元年春之祭

『元年春之祭』クロス・レビュー第2弾! 「文章の美しさ、端正さ」――立原透耶

前回に引き続き、現在発売中の「ミステリマガジン」11月号に掲載されている『元年春之祭』クロス・レビューより、中国文学研究家・作家の立原透耶氏にご執筆いただいたレビューを特別掲載いたします。

文章の美しさ、端正さ

立原透耶(中国文学研究家・作家)

 待望の日本語訳、日本での出版である。これほど期待され、またこれほど望まれた中華ミステリ作家(それも大陸)はそういないのではないか。陸秋槎、一九八八年、中国・北京生まれ、上海の名門大学である復旦大学文学部を卒業。在籍当時、ミステリ研究会に入り、日本の推理小説を愛読、短篇小説「前奏曲」で第二回華文推理大賞の最優秀新人賞を受賞、ミステリ作家への道を歩み始めた。実は彼については本書の出版の前にインタビューを行い、丁寧に答えていただいたというご縁がある(《TH》71号72号/アトリエサード 参照のこと)。
 インタビューの詳細は雑誌を読んでいただくとして、ここでは本作の魅力やポイントについて語ってみたい。
 中国が舞台のミステリ、というと日本の読者は何を想像するだろうか? そもそも中国にミステリはあるの? という疑問を抱かれる方もおられるかもしれない。答えは簡潔……あるんです。中国の古典小説には「公案」ものと呼ばれるジャンルがあり、ここでは名裁判官や名官吏の下した判決や謎解きがたくさん記されている。歴史に即したもの、そこから発展してファンタジーや怪談になるもの、内容は多岐にわたる。有名な人物では包公と呼ばれる実在の名裁判官などが挙げられる。彼の物語はのちに日本に輸入され、かの大岡越前の元ネタになったほどである(だから大岡裁きというのは、かなりの割合で包公裁きということができる)。近いところではドラマでおなじみの『半七捕物帳』の元ネタとしても活用されていて、中国古典の推理小説を現代日本がどのようにアレンジしたのかを比較してみるのも面白い。他にも外交官だったオランダ人作家のファン・ヒューリックが、中国で実在した狄(デイー)判事をモデルにして推理小説を書いており、こちらは日本語訳も出版されている。あるいは古くは宋代にすでに検死に関する専門書が記されており、それを元にして物語が生まれただけでなく、実際に検死が行われていたようである。
 さらに近代に入ると中国でドッと海外のミステリ小説が翻訳されるようになり、ホームズやルパンが大人気、中国製ルパンやホームズも登場するようになる。この辺りから中国ミステリの流れは変化し始め、古来の裁判ものから私立探偵の登場、いわゆる我々の想像するミステリへと移っていく。やがて日本のミステリが大量に翻訳され、書店に行けば「日本推理」のコーナーがどーんと陳列される有様。ミステリというと海外の作品、というイメージになる。
 もちろんそんな中でも、中国の作家によるミステリを育成しようという動きはあった。ただ海外ミステリの人気に押されて、なかなか読者を獲得しにくいというデメリットがあり、かなり苦戦したようである。しかし台湾を中心とした島田荘司推理小説賞(二〇〇八年~)の設立によって、最初は台湾、香港、続いて中国大陸、華僑……と受賞者の幅が広がっていき、そこに勢いを得たかのように中国大陸でも複数のミステリ大賞が設立されるようになる。
 本書の作者、陸秋槎もそんな大賞の一つを受賞した作家である。本書を最初に原文で読んだ時、まず最初に感じたのは文章の美しさ、端正さであった。中国語としての美しさは飛び抜けており、文学的な素養の高さが、その文章を通じて伝わってきたほどである。中文学科を卒業しただけではこのような教養溢れる、整った、奥深い文章が書けるわけではない。これは作者自身が、中国の文学と文化に深い興味と理解を抱いて、それを自分のものにしているからこそ表すことのできる境地である。さらに作品を読み進めて驚いたのは、描かれる世界、トリック、犯人、動機、全てが「古代中国でなければ存在しえない」ものである、という点である。もちろん、国を入れ替えたり、時代を入れ替えても成り立つというミステリだって、この世にはたくさん存在する。それは悪いことではない。しかし本書の場合は、国や時代、登場人物を入れ替えれば、物語も犯人の動機も成立しなくなってしまう。そこがすごいのである。ましてや、読者を煙に巻くような、滔々(とうとう)と述べられる古典文学、古典哲学の数々。それらが意味もなく述べられているわけではないのは……最後まで読めばわかるように構成されている。「えええ、犯人の動機って……」と驚いて、もう一度最初から丹念に読み直すと、なるほどここにもそこにも、というか、すでにこんなところで動機がわかるようにヒントが!! というのはさすがとしか言いようがない。ミステリのトリックや犯人の動機などは、日本のミステリにも通じるものがあり、作者が日本ミステリに多大な影響を受けたと述べていることからも、その片鱗がかいまみえるかもしれない。
 本作も長篇第二作にも通じるのは、少女たちの切なくも美しい関係である。こういったものが好きな人にはたまらない青春小説であるとも言えよう。ぜひ二作目も翻訳をご検討いただきたい。

『元年春之祭』陸秋槎/稲村文吾訳
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