クリエイティブ_スイッチ

「突然のひらめき」は真っ赤なウソ? 創造力の秘密に迫る『クリエイティブ・スイッチ』冒頭公開

(書影はAmazonにリンクされています)

クリエイティブ・スイッチ――企画力を解き放つ天才の習慣』(アレン・ガネット/千葉敏生訳)

千葉敏生氏による訳者あとがきはこちら

***

まえがき

創造力とはどういうものだろう? 私たちはみな、ウソを教えられて生きてきた。

私たちの文化では、突然のひらめきがクリエイターの成功を左右するという神話がまことしやかに語り継がれてきた。ベストセラー小説の執筆、名画の制作、爆発的にヒットするモバイルアプリの開発──どれも合理的な思考や論理とはなんの関係もない神秘的なプロセスであり、一般人には手の届かない一握りの〝天才〟たちの専売特許なのだと信じられている。

事実、何世紀も前から、多くの知識人や評論家たちが天才クリエイターたちの逸話を熱狂的に語り、偉大な創作作品を生みだした個人の才能、無意識のパワー、そして神がかり的な力の存在をしきりに訴えてきた。

本書の目標は、こうした神話のウソを暴くことだ。じつは、ヒット作品やヒット商品の背景にはれっきとした科学がある。現代の神経科学の知識を使えば、人気作品を生みだすのに必要な〝ひらめき〟の瞬間を読み解き、しかも意図的に生みだすことさえできてしまうのだ。

昔から、私はパターン探しが大好きだった。子どものころ、私はコンピューターゲームに明け暮れ、敵を倒して王国(惑星、国)を救うためにコンピューターの人工知能のしくみを観察しつづけた。10代になると、こんどは一時的ながらもクイズ番組の出演に執念を燃やすようになった。そして無事、出演を果たした。

現在、この昔からのマニアックな性格はふたつの居場所を見つけた。

日中、私は大手ブランドと手を組み、マーケティング・データ内に潜む意味(つまりパターン)を見つけだす会社を経営している。過去のデータに基づき、今後もっとも有効なマーケティングの手段、メッセージ、戦術を分析するサービスを、大企業や急成長中の新興企業に提供している。

一方、夜になると、「ヒット作にパターンはあるのか?」という疑問に答えるべく奮闘してきた。この2年間、私は世界的なクリエイターたちにインタビューを行なってきた。料理界の巨匠から、ベストセラー小説家、有名ユーチューバーまで、現代の天才クリエイターと呼ばれる人たちと一緒に食事をしたり、談笑したり、スカイプ通話をしたりした。また、創造性、天才、神経科学の研究の第一人者たちとも話をした。

なにがわかったか?

創造力にまつわる神話は、文字どおり神話にすぎないという事実だ。アーティストや起業家として成功するのに、天賦の才能なんて必要ない。実際には、成功するクリエイターがヒットを生みだすために使っているパターンがある。そして、そのパターンはほとんどだれにでもまねができる。それは直感的な方法だが、学習で身につけることもできる。神秘的なものでもない。ひらめきを得るためにLSDをやる必要なんてないし、あっと驚く発想が舞い降りてくるのをひたすら祈る必要もない。

私の発見によれば、世界の天才クリエイターたちの行動を意図的にまねることはできる。さらには、あなた独自の名案を生みだし、実行に移せるようにさえなるだろう。

さあ、さっそくその第一歩を踏みだそう。


第1章 ある夢の成り立ち


1963年11月のある日のこと。

ポール・マッカートニーは目を覚ますと、夢のなかで聞いたメロディが耳にこびりついて離れなかった。21歳にして早くもポップスターの座にのぼりつめていたマッカートニーは、よろよろと起きあがり、ロンドン中心部、ウィンポール・ストリート57番地の最上階の部屋に置かれた小さなピアノへと向かった。

どんなメロディだったっけ?

