ウェイプスウィード文庫カバー_cmyk

瀬尾つかさ「ウェイプスウィード」③ 知性を持つ巨大な白い花

7月5日(木)発売の瀬尾つかさ氏による海洋SF『ウェイプスウィード ヨルの惑星』。第1話の全文公開その3を公開します。(前回はこちら


 ウェイプスウィードは海草の集合体である。いや、菌類と藻類の共生体といった方がいいかもしれない。
 その正体はといえば、大量の海草を、ミドリムシの変異体であるエルグレナと、ねばねばする肉食の菌類ミセリウトが接続し、ひとつの巨大な群体とした複雑な構造体であった。
 遠く上空から見たそれは、さながら一輪が全長数百メートルから数十キロメートルにわたる、百合のように白い、しかしはてしなく巨大な花であった。
 花の数は、現在、地球全体で数百が確認されていた。生息域は熱帯から亜熱帯かつ、根元は深度百メートル前後の海底である。
 ウェイプスウィードが繁殖する海域では、水が澄んでいる。プランクトンなどの不純物を獰猛な菌類であるミセリウトが片っ端から捕食し、花の部分をかたち作る栄養にしてしまうのだ。
 そうしてエルグレナと水面下の海草が、充分な光合成を行えるようにする。丈夫な海草に支えられ、白い花は成長する。
 ときに栄養が足りなくなると、大旋回と呼ばれる構造体の回転が始まる。まるで扇風機のように花全体が回転するのだ。海が攪拌され、渦をまき、周囲の魚やプランクトンをかき集め、それをまた食べて、白い花はさらにさらに成長する。
 どういうタイミングで大旋回が起こるのか、どうしてそこまでして構造体が巨大化するのか。研究は遅々として進んでいない。ウェイプスウィード内部に放り込まれた探査機はたちまち消息を絶ってしまった。周辺には凶暴な肉食魚の存在も確認されている。地元の人々はウェイプスウィードが繁茂する一帯を悪魔の海域として恐れ、あるいはこれを神のしもべとして崇めてすらいた。
 ウェイプスウィードは高い知性を持っている、と主張する学者は少なからずいる。もしそうだとすれば、人類は初めて自分たち以外の知的生命体と出会ったことになる。もっともウェイプスウィードを構成するために必要不可欠なエルグレナをつくり出したのは人類であるし、そもそもウェイプスウィードが本当に知的生命体であるという証拠など、どこにもない。
 ケンガセンのチームは、ウェイプスウィードの知性に対して懐疑的な立場だった。とはいえこの構造体が気味の悪いほどよくできたメカニズムを持っていることは間違いない。得体のしれない生命であることに疑いの余地はないのである。
 そんな厄介なもののど真ん中に、シャトルが沈んでいる。
 シャトルに積まれた各種機器による解析は、さぞや進んでいるのだろう。だがそれを回収するためには、全長七キロの大型ウェイプスウィードの中を、ビーコンだけを頼りに探索しなければならない。
 ケンガセンは村が用意してくれた電動ボートの上から、じっと彼方の碧い海を見つめた。少し先で色が変化し、透明度が極端に高くなっている。この先がウェイプスウィードの支配領域ということだ。
「ボートはここで二時間、待機してくれる」
 ヨルがいう。いつもの貫頭衣ではなく、上下一体型の紺の水着を着て、その上から風除けのジャケットを羽織っている。水着の正面にペイントされたメーカー名は、コロニーでおなじみのものだった。ボランティアの投下したコンテナに入っていたものなのだという。そのかたわらでは、潮風が嫌いだというドラが透明なビニール袋に包まれて転がっていた。
「ヨル、あまりボートの端に寄らないように。落ちたら一大事です。わたしのように、重心を低くしているのがいちばんよいのです」
「ドラ、床に転がって、だらしない」
「わたしはボートから落ちないために、最適の体勢を取っているだけです」
 昼下がりだった。おだやかな海だ。全長十メートルほどのボートによって曳航されてきた潜水艇は、いまボートの右舷にぷかぷか浮いていた。ケンガセンはこれからこの潜水艇でウェイプスウィードに乗り込むのである。
 ここまでボートを運転してくれた初老の村人が、真剣な顔でなにごとかいうと、ケンガセンの肩を叩いた。
「ヨル、なんていっている」
