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すべてがオンラインに変わりゆく時代の必読書! 『デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方』

気鋭のコンピューター科学者による、Amazon.comベストブック2019&NYタイムズ・ベストセラー『デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方』(カル・ニューポート/池田真紀子訳)。

単行本時には、とんでもなくイライラすると評判の扉をはじめ、ウェブを大いににぎわせた本書。

リモート勤務で、PCやスマホを介して仕事は自宅まで侵食、老若男女がデジタルデバイス疲れで『スマホ脳』(新潮新書)もベストセラーになる現代に、さらに読まれるべき内容です。

4月1日に文庫になった本書から、名著『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』で知られるミニマリスト・佐々木典士さんの巻末解説を全文公開します。


【解説】
自分のアウトプットに専念するために
佐々木典士

 博物館で何百年も前に彫られた仏像を見る。驚くほど細密なそれらを見ながら、完成までに必要だったであろう努力に思いを馳せる。そしてこんな仕事は、朝から晩までネットワークに接続され、友人にいいねをつけたり、スマートフォンの通知に気を取られて忙しいぼくたちにはもはや再現できない仕事ではないかと思う。ショッピングモールのフードコートでは今も高校生が熱心に勉強をしている。そして自分が受験勉強をしていた時代にスマートフォンがなくて良かったといつも胸を撫で下ろす。

 ぼくたちが集中すべき大事なことというのは、仏像を彫ったり、興味のある分野の勉強をしたりということのはずだ。しかし、あらゆる手練手管を無慈悲に使って、注意経済はぼくたちの集中力を大事なことから逸らそうとしてくる

 どうしてデジタル・ツールの使用から距離を取ることは難しいのか。ぼくは大きく分けて二つの理由があると思っている。大きいのはやはりSNSで、一つめの理由はそのSNSが人の本質とピッタリ結びついてしまう性質を持っているということだ。世界中どの国に行っても、人々がスマートフォンを熱心に見つめている風景は同じ。それは文化を超えて人間の本質に訴えかけている。

 人間の本質とは、我々が群れで暮らす社会的な動物だということである。そしてある動物の遺伝子が変化し進化するためには少なくとも数千年以上はかかり、人間の本質は何万年も前から変わっていないという。だからぼくたちは小さな村で暮らしていた先祖たちと同じことを嬉しいと思い、悲しいと思う。そして自分が所属しているコミュニティで他者が何をしているか、自分の評判がどんなものなのかがどうしても気になる。SNS上での友人が昨日何を食べたか、どこへ行ったかということは、ニュースとしては大した価値がないし、いつか会ったときの土産話として取っておけばよいものだった。しかしそのチェックをやめられないのは、「焚き火を囲んでいるときに脇腹をつついてくる仲間を無視するようなもの」だから難しい。ぼくたちは長年、仲間の顔色を窺いながら暮らしてきたので、それがSNS上で膨大な数のコミュニティに置き換わったとしても一人ひとりの人間が何をしているか気になってしまう。しかし、それは人の脳のキャパシティを容易に超えストレスになる。「人はこれほど多くの人々と連絡を取り合うようにはできていない」のだ。自らの体験をSNSを投稿することにも、本書で指摘されている通りギャンブルのような魅力がある。ギャンブルに勝ち、いいねがたくさん押されれば、コミュニティで承認されたような気になる。

 しかし、SNSの誘引力に惹き寄せられすぎてしまうと、負の側面が出てくる。ぼくも以前はツイッターで気になる人をよく追いかけていた。そうしてある日、SNSを見た後にほとんど充実感がないことに気がついた。ツイッターで流れてくる情報は有用なものに絞っているつもりだったし、フェイスブックでの友人の投稿も前向きで、応援したくなる取り組みばかりだ。ひとつひとつの情報は悪くない。しかし、それをまとめて見終えたときに、なぜか手応えがないのだ。

 ブログ「ミニマリスト日和」を運営する友人のおふみさんがこの問題について、こんなことを言っていた。そういう時に人は目にしたSNSの総体を「一人の個人」として考えてしまったりするのではないかと。SNSに投稿している個人はそれぞれにできることをやっているだけだ。しかしそれらをまとめて眺めていると、自分には到底成し遂げられない仕事をし、人生の楽しみを謳歌しているスーパーマンのような個人がどこかにいるような気がしてしまう。そして自分の至らなさを苛む。考えてみると、ぼくが各種SNSを見たいと思うときは、自分が何か手持ち無沙汰になったり、何かうまく行かないことがあったときだった。そもそもSNSを見たいと思うときは、気持ちがふさぎがちだったのだ。 

 ぼくは意志の力なんて全然信用してないから、具体的な対策をいつも取る。そしてツイッターのフォローはゼロにし、誰かのツイートを見たいときはその都度検索するようにした。フェイスブックなどのアプリも本書が勧める通りスマートフォンには入れていない。そうして、ぼくがSNSを見る基準は「その投稿を見て、やる気が出るかどうか」ということに落ち着いた。ぼくには尊敬すべき方がたくさんいるが、その方たちの輝かしい仕事を見るとやる気が失われることがある。だからぼくがSNSを見る基準は「その人のことが好きかどうか」ではない。そしてそれは「チェックすべき情報かどうか」でもない。それらは無限にあって、かえって過度な情報に混乱してしまうことが多いからだ。

