言論の自由はいつどうやって生まれたのか? 『ソクラテスからSNS』冒頭を試し読み公開
私たちの世界における「言論の自由」は、いつ生まれ、どのような変遷を経てきたのか? 古代ギリシアの時代からインターネット空間に膨大な情報が氾濫する現代まで、人類三千年の歴史を一望に俯瞰する話題の新刊が、『ソクラテスからSNS ――「言論の自由」全史』(ヤコブ・ムシャンガマ、夏目大訳、早川書房)。
本書の「はじめに」より抜粋・編集して特別試し読み公開します。「言論の自由」は絶対善? それとも制限すべき危険物なのか――
はじめに
彼は出版物というものにうんざりしていた。国の頂点に立つ彼は、いつも国の中でも最も高い場所にある仕事場にいて、民のためにできるだけ良いと思うことをしようとしてきた。それなのに出版物ときたらどれも彼を攻撃するばかりで、そのために国家を危うくしていた。彼は国を再び偉大なものにしたのに、皆は彼について何を書いたのか。書いたのは結婚、離婚、子供たち、そして何と体重! そんなことばかりだ。そろそろ嘘ばかり伝えてきた者たちが報いを受ける時だ。誹謗中傷、扇動、あからさまな反逆、そんなことを繰り返してきた代償を払ってもらう。国で最高の権力者が、今こそ反撃の時だと決め、こんなお触れを出した。
これはイングランドの移り気な王、ヘンリー八世の物語である(わかった人も多いかもしれない)。だが、現代の話だと思って読んでも違和感はない。基本的な状況は変わっていないからだ。
「言論の自由」は結局のところ、勝つこともなければ負けることもない。試しに誰か大学生を一人捕まえて「言論の自由を求める闘いが始まったのはいつか」と尋ねてみて欲しい。おそらく人の数だけ答えがあるはずだ。アメリカ人ならば「1791年の憲法修正第一条が採択された時」と答えるかもしれない。ヨーロッパ人は、「1789年のフランス人権宣言が採択された時」と言うかもしれない。イギリス人は、ジョン・ミルトンの1644年に発行された著作『言論・出版の自由――アレオパジティカ』を引用する可能性もある。
ただ、答えに違いはあっても、おそらく大半の学生は、言論の自由が西洋独自の概念であり、生まれたのは啓蒙時代のいつかだと考えているのではないだろうか。だが、実際にはことはそう単純ではない。
正確には言論の自由の起源は非常に古いし、しかもどこか一カ所で急に生まれたというわけでもない。古代アテナイの政治家、ペリクレスは、紀元前431年に、開かれた議論、反対意見の許容といった民主主義的な価値観を称揚した。9世紀、不遜な自由思想家、イブン・アル・ラワンディは、アッバース朝の豊かな知的風土の下で、預言者や聖典に対しても恐れることなく疑問を呈した。1582年、オランダのディルク・コールンヘルトは「良書を禁じ、真実を封じ込めるのは……暴君のすること」であると主張している【※2】。
はじめて出版・報道の自由を守る法制度ができたのは1766年、スウェーデンでのことだった。そして、世界ではじめて全面的に検閲を廃止したのはデンマークで、1770年のことだった。
しかし、ほぼいつも同じなのは、言論の自由が導入されると、その時からエントロピー増大のプロセスが始まるということだ。政治制度がどのようなものであれ、その指導者――どれほど良識のある指導者でも――はいずれ、「今の言論の自由はさすがに行き過ぎだ」と言い始める。
古代アテナイの民主政は、民衆と権力を分け合うことを拒む専制的な寡頭政治家に二度、打倒され、その度に民主政の信奉者や体制への反対者は一掃された。中世のイスラム世界では、棄教や神への冒涜を禁じる法律が強化され、大胆な自由思想はほぼ姿を消した。16世紀のオランダではディルク・コールンヘルトが国外追放され、彼の著作は何度も発禁処分となっている。スウェーデンやデンマークでは、出版・報道を自由化する実験が行われたが長くは続かず、すぐに専制的な統治者が出版・報道の支配権を取り戻している。
