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1日126通のメールをやりとり、6分に1回メールチェック……「注意散漫な集合精神」の恐ろしさとは? カル・ニューポート『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』はじめに

世界25か国以上で刊行された『デジタル・ミニマリスト』の著者カル・ニューポートの最新作『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』の「はじめに」を公開します。

アメリカ、ホワイトハウスで起きたネットワーク遮断トラブル。
国を動かす最上層レベルの現場でメールの送受信が滞った結果、いったい何が起きなかったのか?

第1部では、電子メールや社内チャットツールなどの新しい技術が可能にした働き方とワークフローがもたらした、おしゃべりと仕事の往復=作業文脈の切り替え《コンテキスト・スイッチ》がどうしてこれほどまでに生産性を下げるのかを心理学と神経科学の研究も用いて分析。同時に何故「せわしないコミュニケーションの連続=仕事という考え」が受け入れたかも考えます。
第2部では、作り上げられた誤ったワークフローを設計し直すための原則を模索します。メールやインスタントメッセンジャーのようなコミュニケーション・ツールの利便性は残しつつ、どうやって頻度を減らし、脳の働きになじみやすいプロセスを作れるか、組織の大小や職種に関わらず多くの読者が応用できる提案をしています。

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メールに支配されない未来を手に入れる勇気とノウハウを教えてくれる大注目の一冊です。

カル・ニューポート『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』


『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』はじめに

2010年末、ニッシュ・アチャーリアは、新しい仕事に就くためワシントンDCに赴いた。バラク・オバマ大統領から、イノベーションおよび起業家支援担当局長と合衆国商務長官付上級顧問に任命されていた。アチャーリアの役目は、26の連邦機関と500を超える大学の調整を図って10億ドルの助成金を分配することだった。つまり新しい仕事は、スマートフォンをつねに握りしめ、時を選ばずメッセージをやりとりしながらワシントンDCを闊歩するパワープレイヤーの群れに加わることを意味していた。ところが就任早々、ネットワークがダウンした。

新たな職務に就いて2カ月後、ある火曜日の朝のことだ。省の最高技術責任者からメールが届いた。コンピューター・ウイルスが侵入し、省のネットワークを一時遮断せざるをえなくなったという。「2日か3日もあれば解決するだろうと、みな楽観していました」のちにこの1件について私のインタビューに応じたアチャーリアはそう振り返った。しかし、この予想は大きく覆されることになる。翌週、商務次官が会議を招集した。今回のウイルスによるネットワーク汚染は国外勢力による攻撃であるとのおそれが浮上し、攻撃元が特定できるまでネットワークを遮断しておくよう国土安全保障省から助言されたというのだ。大事をとり、ノートパソコンを含む省内のコンピューター、プリンターなど、コンピューター・チップを搭載した装置はすべて処分する。

ネットワーク遮断による最大の不利益の一つは、メールの送受信がいっさいできなくなることだった。セキュリティ上の理由から、政府の仕事に私的なメールアドレスを利用するわけにいかず、また別の政府機関のネットワークに仮のメールアカウントを開設してもらおうにも縦割り行政に阻まれた。アチャーリア率いるチームは、連邦政府の最上層レベルにある業務の特徴の一つ、卓球の試合のごときハイスピードな〝デジタルおしゃべり〟から事実上、締め出されてしまった。この機能停止状態は6週間続いた。省内では、苦難が始まった運命の日をブラックユーモアをこめて〝暗黒の火曜日〟と呼んだ。

ある日突然メールが使えなくなって、アチャーリアの仕事の一部に〝地獄の困難〟が生じた。政府のほかの省庁はメールというツールに大きく依存したままでいるわけで、アチャーリアは、重要な会議の連絡や依頼を自分だけが逃すのではと不安に駆られた。「情報はこれまでどおりのルートで流れているわけです。ところが、私はそのルートからはずれてしまいました」業務の調整も困難をきわめた。仕事柄、たくさんの会議や面談の段取りが必要なのに、メールが使えないと、手間がかかってしかたがない。