 人の本質と結びついてしまっているSNSと距離を取るために、どうしたらいいのか? 心がけるべきは、何事にも支払うべき代償というものがあることだ。ぼくが友人のツイッターやフェイスブックの投稿を見ていないことで、離れていった人間関係は確実にある。人には何かしてくれたら、お返ししたくなる返報性という心理があり、何もしてくれない人には何かする義理はないと考えるからだ。ぼくが心の平安を手に入れる代わりに支払った代償がこれである。しかし、それで離れていく関係はしょせんその程度の関係性だということだ。ぼくが大切な友人だと思う相手の条件は、SNSで相互フォローしているとか、昨日の晩ごはんに何を食べたかを知っているということではまったくない。何年も会ってなくても昨日も会ったかのように心を許して話せたり、お互いがしていることをリスペクトしあえる関係だ。そもそも友人関係の価値はどれぐらい長く続いたかにあるのでもないと思う。たとえ一瞬でもその関係性が輝いたのなら、もう充分ではないのだろうか。

 デジタル・ツールの使用から距離を取りづらい二つめの理由。それは本書で紹介されている切実な声がわかりやすい。「何か役に立ちそうな情報があるのに、それを見逃しているかもしれないでしょう?」。何か重要な情報を見逃してしまうかもしれないという恐怖心。これは何も新しいデジタル・ツールだけでなく、古いメディア、たとえばテレビについても同じことが言えると思う。ぼくが手放していちばんよかったと思うものはテレビだ。その理由はSNSと同じ。ひとつひとつの番組には良いものもあるし、見ていなければ世間から置いていかれそうだ。しかしいざ手放してみると、どれだけそれにたくさんの時間を取られていたか、そしていかにそこから得ていた情報が薄かったかを実感した。

 ジャーナリストの池上彰さんは、「テレビは出るものであって、見るものではない」ときっぱり言っている。池上さんが言っているのは、結局どんなメディアであれ他人のアウトプットにばかり拘泥してはいけないということだと思う。自分を振り返ると、どんなに重要そうに見えても、テレビやSNSの情報で自分の中に残っているものは少ない。自分の中に刻まれしっかりと血肉になっていると感じるのは、結局格闘しながら本に書いたような自分のアウトプットだけである。

 今の注意経済は、本当に狡猾だ。人々の限られた二四時間というパイを奪い合うためにしのぎを削っている。YouTubeのタイトルは扇情的なものが並ぶ。有名なインフルエンサーたちを追いかけ、オンライン・コミュニティに所属したり、高額な商品を買わなければ、自分だけ重要な情報が知らされないかもしれない。しかしそんな恐怖心を乗り越えた先に果実がある。そもそも価値は希少性に宿るのだ。誰もが知っていなければいけないような情報をすべて知っている人がいたとしてもその人の価値は薄いだろう。溢れる他人のアウトプットから抜け出し、いかに自分のアウトプットに専念するかが問われる時代だと思う。

 新しいデジタル・ツールにだって、もちろん有用な面がある。ぼくは極度の方向音痴なので、旅先ではグーグルマップが欠かせない。本書で勧められているようにガラケーに戻すこともたまに頭をよぎるが、グーグルマップがあれば初めて訪れる海外でも気軽に散歩ができる。その楽しみを手放したくない。LINEにもどうでもいいメッセージが届くが、無料で海の向こうにいる友人とも距離を縮めてくれる大切なツールとなっている。今はツイッターと一定の距離を置いているが、ぼくがミニマリストを志し始めた五年前に出会ったミニマリストたちとはツイッターがつなげてくれた。当時は、ミニマリストなんていう言葉は誰も知らず、身の回りにももちろんいなかった。希少種のような友人をネットの検索に頼って探すしかなく、そのことについてとても感謝している。

 何より大事なことは、自分でデジタル・ツールにどの程度関わるか自分で選ぶこと。有名なミニマリストの生活をなぞるだけなら、広告に踊らされてモノを買うのとまったく変わらない。本書でもこう述べられている。「デジタル・ミニマリズムの有効性を支えているのは、利用するツール類を意識的に選択する行為そのものが幸福感につながるという事実だ」。本書でアドバイスされているようなデジタル・ミニマリズムの方法は参考になるだろう。しかし、その方法を鵜呑みにするなら、有効だとしても幸福感は高まらないだろう。どの程度デジタル・ツールに関わるかは人によって最適な濃淡があるはずだ。さまざまな選択肢はあるが、デメリットとメリットを試行錯誤した上で、自分にはこれがぴったりだ──目指すべきはそんな境地である。


【著者紹介】カル・ニューポート Cal Newport
ジョージタウン大学准教授(コンピューター科学)。1982年生まれ。ダートマス大学で学士号を、MIT(マサチューセッツ工科大学)で修士号と博士号を取得。2011年より現職。学業や仕事をうまくこなして生産性を上げ充実した人生を送るためのアドバイスをブログ「Study Hacks」で行なっており、年間アクセス数は300万を超える。著書に『今いる場所で突き抜けろ! 』(「インク」誌の「起業家のためのベストブック2012」、「グローブ・アンド・メール」紙の「2012年ビジネス書ベスト10 」に選出)や『大事なことに集中する』などがある。TwitterやFacebook、Instagramのアカウントは存在しないが、家族と暮らすワシントンDCやウェブサイト「calnewport.com」で彼にコンタクトすることができる。