『名作ミステリで学ぶ英文読解』刊行記念 越前敏弥さん×阿部公彦さんトークイベント「海外ミステリで読解力をみがく」(後篇)
『名作ミステリで学ぶ英文読解』(ハヤカワ新書)の刊行を記念し、昨年10月に青山ブックセンター本店で開催された、著者の越前敏弥さんと英文学者の阿部公彦さんによる対談を特別公開します(後篇)。後篇では翻訳文芸のタイトルのつけ方や英語の学習方法などについて語っていただきました。引き続きご堪能ください!
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執筆の話①――「ですます」調か「である」調か
越前 解説の本を書く時は、自然とですます調にしちゃうんですよね。今回は新書だから「だ」「である」でいこうと思ったんですけど、ですます調にしちゃうのはなんでだろうな。
阿部 先生的にふるまいやすいということなんですかね。
越前 翻訳家というよりも、予備校の先生として書いているのかもしれないですね。阿部さんの本はですます調でしたっけ?
阿部 半々くらいですね。
越前 今回の本は、こぼれ話はですます調にしたり、最初のあらすじと概略のところは常体にしたり、使い分けてみたんですがなんだか落ち着かない。
阿部 何層かにわたって説明がある場合、語釈は短くするために「だ」「である」にしたくなりますよね。それも不思議と言えば不思議なんですけど。
越前 文庫解説やあとがきだと、どっちで書くか迷うことがあります。あとがきは、たいてい「だ」「である」で書くんですけど、「です」「ます」で書きたくなる作品というのがあります。歴史的な背景みたいなものを詳しく説明しないといけない本は、なぜか、ですます調にしたくなるんですよ。自信のなさが出ているのかもしれませんね。もともと知っていたことじゃなくて、自分で調べて受け売りみたいなことを書いているから、なんとなくですます調にして逃げているのかなと思ったりとか。
阿部 私の感じでは、ですます調にしたほうが、書いているうちにいろいろ書けてしまう感じがあります。今までであたりまえのように使っていた概念を改めて自分で説明したりほぐしたりしないといけないので、自分のための思考実験というか、自分でわかっているつもりのことを改めて問い直すのにちょうどいい。啓蒙書というと何かえらそうな感じがしますけど、そういう入門的なものを書くためにはすごくいい気がします。
越前 自分自身を納得させながら書くということですね。
阿部 そうですね。去年に出た、平尾昌宏さんの『日本語からの哲学』(晶文社)という本は、「なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?」という、いかにもおもしろそうな副題がついて話題になりました。この本では、「である調」はひとりで独白のように語ることを許すという見方をとっています。一方「ですます調」は、相手が想定される語り方なので、うそがつけないということを指摘している。うそをつけるのは、「である調」の方なんです。
確かにそうだなと思いました。「である」「~にほかならない」というと、たとえ信憑性が高くないことでも言葉にできてしまう。でも、「ですます調」ではそういうことはやりにくい。論文はある種、ルールがわかっている者同士による、限定的な領域で情報を共有する世界なので、「ですます調」にしてしまうとそこが成立しにくくなるのだと思います。
執筆の話②――タイトルをどうつけるか?