だが意外にも、この6週間、アチャーリアの業務は減速したわけではなかった。それどころか、以前よりかえって仕事がはかどるように思えた。誰かに確認したいことができても、メールを書いて尋ねるという手軽な方法を奪われたおかげで、自分のオフィスを出て相手に直接会いにいくのがふつうになった。面会の約束を取りつけるには手間がかかる。ゆえに、せっかく会うのだからと自然と時間を長めに確保しておくようになって、相手の人柄を深く知り、そのときどきの案件の微妙な意味合いまで理解できるようになったのだ。アチャーリアによると、そのように時間をかけて行なわれる意見交換は、連邦政府内に働く隠微な力学を学ぼうとする政界初心者にとって、〝きわめて有益〟だった。

会議の合間に受インボックス信箱をチェックできなくなり、認知の休憩時間《ダウンタイム》──アチャーリアはこれを〝余白〟と呼んだ──が生まれて、部局の業務に関連する研究文献や制定法をより深く読みこめるようになった。以前よりゆっくり集中して考えた結果、アチャーリアが率いる部局の次の1年間の基本方針となる画期的なアイデアが2つ芽生えた。「ワシントンDCの政界のメンバーに、そのような余白を自分に与えている人はいません」アチャーリアは言う。「みんな暇さえあればスマートフォンでメールをチェックしています。それでは独創性がそこなわれます」

暗黒の火曜日とその余波についてアチャーリアの話を聞きながら、ネットワーク遮断という〝地獄〟がもたらした困難の大半は解決できるのではないかと私は思った。たとえばアチャーリアは、重要な情報を入手しそこねるのではと心配したものの、自分が知っておくべき会議があるかどうか、日に1度、ホワイトハウスに電話で問い合わせれば問題はおよそ解決したと話した。これは専任のアシスタントかチームの下位メンバーに任せればすむ仕事だろう。ほかに、会議や面談の段取りに手間がかかるのも問題だったというが、これもアシスタントの業務の一部とするか、何らかの自動スケジュールシステムを導入するかすれば解決できる。つまり、メールの送受信が遮断されて手に入った大きなメリットはそのままに、遮断によって生じた面倒の大半を回避する手段があるのではないか。「……というような働き方をどう思いますか」解決策を提案したあと、私はそう尋ねた。電話の向こうはしばし沈黙した。私の提案が現在の常識とあまりにかけ離れていたから──「半永久的にメールなしで仕事をする」──アチャーリアの思考回路が一時《いっとき》凍りついたのだ。

アチャーリアの反応は驚くに当たらない。現代の知識労働《ナレッジワーク》の大前提として、〝電子メールは我々を救った〟と一般的に考えられているのだから。秘書が受話器を耳に当てて伝言を書き取り、紙の文書がメールカートから各デスクに配られるような昔ながらの紙だらけのオフィスは、メールの登場によって、より洗練された、より効率のよい空間に変わった。この前提に立って考えると、あなたが電子メールやインスタントメッセージといったツールに振り回されているのは、あなたの職場習慣がお粗末なせいだ。メールはまとめて処理し、通知はオフにし、件名はもっとわかりやすくすべし!同じように、受信箱が未処理メールであふれかえって手に負えなくなっているなら、組織全体の行動様式を改善し、メールの返信にかかる時間を短縮するなどの手当が必要だということになる。しかし、現代の仕事とほぼ同義となっている絶え間ない電子的コミュニケーションに本当に価値があるのか、懐疑の目が向けられることはない。それを疑うのは、馬で移動していた時代や蝋燭《ろうそく》の灯りのロマンを懐かしむようなものだ。

この観点からいえば、アチャーリアが経験した〝暗黒の火曜日〟は、たしかに災難だ。しかし、それこそが私たちの勘違いなのだとしたら。メールはナレッジワークを救ったのではなく、ちっぽけな利便性と引き換えに真の生産性(目の回るようなうわべの忙しさではなく、正真正銘の成果)を低下させ、この20年の経済成長の足を引っ張ってきたのだとしたら。これらの電子ツールにある問題の原因は、容易に解決できるのに放っておかれている悪習慣やゆるすぎる基準ではなく、私たちの働き方の本質が、短期間で劇的に、しかも予想外の形で変容したことにあるのだとしたら。〝暗黒の火曜日〟は災難などではなく、そう遠くない将来、先進的な経営者や起業家がどのように仕事を采配《さいはい》するかを垣間見るチャンスだったのだとしたら?