彼はピアノの前に座り、夢のなかで聞いた音を必死で再現しようとした。

どこかで聞いた気がする。

彼はようやくそのメロディを再現した。G、F#m7、B、Em、E。彼はそのコード進行を何度もくりかえした。心地よい響きだ。でも、きっとどこかで聞いて半分忘れていた曲のメロディにちがいない。突然曲を思いついたミュージシャンの多くが思うように、マッカートニーもまた別の曲の一節なのだろうと思った。あまりにもしっくりと来すぎる。いったいどこで聞いたのだろう?

マッカートニーが夢のなかで聞いたこのメロディは、最終的に「イエスタデイ」という楽曲として発表され、音楽史上もっともカバーされた曲となった。この曲は3000種類のカバー版が存在するといわれ、アメリカのテレビやラジオで700万回以上もオンエアされ、音楽史上第4位の売上を叩きだした。

マッカートニー自身はかつてこの有名な曲について、「今世紀最大のヒットになるかもしれない」と語った。実際、「イエスタデイ」は20世紀最大のヒット曲のひとつとなった。一見すると、すべては夢のおかげに思える。彼は『ザ・ビートルズ・アンソロジー』のインタビュアーに対し、この不思議な瞬間を経験したことで創造性に対する見方が大きく変わったと述べている。

「夢から生まれたっていうのは驚きだよ。だから僕は何でも知ってるようなふりはしないんだ。音楽はとても神秘的なものだからね」

創造性について研究する人たちから見れば、ポール・マッカートニーの頭にふとメロディが浮かんできたのは、なんの前触れもなくアーティストに訪れる天才的な思いつきの典型例といえる。一言でいうなら、アイデアが突然その人の意識レベルへと現われる「ひらめきの瞬間」だ。ひらめきを神秘的なものにしているのは、このどこからともなく急に舞い降りてくるという独特の性質だ。シャワー、ランニング、散歩の最中に名案を思いついたことがある人ならだれでも、このひらめきの瞬間を経験しているはずだ。

ロンドン行きの列車内でハリー・ポッターのアイデアをひらめいたJ・K・ローリングや、名曲をすらすらと作曲することができたモーツァルトの逸話は、私が「ひらめき説」と呼んでいる創造性の理論にとっていまや欠かせない例となった。ひらめき説とは、ヒット作品は天才的ひらめきが突発的に訪れる摩訶不思議な心のプロセスから生まれるものであるという考え方のことだ。天賦の才能をもった人間なら、ひらめきだけを頼りにひとりきりでずばずばとヒットを生みだすことができるという考えは、私たちの文化に深く染みついている。

この見方がはびこっているのは、音楽や文学といった伝統的な芸術分野だけではない。デジタル時代の天才の代名詞であるスティーブ・ジョブズは、たびたび引用されるように、創造活動は有機的なプロセスだと説明している。「クリエイティブな人々に、いったいどうやったのかときけば、たぶん彼らはちょっとした罪悪感を抱くだろう。実際にはなにもやってなどいない。見えただけなのだから」

ひらめき説は、偉大なクリエイターに対する現代人の見方の主流を占めている。しかし、そもそもなぜひらめきは突然舞い降りてくるのだろう? IQの問題なのか? ひらめきが訪れた状況について詳しく調べれば、ひらめき説が正しいことやまちがっていることを証明できるだろうか?

夢でひらめいたメロディ

マッカートニーが「イエスタデイ」のメロディをひらめいた朝は、いつもどおりののんびりとした1日だった。お昼近くに起きては、ロンドンのレストランやクラブで恋人のジェーンと遅くまでまったりするのが彼の日課だった。マッカートニーは、夢のなかで思いついたメロディがあまりにも鮮明でシンプルだったので逆に不安になった。あまりにもできすぎている。無意識の盗作だろうか? 父親が家でよくかけていた名曲のなかの一節なのでは? 「天国への階段」? 「シカゴ」? 「木の葉の子守唄」?

