生とシンプルな幸せの叙情詩──ヴァレリー・ぺラン『あなたを想う花』訳者が語る読みどころ
フランスで130万部を突破し、2022年には「フランス国民が選ぶ必読本25冊」のうちの一つに〈ハリー・ポッター〉シリーズなどと並んで選出されたベストセラー小説『あなたを想う花』(原題:Changer l'eau des fleurs)が日本でも刊行。本書の反響はフランス国内のみにとどまらず、2020年、ロックダウン中のイタリアで一番売れた本で、2022年にはノルウェーで一番売れた本となり、アメリカでも〈ウォール・ストリート・ジャーナル〉が選ぶベスト・ブックに選出されるなど、国際的なベストセラーとなっています。
「もう訳せないのが淋しい」と感じたという本書の訳者の三本松里佳さんに、本書の読みどころや、物語ができるまでの背景、著者の魅力などを解説いただきます。
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訳者あとがき
三本松 里佳
リーディングという作業があります。海外の原書を読んであらすじと感想をまとめることで、編集者はそれをもとに日本での出版を検討します。リーディング依頼でこの本を読んだときから、私は夢中になりました。すごくいい本! 絶対、訳したい! 興奮冷めやらぬまま感想文を書いたことを覚えています。
主人公のヴィオレットはもうすぐ50歳。フランス・ブルゴーニュ地方の小さな町で、ひとりで墓地の管理人をしています。控えめで口数の少ない、きれいな女性です。毎日、墓地の門を開閉し、花を育てて売り、質素だけど居心地のいい管理人小屋で人を迎え、話に耳を傾け悲しみに寄り添います。管理人になってすぐに夫が失踪し19年が経ちますが、神父や墓掘人など優しい仲間に囲まれ、穏やかに暮らしていました。そんなある日、ジュリアンという男性が訪ねてきます。亡くなった母親のイレーヌが夫、つまり彼の父の墓ではなく、ヴィオレットの墓地に埋葬されているガブリエルという知らない男の墓に、遺灰を納めてほしいと遺言を残したからです。ジュリアンとの出会いから物語は大きく動き始めます。
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私は軽い気持ちで読み始めました。まずはヴィオレットの生い立ちや、墓地での日常が淡々と綴られます。なんとも穏やかな流れに癒やされつつも、だんだんと疑問が……。これ、結局はヴィオレットとジュリアンの恋愛小説? それで原書で550ページって、ちょっと長すぎるよね。どうなるんだろ? と、突然、ある場面で心をわしづかみにされました!
そこからは、まるでジェットコースターに乗っているような気分。ストーリーは急展開、続きが気になって最後まで一気読みです。ヴィオレットと歳の近い私は、いつしか彼女の親友にでもなった気分で、物語の中に入り込んでいました。笑ったり、怒ったり、ほっこりしたり、共感したり、思わずツッコミを入れたり。それに、何度泣いたことか。悲しい涙はもちろん、「よかったねヴィオレット!」という嬉しい涙も。
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本書『あなたを想う花』(Changer l'eau des fleurs)はフランスで2018年に出版されベストセラーとなり、権威ある文学賞メゾン・ド・ラ・プレス賞を受賞していますが、審査員も「涙あり笑いありの心揺さぶる小説」と評しています。フランスの書評誌《パージュ》でも「ヒロインはたまたま墓地の管理人になったわけではなく、そこには特別な想いがあった。秘密がわかると、そこから小説はまったく違う展開を見せる。少しずつすべてが明かされていくが、著者のヴァレリー・ペランは作家として素晴らしい手腕を発揮し、何度も私たち読者を驚愕させ、最後まで気をそらさせない。詩的で人間味に溢れ、核心を突いた小説。生とシンプルな幸せの叙情詩だ。感動で胸がいっぱいになる」と絶賛されています。