電子メールは仕事をどう破壊してきたのか。この5年ほど、私はこのテーマのリサーチに打ちこんできた。2016年、私の著作『大事なことに集中する──気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法』(ダイヤモンド社)が予想を上回る売れ行きを記録して、この探究の旅に重大な転換点が訪れた。『大事なことに集中する』では、知識産業が集中力を過小評価していることを指摘した。デジタルツールを使った迅速なコミュニケーションは、有用ではあるが、それに頻繁に注意を奪われて集中ががれ、その集中力の欠如は、価値ある成果を生み出す能力に想像以上の打撃を与えている。とはいえ『大事なことに集中する』では、知識労働者《ナレッジワーカー》が受信箱で溺おぼれかけている原因を解明し、根本的な変革を提案することにはさほど時間をかけなかった。その問題の原因は、主に情報不足だと考えていたからだ。集中して仕事に取り組むことの重要性に気づきさえすれば、企業や組織はそれを最優先に考えて業務を改革するに違いないと信じていた。

だが、私は楽観的すぎたようだ。『大事なことに集中する』のプロモーションで全国を回りながら経営者と労働者の両方から話を聞いたり、関連トピックを取り上げた記事をブログで公開したり、あるいは《ニューヨーク・タイムズ》紙や《ニューヨーカー》誌に寄稿したりしたことが、問題をもっと多面的に検討する機会となった。知識産業は思っていた以上に深刻な現状に置かれている。絶え間ないメールのやりとりは、単に本質的な作業を進める邪魔をするだけではない。本質的な作業を進めるプロセスと密接にからみ合って、もはや切り離せない一部となっている。職場習慣を改善する小ワザや〝毎週金曜はメール禁止デー〟といった一過性の社内キャンペーンで注意散漫を防ごうとしても、いまさら歯が立たない。真の改善を求めるなら、抜本的な変化を起こすしかないのは明らかだ。しかもその変化をいますぐ起こさなくては手遅れになることも明白だった。メール処理が追いつかないという問題は、多忙なナレッジワーカーならではの悩みとして2000年代初めに登場したが、ここに来て深刻度合いを一気に増し、ついには本当に生産的なアウトプットのための時間は、早朝や終業後、あるいは週末に押しやられ、平日は受信箱との終わりなきバトルにひたすら挑むという飽和点に達している。そんな働き方は人をみじめにするだけだ。

本書は、この危機を打開するための一つの提案だ。絶え間ないコミュニケーションが日常として定着するに至ったのはなぜか、その常時接続文化が生産性とメンタルヘルスの両方にどのような影響を及ぼしているのか、手に入るかぎりの知見を集めて検討し、その代わりとなる働き方にはどのようなものがあるか、現状でもっとも説得力のある展望を探る。〝メールのない世界〟というアイデアは野心的すぎ、ニッシュ・アチャーリアはそれを耳にするなり絶句した。しかし私は、それは実現可能であるだけでなく、それ以外の未来はないと確信するに至った。本書の目標は、来きたる大変革の青写真を示すことだ。この本の内容をわかりやすく要約するには、私たちがいま直面している問題を正確に理解するところから始めなくてはならない。

1980年代から90年代にかけて知識産業に浸透した電子メールは、革新をもたらした。大規模コミュニケーションをこれまでになく容易にしたのだ。この新しいツールのおかげで、仕事の上でつながりのある人々とのコミュニケーションに費やされる時間と社会関係資本はほぼゼロになった。クリス・アンダーソンは2009年の著作『フリー ──〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(NHK出版)で、コストがゼロに向かう力学は「とてもミステリアス」と述べている。無料のコミュニケーション手段の登場をきっかけとして起きる変化を予測した人はいないに等しかった理由の一つはそれだ。従来のボイスメールやファックス、連絡メモが、新しくていっそう便利なデジタルツールに置き換えられただけではない。職場の日常を支える〝ワークフロー〟が様変わりしたのだ。交わされるやりとりは以前とは比べものにならないくらい増えた。かつての職場の日常は、一人ひとりが黙々と進める仕事の目の粗いつぎはぎだったが、その粗さは取り除かれ、絶え間ない電子のおしゃべりでった一枚布に変わり、かつて私たちが実務と考えていたものと混じり合って、境界線は曖昧《あいまい》になった。

