

 自制心、自立心、対人関係のスキル、管理能力。どうやらこれらが、スーパーノーマルに共通する「生活のための武装手段」であるようだ。もちろん、それが存分に発揮されるまでには、先のマーラのように現実逃避を必要としたり、中には非行や自殺未遂を繰り返したりするなど紆余曲折を経ることも少なくない。本書で描かれるスーパーノーマルたちが経験してきた怒りやいら立ちなどの感情の暴発、摂食障害、うつや自傷などのエピソードは、どれも読む人の胸に迫るリアリティがある。しかし、それにもかかわらず、彼らは自分と、そして環境と闘い、一定の成果を手にしたのだ。

 ──なんだ、もしもちょっとした能力が与えられているのなら、むしろ不幸な子ども時代をすごした方が成功に近づける、ってことじゃないか。

 本書のテーマだけを聞いてそう思う人もいるかもしれないが、それは間違いだ。

 いくら社会的成功をおさめたとしても、スーパーノーマルたちが抱えているトラウマが消えることはない。また「繊細な扁桃体」は彼らを生涯にわたって苦しめる。突然、襲ってくる自己嫌悪、孤独感、人間関係への不信、そして怒りとフラッシュバック。彼らは一生、自分と、そして環境と闘い続けなければならないのだ。恋愛や結婚をしてもうまくいかず、躁うつなどの感情の変化に苦しめられる人もいる。そうやって疲れ果て、治療を求めて著者の相談室を訪れる人も少なくないのだ。

 また、スーパーノーマルの中には、あまりにつらい経験をしたために、自分が子どもを持つことに踏み切れず、どうしたらよいか相談する人もいるという。そのとき著者はイエスともノーとも言わず、ただ「子どもを持つことはかけがえのない経験です」とだけ答えるのだという。このように、多くの人ならあまり考えずにできること、楽しみや幸せとポジティブにとらえることができることでも、スーパーノーマルはひとつひとつ立ち止まり、それをしたほうがよいのか、自分にはその資格があるのかなど、深く考えてからではないと足を踏み出せない。当然、人生で感じるストレスや精神的疲労感の総量はたいへんなものになる。

 著者は、さまざまなスーパーノーマルの実像を浮き彫りにしながら、彼らの人生に最大限の賞賛を送る。そしてその上で、「なすべきこと」に専念してきた人生から、これまでないがしろにしてきた自分自身の感情や欲求にも向き合う人生へのシフトをやさしく促す。常に緊張してまわりの期待にこたえてきた生活から、ネガティブな面も含めてありのままの自分やその胸のうちにあるものを受け入れる生活へ。「自分自身の人生を大切にできるようになる」という著者の言葉は、一般の人にとっては常識そのものだが、スーパーノーマルにとってはもっとも困難な課題なのだ。

 本書では一貫して、「ネガティブをポジティブに変える」というテーマが語られている。「虐待を受け、トラウマを抱えた子どもはかわいそう」といったありがちな既成書とはまったく異なる、前向きでチャレンジングな人生の生き方についての画期的な本だ。しかも薄っぺらい人生指南書ではなく、豊富な臨床経験や最新の研究成果による裏付けがあっての著者の主張には説得力があり、心理臨床や児童福祉に携わる専門家にとっても読みごたえのある一冊となっている。

 また何より、不幸な幼少期を送りながらたゆまぬ努力でスーパーノーマルとなりえた当事者にとっては、本書は自分を理解してくれるはじめての本になるのではないか。「がんばったわね。でもそろそろ無理はやめていいのよ」という著者のやさしい声が、どの行間からも聞こえてくるような気がするはずだ。

 私自身、診察室の中であるいは外で、これまで出会ってきたたくさんのスーパーノーマルたちの顔を思い浮かべながら、夢中になって本書を読んだ。その中にはもういまは通院をやめてしまい、連絡先がわからなくなっているクライアントもいる。その人たちが書店で本書を見つけ、「あれ? もしかしてこれ、私のことじゃない?」と手に取ってくれることを心から願っている。そして、本当の意味で人生を肯定し、自分の中にあるマイナスの感情やちょっと醜い欲求なども笑って認めてあげながら、これからは「ときにはスーパー、だいたいはふつう、ごくまれにはダメな私」として生きていってほしい、と思うのである。

 二〇一八年七月

***

(本文の冒頭試し読み①はこちら

↓ 本書について講演する著者メグ・ジェイ(英語)

著者 メグ・ジェイ Meg Jay                    アメリカの臨床心理学者。専門は成人の発達心理。ヴァージニア大学准教授を務める傍ら、個人カウンセリングも行なっている。臨床心理学およびジェンダー研究により、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号取得。著書『人生は20代で決まる』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は20万部超のベストセラーとなり、12カ国語以上に翻訳されている。出演したTED Talk「30歳は昔の20歳ではありません」は960万回以上再生されている。公式サイト:megjay.com

著者のTED講演「30歳は昔の20歳ではありません」(英語。日本語字幕あり)

(書影はAmazonにリンクしています)

メグ・ジェイ『逆境に生きる子たち――トラウマと回復の心理学』(北川知子訳、本体2,600円+税)、『人生は20代で決まる――仕事・恋愛・将来設計』(小西敦子訳、本体740円+税)は、ともに早川書房より好評発売中です。