フランスの隣国ベルギーの新聞《ラヴニール》はこの本を好きになる理由として「ヒロインはもとより、すべての登場人物が細部まで練り上げられていて魅力的だ。墓掘人たち、神父、傷心のヒロインを導くサーシャ、美男だがろくでなしの夫フィリップ。ラブロマンスあり、悲劇あり、現在と過去を行ったり来たりしながら、混ざり合いほどけていく物語は本当に面白い。陰鬱で怖いイメージの墓地が、幻想的で心に響き、明るくユーモラスな舞台に変わった」と賞讃しています。実際、いくつもの話が並行して展開しますが、短い章で構成されているのでテンポよく読めます。また、各章のエピグラフには、章の内容に添った墓碑の文言や歌詞が使われていて、とても美しくて印象的です。
そうした墓碑の文言は、著者が実際に墓地やネットで探したとのこと。フランスの墓地は緑豊かで墓石も個性的で、墓碑には故人を偲ぶメッセージや詩が刻まれているので、それを見ながら散歩するのが好きなのだそうです(フランスではよくあることです。決して、日本の墓地を想像してはいけません笑)。著者いわく、舞台に墓地を選んだのは、墓地とは決してただ悲劇的な暗い場所ではなく、美しい言葉が溢れた詩的な場所でもあるから。そしてまた、残された人々に、いなくなった人のことを話す機会を与えてくれる場所だからだそうです。エピグラフには曲の歌詞も使われており、小説の中でもふんだんに音楽が引用されています。フランスのテレビ番組の書評コーナーで「テーマは喪と花。ときに悲しいが、悲壮感や嫌悪感はなく、むしろすてきな音楽に包まれた明るさを感じる」と話していたコメンテーターもいました。
また、ベルギーのテレビ雑誌《シネ・テレ・レビュー》で「フラッシュバック、もつれる物語、詩的な映像、ミステリーといっていい筋書きもあり、映画にするのにぴったりの小説」と紹介されているとおり、 読んでいて映像がすんなり浮かんできて、上手な画面転換を見ているような印象を受けます。緩やかな導入からの鮮やかなストーリー展開、すべての伏線を見事に回収したラストと、構成も巧みです。実際、日本の編集者の方も、「読後は素晴らしい一本の映画を見たような気分になった」と言っていましたが、それもそのはず。著者は元々、映画の脚本家なのです。
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ヴァレリー・ペランは1967年生まれの56歳。ブルゴーニュ地方のグーニョンで育ち、19歳でパリに出ます(ちなみに小説の舞台にブルゴーニュを選んだのは、自分がよく知っている、インスピレーションをたくさん与えてくれる美しい土地だからだそう)。パートナーはフランス映画の巨匠クロード・ルルーシュ。恋愛映画の名作『男と女』の監督です。
このふたりの出会いも映画のようです。2006年、『男と女』の舞台となった港町ドーヴィルに〈クロード・ルルーシュ広場〉が設けられることになり、監督の映画作品の大ファンだったヴァレリーは、友人の新聞記者に頼まれて雑誌にオープンレターを書きました。記者はその手紙を監督本人に渡すのですが、監督は上着のポケットに入れたまま忘れてしまいます。読んだのは二カ月もたってからでしたが、作品への愛が綴られたその手紙に、自尊心をくすぐられると同時に衝撃を受けます。自分だけが知っていると思っていた映画の見方をする観客がいたとは。しかも、なんと美しい文章に文体! 「こんなに素晴らしい手紙を書くなんて、この女性は一体誰だ ?!」 ところが手紙にはヴァレリーという署名しかありません。なんとか探し出して、直接電話をかけて会ってみると、相手は「幸運なことに」なんとも美しい女性。監督はたちまち恋に落ちました。この時、ヴァレリー39歳、クロード69歳。当時、彼には妻もいたのですが、2008年に交際を開始(2009年に離婚が成立)。それから15年たった今でも、監督は彼女に夢中だそうです。5人もの女性と7人の子供をもうけた恋愛マスターのクロード・ルルーシュは、ついに最愛の女性を見つけたのです。「ずっと恋愛のマラソンをしていたが、やっと運命の人に出会った。この歳になって見つけることができるなんて、思ってもいなかったよ!」このエピソードを知って、小説に描かれているイレーヌとガブリエルのモデルは、彼らではないかと思ったものです。
