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名翻訳家も、ネットの見過ぎで失業の危機に⁉ 『デジタル・ミニマリスト』訳者・池田真紀子氏インタビュー

話題作『デジタル・ミニマリスト――本当に大切なことに集中する』(著者:カル・ニューポート)の翻訳者、池田真紀子さんのインタビューをお届けします。チャック・パラニューク『ファイト・クラブ』やE L ジェイムズ『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』など数々の話題作を手がけてきた池田さんですが、実は数年前にネットの見すぎで“失業の危機”を感じたことがあるとか。はたして、その状態からどのように回復を果たしたのでしょうか?

デジタル・ミニマリスト_帯

――この本は池田さんから「翻訳したい」と持ちかけて下さったんですよね。最初はどういうきっかけで本書をお知りになったのでしょう?

直接のきっかけは、著者カル・ニューポートの『大事なことに集中する』(ダイヤモンド社)を読んだことです。こういったビジネス啓発系の本は精神論に終始するものも少なくないのですが、この本は「自分はこれとこれを試して、これが良かった」という方法論が科学者らしく具体的に書かれているところが気に入って、3回は通読しました。

そのうちに、ニューポートのメルマガで新著『Digital Minimalism』(『デジタル・ミニマリスト』の原書)の要約版が配信されたので読んでみたら、これがまたとてつもなく面白い。私自身の経験とも重なる部分が大きく、「自分で訳してみたい」と思いました。版権エージェントのタトルさんに問い合わせたところ、早川書房さんが翻訳権を取得したと聞き、急いでつないでいただいた、という経緯です。

――池田さん自身のご経験、とは?

何年か前に、頭の中がすごく「散らかっている」感覚に気がついたんです。ひとつのことを集中して考えられず、意識があちこちに飛んでしまっている感じ。「8時間も机の前に座っているのに、2時間ぶんくらいしか進んでいない気がする。残りの6時間はどこへ?」と途方に暮れました。

そこで「レスキュータイム」というウェブサービスを使って、自分がPC上で何をしているかを記録してみました。それでわかったのは、仕事中に「脱線」している時間が意外に長いということ。翻訳のための調べ物をしている先で面白そうなリンクを見つけてクリックし、その先でまた次のリンクへ飛んで……さすがに1日6時間も脱線していたわけではありませんが、きちんと集中できていないので、とても効率の悪い仕事のしかたになっていた。「この状態が続いたら仕事を失ってしまう」「何か対策をしなければ」と大袈裟なくらいの危機感にとらわれたのを覚えています。

それが3年ほど前のことで、以降はブロッキングツールを使ってネット接続を制限したり、「ネットの弊害」や「仕事術」に関する本を定期的に読み返して「初心に帰る」ことを意識したりするようになりました。

――『大事なことに集中する』の「具体的」という点は、『デジタル・ミニマリスト』にもしっかり引き継がれていますね。30日間で実践できるメソッド「デジタル片づけ」が3ステップで示されていて、実際に取り組んだ人々の事例も数多く紹介されています。

はい、特に「リセットを始める前に、スマホやSNSを使わないことで生じる空白を埋める活動を用意しよう」と提案しているところが、他の本にはないユニークな点だと思います。

本書でも取り上げられている、心理学者のアダム・オルター著『僕らはそれに抵抗できない』(ダイヤモンド社)に書かれていることですが、依存から抜け出すためには「代わり」を用意しないと失敗してしまう。有名な「シロクマ実験」(「シロクマのことを考えるな」と言われると逆にシロクマのことばかりを考えるようになる)からもわかるように、ただ「やめようとする」だけでは逆効果にもなりうるのだそうです。その点、『デジタル・ミニマリスト』は「スマホを手ばなしたらハッピーになれる」で終わらせず、スマホの代わりになる「質の高い余暇活動」についてたっぷりとページを割いているので、さすがの周到さだと思いました。

それから、アメリカの色々なメディアで言われているように、このメソッドは近藤麻理恵さん(こんまり)の片づけ術と似ているところがあります。「クローゼットからすべての服を一度出して、捨てるものではなくて戻すものを選びましょう」というのがこんまりメソッド、「まずはアプリをひととおり削除して、30日経ったあとで本当に必要なものだけをインストールしなおす」のがデジタル片づけです。

もっとも、"konmari"が「片づける」という意味で使われるようになっているほどアメリカでは有名なのに、ニューポートはこの本を出すまでこんまりさんを知らず、刊行後のインタビュー等を通じてはじめて知ったそうですが……。

――それもまた「情報の見逃しを怖れない」デジタル・ミニマリストらしいエピソードですよね。

そうですね(笑)。つまりはモノでもデジタルでも、本当に整理整頓したいならその方法しかない、ということだと思います。引っ越しのときも、いらないモノをそのタイミングで一気に捨てればすごく片づくけれども、一度収納してしまうとまたその状態が普通になってしまいますよね。私たちにとって「何を捨てるか」を決めるのはとても難しいので、「ゼロにしてから戻す」の発想が必要なのでしょうね。

――池田さんはネットを遮断した後、情報を見逃すのが怖いとか、つらいという気持ちにはなりませんでしたか?