ビートルズはじっくりと考えてヒット曲をつくるタイプだった。ビートルズは初めてチャート一位を獲得したシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」をどれだけ意図的に作曲したのか? ジョン・レノンはかつてインタビュアーにそう問われると、こう説明した。「この曲はできるだけシンプルな作りにした。この曲は、まっすぐヒット・パレードに狙いを定めていたんだ。僕はロイ・オービソンみたいな曲を書こうと思った」

マッカートニーにとって、「イエスタデイ」は彼のいつもの整然とした作曲プロセスからすれば明らかな例外だった。「イエスタデイ」の旋律はまるで「ジャズのメロディ」のようだったとマッカートニーはのちに語った。「親父はジャズの曲をたくさん知っていたから、小さい頃聴いた曲を思い出しただけなのかもしれないって思ったんだ」

彼は友人たちを回り、聞き覚えがあるかどうかをたずねた。

まず、彼は作曲パートナーであるジョン・レノンにきいてみた。レノンは聞いた覚えがないという。まだ心配だったので、彼はヒット曲を次々と生みだしていた友人のライオネル・バートにきいてみた。マッカートニーがメロディを口ずさむと、バートはぽかんとした表情を浮かべた。どうやら、まったく新しい曲のようだった。

まだ確信がもてなかったマッカートニーは、同じことをつづけた。もう少し年配で音楽に詳しい人なら、この心のもやもやを解消してくれるかもしれない。

数日後、マッカートニーは「ドリームボート」などの数々のヒット曲で知られるイギリスの歌手、アルマ・コーガンに会いに行った。この曲を知っている人がいるとすれば、彼女しかいない。

彼はピアノの前に座り、コーガン姉妹の前で例のメロディを演奏した。演奏が終わると、「素敵な曲ね」とコーガンはいった。

「聞き覚えはありますか? だれかの曲でしょうか?」

「いえ、オリジナルだと思うわ。いい曲ね」とコーガンは答えた。

ようやく、マッカートニーは安心した。一見すると、彼は神秘的なひらめき説が示すとおり、見事なメロディを夢のなかで思いついたように見えた。

このひらめき説には2通りの解釈が考えられる。

前向きなのは、天才的ひらめきはだれにでも訪れるという見方だ。マッカートニーは夢のなかで自然と「イエスタデイ」のメロディをひらめいた。だとすれば、だれでもチャートで1位をとるようなメロディを夢のなかで思いつくかもしれない。

しかし、ほとんどの人はその逆の見方をもっている。天性の才能がなければそういうひらめきは訪れない。ひらめき説は一部の天才にしか当てはまらない話なのだ、と。

その結果、多くの人々は次なる有名ミュージシャン、小説家、起業家になるという夢を捨て、消費者やファンという立場で満足してしまう。その一方で、のんきな人々は突然のひらめきが舞い降りてくるのをひたすら待ちつづける。

ひらめき説は、現代のクリエイターたちの無数の逸話によって裏づけられている。創作のインスピレーションが湧くのを待つ作家。名案をひらめくのを待つ起業家。クリエイティブな気分になるのを待つミュージシャン。その手の話はいくらでもある。

また、創作上の壁を打ち破る方法や「フロー」状態になる方法をアドバイスする自己啓発本やブログも世の中にあふれている。一流アーティストの伝記映画を観ていると、彼らの創造力は天性のものなのだと思いこんでしまう。創造力は狂気の天才だけに与えられる特権なのだ、と。

私たち凡人はすっかり置いてけぼりだ。

だが、この説がまるきりまちがっているとしたらどうだろう? 雷に打たれるのを待たなくてもすむとしたら?