ある研究によると、2019年時点で、平均的な労働者は1日に126通のメールを送受信しており、これはおよそ4分ごとに1通を処理している計算になる。レスキュータイムというソフトウェア会社が自社のタイムトラッキングソフトウェアを使ってユーザーの操作ログを集計したところ、平均的なユーザーは電子メールソフトやSlack などのインスタントメッセンジャー・ツールを6分に1度チェックしていた。カリフォルニア大学アーバイン校も同様の実験を行ない、ある大企業の従業員40名のパソコン使用状況を12就業日にわたって追跡した。その結果、ユーザーは平均で1日に77回メールの受信箱をチェックし、最大では1日に400回以上にも達していた。アドビ・システムズが実施した調査では、ナレッジワーカーは1日の3時間以上を仕事関連のメールの送受信に費やしていると自己申告した。

とすると、問題はツールではなく、それによって登場した新しい働き方だということになる。この新たなワークフローをより深く理解するために、ここで名称と定義を与えよう。

注意散漫な集合精神《ハイパーアクティブ・ハイブマインド》
電子メールやインスタントメッセンジャーなど、デジタルなコミュニケーション・ツールを介して飛びこんでくる散発的で予定外のメッセージによって推進される、継続的なコミュニケーションを中心とするワークフロー。

注意散漫な集合精神というワークフローは、知識産業にあまねく存在する。コンピューター・プログラマーであろうと、マーケティング・コンサルタントや経営者、新聞の編集長であろうと、あるいは大学教授であろうと、ナレッジワーカーの1日の大半は、組織内で絶えず行なわれている集合精神の会話に対応することに占められている。6分に1度は新着メールをチェックし、1日の就業時間の3分の1以上を受信箱で費やしている原因は、このワークフローにある。私たちはもうすっかり慣れているとはいえ、近い過去に限定して歴史を振り返ったとしても労働文化の根本的な変化を表すものであり、これは綿密に調べずに放っておくわけにはいかない。

公平を期していえば、注意散漫な集合精神は決して悪いものではない。このワークフローにはいくつかメリットがある。たとえば、シンプルだし、きわめて柔軟だ。ある研究者の解説によると、メールの魅力の1つは、およそどんなタイプのナレッジワークにも適用可能である点だ。業務タイプごとに専用に作られたデジタルシステムの使い方を覚えるのに比べると、学習曲線がはるかに小さくてすむ。また決まった形がない自由な会話は、想定外の問題の発生に気づいてすばやく対策を講じるのに効果的だ。

だが、本書の第1部で論じるように、メールに支えられた注意散漫な集合精神ワークフローは、まるきりの役立たずであることがすでに判明している。この失敗の理由は、人間の心理にある。集団規模が少しでも大きくなると(たとえば2人とか3人よりも増えると)、このような定まった形を欠いたチーム作業は、ヒトの脳が進化を通じて獲得してきた機能とまるで嚙み合わなくなるのだ。集合精神に依存した組織では、メンバーの誰かが長時間受信箱をチェックせずにいると、それだけで組織全体の業務が滞ってしまう。一方で、集合精神と絶えず交信していると、おしゃべりから仕事へ、仕事からおしゃべりへと、注意を向ける対象をせわしなく切り替える結果になる。後述するように、心理学と神経科学の先駆的な研究によって、たとえ一瞬のことであっても作業文脈の切り替え《コンテキスト・スイッチ》は、心的エネルギーの観点からは大きな損失になる──認知パフォーマンスは低下し、疲労が生じて能率が悪化する。他人に仕事を振ったりフィードバックを依頼したりするのが簡単になれば、短期的には業務が円滑に進んでいると思えるが、このあと議論するように、長期的にはおそらく生産性の低下につながり、同じ成果を達成するのにかえって多くの時間と労力がかかる。

本書の前半ではほかに、集合精神ワークフローにある社交的な要素は人間の脳の社交回路と衝突するという現実についても詳しく解説する。受信箱にたまっている600通の未読メールは重大な問題ではないし、送信した人物だって「返信が遅すぎる」とぶつぶつ言いながら画面をにらみつけて待つほど暇ではないはずだと、誰もが理屈の上ではわかっている。しかし脳の奥底にある部位──旧石器時代以降の人類のめざましい進歩の立役者となった社交活動を規定するルールに違反しないようつねに気にしている部位は、それを社交上の礼儀に反する行為と考えてそわそわし続ける。脳の社交回路から見れば、部族のメンバーが関心を引こうとしているのにあなたはそれを無視しているわけで、それこそが即座に対応すべき緊急事態なのだ。その結果、あなたはつねに不安につきまとわれる。そして受信箱に束縛されたナレッジワーカーの多くは、BGMのごときこの低レベルの不安は仕事につきものととらえるようになっているが、実のところ、最新式のツールと私たちの旧式な脳のミスマッチから生まれた副産物なのだ。