「身体を水に浸けるな。くれぐれも」
「いわれなくても、そんなつもりはないさ」
 ボートに横づけされた潜水艇に足をかけ、ケンガセンは首を振った。
「おれはこれでも、ウェイプスウィードの専門家だ。ウェイプスウィードを構成する菌糸ミセリウトは、酸性の液体を分泌する。ごく少量ならたいしたことはないが、万一ということもあるしな。気をつけるとするよ」
「うん、気をつけた方がいい」
 ヨルはかたわらの村人から粉末の入った瓶を受け取り、潜水艇にざっと振りかけた。
「念のため、やっておく」
 ハーブのような強い香りが周囲に漂う。潮の臭いと混じって、呼吸が少しつらい。ケンガセンは顔をしかめた。
「なんだ、それは」
「キマの葉をすりつぶしたもの」
「まじないか」
 ヨルは顔をしかめて首を振った。そうだった、彼女は迷信とかまじないとか、そういったものが好きではないのである。
「菌糸除けの香草」
「そんなものがあるのか」
「このボートの底にも、たっぷり塗ってある」
 そういわれれば、いまのハーブの臭いは島のあちこちで嗅いだことがあるような気がした。
 ヨルの説明によると、キマという名の草は島嶼群と呼ばれる島々であたりまえに採れるものらしい。この草が群生するからこそ、島嶼群はウェイプスウィードから守られているのだという。
「初耳だ」
 いや、そうだろうか。ケンガセンはふと、とある実験のレポートを思い出していた。エルグレナがある種の薬品をことに苦手にしている、という実験結果だったはずだ。あのとき名前があがっていたものの中に、現在、地球上に繁茂するある種の草が存在したはずなのである。
 そう、確かその草が分泌するある種の酵素は、エルグレナの葉緑体を根こそぎ破壊し尽くすのだ。葉緑体を失ったエルグレナはミセリウトから排除される。幸福な共生関係は終わりを告げる。
「知識を持ちながら目の前の現実に生かせないような研究者にはなるな、っていわれたんだがな」
 苦笑いする。不思議そうに首をかしげるヨルに、「故郷の先生の言葉だよ」と答えた。
 天才とうたわれ増長していた十代の少年は、そんな恩師の言葉を聞き流していた。そんな間抜けにはならない、と信じて、木星圏を飛び出した。
「やれやれ、レポートの内容と目の前にある生活の知恵を結びつけるのにも苦労するとは」
 あれから十年以上が経つ。研究者としての自分の才のなさ、発想の貧困さにはつくづく呆れ果てるばかりだ。
「ケンガセン、あの、わたし、なにか悪いこと……」
「ああ、いや、自分が情けなくてな」
 自分はいま、はたしてどんな顔をしていたのだろう。ケンガセンはヨルを安心させるように笑うと、ハッチを開けて潜水艇にすべり込んだ。
 たったひとつしかないシートに深く腰かけ、内部の電源を起動する。オートモードが解除され、モーターの震えが狭い室内に伝わる。揺れがちいさくなった。バランサーが働いたのだ。
「そうだな。実際に来てみなきゃわからんこともあるってことだ」
 おそろしいほどの湿気も、島嶼群での暮らしも、彼らとウェイプスウィードとのつきあいかたも、そしてもちろんキマの葉のことだってそうだ。コロニーの実験室に籠ってばかりいる研究者が知らないことなど、山ほど存在する。
 来てよかった。ケンガセンは心から思った。つらいことも多い地球での日々だが、それでもやはり、降りてきてよかった。
『ケンガセン、今日は偵察。はやめに戻って』
 ボートにいるヨルの声が聞こえてきた。彼女は耳に受信機を、口内に発信器を埋め込んでいる。『ばあちゃん』と会話するためだという。『ばあちゃん』が衛星からのデータを解析し、ヨルを中継点としてケンガセンの乗る潜水艇に航路データを送信するのだ。
「わかっている。ウェイプスウィードのまわりをうろつくだけだ。一時間で戻る」
 潜水艇をゆっくりと沈降させていく。
 このあたりの海底までの深さは、せいぜい百メートルといったところだ。透明度が高いため、かなりの深度でも太陽の光がよく通る。見晴らしがいい。
 魚の姿が多かった。
 銀の鱗を持つ全長一メートルほどの大型魚が数匹単位で編隊を組んでいる。たまにサメのような獰猛な魚の姿も見える。だがそれも、あるラインまでだ。本当に透明度が高くなる一線を越えた途端、景色が激変する。
