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科学ノンフィクションと文芸の新たな可能性を拓いた画期的傑作! 『ホット・ゾーン』レビュー by 瀬名秀明(作家)

第1章全文公開が阿鼻叫喚を巻き起こし、発売即重版が決まったリチャード・プレストン『ホット・ゾーンーーエボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』(高見浩訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。でもこの本、ただ怖いだけではないんです。本書のエポックメイキング性を、『パラサイト・イヴ』などで知られる作家・瀬名秀明氏が語ります。

マールブルグ、エボラ・ウイルスの脅威を描いた『ホット・ゾーン』はウイルス・ノンフィクションのスタイルを創った画期的傑作である。著者のリチャード・プレストンはそれまでも天文学の『ビッグ・アイ』や製鉄業界の『鉄鋼サバイバル』といった誠実なノンフィクションを手がけていたが、エイズを取材中に「もっとすごいウイルスがある」と専門家から聞き及び、この一作でトップに躍り出た。

本書の発売後、実際にエボラ出血熱のアウトブレイクが発生し、本書の対抗として制作された映画『アウトブレイク』もヒットして話題に拍車をかけたが、いま再読してもっとも心に迫るのは本書の見事に抑制された端正な筆致だろう。

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そのウイルスは人間の眼球を好む――こうしたフレーズは当時一人歩きして人々を震えさせた。マールブルグ・ウイルスに感染した男は人間ウイルス爆弾となり、炸裂し、放血する。軍のバイオハザード専門家が用いる独特のいい回しを著者は書き記す。実際に患者の肉体が爆発するわけではない。プレストンはそのことを充分に理解した上で、文学の表現として用語を採用する。ここに科学ノンフィクションと文芸の新たな可能性が拓かれている。新米女性病理学者がレベル4ルームで感染した猿を解剖中、自分の手袋が破れていることに気づくシーン。パニックになりかけた彼女は手袋を一枚ずつ脱いでゆく。最深部まで傷が到達していたらアウトだ。小説のように読める本書が真に怖ろしいのは、これがノンフィクションだからである。黒子に徹していた著者はついに本書のラストに登場し、防護服を着て感染源と思われるアフリカの洞窟へと踏み進む。このくだりもすばらしい。東大の河岡義裕のように本書を読んで感動し、エボラの研究に進んだウイルス学者もいる。

プレストンはその後、生物兵器に取材した限りなくノンフィクションに近い小説『コブラの眼』を発表した。彼はその巻末にあえて小説と切り離された一文を寄せ、少数の専門家が孤独な警告を発するよりも一般大衆が覚醒したほうが世界の科学者たちの建設的な行動を引き出せると訴えた。「私を"反科学的"だと弾劾する人がいたら、いや、自分はまったくその反対だ、と言わせていただく」――ここにフィクションとノンフィクションの未来の関係性がある。丹念な調査と誠実な執筆姿勢、なにより科学と物語への敬意がある。

本書の成功でバイオ分野に絡め取られたかに見えた著者は、後にツリークライマーを描いたまったく異なる分野のノンフィクション『世界一高い木』でもうひとつの代表作を産み出した。2011年刊行の『マイクロワールド』は故マイクル・クライトンとの共著名義の小説である。

初出:日本経済新聞2011年10月26日

瀬名秀明(せな・ひであき)
1968年静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究(博士課程)修了。薬学博士。95年、『パラサイト・イヴ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞し、デビュー。98年、『BRAIN VALLEY』で第19回日本SF大賞を受賞。SF、ホラー、ミステリーなど幅広いジャンルの小説を発表する一方で、科学書、文芸評論の執筆活動、共著・監修にも精力的に取り組んでいる。その他の著書に、『ポロック生命体』『魔法を召し上がれ』『この青い空で君をつつもう』などがある。

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リチャード・プレストン『ホット・ゾーン――エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』(高見浩訳、本体1,060円+税)はハヤカワ・ノンフィクション文庫より好評発売中です。