小川楽喜『標本作家』第二章③ ソフィー・ウルストン 十八世紀のゴシック小説家
(第9節はこちらの記事に掲載しています。)
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ソフィー・ウルストン。十八世紀のゴシック小説家。
人類史でもっとも愛された魔人たちを生みだした作家です。吸血鬼。人造人間。狼男。これらはすべて彼女の創作であり、そこから多くの読みものや映像作品が誕生しました。フィクションの存在でありながら、人類が滅び去るまで、途絶えることなく私たちに恐怖と怪異をもたらしました。
なぜに、こうも愛されたのでしょうか。ソフィーの書いた小説の内容がすばらしかったのはいうまでもありません。また、普遍的な神秘の象徴として、ふるえるほどに魅力的であったともいえるでしょう。人ならざる存在であるからこそ提示できる主題が、永続的な人気へとつながっていったとも考えられます。おそらくはそのすべてなのでしょう。
ソフィー・ウルストンは、もともと作家ではありませんでした。駆け落ちをしてまで結ばれた夫のジョゼフ・ウルストンは詩人でしたが、彼とともにおとずれた旅先での出来事がなければ、彼女は筆をとらなかったかもしれません。
一七九五年のスイス、レマン湖のほとりに建てられた屋敷で、そこの主人と、ソフィー、ジョゼフ、その他数名が集まって、怪奇譚を語りあう夜がありました。ひとしきり語りあったあと、既存のものでは物足りなくなった屋敷の主人は、この場にいる皆がひとり一作ずつ、新しい怪奇譚を作ってみてはどうかという提案をしました。これを受けて創作されたのが〈現代のプロメテウス〉というタイトルの、人造人間の運命をあつかった小説なのでした。
この作品は文学史上に燦然とかがやく記念碑的一作となりました。人工の生命を宿した〈名も無き怪物〉は、この世界のどこにも居場所がなく、みずからを作った人間を求めて各地をさすらいます。そうしたストーリーも斬新でしたが、それ以上に、生命をもてあそぶことの危うさ、行きすぎた科学技術がやがて人類そのものをおびやかすというテーマ性が評価され、ゴシック小説のひとつの完成形、さらに後世においてはSF小説の起源のひとつとしても認識されるようになったのです。
まぎれもなくソフィー・ウルストンの初めて書いた作品です。まったくの素人であったはずの、当時二十歳の女性は、夫をしのぐほどの文学的才能を秘めていました。これを指して後世の批評家からは〈作家の悲劇〉と呼称されることもあります。〈現代のプロメテウス〉をはじめとするソフィー・ウルストンの著作は、時代を越え、幾度も舞台化され、映像化され、ありとあらゆるメディアで派生作品が大量に生みだされていったのに対し、夫の著作は知る人ぞ知る──といった程度の知名度にとどまってしまったのを揶揄しているのです。
「別に、当事者は悲劇だとも思っていなかったのだけれどね」
〈終古の人籃〉にやってきたソフィーは、私にそう話してくれたことがありました。「夫も、私も、純粋にあの作品の成功を喜んだわ。私が生きているうちに、はじめて舞台化されたとき、演者リストの〈名も無き怪物〉の欄は『 』っていう空白だったの。怪物に名前が無いのを表現しているそれをみて、夫とふたり、興奮したりしてね。そんな喜びを共有できる程度には通じあっていたわ」
二十代の、痩せた美しい淑女の姿をしています。彼女の著作は二十代前半のころに集中しているので、そこがきっと全盛期なのでしょう。〈現代のプロメテウス〉以降、彼女は吸血鬼や狼男についても執筆していきました。といっても、これらは人造人間とは異なり、そのモデルとなった人物や伝承がヨーロッパ各地に多く存在しています。彼女はそれを渉猟し、再解釈し、アレンジをくわえて小説として発表したのです。
吸血鬼に、貴族的なイメージを与え、耽美な世界観のなかで猟奇的・怪奇的な物語をつづりました。
狼男には、肉体のみならず精神までもが獣へ近づくという宿命が与えられました。人間性と野獣性がせめぎあうなか、その苦悩が描写され、はてない闘争へと身を投じていく物語がつづられました。
人造人間、吸血鬼、狼男──これら一連の作品は、文学的に高く評価され、商業的にも成功をおさめました。また、後世、ホラー映画における三大モンスターとして認知され、文字どおり人類が滅亡するまで鑑賞されることになったのです。