本の中で紹介されている「デジタル片づけ」実験の参加者と同じで、最初の1週間ぐらいは「全国の天気予報を無駄に何度もチェックする」ような状態でしたが、慣れると気分がずっとラクになりました。いまは基本的に午前中はネットやメール、テレビを見ないようにし、仕事中は原則としてネット接続しないようにしていますが、「見る」という選択肢をなくしてしまえばどうということはありません。

ただ、完璧を目指そうとすると挫折しがちなので、どうしても気になる事件などがあるときには、自分で設けた制限を超えて見てしまうことも、たまにならあっていいよね、という「ゆるさ」も必要だと思います。もちろん「デジタル片づけ」の30日間は絶対に見ないほうがいいですが、それを過ぎて、「見ない」ことが当たり前になってしまえば、ときどき制限を超える日があっても、すぐにまた基本の「見ない」に戻れるので大丈夫。

あとは、意志の力だけでは無理なので、ブロッキングツールなどに頼るといいと思います。私はiPadとスマホには指定したアプリやウェブサイトを完全にブロックする「フリーダム」を、仕事で使うMacには「フォーカス」を入れています。フォーカスは細かいコントロールが利くので使いやすいですね。たとえば「ブロック・リストに入れたサイトも、1日30分までならアクセスOK」という上限を設定したうえで、翻訳のために何か動画を参照する必要が生じたときには「今から5分間だけブロック解除」するようなことも可能です。5分たつと自動でブロックを再開してくれます。これなら、「仕事をするためにブロックしたのに、ブロックしたせいで仕事が進まない」という本末転倒な事態にならずにすみます。

――すごい、本書の提唱する“テクノロジーの有効活用“をまさに実践されていらっしゃいますね。逆に、『デジタル・ミニマリスト』を読んで新しく取り入れたことはありますか?

毎朝のランニングで音楽を聴かなくなりました。「孤独の価値」を論じた章で、現代人がとらわれがちな“他人の思考のインプット“の中に音楽も含まれていて、なるほどと思ったんです。以来、ランニングは「他人の思考のインプットから離れて過ごす時間」と考えることにしています。

――ニューポートは散歩中に生産性が何倍にも高まって、数学の証明や本の構想を考えるそうですが、池田さんは何を考えながら走っているんですか?

特に何も考えず、無心で(笑)。でも、そういうときに訳文の妙案がパッと浮かんだりします。考えたいことから一度離れてみると、かえって良いアイディアが出てきたりするようです。

――池田さんにとって、スマホやネットよりも優先したい「本当に大切なこと」ってなんでしょう?

翻訳という仕事と、あとはやっぱり一番近くにいる家族とか、私を全面的に頼りにしている老猫。ネットの登場で一番「変わったな」と感じるのは、世界中で起きている出来事が全部自分に関係があるかのように思えてしまうことです。ですが、世界の反対側で起きていることを気にしていると、半径3メートルにある、本来なら自分が気にしなくてはいけないことが見えなくなってしまう。

だから、良い意味で「世間知らず」になってもいいのではないかと思います。いま、「知らないことが恥ずかしい」みたいな風潮がありますよね。ネットを見ずにいると、すごく話題になっているできごとをまったく知らなくて「え、知らないの?」と驚かれたりもするのですが、「知らない」と素直に認めて教えてもらえばいいことだし、知っておくべきことであれば、そうやって自然と耳に入ってくるものでしょう。

――SNSではタイムラインに新しい投稿がどんどん流れてくるし、話題になっている出来事がリツイートや「いいね」の数で可視化されているから、「知らなきゃ」と思ってしまいがちです。かわいい動物の動画とかもつい見てしまって……。

うん、そりゃ見たいですよね。たしかにかわいい。でも、「それっていま見なきゃだめ?」と冷静に自問すると、答えは決まって「いまじゃなくていい」。じゃあ、あとで時間ができたら見ようと思っていると、たいがいそれきり忘れる(笑)。その程度のことなんです。

本書では「TwitterやFacebookにアテンション(注意)を吸いとられるとそれが彼らのお金に換えられてしまう」ことも強調されていますが、根本的には「時間」の問題ですよね。時間って、一番貴重な財産です。お金はまたがんばって働けば取り戻せるかもしれないけれど、時間はそうではないので、無駄に使ってしまうのは本当にもったいない。

スマホやネットに費やす時間は細切れで、合計したら1日2時間、3時間も使っていることに気づきにくいけれど、よく考えたら映画を1本見られる時間です。私もレスキュータイムを使うまでは「映画を見る暇なんかない」と思っていましたが、その気になれば毎日1本だって見られるわけです。

「私、こんなにスマホをいじっていていいのかな」と少しでも疑問に思っている方には、ぜひこの本を読んでいただきたいですね。

(取材・構成:早川書房編集部)

池田真紀子(いけだ・まきこ)
翻訳家。1966年生まれ。上智大学卒業。訳書にジェイムズ『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』、パラニューク『ファイト・クラブ』(以上早川書房刊)、ディーヴァー『スキン・コレクター』ほか多数。自身、SNSをやらないデジタル・ミニマリスト。

*佐々木典士さんによる解説「自分のアウトプットに専念するために」はこちら

デジタル・ミニマリスト_帯

カル・ニューポート『デジタル・ミニマリスト――本当に大切なことに集中する』(池田真紀子訳、本体1800円+税)は早川書房より好評発売中です。

カル・ニューポート(Cal Newport)
ジョージタウン大学准教授(コンピューター科学)。1982年生まれ。ダートマス大学で学士号を、MIT(マサチューセッツ工科大学)で修士号と博士号を取得。2011年より現職。学業や仕事をうまくこなして生産性を上げ充実した人生を送るためのアドバイスをブログ「Study Hacks」で行なっており、年間アクセス数は300万を超える。著書に『今いる場所で突き抜けろ! 』(「インク」誌の「起業家のためのベストブック2012」、「グローブ・アンド・メール」紙の「2012年ビジネス書ベスト10」に選出)や『大事なことに集中する』などがある。TwitterやFacebook、Instagramのアカウントは存在しないが、家族と暮らすワシントンDCやウェブサイト「calnewport.com」で彼にコンタクトすることができる。

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