言論の自由のエントロピー増大の法則は、2500年前と同じように現代にも生きている。認めたがらない人は多いかもしれないが、注意して見てみると、21世紀においても大昔と同じように、何かと理由をつけて言論を制限しようとする動きは非常にありふれているとわかる。
今、世界の言論の自由は急速に縮小している。古代アテナイと同じように、野心的な独裁者たち――ハンガリーのオルバーン・ヴィクトルやインドのナレンドラ・モディなど――は、言論の自由を、権力定着へと至る道に立ちはだかる最初にして最大の取り除くべき障壁だと考える。イスラム世界の一部では、神への冒涜と棄教はいまだに死をもって償うべき罪とされる。処刑は国家が行うこともあれば、ジハーディストの自警団によって行われる場合もある。
世界的な言論の自由の後退は自由民主主義諸国にまで広がっている。新たなテクノロジーの発達によりフェイク・ニュース、悪質なプロパガンダが制御不能なほどに増えており、このままでは大変なことになると恐れる人――ヘンリー八世と考えていることはほとんど変わらない――が多くなっているせいだ。
言論の自由にエントロピー増大の法則があるのは、政治のせいだけではない。これは人間の心理に深く根ざした現象である。人間には他人に気に入られたい気持ちがあり、集団からの疎外を恐れる気持ちもある。争いはできれば避けたいし、人には親切にすべきという道徳規範もある。そうした性質のせいで、不快な発言をする人間がいれば黙らせたいと思うのが自然なのだ。
それはデジタルの世界だろうが、大学のキャンパスだろうが、その他の団体の中だろうが、すべて同じである。宇宙空間の質量の巨大な天体が近くにある物質をすべて引き寄せるのと同じように、検閲はすべての人間を引き寄せるのだ。だからこそ、今ある自由を守りたいと思えば、言論の自由の文化を育て、維持するための意識的、積極的な努力が絶対に必要である。法律があってもそれだけでは役に立たない。
不寛容もある程度は許容すべきと主張する人がよく論拠にするのが、オーストリアの哲学者、カール・ポパーの言う「ヴァイマルの誤謬」である【※3】。そして、その理屈は受け入れやすく、直感的には正しいようにも思える【※4】。ヴァイマル共和政がもし、全体主義プロパガンダをもっと懸命に取り締まっていれば、ナチス・ドイツは生まれなかったし、ホロコーストも起きなかったのではないか、という理屈である。現代の民主主義国は同じ失敗を繰り返してはならないというわけだ。
しかし、いくつかの理由から、この理屈の正しさは疑わしいと言える。まず何より重要なのは、ヒトラー本人とナチ党を沈黙させるための努力は絶えず行われたということだ。だが、その努力は、ヒトラーやナチ党への関心を高めるだけの結果になることが多かった。また、ヒトラーに同情する人が増えたせいで、彼は怪物から殉教者になってしまった。そしておそらく最も恐ろしいのは、ナチ党がヴァイマル共和政の緊急命令を利用して、まさにその法が守るはずだった民主主義を殺したということである。
第二次世界大戦後、ナチのプロパガンダは絶対に禁止すべき、という強い義務感は、皮肉なことにもう一つの全体主義体制に利用されるようになる。スターリンのソビエト連邦は、ヴァイマルの誤謬を利用することで、国際的な人権法にヘイトスピーチの禁止条項を盛り込ませることに成功したのである。これは、ソ連とその支配下にあった東欧諸国で、反体制派の弾圧が合法化される助けとなった。また共産主義体制が崩壊したあとは、イスラム教徒が多数派を占める国々に、世界中の神の冒涜者を罰する根拠として利用されるようになった。
ヴァイマルの誤謬の他には、人間の尊厳が論拠とされることも多い。あらゆる人の尊厳を同じように守ろうとすれば、どうしてもヘイトスピーチは禁止せざるを得ないというのだ。そうしなければ、マイノリティなど弱い集団を差別と迫害から守ることはできないという。