 青緑色の海草でできた巨大な絨毯が、眼下に延々と広がっていた。絨毯から無数のひょろ長い木々が生え、海の森を成している。森の中を泳ぐのは、おおきくてもせいぜい親指くらいしかない小魚たちだった。
 苔がないな、とケンガセンは思った。時折、顔を出す岩棚のどこにも、蔓草や苔の類が見られない。
 どこか気味が悪い。ケンガセンはモニターに映る画像をアップにした。
 呻く。小魚たちは、そのいずれにも口がなかった。本来、口がある正面に、まるで鼻のようなかたい突起部が存在した。
「そういやこいつら、鰓から吸い込んだ水中のプランクトンを食ってるんだよな……」
 それがウェイプスウィード内を漂う菌類であるミセリウトを吸い込まないための進化の知恵であると、同僚の研究者がいっていた気がする。吻と呼ばれるかたい前面の突起部は、大旋回のとき海草に突き刺し、吹き飛ばされないようにこらえるために使用するのだろうか。
 さらに前進すると、正面に純白の壁が見えてきた。ウェイプスウィードの中枢たる、ミセリウト-エルグレナ共生体だ。
 あの中で未知のエネルギーが観測されている、という報告もあった。いったいなにが起きているのか、宇宙からの観測ではさっぱりわからない。いままでの簡素な無人探査機は、いずれも内部に送り込まれた途端、消息を絶ってしまった。現在はケンガセンが乗ってきたシャトルが、単独で観測活動を行っているはずだ。
『ケンガセン、三十分が経過した』
 ヨルの声が聞こえてくる。
『そろそろ戻って。この先、菌類の濃度、無視できないほど濃い』
「了解した。ま、肩慣らしならこんなもんだろう」
 いまのところ潜水艇の機能に支障はなかった。ケンガセンはゆっくりと球形の船体の向きを変える。
 とたんに周囲の海流が変化した。徐々に勢いを増しはじめる。下方を仰ぐと青緑色の絨毯がゆっくりと蠢いていた。
『大旋回が始まる。急いで』
 切迫した声が狭い室内に響く。
『周期が早すぎる。普通じゃない』
「おれのせいなのか」
 返事はなかった。
 小魚たちがいつの間にか身を隠していた。おそらくは青緑色の絨毯のところどころに存在する隠れ処に身を潜めたのだ。絨毯と一緒に回転してしまえば、中央に流されることはない。
 だがウェイプスウィード外縁に隠れ潜むには、全長三メートルの球形の潜水艇は少々おおきすぎた。
 海流はますます激しさを増している。船室がおおきく揺れる。正面のモニターに映る純白の壁が、心なしか近づいてきている気がする。
『中心に引っ張られてる』
 ヨルの声に焦りの色が見える。
 仕方がない。ケンガセンは潜水艇のエンジンを全開にした。ヨルが示す脱出経路になんとか船体を乗せる。
『そのまま海流に対して斜めに脱出する。ボートは一度、この場を離れる。気をつけて』
「そっちこそ、健闘を祈る」
 ヨルの応答はなかった。距離が離れすぎたか。ケンガセンは寂寥感を味わった。木星から身ひとつで飛び出してきた頃の、あの感じだ。
 あの頃は寂寥感を埋めるほどの情熱があった。新天地で学問を修めるのだと信じていた。
 木星圏で十年にひとりといわれた男は、しかし地球圏に来て鼻っ柱を折られ、そこそこの凡才としていま、こんな地球の海中にいる。
 だけど、とケンガセンは思う。これは自分が選んだ道なのだ。口もとで笑う。
 舵を切りながら航路を再計算。微妙な海流の速度の差異を見つけ、流れに乗って加速する。
 潜水艇は渦の外へ勢いよく飛び出した。
 離れたところからウェイプスウィードの方角を振り仰ぐと、まさに竜巻のように激しい渦を巻く巨大な構造体の姿が一望できた。
 青緑色の絨毯はいまや扇風機のファンとなって、激しく海水を切り裂いている。中央の白い部分は、海流に遮られてもはやまったく見えなかった。
「……あんなところにのこのこ入っていっちまったのか、おれは」
 改めて、背筋に寒気を覚えた。

(その4へ続く)

 『ウェイプスウィード ヨルの惑星』
瀬尾つかさ/ハヤカワ文庫JA
イラスト:植田亮

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