歴史的にみて、ソフィー・ウルストンの功績は、はかりしれないものでした。しかし彼女は、こうした状況に不満げなようでした。
「もっと、別のものを見たいとは思わない?」
私にそう問いかける彼女の顔には、愁いがふくまれていました。
〈終古の人籃〉で閲覧できる資料から、自分の死後の世の中の動きを確認して、複雑な心境を隠しきれないでいるようでした。彼女としては、自分の作品が評価されたこと自体は光栄に思うものの、一方で、自分の作品の影響があまりにも強すぎて、そればかりにとらわれている後世の創作活動に落胆と哀傷を感じてもいるようなのでした。
怪奇世界の貴族的存在といえば、吸血鬼。苦悩する闘争者といえば、狼男。科学技術への警鐘といえば、人造人間。そうしたイメージから脱却できず、また消費する側もこれまでどおりの魔人たちを求めつづけているので、それで作っておけば間違いないという「再生産」がくりかえされているのでした。
「もっといろいろな怪異があってもいいんじゃないかしら。私の考えた吸血鬼や人造人間からかけ離れたイメージの──いいえ、それどころか、吸血鬼や人造人間ですらない、まったく新たな怪奇的存在が生まれて、私の創作物を駆逐していってほしい……と、そう願うときだってあるの。私は、私の創作物が崇められるより、古く、権威的になってしまったそれを破壊するほど鮮烈でおそろしい、新たな異形の誕生のほうを祝うわ。だけど、皆は、ああ、破壊より維持のほうを選ぶのね。どうして、そんなに固執するの。どうして、こんなに愛してくれるの。……嬉しいけれど、私はもっと豊饒な怪奇の世界をのぞいてみたかった──」
彼女の述べていることは、要するに、多様性の追求なのでしょう。そんな彼女の理想とは裏腹に、人類が滅びるまで吸血鬼を超える怪異は生まれませんでした。狼男や人造人間を超える異形も生まれませんでした。ソフィー・ウルストンの創造した魔人たちのイメージが浸透し、根づいてしまったがゆえの悲劇です。〈作家の悲劇〉というならば、こちらのほうをこそ指してしかるべきなのではないでしょうか。
そうして、彼女は、〈異才混淆〉に協力する見返りとして、自分が小説を書かなかった場合の別の歴史を求めました。
自分が、小説を書かなければ──。人造人間という概念を生みださなければ──。吸血鬼や狼男を再解釈しなければ──。怪奇小説の世界は、どのようなひろがりを見せ、どのように発展していったのか。もしかすると、自分が執筆するより豊饒で、多様性にみちた世界になっていたのではないか。そういう疑念を抱かずにはいられなかったのです。
玲伎種は、彼女のこの疑念をぬぐいさりました。歴史そのものを改変することはしませんでしたが、疑似的にそうした歴史を──そうなりえた歴史を──液体状に溶かし、それをフラスコのなかにそそいだのです。そして、それを彼女に手わたしました。このフラスコのなかの歴史なら、いくらでも弄ってかまわないから、と。
ソフィー・ウルストンは、フラスコのなかの液体の調合に没頭しました。彼女がこのフラスコをのぞきこめば、そこに、改変された歴史を幻視できるのだそうです。……私にはただの、透きとおった紫色の液体が波打っているようにしか見えません。しかし彼女の目には、たしかに見えているのだろうと思います。コンスタンスはこの件について専門外なのか、施設外から別の玲伎種がやってきて、その者がソフィーに調合の手ほどきをしました。液化した歴史のなかから、特定の事象を抽出する方法。付け加える方法。書き換える方法。いずれもフラスコのなかでだけの改竄で、じっさいの歴史には何らの影響もおよぼしません。が、閲覧するだけならそれで充分でした。ソフィーは、液体のなかから自分という個を抽出して、それによる歴史の変化を観察しました。結果は、思わしいものではありませんでした。