阿部 越前さんのご著書で『翻訳百景』(角川新書、2016年)という本がありますが、この中で出てくるタイトルのつけ方の話がおもしろかったです。『飛蝗の農場』〔編集部注:ジェレミー・ドロンフィールド、越前敏弥訳。新装版が創元推理文庫から2024年1月に刊行〕が最初、全然売れなかったみたいな話がありましたけど、たしかに漢字で「飛蝗」「農場」と書いたら本屋さんでなかなか映えないだろうなという気はしますね。カタカナだったらまだしも、漢字ですからね。
越前 東京創元社で、『飛蝗の農場』の前に出た作品が『家蠅とカナリア』という作品で、「ハエの次はバッタか」と社内でさんざん営業の人が文句を言ったそうですけど、本当に売れなかったんですよ。東京創元社史上もっとも売れないといわれたぐらいひどかった。当時、文庫の初版がまだ2万とかが普通だった時代に、1万2000部しか刷らなかったと。でも「このミス」1位になったからなんとかなった。あの作品を訳すのに、僕は運転免許をとっているんですよ。車の技術的なことがいっぱい出ていたので。とるのに三十数万円かかって、印税が五十万かそこらしかなくて(笑)。7~8か月かけて訳してそれだけだったという。
阿部 『翻訳百景』のなかには、タイトルをめぐる苦労話がたくさん出てきましたね。タイトル決めは、うまくいくとすごく楽しいし、考え始めはワクワクするんですけど、行き詰まるとほんとうに嫌になってきて苦労しますよね。
越前 自分が出した本のタイトルを一覧にして、自分が考えたものに白星をつけ、自分の案が負けて編集者の案が採用されたものは黒星をつけてまとめているんですけど。
阿部 すごいですね。越前さんの場合は数が多いので、それができるのがおもしろい。
越前 編集者のおかげで売れたなと思うものがたくさんありますね。『ダ・ヴィンチ・コード』(KADOKAWA、2004年)も、僕の案では「ダ・ヴィンチの暗号」としていました。でも売れたのは『ダ・ヴィンチ・コード』としたおかげでしょうね。
阿部 「ダ・ヴィンチの暗号」でも売れたと思いますよ。
越前 どうかな?(笑)。ミステリは似たタイトルが多いですから、いま思えば埋もれちゃってたと思います。阿部さんの『事務に踊る人々』、連載では「事務に狂う人々」でしたよね。これは「狂う」だとマズいんじゃないかとか、そういう理由ですか?
阿部 「狂う」だとちょっとネガティブなんじゃないかなという出版社サイドのご判断です。私は「狂う」で書きはじめて、タイトルにある程度ひっぱられて書けたところがあるので、できればそのままでもいいかなと思っていたのですが、前向きな雰囲気の出る「踊る」でも悪くなかったので、そんなにゴネたりせずにこのタイトルになりました。
越前 「踊る」は出版社側の提案ということですね。テイストは変わらないと思いますし、楽しい感じがします。
阿部 いくつかいちおう最初にバリエーションはあったんですけど、これは私としては珍しく、比較的悩まなずすんなり決まったほうでした。たとえば『英文学教授が教えたがる 名作の英語』(文藝春秋、2021年)はもう大変でした。最初、出版社からは「東大の先生が~する」たいなタイトルにしたいと言われて、それだけは嫌だ、東大はやめてくれということで、いかにそれをやめさせるかで私も頭をしぼってつけたタイトルです。こうしてみると珍しいタイトルになってよかったと思うんですけど。
越前 「教えたがる」はどちらが思いついたのですか。
阿部 私です。編集者が推してくる「東大が~」というのをなんとかずらすために苦肉の策で思いついたんです。
越前 僕もなにかの本で「一流翻訳家」というのをつけたいと言われたことがあります(笑)。
阿部 絶対嫌ですよね、自分で言っているよこの人って(笑)。
越前 『名作ミステリで学ぶ英文読解』も、僕が最初に考えていたタイトルは「海外ミステリで学ぶ」でした。今考えてみると、「名作」の方がいいですね。「海外」というのは逆に入れないほうがいいかなと今では思っているんですけど。
阿部 「海外」と付けると、なんだか昭和な感じがしますよね。
越前 そうそう。海外ものをもっと読んでほしくて、際立たせたい気持ちもあるのですが、難しい。本音を言えば、海外と言わずとも海外のものがもっと売れて欲しいと思います。「はじめての海外文学」というフェアもやってきたので。昔は「海外」というと、模範とすべきものというイメージがどうしてもありましたけど、今は、国内で足りているじゃないかと思われがちですから、ある程度際立たせないと。