そうなると、好ましくない特徴ばかりのワークフローを知識産業が受け入れたのはいったいなぜかという疑問が浮かび上がる。第1部の後半で説明するように、注意散漫な集合精神誕生の背景には、込み入った物語がある。誰かが「これはいいアイデアだ」と判断して採用したわけではない。むしろ集合精神のほうが自らの意思で誕生したといってもいい。せわしないコミュニケーションの連続=仕事という考えは、複雑な力学が働いて起きた急激な変化を理解するために後づけされた物語にすぎないのだ。

現在の働き方は正当な根拠なく定まったものであると認識できれば、まずはよりよい道を探そうという気になるだろう。それこそが第2部が目指すゴールだ。第2部では、〝注意資本理論〟と私が名づけた枠組みを提案し、それをもとに、脳の本来の実力を引き出すことを目標に設計されたプロセス、しかも無用にみじめな気持ちにならずにすむようなプロセスを中心としたワークフローを作る方法を探っていく。自明の理かもしれないが、新しいワークフローは実際、一般的に受け入れられているナレッジワーカーのマネジメントに対する考え方とは真っ向から対立する。後述するように、絶大な影響力を持つ経営思想家ピーター・ドラッカーの影響もあって、私たちはナレッジワーカーを自律的なブラックボックスであると考えがちだ。つまり、一人ひとりがどうやってアウトプットしているか、その詳細には目を向けず、明白な目標を与え、意欲を引き出すリーダーを選ぶことが肝心だと考える。これは誤りだ。知識産業には、いまはまだ発掘されていない生産性が眠っている。この生産性を目覚めさせるにはまず、複数の頭脳をネットワークで接続し、もっとも持続可能な方法で最大の価値を生み出すという基本目標を達成するにはどうしたらよいのか、現状よりずっと体系的に考え直さなくてはならない。一つヒントを挙げておこう──正解にはおそらく、6分ごとのメールチェックは含まれない。

第2部の大半は、注意資本理論を適用して設計し直すための原則を模索する。注意散漫な集合精神から離れ、第1部で詳細に検討するような常時接続型コミュニケーションの問題を回避して、よりシステマチックなアプローチへと組織やチーム、個人の仕事を向かわせるようなワークフローを再構築する。それらの原則を支える概念のいくつかは、散発的なコミュニケーションを最小限にするために新しいワークフローを試験的に導入した組織の最新の事例から引き出されたものだ。そのほかは、デジタルネットワーク時代が到来する前に複雑なナレッジワーク企業を効率的に機能させていたワークフローを踏み台としている。

第2部で紹介する原則は、メールやインスタントメッセンジャーのようなコミュニケーション・ツールを排除せよと言い募るものではない。そういったツールは、コミュニケーションの便利な手段であり続けるだろうし、仮に私が自分の主張の正しさを証明するために旧式で利便性の低いテクノロジーに戻ろうと提案するとしたら、それは単なる時代錯誤だ。とはいえ、第2部で紹介する原則は、デジタルなコミュニケーションの発生頻度を〝つねに〟から〝ときどき〟程度に低下させる。ゆえに、本書の原題の〝メールのない世界〟とは、SMTPやPOP3といったメール送受信プロトコルが放逐された場所を指すのではない。将来、あなたが一日の大半を過ごすようになる場所──仕事について 話す場所ではなく、小さなタスクをメッセージに載せて延々とたらい回しにする場所でもなく、困難な仕事にじっくり集中して取り組める場所を指す。

できるだけ多くの読者が応用できる提案にするよう心がけたつもりだ──自社の業務を徹底改善したいと考えている経営者、より効率的な仕事の進め方を模索しているチーム、生産価値の最大化を目指している一人起業家やフリーランサーはもちろん、注意資本の観点から自分のコミュニケーション習慣を見直して最大限に活用できるようになりたいと考えている社員の一人ひとりまで。そのため本書で取り上げる事例は、企業風土の改革を狙う大企業のCEOから、ソフトウェア開発の手法を拝借して大学教授としての管理業務を受信箱から引き上げ、よりシステマチックな形式に移行した私自身の例まで、多岐にわたっている。