ソーシャル・メディアのあるデジタル時代には、そうした場でのヘイトスピーチを決して軽視できない。それは間違いない。ヘイトスピーチは言葉の武器となり、少なからぬ人に精神的、身体的な害をもたらす。ソーシャル・メディアにヘイトスピーチを書き込むのは簡単だが、マイノリティなど標的になった人たちが被る痛手はそれとは不釣り合いに大きい。
しかし、だからといって検閲を導入すればいい、ということにはならない。自由と平等を標榜する社会において、検閲は適切な対策ではないし、有効な対策にもならない。弱い人たちを差別や迫害から守ることと、自由と平等を維持することは決して矛盾はしない。この二つは補完し合うものであるべきだし、そうできる。
世界の言論の自由の歴史を見ていくと、言論の自由は間違いなく、迫害と闘うのに欠かせない武器だとわかる。アメリカにおける白人至上主義、そして奴隷制度や人種分離の制度、イギリスの植民地主義、南アフリカのアパルトヘイトなどはいずれも、検閲や言論統制に強く依拠していた。反対に、フレデリック・ダグラス、アイダ・B・ウェルズ、マハトマ・ガンディー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ネルソン・マンデラなど人間平等の唱道者たちは皆、自らの身を犠牲にしても言論の自由の原理を支持し、それを最大限に活用した。
残念ながら、ヘイトスピーチを規制するという口実で、本来、それによって守られるはずの反体制派やマイノリティを沈黙させている国は多数存在する。たとえば、かつてイギリスの植民地だったインドは、宗主国だったイギリスと同様の方法で人々を抑圧しているのだ。これは悲劇と言ってもいいだろう。
今のデジタル時代に横行する「トローリング(荒らし)」や「フレーミング(相手を怒らせる、侮辱することを目的とした書き込み)」、敵対的プロパガンダなどを見ていると、言論とは時に醜悪になり得るものであるとわかる。平等で制約のない対話による利益が大きいのは確かだが、それにはどうしても暴言や虚偽の情報、誇張された情報が蔓延しやすくなるなどの代償が伴う。
しかし一方で、宗教改革、啓蒙主義の時代はもとより、20世紀のアメリカにおいてもそうだったが、狂信的な過激派の発言、虚偽の情報、プロパガンダ、扇動などを取り締まろうとする試みはまず狙い通りの結果にはならない。その時代の支配的な道徳規範に照らして「常軌を逸している」とみなせる思想、発言だけを排除しようと試みると、ほぼ間違いなく、言論の自由そのものを危険にさらすことになるのだ。まったくの善意で慎重に規制をして安全で平和な公共圏を実現しようとしたとしても、やがては、元来言論の自由の擁護者だったはずの人たちが、視野の狭さによる不寛容、イデオロギー、政治的便宜などにより、特定の集団や見解を排除し始めるという結果に陥ってしまう。
またそもそも人間には、政界で高い地位に就くと、「公共の福祉のため」と称して自由を廃し、言論の検閲をしたがる、という傾向がある。ジョン・ミルトン、ヴォルテール、ロベスピエール、そして1798年に扇動防止法を定めたアメリカ合衆国第二代大統領ジョン・アダムズと彼の連邦党政権などはその例だ。
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著者紹介
ヤコブ・ムシャンガマ (Jacob Mchangama)
シンクタンク「ユースティティア」CEO。ヴァンダービルト大学研究教授。「個人の権利と表現のための財団(FIRE)」シニアフェロー。言論の自由と人権について、エコノミスト、ワシントン・ポスト、BBC、CNN、フォーリン・アフェアーズ、フォーリン・ポリシー、ウォール・ストリート・ジャーナルなどのメディア・専門誌に幅広く寄稿、コメントを行っている。本書が初の著書。
記事で紹介した書籍の概要
『ソクラテスからSNS 「言論の自由」全史』
著者: ヤコブ・ムシャンガマ
訳者: 夏目 大
解説: 森村 進
出版社: 早川書房
発売日: 2024年3月21日
本体価格: 4,900円(税抜)