「イエスタデイ」ができるまでの長い道のり

「イエスタデイ」が突然のひらめきから生まれたという話はまあまあ有名だが、マッカートニーが最初のメロディを思いついてから曲全体を完成させるまでの道のりについては、あまり知られていない。

じつは、マッカートニーがこの曲自体を一瞬で思いついたというのはウソなのだ。

彼が夢のなかで思いついたのは、単純なコード進行だった。彼がメロディを思いついて目を覚ましたとき、曲の完成はまだ見えてすらいなかった。第一、曲には歌詞がなかった。彼は曲の構成を練るあいだ、仮の歌詞を考えなければならなかった。

アルマ・コーガンにメロディを聞かせていたとき、彼女の母親が部屋にはいってきて、「スクランブル・エッグ、いるかしら?」ときいた。

その瞬間、マッカートニーは仮の歌詞を思いついた。スクランブル・エッグだ。

彼が最初に思いついた歌詞はこうだ。

  Scrambled eggs
  Oh, my baby, how I love your legs
  Diddle diddle
  I believe in scrambled eggs.

それからおよそ20カ月間、マッカートニーは曲を完成させるためにとり憑かれたように作業を進めた。そのあいだ、周囲の人々は延々と変わりつづける未完成の曲の話を聞かされることにうんざりしていた。

ジョージ・ハリスンはその時期についてインタビュアーにこう語った。「また〝イエスタデイ〟の話題だよ。あいつはベートーベンか何かの生まれ変わりかい」

ビートルズの2作目の主演映画『ヘルプ! 4人はアイドル』の撮影がはじまっても、マッカートニーは相変わらず休憩中に曲をつくりつづけた。あるとき、監督のリチャード・レスターはうんざりしてこういった。「その耳障りな歌をこれ以上演奏したら、ピアノを撤去させるぞ。とっとと完成させるか、あきらめるか、どちらかにしてくれ!」

その後、最初のフランスツアーで、マッカートニーは「イエスタデイ」の作曲をつづけられるよう、ホテルの部屋にピアノを設置した。大成功だった。プロデューサーのジョージ・マーティンは初めてその曲を聴いたとたん、心を奪われた。なにかがちがう。それどころか、あまりにも個性的だったので、ビートルズのアルバムにはそぐわないのではないかとさえ思った。

マッカートニーはその曲に淋しげな歌詞が必要だと思った(当然、スクランブル・エッグは憂うつな曲には合わない)。「みんな悲しい曲が好きだという思いがあった。ひとりぼっちの時って、レコードをかけて感傷的な気分に浸りたがるものだからね」。彼は1965年5月にポルトガルを訪れたとき、ようやく曲を完成させ、最終的な歌詞を練りあげた。

1カ月後、彼は「イエスタデイ」のレコーディングのため、ジョージ・マーティンとスタジオにはいった。マーティンによると、マッカートニーはEMIの第2スタジオにはいり、アコースティックギターで「イエスタデイ」を弾いたそうだ。マーティンが思いついた唯一の変更はオーケストラのストリングスの追加だった。しかし、ポールは大げさすぎると思った。そこで、マーティンは弦楽四重奏を提案した。そのメロディアスではあるが重厚なアレンジによって、「イエスタデイ」は生まれた。

天才的ひらめきから生まれたとして人々の記憶に残っているその伝説的な曲は、じつは2年近い長旅の結実だった。ときにはマッカートニー自身や友人たちの神経をすり減らすこともあった。ビートルズの伝説では、あたかも「イエスタデイ」の誕生がまるで突然の天才的ひらめきの物語であるかのように語られている。だが、これまで見たとおり、夢からレコーディングまでの道のりは決して一直線ではなかった。「イエスタデイ」は純粋なひらめきの産物ではない。気の遠くなるような必死の努力のたまものなのだ。

しかし、神がかり的なひらめきがすべてのきっかけになったのは事実では? その点はどう説明するのか?

世界には、「イエスタデイ」の誕生秘話について熱心に研究する人々がいる。創造性に興味をもつ学者、音楽史家、ビートルズの熱烈なファンたちだ。彼らは「イエスタデイ」のメロディの真の起源を解明するべく励んできた。

もっとも参考になる説は、ビートルズ研究の第一人者のイアン・ハモンドによるものだ。「この曲はレイ・チャールズがカバーした『我が心のジョージア』のメロディからそのまま進化したものだ。コード進行の一部が共通しているだけでなく、ベースラインもそっくりだ」と彼は指摘する。