ふたりは仕事上でもパートナーです。ヴァレリーはクロードと出会って映画の道に入りました。まずはスチールカメラマンとして、それから監督から請われて共同で脚本を手がけるようになり、2010年以降、7本の映画を一緒に作っています(『男と女』の53年後を描いた、2019年の『男と女 人生最良の日々』もそのひとつ)。そして、クロードに背中を押されて、最初の小説を執筆し出版社に持ち込んだそうです。クロードは「ヴァレリーは映画を作るように小説を書く。まさに私が映画を撮るようにだ」といい、ヴァレリーは「昔から書くことは好きだったけれど、クロードが私を成長させてくれました。映画の脚本を共同執筆することで、ドラマはいかに構成すべきかを教えてくれたのです」と話しています。
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その最初の小説『Les Oubliés du dimanche(日曜日の忘れられた人たち)』は2015年に出版されました。13の文学賞を受賞し、十数カ国で翻訳出版されています。1作目の読者たちからの熱烈なラブコールに応えた2作目が本書です。前述のメゾン・ド・ラ・プレス賞以外にも数々の文学賞に輝き、ヴァレリー・ペランは〈2019年に最も売れた小説家トップテン〉に入りました。40カ国以上で版権が売れ、特にイタリアでは人気が高く、テレビドラマ化が決定したそうです。2021年にはパリの小劇場で舞台化され、演出にはクロードの娘サロメ・ルルーシュも参加。好評を博して再演を果たしています。さらに2022年には、〈フランス国民が選ぶ本25選〉にも選出されました。
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この小説について、ヴァレリー本人はこう語っています。
小説の中で「生まれた時は死産児で全身が紫色だったので、産婆がヴィオレット(紫色)という名前を付けた」と書かれていますが、ヴィオレットはスミレの花のことでもあります。著者は言っています。スミレはちょっとした隙間があればどこでも生えてきて、踏んづけてもまた咲く力強い花で、ヒロインそのもの。だからこの名前を与えたのだと。それに小さなスミレの花は、慎み深さと隠した愛のシンボルでもあるのです。
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本書の原題Changer l'eau des fleursの直訳は『花の水を替える』。小説の舞台であるブルゴーニュの地方紙《ランデパンダン》は「ヴァレリー・ペランは、魅力的な新しい女性像を描いた。虐待され続けた辛い人生を送ってきた、ひとりの女性の再生の物語だ。ほったらかしにされてしおれた花が、花瓶の水を新鮮なものに替えてまた頭をもたげるように、ヒロインは辛い過去に痛みという鎧を着せられても、堂々と美しく生きている」と書いていますが、ヒロインだけではなく、登場人物たちも自分の生き方を見直したり、変えたりします。人は何度でもやり直せるというメッセージなのでしょう。もちろん、原題には墓に供える花の水を替えるという意味もあります。小説の中で何度も語られるように、故人を偲び忘れないことが、その人を生かしておく最良の方法なのですから。それが日本語版のタイトル『あなたを想う花』となり、著者の了解も得ました。墓や死者や喪を扱ってはいても、決して悲しい物語ではありません。逆に暖かい気持ちになれます。素敵な恋愛小説であると共に、大切な人を失った人たちに優しく寄り添ってくれる本です。
私にも寄り添ってくれました。個人的なことで恐縮ですが、私も昨年、最愛の母を突然亡くしました。数年前に父が逝ったときと同じように、後悔ばかりして泣いていましたが、この本のおかげで気持ちが軽くなり前向きになれたことが、本当にたくさんありました。最後、母に「ありがとう。大好き!」と言うことができたのも、この本を訳していたからです。どうぞ皆さんも、大切な人には相手が生きている間に、大好きだと伝えてあげてください。
さて、イレーヌの日記を読み終えたヴィオレットは、夢中になった小説が終わってしまったときのような寂寥感を覚えました。翻訳を終えたときの私もまさに同じ気持ちで、もう訳せないのが淋しいなんて、初めての経験でした。機会を与えて頂いたことに感謝いたします。(2023年3月)
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