しかし、第2部の提案のすべてがあらゆる状況に当てはまるわけではない。たとえばあなたが、注意散漫な集合精神の祭壇をいまも崇拝している企業の社員である場合、同僚を怒らせずに実行できる改革は一部に限られるだろう。したがって、どの戦略を取り入れるか慎重に選ばなくてはならない。(取捨選択の参考にしてもらうため、ケーススタディを紹介し、異なる文脈において原則がどう適用されたかがわかりやすいよう配慮してある。)同様に、あなたがスタートアップ企業の経営者であれば、大企業のCEOである場合に比べて、革新的なワークフローを実験的に導入する自由は大きいだろう。

しかし、個人であろうと企業であろうと、注意散漫な集合精神ワークフローに疑問を抱き、その構成要素の一部を人間の脳の働きになじみやすい業務プロセスに少しずつ置き換えていけば、それが同業者と競争するうえで相当な強みになるはずだ。仕事の未来はいよいよ認知的になろうとしている。つまり、脳の働きに注目し、その限界をできるだけ補うような戦略をいまのうちに模索して、注意散漫な集合精神とは便利ではあっても、成果を出す手段としては絶望的に効率が悪いと理解しておくに越したことはないのだ。

だから、本書を復古主義や反テクノロジーとは受け止めないでほしい。それどころか、本書のメッセージは完全に未来志向だ。職場のデジタルネットワークの潜在力を十二分に引き出したいなら、継続的かつ積極的にその使い方を最適化する努力をしなくてはならない。注意散漫な集合精神の欠点を解消しようと試みるのは、決して技術革新に異を唱える行為ではない。進歩を本当に妨げるのが何かといえば、いっそうの改良を図る努力を怠り、現状の劣ったワークフローのぬるま湯にのんびり浸かっているような態度だ。るま湯にのんびり浸かっているような態度だ。

そう考えると、メールのない世界は時代に逆行するものではなく、私たちがやっと理解の入口に立ったばかりのテクノロジーの輝かしい未来に向けた前向きな一歩なのだ。ナレッジワークの分野にはまだ、自動車製造の世界に革命を起こしたヘンリー・フォードのような人物は誕生していないが、製造業におけるライン生産方式の導入に負けない大きな影響をもたらすワークフローの革新は、遅かれ早かれ起きるだろう。この未来について具体的な予言はできない。それでも、その未来では、私たちは6分ごとに受信箱をチェックしてはいないはずだ。メールのない世界はまもなく到来する。その世界が秘めている可能性を思い、私は期待に胸を高鳴らせている。本書を読んで、同じような期待を抱いてもらえれば幸いだ。


★読者モニターからのコメントは以下でご紹介中です
①「もうこれなしでは今後の働き方を考えることはできなくなりました」
②「21世紀のナレッジワークにおける「産業革命」の起爆剤となり得る一冊」

★訳者・池田真紀子さんのあとがきも特別公開中!
あなたの注意を無限に奪う「作業文脈の切り替え(コンテキスト・スイッチ)」とは?

書誌情報

『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』

著者:カル・ニューポート
訳者:池田真紀子
判型:四六判並製単行本
定価:2,090円(10%税込)

著者紹介

カル・ニューポート(Cal Newport)
ジョージタウン大学准教授(コンピューター科学)。1982年生まれ。ダートマス大学で学士号を、MIT(マサチューセッツ工科大学)で修士号と博士号を取得。2011年より現職。学業や仕事の生産性を上げ充実した人生を送るためのアドバイスをブログ「Study Hacks」で行なっており、年間アクセス数は300万を超える。著書にニューヨーク・タイムズ・ベストセラーとなった『デジタル・ミニマリスト』(早川書房刊)のほか、『今いる場所で突き抜けろ! 』『大事なことに集中する』などがある。

訳者紹介

池田真紀子(いけだ・まきこ)
翻訳家。1966年生まれ。上智大学卒業。訳書にニューポート『デジタル・ミニマリスト』、パラニューク『ファイト・クラブ』『サバイバー』、ジェイムズ『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』、タッデオ『三人の女たちの抗えない欲望』(以上早川書房刊)ほか多数。



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