最終的に歴史を書き換えるには、フラスコ内の液体を攪拌しなければなりません。調合後、いちど専用のビーカーへ移し、攪拌棒でかきまぜてから、ふたたびフラスコへと戻します。そうやって映しだされた改変後の歴史には、やはり吸血鬼、狼男、人造人間という魔人たちが存在しているのでした。──調合どおり、ソフィー・ウルストンという人物はいなくなっています。しかし、生いたちも才能も自分によく似た女性が誕生して、その者が〈現代のプロメテウス〉を発表しているのです。発表時期には二十年ほどのずれがあります。ソフィー・ウルストンではないその女性は、人造人間だけしか創作しませんでした。吸血鬼についてはシェリダン・レ・ファニュ、ブラム・ストーカーといった別の作家たちが、それぞれ、ソフィーの考えたものとほぼ同じ設定の──貴族的なイメージを付与した吸血鬼を、創作していました。
狼男にいたっては、小説という媒体での明確な原作がなくなっているのに、それでも映画が制作され、三大モンスターのひとつとして数えられています。結局、ソフィー・ウルストンが存在しようとしまいと、元の歴史とほぼ同じ流れをたどることになった、と──私は幻視していないので、ソフィーからの伝聞でしか知りえないのですが──そのような、徒労感におそわれる結末をむかえたのでした。
しかし、それでもソフィーはあきらめませんでした。自分をとりのぞいたのと同じ要領で、自分と類似する存在、さらにシェリダン・レ・ファニュ、ブラム・ストーカーを、フラスコのなかの液体から抽出すれば、新たな可能性が生じるのではないかと、そう考え、そのための研究をかさねました。玲伎種との取引。専用の機材の導入。いつしか彼女の部屋は化学者、いえ、錬金術師のそれのような様相を呈していきました。
研究。調合。攪拌。幻視。研究。調合。攪拌。幻視。研究。調合。攪拌。幻視。このルーチンを延々とくりかえして、どれだけの月日が流れたのでしょう。攪拌したあとの歴史は、つねにソフィーの期待を裏切りました。自分も、類似存在も、別の作家も、すべてすべて抽出したというのに、それでも三大モンスターが出現する場合もあれば、出現せず、さりとて三大モンスターのかわりとなる魅力的な怪異もまた登場しない、何もない、そんなつまらない歴史になってしまう場合も、たびたび、ありました。見つからないのです。吸血鬼を、人造人間を、狼男を、それら一切を破壊して人を惹きつける、鮮烈でおそろしい、新たなる異形の存在が。ソフィーの希求する、豊饒なる怪奇の世界の成熟した歴史が。
「──ラダガストも私も、不毛なことをしているだけなのかもしれないわね」
巡稿のおり、ソフィーがビーカーのなかのそれを攪拌する手をとめて、私に向きなおったことがあります。「あの人のほうが、まだしも建設的だけれど」
彼女は、ラダガストと行動をともにすることが多いのです。〈終古の人籃〉では、ラダガストの車椅子を、ソフィーが押しているところを、よく見かけます。その関係性は、老作家と、それに師事する女流作家というより、長年つれそった、歳のはなれた夫婦のように感じられました。
「あなた、セルモスのことが好きなのでしょう」
返答に詰まっている私にむけ、ソフィーはさらに、思わぬ方向から質問を投げかけてきました。
「たしか、生前から面識があるのよね。〈異才混淆〉のありかたに疑問を抱いたことはないの」
「それは……」
核心をつかれ、動けないでいる私を、彼女はしばらく見つめていました。
「私はね、駆け落ちをしてまで好きな人と一緒になったわ。夫のジョゼフは、すでに他の人と結婚していてね。奥さん、どうなったと思う? 二年後に、ハイド・パークのなかの湖へ飛びこんで、入水自殺したわ。お腹にはジョゼフとは別の男の子供がいたそうよ。そして私たちは、その自殺から一ヶ月もしないうちに、正式に結婚したの。あなたはこれをどう思うかしら」
「…………」
「どう思うにせよ、私はこの不毛なことを、やめるつもりはないのだけれど」
それっきり口を閉じ、また手元のそれを攪拌しはじめました。彼女はこの行為にとりつかれているかのようでした。攪拌が終わると、彼女はふたたび幻視するのでしょう。コーヒーメーカーの前で、コーヒーが出来上がるのを待つ童女のように、じっと、眺めているのでしょう。数万年におよぶ試行錯誤の末に、いつか、見たこともないような、自分の創造した魔人をも凌駕する、おそろしい何かが生まれてくることを願って──
(以下、第11節に続く)
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