文章から滲みでる人間心理
阿部 『翻訳百景』を読むと、越前さんの、太宰治の『富嶽百景』に対する愛があふれているのがわかりますよね。太宰の作品にしては比較的前向きでのびやかな明るい印象がある。ちょっと雰囲気が違いますよね。
越前 自殺未遂のあとで立ちなおった、はればれした気持ちの時に書いているというのもあるのでしょうか。結局そのあと何年かしたら自殺してしまうんですけどね。
阿部 『富嶽百景』がお好きというのはちょっと面白いなと思いました。ミステリ的ではないですよね。太宰がふと視線をやったさきに、富士山があるという描写があると思いますが、注意散漫な感じがミステリと通じるような通じないような感じがします。ミステリの証拠はふとしたときに見つからないと意味がないですよね。「ここだ!」とさがして見つかっちゃうのは単なる宝探しだなと思います。そういう小説もけっこうあるのは事実ですが。ミステリって、ふってわいたように証拠が訪れる。あの感じを出すのは、作家はなかなか難しいんだろうなと想像します。
越前 つくりこんだトリックじゃなくて、人間心理に基づいて書かれた作品がいいですよね。谷崎潤一郎か佐藤春夫か、どちらか忘れましたけど、どこかに大事なものを置いて、トイレに行ったついでにそれをとりにいったせいで、置いたことを忘れてしまったことがメイントリックになっているミステリがあります。トイレに行くと人間は大事なことを忘れてしまいがちだということが根底にある。そういうのが好きなんです。
阿部 ふとしたはずみに、人間の心の深みがのぞくみたいな感じですね。深みをのぞいてやろうと思ってのぞくではなくて、ふとしたはずみに見えるという。
越前 『富嶽百景』でいうと、井伏鱒二が出てきて、先生が放屁されたという場面がありますよね。
阿部 あそこはいいですよね。
越前 富士を観ながら、放屁された。放屁という言葉を『富嶽百景』で覚えたんです(笑)。
阿部 私も放屁が絶妙だった印象は強く残っているのですが、場面はどうでしたっけ。
越前 見合いをしている場面ですね。太宰が初対面の女性となにをしゃべっていいかわからず緊張しているところで、井伏先生が富士を観ながら放屁なさった。放屁に尊敬語がついているところがおもしろいですよね(笑)
阿部 そういうものが書けるのが太宰の抜け目のないところですね
翻訳家の机の上はどうなっている?
阿部 これは翻訳をたくさんされている方に聞いているんですけど、わたしもたまに翻訳をやるのですが、訳すペースが遅くて。遅くなっている理由のひとつは、原文と自分の翻訳を交互に見てやるのがうまくできないからだと思っています。越前さんはどういうふうに物理的に配置されているんですか。
越前 いや、僕も遅いですよ。考えて考えて直しますけど。
阿部 パソコンで書きますよね。原文はもうパソコンに入っているんですか。
越前 横に紙を置くという古いやり方ですね。PDFの形でもらうこともありますけど、プリントアウトしておきます。
阿部 なるほど。原書を紙で右側において見ながら、左側でこう訳していくと。そのときに、ふつうは1パラグラフはいっぺんにやらないですよね。
越前 基本的には左から右の順番で訳していきます。そのうえで、あとでひっくり返したり調整することはありますけど、基本は英語の順序通りに訳していくんじゃないかなとは思います。ただ、決して速くないです。柴田元幸さんは、読むより訳す方が速いとか。
阿部 はい、そう聞いたことがあります(笑)。柴田さんにも訊ねたことがあるんですけど、こっち側で原文を見てそれから自分の翻訳に行き、それからまた戻ろうとすると、原文のどこを読んでいたかわからなくなって迷子になることがよくあります。そういうことはないですか。
越前 ありますね。長い文だと。
阿部 それが私は嫌で。もともと気が散りやすい性格なので、原文から訳文へ、そして原文へと移動しているうちについ別のことを考えちゃうんですよ。そうすると往復のときの時間ロスが大きくなる。それで、柴田さんにそういう「目のさまよい」は気にならないですか?これをなくすにはどうしたらいいですか?と訊いたら、「それぞれの位置を指で押さえておけばいいんです!」と言われました。そうか、なるほど、そんな原始的でシンプルなやり方でいいんだと感動しました。たしかに柴田さんの指が置かれているのは生々しく想像できる。ただ、難しいですよね、キーボードを打ちながらだと。小指でやればいいのかな? あ、でも柴田さんは手書きですね。広告の裏に訳文の下書きを書いてるっていうのは有名ですけど。