確かに、ビートルズやポール・マッカートニーはレイ・チャールズを尊敬していた。ビートルズは活動開始当初、ドイツのハンブルクにあるバーやクラブでチャールズの曲をカバーしていた。ジョン・レノンいわく、ビートルズがオリジナルの曲を演奏しはじめた瞬間は「忘れられない」という。「それまではレイ・チャールズや[リトル・]リチャードなどの名ナンバーばかりカバーしていたからね」

ポール・マッカートニーにとって、神がかり的なひらめきに見えたものは、じつは彼の大好きな音楽を無意識のなかで処理した結果だったのだろう。ほとんどの音楽がそうであるように、「イエスタデイ」もまた既存のコード進行を進化させたものなのだ。実際、ハモンドが指摘したように、レイ・チャールズのカバーした「我が心のジョージア」も、ホーギー・カーマイケルのオリジナル版を進化させたものだった。既存の作品の影響を受け、吸収し、再発明するというプロセスは、ヒット作品の物語にはよく見られる。

マッカートニーは「イエスタデイ」の作曲方法を振りかえるとき、突然のひらめきを強調することが多い。ただ、少なくともあるインタビューでは、もう少し機械的なプロセスが働いていたことを認めている。「とてもスピリチュアルな見方をするなら、僕はただの媒体にすぎず、神がメロディを私に吹きこんでくれた、ということになるだろう。だが、もう少し皮肉な見方をするなら、僕は父親だけでなく、フレッド・アステアやガーシュウィンといった僕の好きな音楽家を通じて聴いてきた何百万年分もの曲を、僕自身のコンピューターにせっせと蓄えていた。そしてとうとうある朝、僕のコンピューターが抜群の旋律を自動的にプリントアウトしてくれたわけだ」

神秘的な天才的ひらめきとやらには、こういう起源が隠されていることが多い。

ひらめき説は、数千年前、古代ギリシャの時代から語り継がれてきた。ひらめき説はいまだにメディア等でまことしやかに囁かれているが、これから紹介する現代の研究によれば、創造力はだれのなかにもある。

しかし、仮に私たちの認識がまちがっていて、マッカートニーのような独創的なアーティストを並外れた集中力をもつ努力家と表現するほうが正しいとしても、まだ疑問は残る。彼らはいったいどうやって商業的なヒットを成し遂げたのだろう? 世の中には、何年努力してもまったく芽の出ないアーティストはごまんといる。無数の作家がデビューすら叶わないまま辛抱強く小説を書きつづけている。多くの画家、彫刻家、振付師、ミュージシャンが称賛やヒットをいちども味わえないまま活動しつづけている。明らかに、商業的に成功するかどうかは汗の量の問題ではなさそうだ。

では、クリエイターとして成功するのに必要な本当の要因とはなんなのだろうか?

* * *

【著者紹介】

(C)Paula Bartosiewicz

アレン・ガネット Allen Gannett

マーケティング分析ソフトウェア会社「トラックメイヴン TrackMaven」創業者兼CEO。同社のクライアントにはMicrosoft、HondaやMarriottなど600以上の企業がある。2016年、24歳のときに、世界に影響を与える30歳未満の30人のひとりとして『フォーブス』誌の「30 Under 30」に選出。翌年『インク』誌からも選ばれる。「誰もがクリエイティブである」という信念をもち、創造力を高めるためのアイデアを以下のウェブサイトで発信している。
http://www.allen.xyz/

【訳者略歴】
千葉敏生 Toshio Chiba
翻訳家。早稲田大学理工学部数理科学科卒業。訳書に、バーネット&エヴァンス『LIFE DESIGN』、ヒダルゴ『情報と秩序』、ハース&ハース『スイッチ!』『決定力! 』、ブラウン『デザイン思考が世界を変える』(以上早川書房刊)ほか多数。

* * *

クリエイティブ・スイッチ――企画力を解き放つ天才の習慣』(アレン・ガネット/千葉敏生訳、46判並製、定価1700+税円)は早川書房より発売中です。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!