越前 僕は、翻訳の作業は縦書きです。
阿部 一太郎ですか。
越前 一太郎です。
阿部 最近あまり売っていないですよね。
越前 頑張って古いのを使っています(笑)
阿部 私も一太郎ユーザーなんですが、パソコンを新しくしたときに困りました。結局、生協の人に相談して法人向けみたいなやつを買いました。
越前 日本語を打つ時は一太郎が圧倒的に楽です。とくに縦書きで作業をするときは。
阿部 きれいですよね。Wordは一瞬反応が遅いような気がして。
越前 全文の表記揺れを一瞬ですべて洗い出すとか、いろいろできますので、一太郎は。
英語学習のアドバイス
越前 最後に、英語勉強法の話をしたいと思います。みなさんへのアドバイス、何を言いましょうか。一言でいうなら、『名作ミステリで学ぶ英文読解』を読んでください、なのだけど(笑)。基本は面白いものを読まないと続かないと思います。最近、大人向けのいい本がでているわけですよね。英文読解ブームとさきほどおっしゃいましたけど、『英文解体新書1・2』(2019/2021年、研究社)や『ヘミングウェイで学ぶ英文法1・2』(ともに2019年、アスク)など、ここ5年ぐらいで急激にいい本がでているので、本屋さんでいろいろ探してみるのがいいと思います。阿部先生の『英文学教授が教えたがる名作の英語』で、ガリバーやロビンソン・クルーソーを精読するのもいい。ポイントは、わからないことをなるべくそのままにしないということ。今の時代、調べようと思えばいくらでも調べられますからね。有名作品の場合は、自信がないフレーズをネットで検索すると、過去に必ず誰かが質問をしていて、誰かが答えている。それが必ずしも正しいわけではないんですけど、そのやりとりを見るのはよいヒントになりますね。
阿部 そうですね。読解の共同体みたいなものがあることを感じます。昔のユダヤ教の神学者と同じようなことをやっているわけですよね。聖典をみんなで解釈して、ああだこうだ言うことは、人間の根源的なよろこびのもとになっているんじゃないかなという気がします。
越前 正解はないんでしょうけどね。
阿部 本を手に取って、最後まで読むかどうか迷うこともあると思います。読みたい本はたくさんありますし。そういうときは、最初の一ページを時間をかけて読んで、どれぐらい性に合うか、自分でおもしろいと思うかということを基準にするといいと思います。そうすると、出だしを読むこと自体が非常におもしろくて、趣味にしてもいいくらいだということがわかってくると思います。作家ごとのやり方の違いもみえてきて、そこを楽しむこともできる。別にうまく言語化できなくてもいいと思います。なんとなく塩辛いとかぬるいとかそういう感覚でも十分なので、「この小説ってこういう持ち味だよね」ということを感じ取れるようになると、英語を読むのがすごく楽しくなってくると思います。食べ物の歯ごたえが違うのと同じで。勉強というふうに考えずに、気軽に楽しんでやるということがひとつ大切なことです。
あとは、英文のリズムをうまくとれるようにするのがいいと思います。実際に音を聴くのもおすすめです。最初の方で言いましたが英語は切れ目が大事なので、英語の音が聞こえるような感じで読めるようになると、読むのも早くなります。英語の小説のほうが日本語の小説よりも音声的に書かれていて、語りが読者にサービスしてくれているような心地の良さが感じ取れると思います。
越前 自分の本を宣伝するのもなんですが、『シートン動物記で学ぶ英文法』(倉林秀男さんとの共著。アスク、2022年)とかは音声がついていますし、『クリスマス・キャロル』に関しては僕の解説がついた本もあります〔編集部注:『越前敏弥の英文解釈講義 『クリスマス・キャロル』を精読して上級をめざす』NHK出版、2021年11月刊〕。『名作ミステリで学ぶ英文読解』とあわせてぜひ手に取ってみてください。
(2023年10月24日、青山ブックセンター本店にて)
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